夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

出会い

2008年03月28日 18時48分29秒 | 日記・エッセイ

Pict0048 Pict00111_edited          み光りや 尽くしの彼方 花御堂

   (みひかりや つくしのかなた はなみどう)

らいさん貴方様はご自分の幸せを顧みず身を尽くし家族に至福の世界を与えて下さる素晴らしい御方です。

祖母危篤の連絡があり、父母と奥様と僅か7ヶ月の長男坊を連れて始めて福岡の実家に行きました。もう年が押し迫り12月の事でした。その日に祖母が亡くなり、奥様も私の親戚と会うのは始めてでした。

   寿泉院性譽妙音信女様のご冥福を心よりお祈り申しあげます。

花は、黙って咲き、黙って散ってゆく。

そうして再び枝に帰らない。

けれども、その一時一処に、この世のすべてを托している。

一輪の花の声であり、一枝の花の真である。

永遠にほろびぬ生命のよろこびが、悔いなくそこに輝いている。 

              5        南禅寺師家柴山全慶老師

                               

                    

  


光明

2008年03月25日 19時54分30秒 | 日記・エッセイ

Pict0006海原や 朝明けの光り ひめ百合よ 

(うなばらや あさあけのひかり ひめゆりよ)

奥様は私を真実の世界に目覚めさせていただきました女神さまでございます。貴女は私を蔭より常に支え、明るさを与えて下さいました。

奥様ありがとうございます。

峻厳なる神の父性的顕現の奥に、その深奥の奥なるところに、神の母性的愛はましまして、吾らが困難につまずき倒れ、苦痛に将に悶絶せんとする時に、隠れたるわが意識の奥にて吾らを支え給うのである。困難に耐える力を鼓舞し、悲しみの奥に聖地があることを、それとなくわが意識の奥底から囁きかけて下さり、再び立ちあがる力を育み下さるのが、神の母性的愛なのである。  続真理の吟唱


舞と小唄

2008年03月23日 22時58分56秒 | 日記・エッセイ

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寄る辺なき 老いが独りの 丘の家

 (みつお母さん詩篇)

 蒼空に 夢匂うかな 月天使

            (あおぞらに ゆめにおうかな つきてんし)

お二人のお母様、私を生み、また育み下さいまして、ありがとうございます。私はありがたく感謝できる美しい清らかな心に生るのが夢でございます。朝の雲ひとつない澄みわたる蒼い空を、みていると夢が成就するような気持ちになります。このような心にならさせていただきます事は、お母様の温かいお守りのお蔭と存じます。お母様の深いご慈愛に、心より厚く感謝申しあげます。お母様ありがとうございます。

舞と声明とバナナとカツサンドまた小唄と歌と花が大好きなお二人のお母さまへ。


京の夢 江戸の粋 更科の味

2008年03月23日 18時37分03秒 | 日記・エッセイ

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湊まち いくとせ愛し 千代の舟

(みなとまち いくとせのはし ちよのふね)

お父様、お母様お二人の慈しみによりわたし達を、育み支えて頂きました事、ありがとうございます。

昭和38年4月2日オランダのベアトリック王女が国賓として来日なされ、8日に長崎にも来られまして、史跡料亭花月で食事される事になり、当時父が花月の料理長として在任しており献立等対応に、大変苦心していた模様です。

今では何も報いる事も出来ず、お二人の活気に溢れたお姿が懐かしくも、有りがたく思われます。


アジサイ

2008年03月23日 14時23分45秒 | 日記・エッセイ

長女からの母の日の贈り物

遠の里 みぐし妙なる 春かずら (とうのさと みぐしたえなる はるかずら)

チイさん、貴女様の故郷を大切なされるお姿は尊く思われ、貴女様の み髪はまるで神秘的な美しい模様のかずらのようであられる。

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港町

2008年03月22日 19時56分11秒 | 日記・エッセイ

Pict0015 目の前に丸い石垣が迫り気品に満ちた貴女が想われ、あの蒼い空、白い雲の彼方に、我が希望とこの胸の高鳴りを求め、何時の日か慈雨となりこの大地に降りそそがんことを。

