夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

一粒の真実・・・極楽世界への道。

2018年03月21日 22時02分30秒 | コラム・人文
冷たい花曇りのお墓参りでした。

満開の山桜が見える墓所で

花を手向け香を焚き合掌礼拝すると

立ちのぼる香が心に沁みいり、

念仏を唱え、経を読誦しますと

爽やかな風がふいて参りました。




一粒の真実

むかし一人の婆さんがいました。

このお婆さんは朝から晩まで『南無阿弥陀仏』を唱えて暮らしていました。

『念仏婆さん』と云われた彼女も寿命が尽きて亡くなり、

お通夜で近所の人が今頃極楽浄土に向かっているであろうとうわさをしていました。

一方死んだ婆さんは閻魔大王の前で地獄行きの判決をうけ、

地獄の黒門の扉を開けその中に叩き込もうとした時、

婆さんがまってくだされと叫んだ。

あたしは娑婆世界におるときは、

念仏婆さんという仇名がついたほどです、

何かの間違いでありませんかと抗議しました。

閻魔大王は何か証拠でもあるのかと問うた。

婆さんは、はいお土産に娑婆世界でとなえた

『念仏の粒』を大八車に二台も積んで来ました。

赤鬼、青鬼がその『粒』をザルにのせ『ふるい』にかけたところ

全部実のない『しいら』ばかりでありました。

閻魔大王がやっぱり地獄に行けと言いかけた時、

赤鬼が走ってきて『一粒だけ実』が入っていると言いました。

しからば、いつ如何なる時にこの『正味の一粒』は発生したのか調べろと言うことでした。

調べてみると婆さんがお寺詣りに行く道すがらで

にわかに雲が出てきて雷が鳴り出し、ついにその雷がピカリ・ドンと落ちたのです。

婆さんは思わず『ナンマイダー!』と叫んで気絶しました。

その時の念仏が『正味の一粒』でした。

そのほかの念仏はみなしいららばかりで、

婆さんは畑を耕して石が出てくると、みんな隣の畑に投げ入れていました。

閻魔大王はたとえ『一粒でも正味の実』があるからには地獄に入れるわけにはいくまいと言い、

この婆さんを極楽に案内せよと叫んだ。

                          
                                       明治の関精拙(せきせいせつ)和尚













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愛するものを一遍捨てなければならないのです。・・・すべてを捨て得るものは生命の泉を得る。

2018年03月20日 23時42分07秒 | コラム・人文
冷たい春の雨、花の便りが聞かれるようになりました。

春野菜も春の息吹をうけ健やかに生長しています。

天地の循環の有り難さにただ感歎するばかりです。




生命の喜び

生々流転の世界のひと時を彩る花々、

大地に根つく青麦をふき貫けるいのち風、

雨上がりの水辺に、いと細き柳葉のしなやかさ、

麗らかな春光を浴び、睦みあう生きものたち、

温かさは喜びを招く、明るさは安心を招く、

優しさは平安を招く、真理は永遠の糧を招く、

羽ばたく勇気は未来を開く、

祈りは希望を叶える。

すべてを捨て得るものは生命の泉を得る。

無条件の愛はすべてのものに生命を与える。




獅子児を教う迷子の訣。

前まんと擬して跳躑(ちょうてき)して早く翻身(ほんしん)す。

端(はし)無く再び叙(の)ぶ当頭著(とうとうじゃく)。

前箭(ぜんせん)は軽く猶お後箭(こうせん)は深し。


                           無門関

獅子は愛児を千汊の谷に突き落とすのです。

人間も絶対絶命の境に立たされたときに本当の力が出るのです。

獅子が児を教えるのに先ず、迷っている児と一遍別れなければならない。

迷っている児をそのまま可愛がって置いていたならば、

本当にその迷っている児を悟らしめることが出来ない。

愛するものを一遍捨てなければならないのです。



『注』
跳躑(ちょうてき)・・・踊り飛び上がる。
翻身(ほんしん)・・・早く身をひるがえす。
端(はし)無く・・・思いがけずも。
当頭著(とうとうじゃく)・・・頭をぶっけること。
前箭(ぜんせん)は軽く猶お後箭(こうせん)は深し・・・

      獅子の児を一度目は可哀想そうな気がして軽く突き放つけれども

      二度目は前よりもひどく突き飛ばすこと。



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誰でもあらゆる物をもって出発する。全てのものが、吾がうちにある。神はあなたの幸福を願っておられるのですから!

