夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

『自粛』と『依存性』と『真の自立』・・・日本民族の理想(暗雲と混乱と騒擾を消し去るために)

2020年03月31日 22時18分07秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
『自粛』を辞典で調べると自分で自分の身を慎。

自分から進んで、やり方をつつしみ、気をつけること。

と書かれています。


日本は周りを太平洋、日本海、オホーツク海などの大海で囲まれた地理的な条件により育まれた、

歴とした海洋民族であります。

古代では安曇族等の海人族の活躍が盛んでした。
                                                             
山の神と海の神が互いにその独自性を維持しながら共栄してきました。

高天原の神々である天之御中主大神、伊勢神宮の祭神である天照大御神などの『天津神』

それに対して国神、地祇、地神、出雲大社等の『国津神』。

『天津祝詞』に・・・・・・・天津神(あまつかみ) 国津神くにつかみ) 八百万の神等(やおよろずのかみたち) 

共に 天の斑(あめのふち) 馬の耳(こまのみみ)振立て 

聞召せと畏み畏みを白す とあります。


このように日本の神々は天之御中主大神に帰一して、共に協力し穢れを祓い清めてきた歴史があります。

幽の幽なる哲学的な隠身(カクリミ)である最高の元始神である天の御中主神を頂点として

天照大御神『皇尊(すめらみこと)』、そして八百万の神々が丁度富士山の頂上から優雅に広がる裾野のように

一切のものを一つに和融して美しい大調和に満ちた秩序ある世界を創造したのが日本国であります。

このような美しい大調和の理念、元に帰一する秩序ある理念を享け継いだのが日本民族です。

バラバラの団子を串に刺すと一本になるように皆が一体となって

美しい調和に満ちた思いと秩序正しい行動をして行くならば

『未知のコロナウイルス』によって広がっている暗雲と混乱と騒擾は消えて去ることでしょう。


依存性について

依存性にも色々なパターンがありますが、自閉的といわれている頑固一徹、

または自立的な生き方を目指している人でさえも

内的な潜在意識には常に依存の要求を満足させている。

それは、自己の信念、心の故郷、神への志向、愛の対象への執着、甘えであったりします。

依存は愛の裏返しでもあります。

自分自身が依存の対象を喪失すると心の平安を失います。

それ故に対象への依存に執着します。

そこから様々な苦しみ、悩みを生じます。

大切なのは外界の世界に真実を求めるのではなく、

自分自身の内に既に存在しているなる無限なるもの、

絶対的なるものである『神』・『久遠の仏』に絶対的に依存することです。

言い換えれば心の内に存在している相対を超越した

絶対的な他力(依存)を信じることであります。

端的に言いますと『自分の内なる善』を信じることであります。

これが外界に依存しない真実の自立であります。

これにより大調和に満ちた安穏の世界が顕れることになります。


時間的な言語をもって表現すれば人間は『今・則久遠』の存在である。

空間的な言語をもってするならば 『有限即無限』の存在であり、

有限の自己をあらわしつつ阿弥陀の本物がいまここに生きてあるのが自分である。




神の善はわが内に在り。



























 

恐怖の感染・・・『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

2020年03月28日 11時39分44秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
私共の病院にもついに、新型コロナウイルスの疑いで診察に訪れる人があらわれて来ました。

しかし皆、陰性であるようです。

感染の終息を祈るばかりです。



『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

家庭で、赤ん坊や幼児が感染症に罹患したらうつらない様に近寄らないようにし、

他の人に迷惑にならないように外出を控え自分の部屋に閉じこもるのである。

しかし心の中に巣くう恐怖や動揺、心配や憤慨等の悪感情を起こした時

それが感染しないように自己を隔離したことがあるであろうか!

これらの感情は言葉や行動で表現しないでも

周囲に感染するのであることを考えたことがあるであろうか。

恐怖より開放されるための道はただ自己の真実の自我を知ることである。

この自我を知るためにはイエスがマタ傳第5章で述べた如く

『然らば汝らの父が全きが如く、汝らも全かれ』

・・・・『あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい』

若し吾々が、神を呼ぶにせよ、神は呼ばないでも、

神は常にましまして我らを護ってい給うということを信ずるならば、

この世の中に何一つ恐怖すべきものは存在しないのである。



ある校内第一の優れた女性教師がある日生徒たちの両親から

苦情がきて生徒も勉強に興味を失い、

教室にもいる事を嫌がるようになっていました。

今や辞職を勧告されるようになったのです。

それは彼女の内に秘められていた怒りと反抗と失望と不信と未来の生活に対する

陰気な想念感情の恐怖が知らず知らずのうちに生徒たちに感染したからです。

しかし彼女は自分自身が自分に与えている害、

そして愛する生徒達に与えている害に気がついていなかったのです。

彼女はカウンセラーの助言をうけたのですが

彼女の人を排斥する感情は中々消えなかったのですが

心の訓練を継続していく中で

やがて排斥の心が素直な心に置代わり、

赦しと理解の心が憎しみの心と置き代わり、

神の愛に対する信仰が彼女の恐怖を克服したのです。





決断とは何かを捨てると云う事である。



才智ばかりで小細工する者はついにその才智に翻弄されて自己が崩れさるであろう。







初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・最終回 (菩提と涅槃と彼岸)

