がじゅまるの樹の下で。

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琉球におけるお寺の始まり

2018年03月17日 | ・琉球史散策/グスク時代

前記事の続き。

 

英祖王代、
琉球に初めて仏教を伝えたとされる
謎の人物、禅鑑。

その彼が開いたのが極楽寺です。

浦添グスクの近くにあったようで…
というのが前回までのお話。

 

さて、その極楽寺。

 

のちのち荒廃したので
「浦添グスクの西」から
「浦添グスクの北」に移転。
(尚巴志の頃ではとも考えられています)

 

しかし火事で焼失。

 

時はたち、
尚円王の時代に浦添村に移設し、
名前も「龍福寺」にチェンジ。

 

(なお、寺内には舜天から武寧までの各王様らの大硯屏があったようで
第一尚氏以前の王統の国廟的な役割もあったのかもしれません)

 

1609年の薩摩侵攻の際、
龍福寺は焼き払われて再び焼失。

 

そして尚寧王が更に再建したのが
現在の浦添中学校のグラウンドあたり。

 

 

けっこう大きなお寺だったようです。

明治期の龍福寺の回想図がこちら。

 

 

その後の龍福寺は(おそらく官営としては)廃寺となり

大正初期に糸満市に移転。

そして大正末には更に沖縄市泡瀬に移転します。

 

 

…ん!?

沖縄市泡瀬!?

 

小中時代を過ごした私の庭でもある泡瀬。
泡瀬にお寺なんてあったっけ???

 

 

 

……はっ!!!

 

 

もしかして
ビジュルの向かいにあるアレか!!!

 

 

 

これが現在の龍福寺だ!!!!

 

 

 

 

まぎれもなく龍福寺!!!

 

外見はただの家に見えますが
立派なお寺!!

 

 

 

 

2つ隣の黄色い建物は龍福寺の文殊堂。

私が小さい時はこんなにハデな建物じゃなかったんだけどね(^^;)


リニューアルされていました。

 

まさか、小さい頃から見ていたこの建物が
琉球で初めてのお寺の流れを汲む龍福寺(極楽寺)だったなんて……。

 

「雨城」の場所を知った時と同じくらいの衝撃。

 

これまではただの派手なちょっと異質な建物(失礼)
くらいにしか思ってなかったけど

俄然見え方が変わってきました

 

中には入ったことないんだけど、
今でも舜天~察度王代までを祀ってたりするのかな??

 

 

道沿いには立て看板もできてました。


琉球の寺の始まりって書いてるし!

 

 

参/
『琉球仏教史の研究』(知名定寛著/榕樹書林/2008)
『お欣和は仏教王国だった―仏教はなぜ定着しなかったかー』(川上正孝著/新星出版/2017)


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