2018年03月16日 22時11分13秒 | コラム・人文
花曇り

春の冷たい風が吹きあれるなか、早咲きの桜が満開でした。

院内も異動、退職の挨拶まわりで顔なじみの同僚が少なくなり、

ちょっぴり寂しさがよぎります。

しかし現代は退職した後の人生が大切であります。




誰でもあらゆる物をもって出発する。全てのものが、吾がうちにある。



幸福の天使が出てきて或る日に私に言いました。

『私(幸福の天使)は常にあなたの後を追っかけて走っているのですのに、

あなたは何故そんなに私から逃げるのですか。

もっとゆっくり歩きなさい。

急ぐことは要らないのです。

当たり前に歩いていさえすれば

私はあなたに追い着くことが出来るのです。

それだのにあなたは、どうして私から逃げ去るのですか!



ゆっくり一歩、ゆっくり一歩、と

踏みしめて前へ進みましょう。

必ず幸福の女神は微笑むでしょう。

神はあなたの幸福を願っておられるのですから!










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幼児が親にたよるが如く神(仏)に頼り切れ。

2018年03月14日 22時34分59秒 | コラム・人文
日だまり


院内の白い柵の上に

野鳥がふらりと舞いおり、

あたたかい森の薫をのこし、

何処ともなく翼をひろげ

ビルを越え飛び去りました。

何事にもにもこだわらず、

天の響きに合わせて

舞い遊ぶ野の鳥たち。




念仏の世界には罪悪も業報もを感ずることはないのである。


念仏者は無礙の一道なり、

そのいわれいかんとなれば、 

信心の行者には天神・地祇も敬伏(きょうふく)し、

魔界・外道も障礙(しょうげ)することなし。

罪悪も業報も感ずることあたわず、

諸善もおよぶことなきゆえに

無礙の一道なりと、云々(うんぬん)。


                   親鸞上人 歎異鈔 第七
『注』

無礙(むげ)・・・障りのないこと。さまたげのないこと。何ものにもとらわれず自由自在であること。

無礙の一道・・・何もにもさまたげられない一すじの道。

障礙(しょうげ)・・・さわり、さまたげ。さとりを得るための障害となるもの。

           四種の障害(法をそしること・自己に執着すること・苦しみを恐れること・

           すべての生きものにたいする利益について無関心であること)がある。


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小さな夢、小さな輝き・・・自由と幸福は遠きにあらず、吾が心に既に存在している。(水は平衡を求めて小さな隙間をうめる)