2019年08月19日 21時08分21秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
心の精進は瞑想(禅定)であり、

瞑想も色々とありますが要するに

明るい積極的な想念と、天と地が一直線に結ばれているように、

正しい姿勢が保たれれば自ずから

正しい思い、

正しいことば、

正しい行い、

正しい態度がとれ、

身体も健康が保たれるものです。



菩提と涅槃と彼岸


私たちは、菩提心という、仏陀に向かって進む心を、迷いの人生の夕暮れに発(お)こし、

心の真の自由と平和、仏教の最高目標である『涅槃の境地』を、

悟りの朝に仰いで生きて行こうではありませんか。

そうしなければ、どうして、淼々(びょうびょう)とした広い

この生死の海底から抜け出て、蕩々(とうとう)として

広大な法身(みほとけ)の世界に昇りつくことができましょうか。


生死海を乗り切るためには、彼岸に至る六つのおこない(六波羅蜜)と

あるいは八つの正しい生き方である(八正道)という大船に乗り、

つとめはげみの(精進)という橦(ほばしら)を立て、

心のしずけさの(禅定)という颿(ほ)をあげて進みましょう。

前途には多くの障害や抵抗がありましょうが、

たえしのびの(忍辱)の鎧(よろい)を被(き)て、

群がる賊をたおしていき(知恵)の剣で威力を示していきましょう。

さらに悟りにいたるための修行である(七覚支)という馬に策(むち)を当て、

人々の溺れ惑う曠野(こうや)を速やかに踏み越え、

世俗を超えるための修行である『四念処(しねんじょ)』という

輪(くるま)に乗って、俗界を高く乗り越えて進みましょう。



六塵(色・声・香・味・触・法)の世界はすべて無常であり、

人々を溺らせる迷いの海であり『常・楽・我・浄』という四つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、

彼岸にそびえる目標の岑(みね)なのです。

                               三教指帰・・・ 弘法大師空海


 
『注』

六波羅蜜・・・布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵

       布施・・・財施・法施・無畏施(恐怖を除き安心)などを与えること。

       持戒・・・戒律をまもること。

       忍辱・・・苦難に堪え忍ぶこと。

       精進・・・真実の道をたゆまず実践すること。

       禅定・・・精神を統一して、安定させること。

       知恵・・・真実の知恵を得ること。

八正道・・・正しい見解・正しい思い・正しいことば・正しい行為 

      正しい生活・正しい努力・正しい気づかい・正しい精神統一

精進・・・努め励むこと・善をなすのに勇敢であること。

七覚支・・・択法覚支・・・教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨てる。

      精進覚支・・・一心に努力する。

      喜覚支・・・真実の教えを実践する喜びに住する。

      軽安覚支・・・心身を軽やかに快適にすること。

      捨覚支・・・対象へのとらわれを捨てる。

      定覚支・・・心を集中して乱さない。

      念覚支・・・おもいを平らかにする。

四念処・・・思念処観の略。心の存在を構成するものを如実に観ずること。

      ①身を不浄、②受を苦、③心を無常、④法を非我なり、と観ずること。

菩提心・・・さとりを求めて仏道を行なうとする心。さとりを求めて世の人を救おうとする心。

      さとりへ向かう心。発心すること。聖徳太子は『直心』と説いた。

六塵・・・色・声・香・味・触(ふれられるもの、感覚器官)・法(思考の対象)

     人身にいって本来清らかな心をけがすから塵という。

常・楽・我・浄(じょうらくがじょう)・・・永遠であり(常)、安楽に満ち(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)。

涅槃・・・まよいの火を吹き消した状態。
 
     安らぎの世界





自己の心を支配せよ、一国の支配者よりも偉大なる者である。





すべてのものを善きものと知れ。




天の愛と地の愛と。父の愛と母の愛と。天の気と地の気とがそろって萬物と私達は育成される。

初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の2 (涅槃への道程のヒントがある。)

2019年08月18日 18時18分13秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
煮えたぎる灼熱の暑さのなかにも

