二条城本丸御殿は毎年春と秋に特別公開されるけれど、期間が短くていつも見逃していました。今回やっと最終日に駆けつけて見ることができました。
二条城の入場料は600円、本丸御殿に入るにはさらに300円。
元の建物は1624(寛永元)年三代将軍家光が後水尾天皇の行幸を仰ぐために整備完成されたものですが、1788(天明8)年の大火で消失してしまいました。
その後永らく本丸御殿の再建はされませんでしたが、幕末に15代将軍慶喜の住居として本丸御殿が建てられましたが、明治14年に破損が著しいため撤去されました。
現在の建物は元京都御所今出川門内に1847(弘化4)年に建てられた旧桂宮邸の御殿を、明治26-27年にここに移築したものです。
京都御所内にあった時には皇女和宮も住んだことがある由緒ある建物で、宮家の遺構としてほぼ完全な形で残されている唯一の建物で、重要文化財に指定されています。
二の丸御殿が桃山時代の武家風書院造の代表として国宝の指定を受けているのに対して、こちらの建物は屋根の曲線を始め、どことなく優美で優しい感じがしています。
御殿内部は、狩野永楽、中島華陽、中島来章ら、幕末の画家達の障壁画で飾られています。少し前に京都国立博物館で公開されていた京都御所の障壁画を描いた絵師達と同じ時代のものだったんだ。
御常御殿は3階建てで、この右側面の窓から東山の大文字を正面に見ることができます。
大正天皇が皇太子だった時ここに泊まり、10月に異例の送り火を点火させてこの3階から眺めたそうです。
二条城が「元離宮」と言われるのは、明治17年に宮内省の管轄となり二条離宮と呼ばれるようになり、昭和14年に京都市に下賜され、昭和15年から「恩賜元離宮二条城」として一般公開されるようになったからです。
この石垣の一番高い所には家光の頃より五層の本丸天守閣がありましたが、1750(寛延3)年落雷のため消失してしまいました。
今回初めて清流園の中のお茶室にも寄りました。
大正時代には小川治兵衛(植治)が疎林式庭園を作庭していましたが、戦後進駐軍のテニスコートにされてしまい、その後、1965(昭和40)年に現在の清流園が造営されました。
河原町二条にあった角倉了以の邸宅の庭石などを使ったという庭園、様々な石の間を清流が流れ、市内中心部にありながら、邪魔なビルなども目に入らず、落ち着くことのできるゆとりの空間です。
この景色を眺めながらいただく一服のお茶と和菓子で、小雪舞う空模様に冷えた身体が癒されました。
収蔵庫では二の丸御殿大広間四の間の「松鷹図」障壁画が展示されていました。(3月11日が最終展示日)
桃山の遺風なので、豪華絢爛、とにかくスケールが大きい!
作者は狩野探幽と言われています。
この「築城400年記念展示・収蔵庫」のしくみはすごく近代的で、おおきな障壁画を収蔵した部屋からそのまま展示室に平行移動させて、人の手で触らないで展示することができるようになっています。年4期公開されますが、2007年度の予定はまだ発表されていません。収蔵庫に入るのには100円必要です。
二条城の西のはずれでこんなものも発見。旧二条城の石垣です。
この旧二条城というのは、織田信長が築いた城のこと。今の御所の西南あたりにありました。地下鉄烏丸線の工事の時に発掘したものをここに移してきて再現しているものです。
信長が突貫工事で作らせたために、近辺の石仏なども石垣にしてしまったというアレですが、見たところでは石仏なぞは見当たりませんでした。
旧二条城についての昔の記事。
その他、二の丸御殿台所では京の伝統工芸品展示即売会もやっていました。(3月18日まで)とても即買うわけにはいかないお値段でしたが。
二条城の中もいろいろおもしろいものがあって、あれこれ見ていると時間がいっぱいかかります。何回でも見に行かないといけない所です。
さらに、
3月23日~4月15日は桜や庭園のライトアップがあります。
4月9日には観桜茶会、5月3~5日には市民煎茶の会があります。
3月10日~21日の間、着物姿で、伝統産業の日パンフレットを持って行くと二条城に無料で入れます。
イベント盛りだくさんの二条城です。
二条城の入場料は600円、本丸御殿に入るにはさらに300円。
