夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

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4月28日(木)のつぶやき

2016年04月29日 04時38分30秒 | 日記・エッセイ

久遠は時の流れの中にあらず、久遠は即今にあり goo.gl/Wm1ddE


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久遠は時の流れの中にあらず、久遠は即今にあり

2016年04月28日 21時50分24秒 | 真理の言葉
久遠は時の流れの中にあらず、久遠は即今にあり。

日時計主義と礼拝主義は車の両輪のようなものである。

今日は年二回の定期健康検診でした。
今回の内診の若い女医さんは、それぞれの検査の結果を見て、明るく爽やかに安心を得るようにと優しい説明して頂きました。
分かり易く、相手を納得させ明るく希望と安心が抱けるような説明はどのような職業にも必要な事と思えます。

太陽が分け隔てなく普く平等に温かい虹色の光を照らして輝くように、
世界の全ての地域に神の御心である慈しみのともし火を燈し、人と物と事との光明なるもののみを把持し,記憶する
日時計主義を掲げ、すべての人々と生きとし生けるものの尊い生命を唯ただ素直に合掌礼拝する礼拝主義を実践して
世界の人々を幸せの世界である、天国、極楽浄土へと・・・・・。



哲学の思索は間違うことがある。唯物論の次には唯心論が現れる。
思索というものはより多く頭脳的なものであり、論理的なものである。
それだけ人間には合理的に見えるけれども、哲学というものは、時代を超えることが出来ない。
合理は時代に即して合理だと思われるのである。時代に即しない合理は人から不合理だと思われる。
或る時代に合理的だと思われたものは、次の時代には不合理だと思われる。
人間の作った合理など決して当てにならないものである。


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4月26日(火)のつぶやき

2016年04月27日 05時11分00秒 | 日記・エッセイ
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一瞬一瞬に永遠を生きる。

2016年04月26日 20時29分38秒 | 真理の言葉
一瞬一瞬に永遠を生きる。

昨夜部会が開かれました。
皆さん地震の話題で持ちきりでした。中には自分だけ外に飛び出し、奥さんから、私を置いていって、
自分だけ逃げてと言われたと話され、皆から笑い飛ばされました。
この地諫早、長崎にも過去には1957年(昭和32年)7月25日の6時間、12時間の降水量は日本歴代最高記録をした諫早大水害、
1982年(昭和57年)7月23日の長崎大水害、1991年(平成3年)6月3日の雲仙の火砕流等があり、
皆さんその当時を思い出され、小学生時に水害で流され兄から助けられ九死にいっしょうを得た体験談等のお話しをされました。





人間は生き通しであるから、肉体は今日死んでも、百年後に死んでも、大してかわりはない、
それよりも今の生き方に悔いのないことが大切である。
悔いのない生き方とは、一瞬一瞬に永遠を生きるということである。





















                     


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4月24日(日)のつぶやき

2016年04月25日 04時49分44秒 | 日記・エッセイ
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托鉢の心(真実の与える愛)

2016年04月24日 23時33分02秒 | 真理の言葉
托鉢の心(真実の与える愛)

時代の変遷を感じる今日此の頃です。
青年時代、壮年時代、円熟時代と時代をを重ねることで、その時その場所で御縁があった人々、出来事が
走馬灯の如く駆けめぐり一瞬一瞬と変化していきます。
ものの考え方も、根本的な真理は変わることは無いにしろ、生活、仕事等の表面的、合理的、物質的な改善、発達、現象を優先させ、あたかも人類全体が随分と進歩しているかのように見えます。
反面、人間本来が持ち合わせている内面的な心である情緒的な奥ゆかしい心情である慈しみ等は、
そのような進歩的な考え、物質的な文化の発達により、制限され、押し消されているようであります。
しかしこのような大きな災害等がありますと、それにより、再び人間本来の素晴らしい心である温かい、
思いやりのある優しい心、助け合いの人情味のある姿に先祖返りをするようであります。
これは今までそのような外の世界への幸福の為に努力して勝ち取ったものが失われることにより、
現象的な幸福への執着が必然的に剥ぎ取られ、人間本来の姿(実相)である『慈愛』が現れるのではないかと思われます。