爽やかな風が吹きぬけ一抹の涼しさを覚えます。


弘法大師空海の24才の時に著した三教指帰(さんごうしいき)を読みかえしていますと、

今から1200程前に書かれた著作でありながら現代社会の諸々の姿が映し出され、

末法の時代である彷徨う現代社会の姿をまるで予言しているかのようであります。

また現代を生き抜き、涅槃への道程のヒントが隠されています。


私たちの行いが善くない場合には地獄に堕ちて、

牛や馬の頭をした獄卒の残虐な仕打ちで報われますし、

善い行為をすれば、

金銀で造られた楼閣のある甘露のような天国の生活が授けられるのです。

これは私たちの心次第であります。

決してはじめから天国や地獄が定まった所にあるわけではないのです。

私も以前には、あなた方のように心を離れたところに

天国や地獄があるのかと思っておりました。

ところが先頃仏教に出逢うことができて、永い迷いから目が覚めたのです。



生死海の賦


生死の迷いの世界とは、まさに大海にもたとえられるものであります。

海の鳴動は磕々(かいかい)と霆(いかずち)のように鳴りひびき、

来る日も来る日も絶えず轟いており、轔々(りんりん)と雷のつんざくように震動して、

夜な夜ないつも充ちています。

ここには多くのものが累(かさ)なり積り、

もろもろの品々がおびただしく叢(あつま)っています。

それゆえ、あらゆる怪奇も育まれ、あらゆる詭詐(いつわり)もここには存在しています。



魚類を見れば、彼らはみなむさぼりの心があり、

いかりの心があり、ひどいおろかさがあり、かつ慾深い生活をしています。

魚には、長さ数千里もある鯤(こん)のような大魚がいます。

かれらは海中をわがもの顔で泳ぎまわり、

鰭(ひれ)を挙げ尾を振り、大口をあけて食べ物をあさっています。

大魚たちが波を吸い込む時には、

欲をはなれて彼岸へと目指す『離欲号』の船も『ほばしら』をくだかれて沈められ、

海の藻くずと消えていきますし、彼らが霧を吐く時には、

『慈悲丸』の大船もかじは折られ、人はおぼれて、無残にほろんでしまいます。・・・・・・・

その他、鳥類、獣類など生死海にあるすべての生き物が、

本能のままに快楽を求めて他をかえりみないありさまを見てきましたが

彼らは、上はこの世の頂上の有頂天から下は最下の無間地獄にいたるまで、

櫛の歯のように並び住み、家並みのようにびっしりと並び棲んでいます。


真の心の安らぎを求める人々は、在家信者の守るべき五つの戒『五戒』、

同じく在家信者の十個の戒律『十善戒』という手押車を使って

迷いの世界を乗り越えようと努めますが、

悪の力に引き戻されて、摩鬼の住む郷に陰々・軫々と引き寄せられてしまうのです。

これでは生死の大海はとても脱出できません。

                          三教指帰・・・(生死海の賦) 弘法大師空海






感謝の心は生命に油を差す。





人間も苦労するほど花が咲く




憎みや怒りは生命の摩擦である。摩擦は生命の浪費である。

 

