夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

無抵抗の真理 (全ての経験を有り難く感謝して迎えましょう。)

2015年11月26日 20時56分35秒 | コラム・人文
無抵抗の真理 (全ての経験を有り難く感謝して迎えましょう。)

急に寒くなりました。急に寒くなると不思議にも心がホットとするところがあります。今まで余にも温かったからでしょうか。
この寒さで京都の北白川にしばらく居た頃を思い出しました。
比叡山の吹きおろしの風が冷たく、底冷えがする所でした。
その前は五条大橋問屋町の近く住み、勤務先は祇園四条花見小路上がるところでした。
京都の夏は暑く、冬は底冷えするところでありましたが、その影響でしょうか、四季の移り変わりが大変美しく、嵐山の秋の紅葉、夏の花火大会の時は渡月橋上で真直に大音響の花火を見たものですから、三歳の息子が失禁をしました。
九条武子の書と歌、胴茶筒の職人さん、金箔打ちの職人さん、四条川原町の手相見さん、舞妓さん、山科産の玉子で作った出し巻、
ある身近な会合で学者さん達が集まって話をしている処に、湯川秀樹博士が来られるとその場が一瞬鎮まり返りました。
伏見稲荷の拝みやさん、催眠術療法、黄檗宗大本山宇治の萬福寺の道場の西月仙師の内観療法、生長の家など色々と御縁があり、
京都では深い、かけがえの無い人生経験をさせて頂きしました。
京都さんありがとうございました。




あれを見よ 明日は散りなむ 花だにも 生命(いのち)の限り ひと時を咲く
                            九条武子




人間はどんな経験でも全ての与えられたものは善く見ゆるにせよ、悪しき見ゆるにせよ、
それはその人に与えられた新しき経験としてその人の霊魂の向上のために必要なものであるか、
或はまた過去のその人業(念波の集積)が形にあらわれて消え行くところの相(すがた)であるのでございますから。
素直に受けてその意義を完うせよとの意でございます。
どんな経験でも恐れては成りません。それは霊魂の向上の為に必要な経験であるにせよ、或はまた業の自壊過程であるにせよ、いずれも自分の味方であって敵ではありませんから、喜んで、恐れなしに、その起こって来る現象に感謝し、
むしろそれに協力して、その現象のよってくる意義を全うせしむべきであります。
熱のあるときには、熱を去ろうとせず、熱の意義を全うせしむべく、むしろ温かく身体(からだ)を包むことなどは、
十里の公役を強いられなば二十里を行くに当たるのでございます。








鳩さん、朝のお散歩(汝を呪う者を祝福せよ)

2015年11月26日 00時31分29秒 | 日記・エッセイ
鳩さん、朝のお散歩(汝を呪う者を祝福せよ)

平和の象徴である鳩が毎朝、衝突もしないで、一糸乱れぬ見事な旋廻して、空中遊歩していますが、まるでだれかリーダーが居るかのようです。
地球人もこのように仲良く一糸乱れぬ秩序整然した行動にあやかりたいものです。
人間の罪悪感、劣等感、恐怖感、自己処罰等が除かれたらこの世に平和が持たされると云われていますが。
罪悪感、劣等感、恐怖感、自己処罰等を取り除くには、自分は素晴らしい山よりも高く海よりも深く、無限の力があり、
尊い存在であることを自覚することにより、心に永遠の幸福と平安を得ることが必要となります。
これには釈迦、キリスト、孔子、弘法大師、道元、法然、親鸞、神道等いにしえの偉大な聖人達が顕れ、私達を導いて来られました。しかし末法の時代とか、ノアの箱舟とか言われ、世の中が混沌として、グローバル的に不安定な要素が多くなり、どのように生きていったら良いか迷っている時代でもあります。
『空手にして郷に帰る』と云う道元禅師の言葉がありますが一度、執着、固執している浅はかな人間智を一切捨て、
自分は素晴らしい存在であることに気付き、魂の故郷である慈しみに満ちた愛の世界に帰り、人と人の絆を結び合うことが世界平和へ道であり、これに向かって一歩一歩前進することが必要であります。





『汝の隣人を愛し、汝の敵を憎めと言いし教えを汝等聞きしことあらん。
されど吾汝等に告ぐ、汝の敵を愛せよ。汝を呪う者を祝福せよ。
しかして汝をなやめ苦しむる者のために祈れ』