釈迦が飢饉な時ほど托鉢せよと説かれました。
人間は絶体絶命の境地になりますと無限の能力が発揮されるのであります。
火事場の馬鹿力と云う言葉もあります。
その人間本来の姿(実相)である『慈愛』を引き出すのが托鉢であります。
わずかなお金で油を買って供養したという貧者の一灯が、未来には佛の位に登るきっかけになったと云います。

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4月23日(土)のつぶやき

2016年04月24日 04時51分45秒 | 日記・エッセイ

常に太陽のように微笑みましょう! 
心が明るくなります。


人々は天の万象が震い動く時にも大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来たらん。 goo.gl/NJVUNy


人々は天の万象が震い動く時にも大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来たらん。 fb.me/4VzdKrs23


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人々は天の万象が震い動く時にも大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来たらん。

2016年04月23日 15時32分55秒 | 誌編
人々は天の万象が震い動く時にも大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来たらん。

春雨が静かに窓にふれ撫でる、

ひと筋のしずくが流れおちる、

冷ややかな風が白花をそよぎ、

雨粒を優しく享けとめる湖水、

木の芽時の新緑天を仰ぎ歓び、

白鷺羽を広げ空高く飛翔する、

幼子等の全身に広がる躍動感、

常に満ちる神の無限の慈しみ、

神の生命に生かされている

素晴らしい麗しい此の世界。




天地地変が起こるか起こらないかという事は問題ではない。
それよりも、天地地変が起こっても起こらなくとも、傷つくことのない常に生き通しの世界に住む事が大事なのである。
マルコ伝の十三章に『其の時、その悩(艱難)みののち、日は暗く月は光を発たず。
星は空より堕ち、天にある万象、震い動かん。其のとき人々、人の子の大いなる能力と栄光とをもって雲に乗り来るを見ん。
その時かれは使者たちを遣わして、地の極より天の極まで、四方より、その選民をあつめん』『無花果の樹より譬えをまなべ、その枝すでに柔らかくなりて葉芽めば、夏の近きを知る。そのごとくこれ等のことを起こるを見ば人の子すでに近づきて門辺にいたるを知れ』とある様に
いかなる艱難の時に於いても『悟き者は空の光輝のごとく輝かん』ダニエル書。
吾々の実相(本当の姿)は如何なる時にも水に溺れず、火に焼けない実相の世界に住むのである。


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4月22日(金)のつぶやき

2016年04月23日 04時47分15秒 | 日記・エッセイ

手垢のつかない布施行 (本当の布施行) goo.gl/FB6h4l


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手垢のつかない布施行 (本当の布施行)

2016年04月22日 21時30分20秒 | 真理の言葉
手垢のつかない布施行(本当の布施行)

青空に走るかもめ号それぞれの想いをのせて、

川に映える山々の新緑の間に間に優しが光り、

希望の汽笛を鳴らし愛の架け橋を渡る列車よ。


博多の機器のメーカーから点検の申し出がありました。
地震後の点検をお願いしました。




人に物を与えるとき、それを自分が彼に与えたと思ってはならない。
それは手垢のついた布施である。手垢のついた布施はよごれた茶碗で人をもてなしするようなものである。
それは人に対して失礼であり、無礼な行ないであります。
人に物を与えた時には、その与えたものが自分に属していると思ってはならないのであります。
その与えたものが神より賜わったものであり、それは神が自分を通して彼に与えた給うたものだと思って、
神の布施行が、自分をお使いになられたことに対して感謝しなければならないのです。
その布施行は我が為すに非ず、神が成さしめ給うたものであると自分を空なくして、
神の御栄えに帰したとき、本当にその布施行が浄まるのです。




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4月21日(木)のつぶやき

2016年04月22日 04時52分56秒 | 日記・エッセイ
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イエス涙を流し給えり