初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の1

2019年08月17日 20時14分04秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相


今年は母の初盆なので菩提寺より棚経の連絡があり、

送り火の十五日の当日は台風接近でしたが、小雨程度の天気でした。

子供達は台風を避けて、前日にそれぞれに帰りました。

今年の棚経は住職の御子息さんで、

二十年程前の初々しい若いお坊さんの時は

塔婆を優しく抱き戒名を勧請され、感動したことを思い出しました。

百ヵ日法要の塔婆を持参され初盆を兼ねてのお参りとなりました。

今は堂々たる風格で、丁寧に勧請され

お経の読誦と木魚を叩く姿も大変すばらしかったです。

帰り際に五日後の『施餓鬼供養』の案内をされ次の棚経へと行かれました。

帰りに足下を見ますと雨天用の雪駄があることに初めて知りました。

外には運転手さんが待っておられました。
 
無常の賦

十二因縁という、人生を織りなす連鎖によって、

私たちの心は、猿が欲望のままにとびまわるように、

いつも無明(まよい)によって動かされています。

また、四苦・八苦の苦しみによって

私たちの心の奥はいつも悩まされ続けているのです。

燃えさかる三毒(むさぼり・いかり・おろかさの三つの根本煩悩)の

爓(ほのお)は、昼となく夜となく燔(も)え続け、

鬱蓊(うつおう)と茂る百八の煩悩の藪は、

夏といわず冬といわず茂りに繁っています。


万条の位の人の、宝のような姿も、

死後はただ一条の野辺の煙とともに

大空へ舞い昇っていきます。

千の嬌(なまめ)かしさの妙なる姿態も、

腐れ爛(ただ)れた身体になってしまえば、

だれがそのようなものに近づきましょうか。

無常という暴風は、神仙さえもようしゃしませんし、

精魂をうばう、どうもうな死神は、

貴賤(きせん)の身分などまったく区別しないのです。


墓所に生い茂る薜蘿(つたかずら)だけが

死後の私たちを覆う日常の飾りなのです。


あかつちを塗った堂宇(たかどの)や、

白壁の邸宅(やしき)はいまあなたが仕合せに住んでいますが、

これから永く続いていくわけではないのです。


人々の尸骸(しがい)は草の中に爛(ただ)れ果てて

もとの形を留めませんが、

神識(こころ)は裁かれて地獄等へいき、

そこで沸えたぎった大釜で煎られ苦しめられ、

自由などまったくききません。

恐怖におびえる人たちの哭(な)き叫ぶ声が

毎朝、朝がくるたびに大空にひびきますが

なんの反応もなく、毎夕、夕方がくるたびに絶望だけが残っています。


閻魔大王に頼んでも少しもきいてくれませんし

妻子を呼んでみても、もはや死後の自分にはかまってくれません。


嗚呼、何と苦しいことでしょう。

何と痛ましいことでしょう。



私たちが生きている間に正しい道に向かって努力しないと、

こうした地獄の苦しみ、辛さに会うことになるのです。

生きている間に勉め励みましょう。

光に向かって勉め励みましょう。

        三教指帰・・・(無常の賦) 弘法大師空海



春の花はやがて枝の下に散り、
秋の露ははかなく葉の上で沈(き)えていきます。




人生はすべて仏の光を浴び
仏に向かって歩むところにその意味がある。

個人の運命について・・・あなたの運命の彼方は如何に 其の1

2019年08月04日 22時45分45秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
浜辺のユリ


中学生の時8K歩いた海岸への遠足地。

断崖に群がるユリの想い広がる。

鳥居の足下でしなやかに揺れ、

遠くの岩礁に海鳥が羽を休め、

ゆっくりと穏やかに打ち寄せる小波。

遥かに広がる白い雲、青い空、蒼い海。



真夏日の障子紙の張り替えに挑む

先輩曰く

この真夏日に障子の張り替え‼

普通は涼しい11月頃だろう❕



先日先輩と仲間たちで道場の障子紙の張り替えに挑戦。

何十年前に張った障子紙に水をかけただけで簡単に剥がれました。

やはり職人が張った障子は素晴らしい技でした。



個人の運命について


宿命とは、過去世の宿業の集積の総決算として現れて来るのです。

此のことが吾々個人の運命の半分を決定しているのです。

宿業と言いましても、宿業は現れている一切の存在は

心の想いに起因した結果でありますから

過去世から現在までの念業である『身業、口業、意業』の三業の集積であります。

吾々の個人の運命は各々が産声をあげた時から、

どのような運命を背負うべきは決定されているのです。

寿命なども大体決まっています。

しかしその宿命は心的な存在で形成されたものでありますから、

現在の心の良し悪しの如き心境、正邪によって修正されるのです。



『注』
『身業、口業、意業』・・・身に行いことと、口に言うことと、心に思うこと。

この三つで生活活動が尽くされる。

あることをしょうと意志するのが意業。

それが身体的行動に現れるのが身業。

言語表現に現れるのが口業。

これを三業と言う。





一切の存在の本質は理念である。



自己の願いを大生命にゆだねよ。大生命は無限力である。



不慮の死といえども、摂理の手から見れば不慮ではない。



宇宙の何処にも損得はないのである。


人生の主人公となる為に・・・其の3 霊的な大生命(神の世界)は創造する力そのものである。『私たちが他を害しない純粋な願い祈りは叶えられるのです。』

2019年07月29日 23時51分25秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
博多の小学校の先生である次女は6年生のクラスの様々な問題を手本通り、

