がじゅまるの樹の下で。

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【描いてみた】琉球史人物、を、26【キラ男子】

2016年11月07日 | ・琉球史散策/第一尚氏

毎週日曜日の澪之助とのコラボキラキラ企画が
ひとまず終わって久しいですが、
個人的にはまだまだ続行。

(描きたいキャラもまだまだいるしね)


というわけで、
今回はこの人にしてみた。

 

 


尚泰久
(しょうたいきゅう)

 

イメージ台詞
『琉球が統一された今、
武力ではなく、仏の教えで琉球をまとめたいのだ』

 

ちょっと大和風にしてみたよ。

実はキラキラ護佐丸の没イラストリサイクル…
なのはここだけの話(笑)

 

彼は1415年生まれ。
北山討伐の1年前に、
尚巴志の七男として生まれ、
1429年で三山統一されたときには14歳。

統一された、ある意味戦乱の世が落ち着いた世で、
越来王子として長い間越来グスク(現在の沖縄市)で過ごします。

しかし、志魯・布里の乱で
王位継承者の二人が相打ちで滅びたことで(※)
思いがけない形で王位に就くことに。

※布里は乱で死んだわけではなく王位剥奪で都落ち説もあり

 

仏教に帰依し、
多くの梵鐘を作らせました。

あの有名な「万国津梁の鐘」も
尚泰久が作らせたもの。

 

尚泰久は武将というよりは、
もろ文系なイメージですね。


護佐丸・阿麻和利の乱では
黒幕の一人だと憶測される事こともありますが…

はてさて。

 

 個人的には尚泰久は苦労人なイメージ。
大変なことやらかして社長たちが総辞職した後、
残った人たちから
「だってふさわしい人は他に誰もいないじゃないですか!」
なんて言われて望んでいないのに仕方なくトップに就任させられて
難しい経営再建を求められる社長、みたいな。
その中で健気に頑張るんだけど、
そんな努力を横に部下たちがまたちょっとやらかして
「はぁ~も~どいつもこいつも…⤵」って感じ。

 

前からブログでも描いてるし
Twitterでもこの間つぶやいたんだけど、

肝高の阿麻和利での尚泰久のセリフ、

「しかし、思魯布里の乱でこの首里城が焼け落ちたのはわずか5年前の事。
わしはもう、骨肉の争いで血を見るのは嫌じゃ!」

…を復活させてほしい。

この一言で、
尚泰久の人間性と、その背景を見える気がするんだけどなー。

 

 

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