2016年04月21日 21時48分28秒 | 真理の言葉
イエス涙を流し給えり

雨足が強く、娘が勤務先に一緒に送っていて欲しいと言い、
少し回り道をして娘の勤務先の玄関先まで送って行きました。
何時ものコースで無いのと、雨の影響で車が大変混んでいました。
娘は身体の保持と健康の為に、毎日徒歩で通勤しています。
姉の時も、大学を卒業して初めての仕事が内勤の本等の編集の仕事でしたので、特別にウオーキング等の運動をしないで仕事の中で運動したら好いですよと言い、勤務先までの二Kの程の通勤の距離を歩いたが好いと助言すると、それを実行しました。




エコノミー症候群と云われている。狭い環境の中で同じ姿勢をしてネガテイブな心でいると全身の循環が滞り、
血栓が出来て、肺等の呼吸器官が突然不全の状態に陥る。
脳血栓、心不全と似ているようであります。ある種のストレスでもあります。
唯さえデスクワーク等の仕事で同じ椅子に長い時間座っていますと腰、足、脚等が痺れます。
心の気分転換、心の風通しが必要であります。その心の気分転換ができますと、足、腰、体のストレッチ等を実行したり、
外に散歩に出かける等の心のゆとりが現れて来ます。
心の気分転換が出来る素は、人間は如何なる境遇に置かれても、明るいポジテイブな前向きな光明なる心を持ち続けることが必要であります。
サポートする時にもその置かれた身の上を良く理解して、その人の悲しみ、苦しみを我が苦しみ、悲しみと心から受けとり、その人に寄り添うことが必要であります。その慈愛の次に励ましであります。



苦しむ人に対して、苦しみを見て苦を除かんと欲する慈念である、慈悲喜捨の愛念を起すべきである。

病んでいる人をみてイエスキリストは同慈、同非の心が起こり給いて、
『イエス涙を流し給えり』と聖書にある。
次に神に祈って『神よ、あなたは常にわが願いを聞き給うことを知る』と言い給いて、心をこめて
ラザロに対して『死せるに非ず、眠れるなり。起てよ』と断言せられ、そのときラザロは復活して健康になって起ったのである。










                     



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4月20日(水)のつぶやき

2016年04月21日 04時50分26秒 | 日記・エッセイ

自分を縛っているものを解きましょう。 goo.gl/Oyfzd4


自分を縛っているものを解きましょう。 fb.me/7McKVqOhG


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自分を縛っているものを解きましょう。

2016年04月20日 22時50分30秒 | 真理の言葉
自分を縛っているものを解きましょう。

今日再び災害派遣医療チーム(DMAT)の交代要員で、六名のスタッフが八名乗りワゴン車で熊本へ出発しました。
そのワゴン車に毛布等を積み込み、現地で七日間を過すそうです。
今夜は出講で、二週間程前から咳き込んで止まらないと言われ困っておられました。
咳が出る度に、その咳を握りますと咳は無限にひろがり収拾がつかなくなり、止まらないで一段と苦しくなります。
咳は貴方の業、あるいはストレスが消えて行く姿でありますから、咳を敵と思わないで放ち去り、咳に対して合掌して有り難うございますと感謝しますと宜しいです。
何事も一つのもの事に執着しますと接着剤のように自分自身に絡み付いて離れることがありません。
それが業の苦しみであります。
それから静かに、極静かに息を吸い、その息を下腹部に送り、所謂鎮下丹田に息を溜め、しばらく息を潜め、
苦しくなる前に再び前述のような呼吸法(霊的呼吸)をされると宜しいですと答えました。
するとそれを直ぐ実行され、その場で咳き込んでいた咳が止まりました。




自分を縛っているものを解きましょう。

宗教の目的は、人間の自己に宿る神性を自覚せしめ、一切の自縄自縛を解き、
自己によって開放することにより、自由自在の境涯に達した、その神性を生活面に現し、実現することにあります。

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4月19日(火)のつぶやき

2016年04月20日 04時53分55秒 | 日記・エッセイ

常識を超える力(祈りは善なる神の心に近づく最良の道である) goo.gl/uoRKrO


常識を超える力(祈りは善なる神の心に近づく最良の道である) fb.me/4hUDaBSKl


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