思い通りに計らう事から厭離することが出来たようです。

夏休みは九州大学に留学している生徒を家庭に宿泊させ、。

また親子で、外国にホームステイして

現地の先生の授業を受け外国語(英語)を学ぶようです。

本来の夢の実現に前向きになり、明るさが戻ったようです。



人は描いたもの中で神の御心にあったものが実現する。

今与えられているものが神の御心である。

どんな些細なものでも神の賜物として享けよ。

そこから新たなる出発が始まる。

此のことが肝心である。



神は善そのものでありますから、

よろしきこと明るい想念、

積極的な前向きな行動は神様の御心と波長があうのです。



至る処に新しき生命は生み出され、

古き生命の姿は変化しているのである。

私たちはこの尽きることのない創造性が発現して、

常に新たなる向上の世界へと変化し進歩している大生命に住んでいるのです。

私たちが生活している大生命の世界は

常に創造性が生み出されている叡智体そのものです。

大生命の心は本来無相であり、

それ故に吾々が想うがままに、応じる創造的な力であるのである。

だから吾々の心に念ずる想念のままに、物事を創りだすのです。


私たちが思考している時、

宇宙霊(神霊)が私たちを通して考えているのです。

私たちが他を害しない純粋な願い祈りは、

必ず大宇宙の霊に印象せしめられ、

私たちが見える世界に現れることになるのです。



新しい天と新しい地


わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・・・・・

神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、

その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

最初のものは過ぎ去ったからである。

・・・すると玉座に座っておられる方が

『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また書き記せ。

これらの言葉は信頼でき、また真実であると言われた。

またわたしに言われた

『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。

初めであり、終わりである。

渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。

勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。

わたしはその者の神となり、その者はわたしの子となる。


                         ヨハネの黙示録二十一章 1~7




過去を捨てよ、あなたは『今』生まれたのである。

どんな悲しいことがあったにせよ、それについて思い煩うな。

どんな苦しいことがあったにせよ、それについて嘆くな。

『今』天地は一新したのである。

『今』この新しい天地に生きているのである。

『今』 日日草は喜びに満ちて輝いている。

この花よりも尊く美しいのが人間である



善根の辻・・・善を施し、そして善い報いを享けるのが信仰のあかしである。

2019年07月28日 10時06分54秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
道場の祭壇がある部屋の障子を張り替えたいが

この部屋で作業をしてよいかどうかを尋ねられました、

そのくすんだ障子の側に行って見ると、

障子の外からなにか霊的なもの感じました。

その障子の外は駐車場があり崖の高台からの気配のようでした。


翌日その崖の周辺を回って、調べていますと周辺の土地の因縁が解ってきました。

この辺りの丘を『善根の辻』と称し、熱心な信仰の場所であったようです。

もともとこの変一帯は西郷氏が治めていたのですが

筑後柳川の龍造寺家晴が、秀吉より伊佐早領2万2千石の朱印状を享け

西郷氏の居城である高城の明け渡しを迫り、

善根の辻まで攻め入り此処で法螺貝を吹き勝利の宣言の合図を行ったとあります。

此の丘の周辺は信仰の証である祠が彼方此方に点在しています。

昔の人々の信仰の深さが偲ばれます。


1957年(昭和32年)7月25日、6時間降水量と12時間降水量では日本歴代最高記録を記録した

『諫早の大水害』で破壊された本明川の堤防の復旧の為に、

此の『善の辻』の丘陵地の山を崩し大量の土が使われました。



話は後に戻りますが道場の崖の上に登って見ますと

小さな屋根で覆われた稲荷、観音、この地では珍しい弁財天等の祠が並んでいました。

その一つに地元の御舘山稲荷神社の『霊璽』と思われる稲荷の祠があり

誰かが地祀りされていたのでしょうが現在は誰もお参りされている形跡がありませんでした。

祠には町名などが記されていました。

祝詞を奉上しお参りしました。



現在は浄土真宗が盛んな地域ですが

もともとは行基菩薩が諫早から島原半島の雲仙へと布教した場所であり、

観音信仰が盛んな地域でしたので彼方此方に磨崖仏の観音が刻まれ、

観音の祠が点在していて観音山と呼ばれている山もあります。

明治の廃仏毀釈までは真言宗の大きな寺院がありました。

この『善の辻』にも弘法大師空海の薫りが残っています。





火にも焼けず、水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも

自由自在な人間の本性である神性、仏性を信ずる信仰こそ本当の信仰である。




夕べに道聞かば、朝に死すとも可なり。





善』は自然界の法則である因果の法則を打ち破ることが出来る。



人生の主人公となる為に・・・其の2(一切の不幸から脱却する方法)

2019年07月23日 19時57分15秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
今日は研修会でしたが午後から参加しました。

雨雲の上に入道雲がひよっこりと顔を出しています

勤務先にも交換を潜り抜け総合病院であるのに警察署ですかと尋ねる

怪しい電話等が時々かかります。

役者顔負けの巧みな電話であります。

最近は即座に虚実を見分ける直観力が必要であります。



不幸を不幸と思わずその不幸の奥底にある『恵み』を発見せよ。


善なる神の愛を見失う時は、

その代償として苦痛という代償を背負うこととなる。

それは神の愛に心をふり向けないことにより、

神の無限なる叡智を

自分自身にあらわすことが出来ないからである。

それ故に、おのれ自身の直覚によって神に導かれることが出来ない。


より来る直覚こそ、

吾々を苦痛と不幸におとしいれる

間違った選択を正してくれるのである。


善は悪を知らない。

光は闇を知らない。

知恵は愚かさを知らない。

生命は死を知らない。

愛は憎しみを知らない。

美しさは穢れを知らない。

豊かさは欠乏を知らない。

歓喜は悲哀を知らない。

調和は混乱を知らない。


これらの善き性質は偉大なる真理である。

この真理は永遠に砕けることがない。

これらの善き性質を自覚する時に全てのものが整えられ

円満なる人生を支配することが出来るのです。



神は無限の善であり、無限の光であり、無限の知恵であり、無限の愛であり、

無限の美であり、無限の豊かさであり、無碍の歓喜であり、無限の調和なのです。

このような完全円満なる神が遍満している世界に素直にふり向け(回向)、  

『神は一切であり、全てのすべてであり愛に満ちた存在である』ことを自覚すると、

神からの恵みを受けることが出来、

一切の不幸から脱却することが出来るのです。





人の喜びをわが喜びとする。




われは口に入れるものは何もなくとも、われは喜びを食(じき)とする。・・・釋尊













病気などの困難は困難に非ず。新しい真実の世界へ生れる為の導きである。

2019年07月03日 22時57分01秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
夜る遅く電話がなり、

