中城グスクに隣接する、
超有名な廃墟ホテル「中城高原ホテル」。
右奥の建物('15.8撮影)
↑中頭方東海道(ハンタ道)を歩いた時のもの('13.11撮影)
40年に渡って放置され続けてきた廃墟が解体・撤去へ、
というニュースが出たのは今年の3月。
「ついに!」ということで
再び注目を浴び、
5月にはめざましテレビでも紹介されたのだとか。
夕方のローカルニュースでも特集が組まれ、
現在の様子に加え、当時を振りかえる映像や
創業者の娘さんらのインタビューなどが報道されてました。
確か6月中旬ごろ、私はたまたまOTVでその特集を見たのですが、
ホテル内に残されている、いわゆる"遺跡"である『雷岩』について、
護佐丸が切腹した夜に突然現れたという「雷岩」
と紹介。
…ん?
初耳なんですけど????
その後、沖縄タイムス(電子版限定なのかな?)でも写真特集が組まれ、
「雷岩」について、同じ内容のキャプションが掲載。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/432869?page=4
(※現在有料会員のみが閲覧可能となっています)
そんな伝承、
読んだことも聞いたこともないぞ?
中城の文化財に長く携わってきた人や
歴史に詳しい人複数人にも聞いてみましたが
やはり初耳とのこと。
あ や し い ……
ということでリサーチスタート。
そもそも『雷岩』とは何なのか。
中城グスクの正門から南西方向200mの位置にある
琉球石灰岩の大岩で、
この岩に雷がよく落ちたことから、地元では雷岩という名称で呼ばれている。
雷岩はハンタ道の傍らにあり、
平坦部集落を結ぶ道、
新垣グスクを経由して首里へと延びる台地部のハンタ道、
宜野湾間切番所への道
の3つの道が交わる交通の要所となっており、
雷岩は同地点のランドマークとなっていた。
参/『古道 ハンタ道~歴史の道環境整備事業報告書~』
(中城教育委員会/2014.3)
これが雷岩の説明であって、
中城村教育委員会が出している他の資料でも、
護佐丸歴史資料図書館の学芸員さんの文章でも、
雷岩にまつわる護佐丸云々という話は何も書かれていない。
伝説の話だから…と
民話集(『中城の民話』中城村教育委員会/平成11)
にもあたってみたけど、
それでもやっぱりそんな話は見当たらない。
『写真が語る護佐丸の居城~中城城跡その周辺~』(中城村教育委員会/平成16)より
明治10年代撮影の雷岩(上)と、現在の雷岩(下)
聞くところによると、
この護佐丸云々という話の出どころは
どうやら中城高原ホテルの当時のパンフレットのよう。
ホテル内に取り込んでいる「雷岩」の説明として
つけていたこのキャプションを
テレビや新聞がそのまま紹介した…という経緯っぽい。
……え、もしやこの話って…
……まあ、そうなのかどうか真相は謎ですが、
少なくとも、この伝承が
地元に長く伝わっている、
広く知られたもの、
ではないことは確かなようです。
やれやれ。
ちなみに、ワタシも最初に「雷岩」の存在を知った時
早合点してしまっていたんだけど、
先述した通り、雷岩はあくまでランドマークであって
御嶽ではありません。
立派な岩だからね、最初はそういう系なのかと思い込んでました(^^;)
(ただホテルの敷地内には別に添石の拝所などがあります)