夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
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水鳥の癒し

2015年11月06日 22時21分32秒 | 自然の育み・環境
水鳥の癒し

勤務を終えて駐車場に来ると、可愛らしい白黒の水鳥のお迎えにホットしました。勤務先の駐車場が本明川の土手の直ぐ側にあり、朝夕白鷺、なべ鶴等色々な水鳥の歓迎をうけます。
その度に心に安らぎをうけます。この本明川の下流には問題の潮受け堤防があり水門があります。水門が無い、私共が中学生の頃は毎年梅雨時になると支流の川が逆流して、当時の黎明酒造の付近は床下、あるいは床上の浸水にあっていました。
昭和三十二年七月二十五日、激しい濁流により死者・行方不明者は諫早市だけでも、五百八十六人等多くの尊い人命が失われました。二十四時間降水量が1109Mmという驚異的な降水量を記録し、六時間降水量と十二時間降水量では日本歴代最高記録を記録しています。毎年七月二十五日には供養祭が執り行われています。

日本の善き思想である、聖徳大子の『和をもって貴しをなす』の思想が薄くなり、水門の開閉の事で、利害が激突するようになりました。
相手の幸せを祈る『愛』、『四無量心』の心が必要な時代であると感じています。






貧しい人々は、私たちのお情を必要としていません。彼らが求めているのは、私たちの愛と優しさなのです。
貧しい人々が求めているのは、憐れみでなく愛なのです。
彼らは自分たちの人間としての尊厳に敬意を払ってほしいのです。
そして彼らが有している尊厳は、他の人間のそれと全く同じ質と量の尊厳なのです。

私たちは、愛し、愛されるために神に創られました。

一人の若者が死にかけていましたが、何とかして生き長らえようと三、四日日必死の努力をしていました。『どうして、そんなに生きたいの』と、シスターが尋ねました。
『父親に赦してもらえるまで、死ねないのです』がその答えでした。
父親が彼のもとに到着した時、青年は父親に抱きついて赦しを願いました。その二時間後、青年は平安のうちに死んでいったのです。

他人を咎める資格が私たちにあるのでしょうか。
たしかに正しくないと思うことをしている人たちがいます。でも、なぜそうしているかという理由はわかりません。
イエスは人を裁くなと言われました。
もしかしたら、他人の誤った行いの責任は私たちにあるのかも知れないのです。
                                マザーテレサ