電話を取ると部下からであり

昨日父が肺癌の宣告を受けたとのことでした。

色々と家族の事情を聞いていますと

父思いの部下であり、色々悩んだ挙句、私の処へ相談を持ち掛けたようであります。


誰しも親は子供には理解できない人生の悩みがあり、

長年寄り添った夫婦でも互いに微妙な問題が有ります。

子供は幼い時から何と無くその父と母との雰囲気は感じとっています。

またその影響をまともに受けています。


病気は自分自身の心の現われであり、また己が人生の写しでもあります。


家族の中でネガテイブな事が起こりますと自然に暗くなりがちであります。

病気は人生の宿題であり課題でもあります。

この病気という問題を通して、様々な困難を乗り越えることによって

『魂の浄化』となり美しき新しい清き世界に生まれる事となります。


此の世は暗黒に満ちた穢土ではなく、善に満ちた素晴らしい世界であります。


この世の病気などの凡ての事物、相対する人々を素直に有り難く享けとめて行くならば

そこには必ず極楽浄土の平安の道が開かれてゆくことになります。


その為にも『報恩感謝の先祖供養』は人生の基盤であり子孫の務めであります。


自分自身も何れ、御先祖になりますが、

父と母は最も大切の御先祖様であります。

父と母と和解し、天地一切に感謝して行くならば

自ずからすべてのものと大調和が出来て、

明るい素晴らしい善き世界が開かれることになります。




毎日鏡の前で自分の表情を幸福にして、笑いの練習を実行しよう。

・・・・・真に幸福な人となるであろう。


明るく素直に生きて行きましょう。・・・必ずよい運命が開けて来るであろう。

2019年06月30日 18時54分06秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
雨が降り出し、田圃にも並々と水が溜まり

小野平野でも本格的に田植えが始まりました。

『5輪の塔』のお墓の補修が済んでからの雨、助かりました。


自分の内にある無限の宝を掘り出しましょう。

既にある自分の良さも、恵みも、

無限の力も気がつかなかったら無いのと等しいことです。


大自然の恵みも、

衆生の恩も、

父母の恩も、

国家の恩も気がつかなかったら、それは無いのと同じである。



明るく素直に生きて行きましょう。・・・必ずよい運命が開けて来るであろう。


自己の内なる心からほとばしる直観を素直に信じよ。

善い結果を生むであろう。

第一の直観は神が語り、第二の直観は悪魔が囁く。

思い立った事は素直に直ちに実行しましょう。

必ず善い結果を生むであろう。


神の啓示をうけるということは、

霊媒的素質の有るとか、無いとかに拘わらず、

自己の執着を脱する程度の従って完全に出来るのであります。

神の啓示は

内からの流れであって大脳に感応し、おおむね直観的にあらわれます。



霊的な霊示は

外部から延髄に感応し、おおむね霊媒式、二重人格的にあらわれます。




神は永遠に父性にして母性である。



先祖がいて、いま自分の内に先祖が今此処に生きているのである。




いつでも自分が気がついた時に! 理想の芽をそのままに実践によって育てれば、その芽は伸びるのである。


現在意識である『言葉の力』、『想念の力』を使って潜在意識を支配し、(自己破壊)の心から自由を奪還して人生を明るく生きて行きましょう。

2019年06月25日 00時02分18秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
此の記事を書いている時に小学校の高学年の教師をしている博多の娘から電話がありました。