2018年03月04日 16時12分56秒 | コラム・人文
人は富を求めて彷徨う。

人は自由を求めて彷徨う。

人は英知を求めて彷徨う。

人は楽園を求めて彷徨う。

人は平安を求めて彷徨う。



『真』の富、自由、叡智、楽園、平安は

『神の御懐』に存在している。

最大にして最勝の真理とは

『人間は神の子』であるということを覚ることである。




地方の『ニータウン』も老齢化が進み、

空き家化が進んでいますが、

『大都会の大きな団地地帯』にも同じような現象が起きています。

それは後継者がいないということです。

『後継者』は自由を求め、

楽園の夢を描いてその置かれた場所を去って移住したのです。

しかしその『父母』も同じようなことを描いて

『ニータウン』、『大都会の大きな団地地帯』に移住したのです。

『因果は廻る』と言う言葉があります。

その都会の空き団地地帯に、

水は平衡を求めて隙間をうめるが如く、

大陸の人々が移住して来ています。

歴史は繰り返すといいますが、

まさに2400年ほど前の弥生時代以後に

大陸の人々が鉄、銅等、進んだ文化、技術を携えて日本に移住して来ました。

その大陸の血が流れ入りて、今の日本の繁栄となっています。

現代はその反対に日本に憧れて大陸の人々が日本に移住しています。

日本も歴史上初めて多民族の社会にまさに入ろうとしています。

これも人口の減少化、核家族化、人口の密集度が偏っている等色々な理由があります。

地域の親戚、隣人と共に生きることよりも、

個々の希望、夢、スキルアップ、自由等が優先されてきた結果だと思えます。

以前は本家と分家との関係が深かったのですが、

戦後の核家族の普及により一族同士、地域の人々との関係が希薄になりました。

もう少し地域の先駆者から生きて行く知恵を身につけることが肝要と感じます。

最近、収入が減少しても、故郷に帰省して職に就いたり、

卒業後に地元に就職する若い人が増えています。

良い傾向であります。



伸びようと思う者よ。


伸びるためには今までは

他から奪いとることによって自己が拡大すると思っていたのである。

身を献げたる女性は男性に縛られたように見えるが、

実は男性を自由自在に支配する力を得る。

『伸びるとは与える』ことである。

『与えることによって自己が拡大するのである』。





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女性の天分・・・柔者は能(よ)く、剛者に勝つ。

2018年03月03日 20時28分17秒 | コラム・人文
お雛さまを見ると心が柔らくなり、

こころ豊かになり、

また穏やかになり、

母の薫りがただよいます。



古くは一月一日(元旦)・一月七日(人日の節句)・二月二日(節分)

三月三日(上巳の節句)・四月四日・五月五日(端午の節句)

六月六日・七月七日(七夕の節句)・八月八日・九月九日(重陽の節句)・十月十日

十一月十一日・十二月十二日等。

古くは十二ヵ月それぞれの月に『祓い日』を定めて、『祓いの行事』が行われていました。

その中の奇数を『陰の日』としてもろもろの『穢れ』を祓ったのです。

日本は割ることも出来ない、分割もできない、合理的でもない、

奇数を神秘な数としてあつかいました。

また一霊『ひと』・二『ふた』(陰陽)・三位『み』と

古神道で鎮魂(心を鎮めること)、身をきよめ、その場所をきよめるはたらきをする

数歌(かぞえうた)にあるように、

『根元の一霊』と『陰陽の二』が結ばれたのを(三位一体)としてあつかいました。

阿弥陀三尊とよばれるように、また天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)

この三柱の神を造化三神といい「独神」(ひとりがみ)というのがその例であります。


一月七日(人日の節句)・三月三日(上巳の節句)

五月五日(端午の節句)・七月七日(七夕の節句)・九月九日(重陽の節句)

を五節句(ごせっく)として現在残っています。




流し雛


平安貴族の間に、三月上巳の日、紙や緒で作った人型を流し、

子女のもろもろの穢れ、わざわいをこの人形に負わせて流し送り、

水辺の祓いの行事とする、流し雛の風習がありました。

高松宮殿下のお雛様は昭和五年二月四日

御成婚のお支度としてお持ちになったものです。

徳川家にお興し入れなった實枝子母堂がお持ちになった

親王雛に準じて作るように京都の田中彌兵衛に御注文になりました。




女性の天分

男性に男性の道があり、女性には女性の道がある。

人生は男性と女性とによって成っているから、

女性の天分が発揮せられないとき、不幸となり暗黒となるほかはないのである。

女性の天分は、愛と美とやさしさと、純潔とで、すぐれている。

『女らしい』と云うことはその肉体と云う衣装が示していますように、

肉体の動作も、言葉も、表情も柔く温く潤いがあってゴツゴツしていない

優美な愛情のあふれた感じをもっているべきなのです。



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『陽』あって『陰』を貫く、これを結びと言う。・・・陰は陽によって身を固めたものとなり、運命が定まる。

