夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

供養の真心

2015年11月14日 22時29分31秒 | 日記・エッセイ
供養の真心

雨の中、友人の奥様のお通夜に参列しました。
奥様の死は急な出来事でありました。
朝は紅顔で夕べには煙となると云われますが、人の肉体の命は儚いものであります。
『生死一如』の言葉のように死すると云うことは生まれることでもあります。
人間の本当の生命は死することなく、永遠の生命であります。
友人はお坊さんの御経を聞きながら、まんじりともせずに只一点を見つめていました。
友人の胸の内を思うとき胸が痛みました。



美しい声明の尼僧の方から亡くなられた仏様を御縁として集まられた皆様は仏の道に導かれる尊さを思い、
ご供養させて頂くあり難さを思い、礼拝し感謝する事が大切であり、
またその心を後世の人達に伝えて行かなければならないとお話をなされました。




『供養の心さえあれば供養は要らないではないか』という人があるが、併し心があれば、行いが自然と現われることになるのである。
祖先を大切にする心があれば、自然にお祀りを大切にする訳である。
心があれば何もしなくてもよいというのは、心がないという証拠である。
唯、尊敬と報恩・感謝の念をもって供養、経を読誦すること。







パリの人々の心を痛み、心より哀悼をこめて

2015年11月14日 11時09分38秒 | コラム・人文
パリの人々の心を痛み、心より哀悼をこめて

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、
愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して
全地上を覆い給い、
すべての人々の心に
愛と平和と秩序と中心帰一の
真理を満たし給う。

人々の悲しみ涙、苦しみを、我が胸の内に映して、我が心として受けとり、その思いを神の御心にゆだね、
神様の深い、深い願いである、人々の心に平安と癒しが、来たらんことを切に、切にお祈り申し上げます。
世界の全ての宗教が手と手を取り合い、世界の全ての人々に安寧と幸せを持ち来たらすことを希い、
世界に平和が実現することを地の果てより、心より切に祈ります。






何時の時代においても、肯定的な愛と光明と人類相愛の言葉を普及するほど必要なことは外にないのであります。
それはキリストの愛と、釈迦の慈悲、世界の善き宗教が教えるところの真理を信ずるところの吾吾真理の使者達が
是非とも行なわなければならないところの、最大の急務だと言わなければならないのであります。



雨の週末

2015年11月13日 23時22分24秒 | 日記・エッセイ
雨の週末

今日で病院の機能評価の二日間の監査が終わりました。
ホッとしています。スタッフの努力のお陰でクリアすることが出来ました。
スタッフの皆さんには感謝しております。ありがとうございました。
新しい感染症など等、医療を取り巻く環境も変わって来ました。
特に安全な医療を求められています。

年老いた御夫婦又は親子。兄弟、親戚等、互いに支え、いたわり合いながら通院しておられる患者さん達を見受けますと、互いに支え合いながら人生を経て来られた模様がシミジミ感じられ、何とも言えない気持ちになります。
ほとんどの人が人生の最後を病院で過ごされる事が多くなりました。今生の最後を有終の美で飾って頂けるよう努力したいと願っております。





人間は死んでも死なない、永遠に生き通しの生命である。

わが歳きはまりて安養浄土へ還帰すといふとも、和歌の浦曲の片男波の寄せかけ、寄せかけ帰らんに同じ、一人居て喜ばば二人と思うべし。二人居て喜ばば三人と思うべし。
その一人は親鸞なり。
親鸞上人・・・『御臨末御書』






八幡さんとの御縁・・・・・守護神について

2015年11月12日 22時02分02秒 | コラム・人文
八幡さんとの御縁

此の町を訪れたのが今から五十八年程前になります。
中学生のクラブ活動で学校から一キロほど離れた八幡宮の参道を駆け上がる事を、何度も繰り返し練習をしました。
今思いますと、そのお陰だと思いますが、鈍足の私が、駆ける事がメキメキと上達しました。
中三の時、当時のNNKの放送陸上大会に出場するまでになりました。
それから十四年後に不思議な縁で中学生時代に御縁があり、この町内の産土神でもある八幡宮の近くに引っ越して来て、八幡さんと再び出会いました。
それからも八幡さんには子宝に恵まれた事を初めとして色々と、大変お世話になりました。
私が生まれた博多の筑紫郡日佐の産土神は住吉宮でありますが、最近つくづくと八幡大菩薩が私を守って頂ける守護神だと感じるようになりました。






人間には誰にでも生まれるときに産土の神様に選ばれて適当な神格を得た祖先の霊が守護のために選ばれてついておられ、守り給うと云われています。これが正守護神であります。
生まれてから現世の生活が終わるまでつづいて護っておられます。
宇宙遍満の絶対神に感謝すると共に、祖先霊に感謝し、産土神に感謝し、守護神に感謝することは、
常に怠らず、暇あるごとに、心に神名を唱え、感謝することは好い事であります。