真理の吟唱

神はまことにわが生命の父で有り給う。わが魂を養うためになにを今、その時、その場に与えるが最もよきかを知り給うのである。必ずしも”甘い”経験ばかりが魂の栄養のはならないということを知り給うのである。時には厳しい環境が私にとって魂及び精神並びに肉体の鍛錬のために必要なることを知り給うのである。これは神の”父”としての峻厳なる叡智的愛なのである。


光と影

2008年03月18日 20時36分21秒 | 日記・エッセイ

昭和48年北白川銀閣寺の近くの産婦人科で次男坊を出産、その医院で乳揉みの小母さんさんから奥様の乳はさらさらとしていて素晴らし乳ですよと誉められました。

日本仏教界に多くの逸材を生んだ霊峰比叡山より吹き降ろしの風をあびながら、北白川の風情、人情を身近に感じ、帝の居ましたかっての都、京の夢を想い、自分自身の傷を胸に刻み、彷徨う日々に追われ、求める真理が何なのか、母を求めて、魂の底から叫びなら・・・・・・

静かに佇む流れに、架かる宇治橋を渡り平等院の近くの、生長の家の宇治別格本山で親子3人で参加した宇治別格本山練成会。

また始めて新幹線にのり、清らかな渓谷を経てキャベツの美味しい信州松本に行き参加した信濃練成会。

岡崎の教化部で奥様と共に通った早朝神想観。

真理を求めて奥様と共に悩み、歩んだ道のり。

谷口雅春著 真理より

あなたは自身を「神の子」だと信じなさい。これを信ずれば、その信ずる通りに、神の子らしい立派な自分自身があらわれて来るのです。キリスト教の人ならば、人間は神に創造られた、神から生まれた云うので「神の子」だと云うことがおわかりでしょう。仏教の人ならば、法華経にあるように「自分は仏子である」と信じなさい。仏の子だから常に仏に守られていて幸福になるより仕方がないと信じなさい。

そうすれば信ずる通りになれるのです。


マタイによる福音書

2008年03月17日 22時10分04秒 | 真理の言葉

心の貧しい人々は、幸である、天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は幸である、その人たち慰められている。

柔和な人々は幸である、その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は幸である、その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は幸である、その人たち憐れみを受ける。

心の清い人々は幸である、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は幸である、その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は幸である、天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられとき、あなたがたは幸である。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。

人はパンだけで生きるものではない。

神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。


京都の夢

2008年03月17日 20時24分10秒 | 日記・エッセイ

静かに、たゆまなく、たなびく雲・・・・・あの青い蒼い世界の彼方に、真実があるのではないかと思われ、思いつくがままに列車に飛び乗り、着いた所がくいだおれの街大阪心斎橋、でかいカニが踊る街を徘徊するも満たされぬ心、満たされぬお腹・・・・・

今度はふとひらめき電車で京都へ、其処には牛若丸と弁慶ではないですが、五条大橋での突然の父母のお迎え、これが最初の京都のご縁でした。

暫くして、昭和43年わが奥様スズ子さんとのご縁が有り結ばれました。

翌年長男が授かり再び京都祇園へ、まるで小鳥に囁きかけるような京都の言葉、カウンターで舞妓さんや上品なお客さん相手の仕事柄、厳つい九州弁の矯正、身だしなみなど、慣れない事もありましたが,京阪電車の長い長い数珠つなぎに長男坊が目をみはり、嵐山の花火大会で沢山のはなびに驚き、お寺と銭湯が多い街に3年程ご縁がありました。

此処で初めて奥様のご縁で信仰に縁があり、宇治の黄檗山万福寺などを経て祇園の近くの生長の家東山相愛会にお世話になりました。続く・・・・・・