厳しい困難な一日のクラスの事を話しましたが

朝出勤する時に身近な自分の小学1年生の息子から素晴らしい助言を受けたようです。

それは前向きな明るい素直な言葉でありました。



自らを傷つける自傷行為、又は自己処罰の奥底に存在する罪悪感、人類意識である原罪意識、劣等感などの

ネガテイブな『無意識』が現在意識を支配し破壊への道へと導きます。


これを拡大して行きますと戦争、失錯による事故、病気、環境破壊等の社会的な破壊行為も

人間の自己破壊が因となっているのではないかと考えられます。


この潜在意識と現在意識とが仲良く調和することが出来れば

心が平安となり、明るくなり、罪、罪悪感、劣等感などの苦しみからの解放が出来ることになり、

又凡ての物事がうまく運ぶことになります。



心的印象を感じやすい人々は自己の周囲の多くの人々から

微妙な精神的影響をすべて暗示として受け取るのです。


又テレビの放送、SNS、周りの環境等からの暗いネガテイブな情報を現在意識が受け取り

そのまま潜在意識の中に蓄積せられ、ある因縁、機会等に潜在意識より暗いネガテイブな状態で発露されるのです。



それらの暗い意識からの解放は


先ずは外界で映し出されるネガテイブな情報を見ない、聞かない、語らないで

心に明るい、ポジティブなことを想念して、善き言葉を語り、肯定的に物事を受け取り、

身近に存在する小さな草々に可憐な美しさを見いだし、

厳しい困難な一日でも『今』呼吸して生きている有り難さを感じとれるよう、

さらに進んで些細なことにも感謝が出来るようにならなければならない。



それには心の在り方が最も大切な要素となります。

ポジティブな心を保持するには如何にすれば良いか?


それには自分自身の心が明るくなることです。

心で思うことは『無声の言葉』であり、祈り(黙念)であり、瞑想でもあるのです。


一日の始めの目覚めの時、又は就寝前に坐して目を閉じ、

静かに静かに深呼吸をして息を整え自分自身の心に

『自分は善なるものである』、『自分は大宇宙のように無限なるものである』、

『自分は愛に満たされている神々しい御姿である』『周りの凡ての人々、事物を祝福し讃嘆し愛念をおくるのである』

このように明るい清らかな積極的なことを心の内に想念して

それを静かに心の目で凝視して内観(瞑想・座禅・神想観)していますと

潜在意識にそのような明るい思想が蓄積され、

又は自身の心の奥底から本来(実相)の自分の美しい姿が自然に発露され幸運を招くことになります。


このように本来の自分(実相)を凝視し直観的に把握することが『悔い改めであり』、『大懺悔』であります。



此のことが

われは阿弥陀仏であり、大日如来であり、普賢菩薩であり、キリストであり、

百千万億阿僧祇劫よりも尚以前より生き通している生命である。



この自覚が得られるように現在意識を使って

太陽が昇っている時にのみ時刻が示される日時計のように

日々明るい出来事のみを心に刻み、常不軽菩薩の如く相対する人を赦し、

又凡ての事物にたいしても同じように明るい善なるもののみをみて

祝福讃嘆し礼拝していくならば『自己破壊』、『原罪意識』、『劣等感』、『罪の意識』、

『心の迷妄』からの脱却が出来、心が解放されることになり、自由自在の心に誘われます。




意志の力よりも想像の力が強い。



明るい気持ちでなければ善い仕事は出来ぬ。


希望成就への道・・・自分自身の心に潜む逆念(自己破壊)からの解放。

2019年06月18日 23時17分49秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
養母の『中陰』が明け、改めて百一歳まで生き抜いた母の人生を思うとき

互いに遠慮し合う感情の襞をもちながらも、

私の名を親しく呼んで頂いた70年程の御縁が心奥深く沁みわたり、

母の声が峰々の谷間に響き、夕焼けが紅く染まり

無碍光の世界へと還帰し給う慈しみ。



希望成就への道・・・自分自身の心に潜む逆念(自己破壊)からの解放。


誰しも岸壁の上や、ビルの屋上から下を覗くと

意識の中(現在意識)では落ちたくないと思いながらも、

『潜在意識の力』で吸い込まれて自ら落ちる恐怖を感じます。



最近の色々な不慮の出来事なども自己破壊の産物と思え心が痛みます。


(義経の鵯越の逆落)のように馬が急斜面を下るとき

前足(現在意識)が踏んだ足跡(安全なところ)を

後ろ足(潜在意識)が正確に踏みしめていると

上手に馬は急斜面を下ることが出来ます。


前足の跡(現在意識)を

後ろ足(潜在意識)が正確に踏みしめないと

馬は急斜面を落ちることになります。
 

このように『現在意識』で希望していることに

反して潜在意識では『否定的な思い』が存在していると

希望は成就しないことになります。


心(現在意識)で願っているものと

潜在意識(自分自身で認識していない心)が願っているものと

一致(調和)していないと希望は成就しないのです。


自分自身で足の小指を無意識でドアの角にあて

痛い目に遭う等の『色々な失錯』も

現在意識と潜在意識が調和していない証拠であります。



次回に逆念(自己破壊)を乗り越え、希望成就への道を考えてみたいと思います。





天に地に感謝せよ。萬物皆有りがたい。有りがたいばかりが人生である。



自分自身に深切であれ。











友は心の花・・・友にめぐり合い共に学ぶことは人生の幸福である。

2019年04月08日 18時14分02秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
早咲きの『市の花』ツツジが母校の門で咲いており、

