がじゅまるの樹の下で。

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テンペスト行脚~識名園~

2010年02月09日 | ・『テンペスト』行脚

龍馬伝をはじめ、幕末ブームのゆえか、
巷でペリー&黒船来航の話題で持ちきりなので、

ペリー&黒船つながりで久々のテンペスト行脚!

写真は以前、識名園に行ったときに撮った写真ですが、
そのころはまだテンペスト行脚記事書く前だったので
識名園&ペリーにつながる箇所からご紹介します

(太文字が引用箇所です)

 

■識名園■

「首里天加那志、お呼びでしょうか?」

識名園は寧温にとって運命の糸が絡む場だ。

以前来たのは阿片事件の陰謀で左遷されたときだった。

そのときの王、尚育は密命を授けるために
識名園に寧温を呼び寄せた。

そして新王の尚泰も政局を動かすときに識名園を使うことを覚えた。

「孫親方、琉米修好条約の一件、まことに見事であった。
余は恩赦を与えた以上の結果に満足しておる」

「孫親方がペリー提督を江戸に追い払ったせいで、日本が開国させられた。
この事態をどう読む?」

「ペリー提督の目的は日本開国か琉球植民地化のどちらかでした。
もし私が江戸城の役人なら、琉球を売り飛ばす条約を結んだでしょう。
そうしなかったのは、幕府に外交能力がない証拠です」

「日本はもう危険な国ではないということか?」

「いいえ首里天加那志。前よりも危険な国になりました。
これは私の予想外のことでもあります」

「日本が開国すると列強に目が向くだろう。
琉球への関心は衰えると考えるのが道理ではないのか?」

「違います首里天加那志。我が国は日本開国で得をした国でしたが、
もっと得をした国があるのです」

寧温は琉米修好条約の写しを開いて王へ解説する。

「このように琉米修好条約は日米和親条約に比べて、文言が曖昧です。
この点において琉球は米国に勝利したとみなして良いでしょう。
しかし、第三国にとってこの曖昧さは付け入る余地があります」

「その第三国とは何処だ?」

寧温が一呼吸おいて、王の目を見つめた。

「薩摩藩でございます!」

 

「テンペスト(下) 247-」より (池上永一著/角川書店)


鎖国していた日本とは違って、
琉球は海外貿易が国の重要施策だったので
外交政策は日本に比べるとだいぶ開けていたらしいですネ。

あ、ちなみにウルフルズのトータス松本が、
ジョン万次郎役で龍馬伝出演らしいのですが、
ジョン万次郎も琉球に来ているんですヨ。

 

写真はまだあるので、テンペスト行脚識名園その②へ続く。

 

お礼

「Iうちなーデジタルフォトコンテスト」に投票してくださった皆様、
ありがとうございました。

結果は忘れたころに発表されるそうです(笑)


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