2018年03月01日 21時11分52秒 | コラム・人文
スマホが不調でしたので初期すると、

電話帳のデーターが復元できず、大変でした。

古い携帯を捨てないで残していたので助かりました。

アナグロの和紙の歴史は1600年程ありますが

デジタルでのフアイルの保存は

まだ和紙ほどの実証が為されていません。



もうすぐ、陰陽調和の日である『桃の節句』です。

宮中のお節料理に

菱葩餅(ひしはなびらもち)があります。

『歯型め』の儀式に使用されていた餅で、

女性的な柔らかい菱形の餅の中を

固いゴボウが貫いている姿をしています。

雛人形にも菱餅をお供えします。

また『花菱紋』は伊勢神宮の神紋であります。




三はミツであり、水であり、水は冷たく陰である。

陰の水は漂えるものである。

それを貫くものがなければ水は永遠に『水』は漂うていて、

一定の形にまで固定しないのです。

『陽』あって『陰』を貫く、これを結びと言う。

陰陽結ばれれば其処に『固成(かため)』を生ずる。

人間の創造も同様である。

海原(地球)を貫いて陽光射し、

其処に生物生じ、

暗黒(蔭)を貫いて光り、ただ射し万物生じたのである。

陰は陽によって身を固めたものとなり、運命が定まる。

宇宙も人間も同じ組織で出来ている。

水の上に浮かぶものあり実り(水乗り)と言う。

それは『桃の実』であり、実の核のうちに桃太郎を蔵す。

水は女性で、流れるばかりだが、

男性があってそこに中心が出来、

生むはたらきを完成する。




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柔軟心の大切さ・・・柳のようにしなやかで柔らかい心で生きよう!

2018年02月20日 23時02分51秒 | コラム・人文
一日たりとも普段の心(現在意識)の思い通りに過ごしたことが無い。

しかし実は隠れている心(潜在意識)が計画した通りに過ごしているのです。

思い通りに為らない事実を謙虚に受け止めねばならない。

その事実を基とにして再び立ち上がらなければならない。

よそ見をしないで、つまずいた処から出発しなければならない。

そのつまずいた処に、立ち上がる為の大いなるヒントがある。

すべてのことは神が導き給う知恵である。




草の庵に ねてもさめても まをすこと 南無釈迦牟尼仏 あはれびたまえ 

道元禅師の悲願の歌であり、一心で貫き通し、すこしもよそみをしない歌である。



にほの海や 矢橋の沖の 渡し船 おしても人に あふみならば

道元法師(道元禅師) 恋の歌

十三歳で出家して以来、只管打座(座禅)の生活をした聖僧道元に恋の歌があるというこの不思議さ。

親鸞ならエロスの神とも大いに交渉があったのだから納得できるけれども

道元ではそのことは考えれられないのです。

人に逢うという言葉は、道元が口ぐせのように使った言葉なのです。

人に逢うとは、

道を伝える人、

道を継ぐ人、

道を求める人、

即ち真実の人に逢うということである。

人に逢うことは道元の生涯の悲願であったのです。

真に道を求める友にめぐり逢いたい、

真に仏法を得た師にめぐり逢いたい、

真に仏法を伝えるべき弟子にめぐり逢いたい。

これが発心、修行、正悟の時期を貫いての生涯の願いであった。

この願いは人を『恋ふる』ことである。

その恋の対象が必ずしも異性でなく、

男にせよ、

女にせよ、

百歳の老人にせよ、

十歳の童児にせよ、

万難を超えてその人に逢わずにはおかないという切なる思いなのです。

『正法眼蔵』の『礼拝得髄(らいはいとくずい)』にこのことを情熱ももって書き残しているのです。

恋の歌という言葉を前にして、昔の坊さんが当惑した様子が目に見えるようです。

禅師の徳を傷つけんことをおそれた気持ちも理解できます。

道元法師はそんな『固い心』の持ちぬしではなかったのです。

宇治興聖宝林寺の開堂に『柔軟心』とある。

『恋ふる』とは魂と魂が一層高い立場で一体となる精神の動きである。

本居宣長は『もののあはれ』を『まことごごろ』にあるとし、

その『まことごごろ』が一番よく現われるのが『こひ』であるとした。

僧たる者は『人情を捨つべし』とあれほど説いた、

大悟の道元禅師が悲しさや嬉しさを歌に詠んでいることは、

道を求める人にとっては例えがないほど重要なことである。

                                            田中忠雄

                          
濁りなき 心の水に すむ月は 波もくだけて 光りとぞなる 

                                                     道元禅師

私はこの歌を、心を浄まして、奥深いに処に既に存在している実相心(本当の姿)で観ると、

波で荒れ果てている世界も

その奥に只ただ光り輝く真実の世界である仏(ほとけ)の姿が現われてくる。

と理解したいと思います。



『注』

宇治興聖宝林寺・・・道元禅師創建の日本曹洞宗最初の寺院。
正悟(しょうこ)・・・正しい悟り。







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お墓参り・・・南無阿弥陀仏をとなうふれば、梵天帝釈帰敬(ぼんてんたいしゃくききょう)す、諸天善神ことごとく、よるひるつねにまもるなり。―親鸞上人