明るい未来を創る勇者たち

2015年11月11日 21時20分50秒 | 真理の言葉
明るい未来を創る勇者たち

躍動感溢れる生命が、夢ふくらませ、寄り添い、瞳輝かせ、歩む道のりに、
希望を乗せて、朝陽が温かく彼らを包み賛嘆する。




すべての困難を栄養に変える歌

すべての経験
すべての試練
すべての重荷
すべての苦痛
かなしみも、口惜しさも
わが魂を肥やすために
神がわれに与え給うた
天の配剤である。
なにものも、
どんな苦いものでも、
あなたの魂を肥やすところの
栄養にならないものはないのである。
何故なら、あなたの魂の胃袋は
非常に健啖であって
どんな困難な岩石でも
噛みくだいて、自分の魂の
血となし、肉となす力をもっているからだ。
神と偕(とも)に生きる真理





夕暮れのお喋り(祇園の街角)

2015年11月10日 23時15分34秒 | コラム・人文
夕暮れのお喋り(祇園の街角)

『おいでやす』とお迎えをし
さし出す天ぷらを上品なおちょぼ口で、慎ましく頂く美しさよ。
長い塗箸を艶やかに扱い、お淑やかに綺麗に箸置きに収める見事さ。
穏やかに、優しい話の奥ゆかしさに何故か、心魅かれる不思議さ。
木屋町を流れる高瀬川に光るローソクの陽炎。
『おおきに』と見送る、垂れ下がる帯地の後姿。
舞妓さんの『はんなり』の麗しき事限りなし。

神々しい天皇様のお膝元で栄えた優しい微笑みの京文化。
京文化、独特の奥ゆかしさと美しい都の絢爛さ。
修練された、身のこなしの舞妓さん。
比叡山の風が吹きぬける京仏教。
戦乱を駆け抜けた京都。
老舗が軒を連ねる、日本の伝統技術の街、京都。
日本の文化と深く懸かりあう平安京。


世界の平安と平和を祈る。





日本国家の理念

日本国家は、天照大御神の理念(おおみこころ)の中に先ず造られ、
それが『千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり』という天孫降臨の神勅となってあらわれています。



先ずその時、その場所で微笑(ほほえ)みなさい。喜びなさい、幸福になれます。

2015年11月09日 21時03分58秒 | 誌編
ラジオから聞こえる懐かしいメロデイー、何故か退廃的な風が吹く、
その頃は何をしていたのだろう、しかし心に響くものがある。
そのメロデイーを辿ってみると、何か大事なものがあるように思える。
もう失った時めきだろうか、
失った希望だろうか、
その希望は我執に満ちたものだったのか、
若さだろうか、
生きていく儚さだろうか、
まだメロデイーが心にひろがる。
もう一度この世界に行って見たいのだろうか。
ハット吾に帰り、
今、真実の世界に生かされている此の身、此のままの自分をあり難く受け止められる自分がある。
そっと微笑む
明日も、喜び一杯で前進しよう。






先ずその時、その場所で微笑(ほほえ)みなさい。喜びなさい、幸福になれます。


微笑! それから自分は神の子だと考えること。
『既に毎日よい事を与えて下さいまして有りがとうございます』と感謝するのです。
感謝すればするほど善いことが来るのです。

そして希望に満ちて、毎日あかるく微笑するのです。
あなたの境遇でも、あなたの肉体でも、健康でも、善いことが来ると云う想像と希望と、明るい心と、微笑とには、
きはめて敏感に反応するのです。




11月8日(日)のつぶやき

2015年11月09日 05時09分15秒 | コラム・人文

スーパーマーケットでの餅つきのイベントでしたが、
気温が上がり、暑かったので盛り上りがもうひとつだった。
しかし年末はもうそこまで来ています。
日本人の季節感の先取りは素晴らしい。 pic.twitter.com/Ha5FSn64ol



希望にあふれる日々をあなたに

2015年11月08日 14時48分07秒 | 真理の言葉
希望にあふれる日々

涙に泣き濡れて悲しい時も、悩める時も、寂しい時も、苦しい時も、憎悪に満ちた時も、恐怖に戦いている時も、吾等の内奥に存在する神は密かに見守り導き、吾等を祝福し給う。
神は常に吾と共に歩み給い、吾の切なる希望、苦しみを知り給う。
神は吾が如何なる罪深き人間であろうとも、常に吾を優しき、まなざしで慰め、愛し給う。
神は善であり、愛と希望、生命と智慧に満ち、光明燦然と輝く無限の存在である。
一切の衆生、一切の生きとし生けるもの、有りとしあらゆるものを愛し、祝福し給う。
吾が握り掴んでいる一切の苦しみ、憎しみ、執着、一切のものを捨て、
神に委ねよ、そうすれば慈愛に満ちた神の御手は貴方の手をつかみ、赦し、救い給う。



イエスまた人々に語りて言い給う『われは世の光なり、我に従う者は暗きを歩まず、生命の光を得べし
      ヨハネ傳第八―十二―十三