がじゅまるの樹の下で。

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シイナグスク

2012年11月21日 | ・琉球史散策/グスク時代

今日ご紹介するグスクは今帰仁村のシイナグスク!

今帰仁グスクに行く道中にシイナグスクの表示が出てたので
(※↑の表示ではない)
いつか行こうと思っていたグスクです。

しかし、1度目はなかなかグスクらしい所までたどり着けず、
今帰仁道の駅「そ~れ」前にある今帰仁MAPでグスクエリアの方角のみを確認。
しかしその日は日も暮れたのでそのまま断念。

今回は2度目のチャレンジでした。

ちょっと迷ったものの、なんとか到着!

中に入ると一面クワズイモの葉っぱだらけ。

でっかい!

トトロの傘です。

間から小トトロが出てきそう(笑)

野生のパパイヤの木も。

木々に覆われているということもなく、
空が近い。

風通しもいい感じ。

上の写真のように「道」もあるし、
近くのリサイクル処理場の重機の音も聞こえてくるし、
ワタシが行った時はクワズイモの葉っぱを取りに来たおじさんとも出くわしたし、
入口のそばはビニールハウスだし、
鬱蒼とした霊気漂う…ではなく、
人の気配は近くに感じられるグスクだと感じました。

クワズイモの道を進むと、立派な石垣が登場!

北山のグスクは石が違う。

野面積みがワイルドです。

思ってたよりもずらーっと繋がっていて、
見ごたえありました。

その石垣の先(奥)には、

おや、入口(門跡?)のようなものがあるぞ。

その先は平場になってました。

さて、このシイナグスク。

一説によると、今帰仁グスクができる前のグスクのようです。

北山王が居城を造るとき、
呉我山のシイナ城の場所は、裏側の岩間から湧水量の多い泉があったので、
そこに城を築こうと人夫を集めて石を積み始めると、
6ケ月雨が続き、6ケ月日照りが続いた。
そのとき湧き水が涸れたので、
「旱魃になると水が涸れるからここでは駄目だ。」と言って、
今の北山城の場所に城を造ったという。

 

つまり、北山王の、前の居城ってことか。


このシイナグスクは発掘調査によると13世紀後半の遺物のみで
14世紀には廃城になっているようです。

今帰仁グスクの活動主体が14世紀以降ということなので
シイナグスク→今帰仁グスク

というのはリアルに「あり」みたいですよ。


参/「今帰仁村文化財調査報告書第27集シイナグスク2」(2009)
今帰仁村教育委員会総合教育課文化財係

 

 

入って右からも、左からも散策できます。

いつの間にか1周してました。

 

関連性のある今帰仁グスクとシイナグスク。
セットで楽しめるとより北山が味わえるかもしれませんね★

 

*追記*

そう言えばシイナグスクは拝所とか古墓らしきものは
みかけなかったなぁ…。

もちろんワタシが見れた範囲はごく一部なのですが。
(調査報告書見たらエリア面積結構広い…)

石垣はなくとも拝所(香炉)はゴロゴロある。
これがグスクの特徴の1つでもあるんだが、
それらしきものを全く見かけなかったのは珍しいな。

これも短期間使用のグスクゆえなのでしょうかね?

 


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