2018年02月17日 13時58分16秒 | コラム・人文
お墓参りに出かけると、

週末で天気が良いので沢山の人がお参りに来ていました。

『公営墓地』、『寺墓地』は便利ではあります。

直ぐ側まで車で横付け出来ます。

水、桶、柄杓、廃棄物の篭もあります。

共有通路は定期的に清掃が為されています。

そして『寺墓地』はお坊さんからお参りもして頂きます。

月一回の目標でお墓参りをしています。



家の仏壇の位牌、祖霊舎の霊璽(れいじ)、御霊代(みたましろ)等に

鎮まる『幸霊(さちみたま)』の前で礼拝、お参りするように、

お墓に鎮まります波動が粗大であり荒々しい『荒霊(あらみたま)』にも

お花等を手向けてお参りするのがよいとされています。


また悟りを開いている叡智の奇霊(くしみたま)は肉体を脱した時、

実相の霊である『直日霊(なおひのみたま)』に還る。

『和霊(にぎみたま)』は天界に昇って天界を拠点として社会国家のために活動する。

古神道ではこのことを『一霊四魂』と説いていて、

一霊が四っに分化してそれぞれのはたらきを為していると云います。


墓はよく清掃して、合掌礼拝して経等を読誦して、

供花等を怠らないようにするのがよいとされています。

墓の納骨堂は雨期に水浸しにならないほう良いのです。

また納骨堂の地面はコンクリートではなく、自然の土がよろしい。

骨は速やかに大地に還したのが良いのです。

そうすることにより速やかに生まれかわりを促すことになります。

それは愛と尊敬と感謝の表現であるからです。









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日本女性の美しい伝統

2018年02月11日 21時04分53秒 | コラム・人文
30年ぶりに図書館に行きました。

美しい文体をしている尾崎紅葉の作品集を妻が読みたいと言いますので岩波書店の本を借りました。

私が図書販売をしていた頃は、古典文学、明治、大正時代の作品集は揃っていました。

岩波書店の尾崎紅葉全集(当時の定価80600円)も25年も前に出版されました。

このような本は現在殆ど出版されません。

殆どの全集ものはその頃出版されたものです。

Amazonでも当時の本は見当たらないようになりました。

私も当時は本を買える経済状況ではなかったので

諫早図書館、県立図書館、森山図書館等の館内で複写し、又は借りて読んでいました。

当時の高価な本が現在オークションで手軽に手に入るようになりました。

図書販売を経験したことが本に対しての知識が蓄えられ、今それが役にたっています。

現在はSNSに適した、法律的な文体、又は白黒と色分けした直情的な表現が発達していて、

日本語特有の細やかな、また言い換えると曖昧な微妙な表現が失われているようであります。


自然な紙に表現された書籍と液晶画面で見る文体とは、違いがあります。


これは致しかないことでもあります。

川端康成氏は新聞雑誌のものをお書きになるときには新仮名遣いでお書きになるのだが、

随筆集の序文は時に歴史的仮名遣いで書かれている。




『その人一人のものとは限らぬ日本の女性なるもの』
                         川端康成  
    


私たち西洋人は西洋のものを真似た日本の映画には興味はない。

『羅生門』のような日本映画がグランプリを得たのは、

それに日本的なもの、日本でなければ見出されないものが表現されているからだ。

                 哲学者ブリエル・マルセル









 
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あなた自身の神秘を讃えよ。・・・アメリカインデアンの聖なる言葉