元の建物は1624(寛永元)年三代将軍家光が後水尾天皇の行幸を仰ぐために整備完成されたものですが、1788(天明8)年の大火で消失してしまいました。
その後永らく本丸御殿の再建はされませんでしたが、幕末に15代将軍慶喜の住居として本丸御殿が建てられましたが、明治14年に破損が著しいため撤去されました。
現在の建物は元京都御所今出川門内に1847(弘化4)年に建てられた旧桂宮邸の御殿を、明治26-27年にここに移築したものです。
京都御所内にあった時には皇女和宮も住んだことがある由緒ある建物で、宮家の遺構としてほぼ完全な形で残されている唯一の建物で、重要文化財に指定されています。
二の丸御殿が桃山時代の武家風書院造の代表として国宝の指定を受けているのに対して、こちらの建物は屋根の曲線を始め、どことなく優美で優しい感じがしています。
御殿内部は、狩野永楽、中島華陽、中島来章ら、幕末の画家達の障壁画で飾られています。少し前に京都国立博物館で公開されていた京都御所の障壁画を描いた絵師達と同じ時代のものだったんだ。
御常御殿は3階建てで、この右側面の窓から東山の大文字を正面に見ることができます。
大正天皇が皇太子だった時ここに泊まり、10月に異例の送り火を点火させてこの3階から眺めたそうです。
二条城が「元離宮」と言われるのは、明治17年に宮内省の管轄となり二条離宮と呼ばれるようになり、昭和14年に京都市に下賜され、昭和15年から「恩賜元離宮二条城」として一般公開されるようになったからです。
この石垣の一番高い所には家光の頃より五層の本丸天守閣がありましたが、1750(寛延3)年落雷のため消失してしまいました。
今回初めて清流園の中のお茶室にも寄りました。
大正時代には小川治兵衛(植治)が疎林式庭園を作庭していましたが、戦後進駐軍のテニスコートにされてしまい、その後、1965(昭和40)年に現在の清流園が造営されました。
河原町二条にあった角倉了以の邸宅の庭石などを使ったという庭園、様々な石の間を清流が流れ、市内中心部にありながら、邪魔なビルなども目に入らず、落ち着くことのできるゆとりの空間です。
この景色を眺めながらいただく一服のお茶と和菓子で、小雪舞う空模様に冷えた身体が癒されました。
収蔵庫では二の丸御殿大広間四の間の「松鷹図」障壁画が展示されていました。(3月11日が最終展示日)
桃山の遺風なので、豪華絢爛、とにかくスケールが大きい!
作者は狩野探幽と言われています。
この「築城400年記念展示・収蔵庫」のしくみはすごく近代的で、おおきな障壁画を収蔵した部屋からそのまま展示室に平行移動させて、人の手で触らないで展示することができるようになっています。年4期公開されますが、2007年度の予定はまだ発表されていません。収蔵庫に入るのには100円必要です。
二条城の西のはずれでこんなものも発見。旧二条城の石垣です。
この旧二条城というのは、織田信長が築いた城のこと。今の御所の西南あたりにありました。地下鉄烏丸線の工事の時に発掘したものをここに移してきて再現しているものです。
信長が突貫工事で作らせたために、近辺の石仏なども石垣にしてしまったというアレですが、見たところでは石仏なぞは見当たりませんでした。
旧二条城についての昔の記事。
その他、二の丸御殿台所では京の伝統工芸品展示即売会もやっていました。(3月18日まで)とても即買うわけにはいかないお値段でしたが。
二条城の中もいろいろおもしろいものがあって、あれこれ見ていると時間がいっぱいかかります。何回でも見に行かないといけない所です。
さらに、
3月23日~4月15日は桜や庭園のライトアップがあります。
4月9日には観桜茶会、5月3~5日には市民煎茶の会があります。
3月10日~21日の間、着物姿で、伝統産業の日パンフレットを持って行くと二条城に無料で入れます。
イベント盛りだくさんの二条城です。
二条城もときどき行くと盛りだくさんで面白いですね。
桜が満開の時はまだ行ったことがないので、今年は行ってみたいと思っています。
桜もほんとに多そうで、花見にいいでしょうね。開花予想が28日に修正されたので、4月第1週が狙い目でしょうか。