校門の付近は綺麗に清掃がなされていました。

反対側にノーベル化学賞をうけた下村修氏の銅像が立っています。

54年ほど前は、門柱以外は簡単な柵で囲まれており、

当時の校舎は素朴な木製造りの2階建であり、

階段も歩くとギシギシとキシミ音がして、屋根裏には鳩が巣を造っていました。

共に学び遊んだ学友もそれぞれ夢を抱き、

ジャーナリスト、建築家、画家、官僚、僧侶、教育者、政治家、

弁当屋、自営業などの様々な職業を選び各地に散って行きました。

長い年月を経て、それぞれの場所で、其々の運命を背負い懸命に生き抜け夢を叶えた友も居り、

又東大在学中に若くして病に倒れ急逝し、惜しまれた親友もいます。




朝(あした)に紅顔あって夕に白骨となる。



思想(想念)は思った通りに形成される。

死後の世界に於いては心で思う通りのものが容易に形成される。



ある死後間もない4ヵ月目の霊魂の霊界通信。


問 汝は今何かキモノを着て居るか?

答 着て居ます。・・・白いキモノ。


問 飲食をやるのか。?

答 何物も食べません。


問 睡眠は?

答 睡眠も致しません。


問 月日の観念はあるのか?

答 ありません、チットモ。


問 私達が此処に座り、精神を統一して、汝を呼んでいる時、
  どの様にして汝に通じるか。汝の実感を教えてくれないか?

答 何か、ふるえるように感じます。細かい波のようなものが、ブルブル
  ブルと伝わって来て、それが僕の方に感じるのです。


問 述べる言葉が汝に聞こえるのか?

答 言葉が聞こえるのとは違います。


問 誰かが心に思えば、それが汝の方に感じるのか?

答 感じます。いつも波見たいに響いて来ます。
  人間の五感の働きと異なって、何も彼も皆一緒に伝わって来ます。



問 生きている時のように自分の体があるように感じるか?

答 自分の存在は感じますが、手や、足のようなものがあるようには感じません。・・・・・・・

  そして造ろうと思えばいつでも瞬間に自分の生前の姿を造れます。
   
                         浅野和三郎 新樹の通信




『今』と云う武器をもって大いなる未来を戦いとれ。



『今』を生き抜けよ。

弓を射る時に、『的』に執着して凝視するよりも、手元にある『今の弦』を全力で引き抜け、そしてなすが儘に放て。



先祖供養の意義・・・『一切衆生悉く仏性あり』の報恩感謝の供養を捧げる。

2019年03月23日 18時27分15秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
奥津城に 風吹きぬける 山桜

とおつみおや
遠津御祖のお蔭ありて、

今日の生命を生かして頂く有難さ、

満開の山桜を眺むるに、

有りしの紅顔浮かぶなり。




先祖供養の意義

原因があれば結果を生じるという因果律の法則がある。

これは宇宙の法である。

『因果の法則』は眩ますことが出来ないのです。

悪業を重ねながらこの世で悪業が現れないといって、

この世の人生を甘く見てはならないのです。

その悪業を重ねた因縁はこの世に現れないということは

どこかにその悪業の因縁の負債を払わないといけない世界があるのです。

その悪業の負債を払う世界が霊界であり、輪廻転生する『未来世』である。



多種多様の苦しみの世界

霊魂の行く世界は『己が心』を現わした世界であるので、

解脱したような霊魂は『極楽』へ、

それ以外の霊魂は『地獄とか煉獄』とかいうことで例えられており、

多種多様の苦しみの境涯が存在していて、

その境涯において霊魂の浄化作用が行われているのです。



霊界で霊魂の悪業を浄化して消滅するには。



自然にその霊魂が苦しむことによって償うことで、

その悪業が清算されるのです。

それにはその霊魂が長い期間苦しみを味わうことになります。

それでは現世の縁者が長い間

その霊魂の苦しみの心を感応することは耐え難いことであります。

祖先、其々の家系に属する縁者の霊魂が苦しんでいるのを

速やかに救う道を開いてやらなければならない。

此の霊魂を救うことが出来たならば、霊界の霊魂はもちろん、

その影響を受けている現実界の縁者両方の救いとなるのです。


それ故各々で供養の祭壇、位牌等を設け、

現世の縁者自身が、

人間は神の子であり仏の子であり、『永遠に生き貫しの存在』であり、

本来は病気も、罪も、迷いも、悪業も無い素晴らしい存在であるという

『真理の言葉』を読誦し、報恩感謝の供養する所以があるのです。




奥津城に 風吹きぬける 山桜

懺悔とは心を洗い浄めることである。



『心から悪かった』と懺悔して、

再び悪業を犯さないと決意するとその悪業は消滅する。





一人が救われると親族縁族九族一切の諸霊が救われると言われています。