2018年02月05日 22時02分03秒 | コラム・人文
小学生時代には佐世保に住んでいました、所謂基地の町でした。

朝鮮戦争後の間もない時でしたので、

子供目線で見るとアメリカの海兵隊の存在が圧倒していました。

子供にとっては恐れと緊張感がありました。

しかし大きな航空母艦、セーラー服など格好が良いなと思う一面もあり複雑な気持ちでした。

この頃父親のコネで沢山の洋画(アメリカの西部劇、チャップリン主演等)を見ていました。

しかしフランスなどのヨーロッパの洋画は白黒が多いのと、

画面が暗いイメージがあり、また理屈ぽいところが有り、あまり見ませんでした。

全てが日本語の字幕スーパーでした。

今、思うと西部劇等の英語は学校で教える英語とは違っていたようです。

歴史は繰り返すと言われますが、現在その時と同じような状況に佐世保が置かれているようです。

基地は人間の欲望が渦巻いている状況でありながら、

ある意味で人生を背水の陣をひいて生きている人間の覚悟と純粋さが見られ、真剣さがあります。



『アメリカインデアン』も大自然と共に生き、

その大自然から学びとった知恵は

イエスの愛と仏陀の慈悲とも同じであり素晴らしい言葉の力であります。



心配ごとは未来にあるのだから、

あなたがなすべきは

現在に立ち戻ること。

あなたが未来にいることに気がついたら

心配ごとのスイッチを切って

『今』に生きなさい。


自己のざわめきをしずめ、

人生の枕に頭を休めよ。

耳をすませば

創造者の鼓動が聴こえる。

あなたの魂の

洞穴や洞窟を探って

あなた自身の神秘を讃えよ。


                   アメリカインデアンの聖なる言葉





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『永遠を今に生きる』温泉の優しさと神秘。

2018年02月03日 21時59分59秒 | コラム・人文
地球の地下の深いマグマと作用して

600万年という気の遠くなる時間をかけて、地中を潜り抜け

『今』此処に噴出す有馬温泉の神秘の源泉。

まだ氷河期以前のことであり、

人類がまだ地上に登場していな600万年前のホットな時代を味わえる温泉。

世界に稀にみる温泉。

今眺めている星雲の輝きは、何億劫万年前に発した光を

『今』此処に見ていることと同じであります。

まさに久遠を『今』に生きている、温泉の優しさ、星雲の神秘です。

人間も此の温泉、星雲に決して劣ってはならないのであります。

人間も久遠の『今』を生き続けているのです。





時間・空間を超えた無量無辺の無限の世界の真理を説かれた。

法華経の最大最勝の如来寿量品。



然るに善男子よ、われは実に成仏してよりこのかた、

無量無辺百千万億那由他劫なり、

譬(たと)えば、五百千万億那由他劫阿僧祇の三千大世界を、

仮使(たとい)、人ありて抹(す)りて微塵となし、

東方五百千万億那由他劫阿僧祇の国を過ぎて、

乃ち一塵を下し、かくの如し。

                      
                           法華経 如来寿量品十六














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月、常に生じて、固(もと)より、性出没すること無きなり。(涅槃経) ・・・それ故に吾々は肉体の死を、悲しむにはあたらないのである。

2018年02月01日 19時51分52秒 | コラム・人文
次女の誕生日であります。

生まれた当時は南国にしては稀にみる大雪であり、

早朝に産気づいて慌ててタイヤチエーンを取り付けましたが、

確りと装着出来ていなかった為に新車のタイヤの周辺が傷だらけになりました。

若い時であり焦りました!

明治五年12月までは太陰暦であり、

それまでは『月』は現在より身近な存在であり生活にも定着していました。

また『月』の存在は日本人特有の詫び寂びの繊細な心に通じていて、

ロマンチックでもあり万葉集などの歌にもよく取り上げられています。

科学が発達して月のイメージがメカニックな見方で捉えられようになりましても、

やはり宇宙の神秘である月の存在は人々には魅力的であり感銘を与えるようであります。


天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

                              万葉集7-1068 柿本人麻呂

久方の 月夜を清み 梅の花心開けて 我が思える君

                                万葉集8-1661紀小鹿女郎(きのをしかのいらつめ)
 
人間は理念であるが故に常に死滅することはない。

機縁に触れてより一層その『理念』の内容を完全に表現し、

機縁に触れて病み、かつ傷づけるが如く現われる。

釈迦は仏性に滅不滅なきこと、『其の月常に生じて、固(もと)より、性出没すること無きなり』と言っている。

                                        涅槃経 月喩品第15
それ故に吾々は肉体の死を悲しみにはあたらないのである。







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『そのまま、有るがままを幼児のように素直に生きる』・神の意思はある瞬間にフラッシュする。

