現代版組踊や小説「百十踏揚」、そして「月下に語る」では
とにかく正統派ヒーローな阿麻和利像ですが、
歴史書などで描かれている阿麻和利像はまったく正反対で
王府簒奪をたくらむ“悪人”であった、
ということはすでに皆さんもご承知でしょう。
そんな阿麻和利が護佐丸を「始末」し、
いよいよ首里に戦を仕掛けようとしていた時、
その企てを知った大城賢雄はことの次第を百十踏揚に告げ、
2人して夜の勝連グスクを脱出します。
2人が逃げたことを知った阿麻和利は、
急いで追手を仕向けます。
必死に逃げる大城賢雄と百十踏揚。
しかし勝連の追手が背後に迫り、
絶体絶命のピーンチ!!
という時、
賢雄が奇跡を起こします。
賢雄が天を仰いで神唄(おもろ)を唄うと、
とたんに暴風雨が巻き起こり、
追手の松明はことごとく消しさられ、
ある者は飛び散った砂石でけがをし、ある者は川に落ち、
追手はことごとく散乱したというのです。
「夏姓太宗由来記」によると、
その奇跡の場所は
…暴風大ニ降ル(今ニ伝テ雨城ト云)
と記述されており、
『新説 阿麻和利考』(高宮城宏著)によると、
その「雨城」というのがこちららしいです!
(雨城之嶽、雨乞御嶽)
賢雄と百十踏揚が追手に追いつかれそうになったのは
和仁屋の海岸付近とあるのですが、
同書によると当時はこの地域も和仁屋エリアだったのでは、
とのことです。
加えて、現在は陸地であるこの場所も
当時は海辺だったのではないか、と。
イメージしてみると、こんな感じ?
※追記※
地図上の雨城の〇印、ずれています。
高原南についてしまっていますが、
もう一つ上の、高原(交差点)です。
さあ、そんな雨城之嶽。
実はこの場所はワタシにとって
「…えっ!?」
っていう場所だったのです。
なぜならば、ここはワタシが小中学生だった時、
最もよく使っていたバス停のすぐそばだったから。
ここに御嶽があるというのは知ってました。
そして、これは昔、開発か何かで取り壊されそうになったとき
事故が起きただとか、とりあえず呪い的なのがあったみたいな
「いわれ」は聞いたことがあったのですが…。
まさか、あの場所がこの場所、だなんて(笑)
しかも同書には、賢雄が起こした暴風雨によって
追手が川に落ちたという、その川についてまで言及。
ぬをぉお…、これはまたマニアックな場所を…(笑)
とりあえず、この本、めっちゃ濃い&面白いです(笑)
(金丸クーデターの際の越来から知花までの逃走ルートとかもある(笑))
「夏姓太宗由来記」もめっちゃ面白い。
これ、当時の「歴史小説」だと思う(笑)どこかエンタメっぽいんだよね。
とにかく主人公・大城賢雄がスーパーヒーロー(笑)
いつか現代風にアレンジして記事にしたいと思ってます(^^
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