高知県中部の町、赤岡の絵金祭りに行ってきました。
毎年7月の第3土日の夜にあるお祭りです。
赤岡の町は今は香南市の一部になっていますが、江戸時代には漁港と近辺の商業の中心となり栄えた町です。
JR高知駅を17:34に出発、御免駅からそのまま土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り入れる列車で、あかおか駅に18:12に着きました。
まだ明るい時間に着いたので、しばらく町を散策しながら、屋台のビールやおつまみで喉をうるおしました。
いつもはひっそりしている町も今日は近所の子供達や観光で訪れた人で徐々に賑やかになってきました。
町中にある伊能忠敬緯度観測記念碑。
1808(文化5)年、幕府天文方一行の伊能忠敬が測量に訪れ、ここに北緯33度33分の杭を打ちました。北緯33度33分33秒の標識は高知市江ノ口川下流にあります。
その向かいに建つ初代村長小松与右衛門邸。
小松与右衛門は寺尾酒造の丁稚から身をおこし、酒造業を営むかたわら学問を身につけ、1890(明治23)年初代村長となり、私財を投じて香宗川の治水工事で新田を開発、赤岡小学校を建設した人です。
古そうな家や、
土佐漆喰壁の家が並んでいます。
海から近いだけあって海抜8m、というと、津波が来た時が心配です。
やがて、7時になると祭の開始を告げる放送があり、家々の前に絵金の屏風絵が立てられ、その前に立つ1本のろうそくの光で照らしだされる芝居絵を人々が観てまわります。その家の人が絵の側に座り、自慢げに見守ったり、絵の解説をしたりしてくれます。
絵師の金蔵--略して「絵金」。
広瀬金蔵(1812~1876)は、高知市に生まれ、江戸に出て狩野派に入門して技術を身につけて戻り、土佐藩家老桐間家の御用絵師に抜擢されます。しかし、贋作事件に巻き込まれて城下追放となり、10年の流浪の後、赤岡の町の商人達に請われて、町絵師として酒蔵で絵を描きました。その絵は歌舞伎の場面を描く芝居屏風絵が多く、土佐各地の神社の祭礼や商家の軒先で飾られ、夏の夜の庶民の目を楽しませました。
赤岡町には特に絵金の絵が多く、通常は
「絵金蔵(えきんぐら)」というミュージアムに保存公開されていますが、年に二度、絵金祭りと須留田八幡宮の祭礼の時に、元の持ち主の家に帰されて、軒先で昔のようにろうそくの灯りの下で見られるようにされているのです。
私も前に絵金蔵で見たことはあるのですが、この祭の中で是非見てみたいと思って長年憧れていた願いがやっとかないました。
以下、表題がわかるものは書いておきました。
源平布引滝
松波検校琵琶の段
花上野誉石碑
四段目 志度寺
浮世柄比翼稲妻
二幕目返し 鈴が森
白井権八と幡随院長兵衛のお話です。
伊達競阿国戯場
累(土橋)
佐倉義民伝
宗吾子別れ
木下蔭狭間合戦
石川五右衛門 壬生村
菅原伝授手習鑑
寺子屋の場
伽羅先代萩
御殿
花衣いろは縁起
鷲の段(二月堂良弁杉の由来)
忠臣二度目清書
寺岡切腹
播州皿屋敷
鉄山下屋敷
屏風絵の他に、絵馬提灯もありました。
長方形の箱型の両面に和紙を貼り、内側に蝋燭を灯して和紙面に描かれた絵を見る仕組みになっています。一つの芝居を続きものとして展示されることが多く、今回は義経千本桜が何枚も飾られていました。
赤岡の町には、昔行われていた村芝居の小屋が復元され、素人の人達が歌舞伎を実演しています。
これがその「弁天座」で、それまでJAの集荷場に舞台を組んでいたのを、2007年から弁天座が建設されたのです。花道、桟敷席、二階席を備え、木の香りのする立派な芝居小屋でした。
毎年、絵金祭りの時には土佐絵金歌舞伎が上演され、今年は第22回です。
浄瑠璃は女の方で、プロの方のようでした。
三題演じられていましたが、最後の「傾城阿波の鳴門巡礼歌」を見ました。
素人とはとても思えない迫真の演技でした。このお二人、実のお父さんと娘さんでした。
おひねりが客席でなく、楽屋から飛んでくるので、笑いを誘っていました。
芝居小屋を出ると、夜もふけてきて、芝居絵はますます妖しくおどろどろしく、広場ではカラオケやロックで盛り上がり、地元の子供達は浴衣で楽しみ、観光客やカメラマンも加わって通りはぎっしりの盛況でした。
名残惜しいけれど、帰りの電車の便もそんなに多くはないので、21:00あかおか駅発に乗って帰ってきました。次は21:52発が最終便です。
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の電車はタイガース電車でした。
ごめんからは土佐電鉄の電車ではりまや橋まで帰ってきました。
子供の頃に見た絵金の絵は、朝倉神社の夏祭りの時、参道をまたいで何台も建てられた台枠の中に芝居絵が灯りに照らされているのを、下をくぐりながら見上げたものでした。
切り落とされた腕や腹からしたたり落ちる血、苦悶の形相、真っ赤な衣装の色など、おっそろしいものでした。まともに見るのも怖くて、目をそらしながらもやはり見たくてそっと見てしまう。強烈は印象が残っています。
大人になって見てみると、それ程の怖さはなかったけれど、やはり暗闇の中で蝋燭の灯りがゆらめく中見ると、なまめかしく、おどろおどろしく、そして、何故か美しいものでした。
幕末の時代に土地の人々の心をつかんだ絵を描いた絵金、その絵が今も赤岡の人々に受け継がれ、多くの人を引き付けているのもまた自然に思えました。