2018年01月28日 19時54分12秒 | コラム・人文
月1回の研修会でした。
長崎と諫早間をインターネット回線を利用しての勉強会です。

『そのままを生きる』ことを体験された方のお話がありました。

その方は何年も欠かさず神想観(瞑想)を毎日午前3時から実習され、

日頃から『そのままを生きる』にはどのようにすると得られのかと思い悩まれていました。

毎日色々な事に関心を寄せ、懸命に精進なされていましたがある時、

ふと静かな雰囲気に誘われ、深い『静寂な世界』を体験されました。

その体験を機会に『そのままを生きる』ことの意味が直感的に理解でき、

物事を素直に受けとることが出来たそうです。

それまでは常に何事も比較して、相対的な意識の世界に住んでいて葛藤があったそうです。

その方が毎日午前3時から欠かさず『神想観(瞑想)』という禅定を厳修なされた功徳ではないでしょうか。

相対的な意識の世界を脱することにより、

相手、又は自分自身をも縛ることなく全てのものを捨て去り、

自由に放つことが出来、

その結果自分自身をも『真』に自由自在で素直な『そのままの自分』を

生きることが出来たのではないでしょうか。

素晴らしいお話でした。

ありがとうございました。




『かな文字』ほど日本人に大きな恩恵を与えている文化財はないのです。

漢字が大陸から仏教およびその経典が伝わった頃に伝来しましたが、

それを理解し使用したのは古事記、日本書記、風土気の編纂の頃と思われています。

記紀も今まで口承されてきた歴史的な事柄を漢文体に翻訳した歴史書であります。

最初に万葉集にみられるように、漢字の音訓(よみ)を利用して

倭歌謡(やまとうた)そのままを写した『万葉がな』 が発明されました。

そうした経過をへて知識人や僧侶の間に、

漢字を借りるよりより自由自在に自国語が表現される文字を考案しようとする気運が芽生え、

かな文字が創り出されることになったのです。

『カタカナ』は吉備真備(きびのまきび)また『ひらがな』は弘法大師空海が創ったといわれています。

もともと表意文字である漢字から本質的に違う表音字母の『かな文字』創りだしたことは、

日本人の素晴らしい発想であり、すぐれた創造力であります。

かな文字の創案により、この『かな文字』を麹(こうじ)の種として日本文化の発酵が進み、

源氏物語、竹取物語等世界に誇れる文学作品が生まれ出だすことになりました。


      日本の古代・・・海神の伝統







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足下から生命尊重を・・・身近に在る生命に愛を

2018年01月27日 21時39分26秒 | コラム・人文
八重の椿、仏の座(ホトケノザ)が寒風にさらされ、

紅色に染まり始めました。

風光る春も、もうそこまで近づいています。




生命尊重の喪失から、

動物性たんぱく質の摂取に何らの抵抗も感じられないようになりました。

食生活にもその影響が広がっています。

歯も野菜等の繊維を噛み切る為の門歯が8枚、

穀類を押しつぶす臼歯が20枚、犬歯が4枚、と

大体自然に定められた食物の割合が決まっているのです。

穀物食が3分の2、副食が3分の1、

その副食の3分の2が菜食、残りの3分の1が魚類、肉食であります。

このように人間の歯も食物をどのような配分で食べたら良いかということが歯並びに現されています。

天が与えた知恵であります。

これにそって穀物、野菜を主食にして摂取なされば健康にもよく、

大地に恵まれた穀物、野菜主体の食生活は自然環境にも貢献することができます。

日本の懐石料理等は本を正せば寺院の質素な『僧坊料理』から発展したものであり、

長い歴史のなかで積み重ねられ、考案料理され安全性等の裏打ちが確りしていますので

世界に『和食文化』が広まったのではないでしょうか。




科学文明が発達して、人間が唯物論的になり、物質で何でも支配出来るような錯覚を持って来て、

物質で生命がつくられると考えて、生命を霊的なものと考えないで、

ただ『物質の生産物』だという考えから、生命尊重ということが失われています。

もっと科学が発達したら、人間に必要なたんぱく質を、生きている鶏を使わないで、

食用になる良質なたんぱく質を化学的に製造するということもでてくるのであり、

科学の進歩は人生にとって悲観すべきことではないのです。

科学の進歩に人間の道徳性の進歩が伴わないところに問題がある。

科学の進歩と道徳の進歩とが並行的にもっと進歩すると、

生き物を殺さないでも、おいしい食物がどんどんできて来て、

食物を奪い合い争うことをすることなどが必要でない世界が出てくるのだと思います。




生命尊重から有情、非情全ての生物、植物等が仲良く共存することが出来き、

平和な時代が必ずやって来ます。











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