夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

6月26日(日)のつぶやき

2016年06月27日 04時12分57秒 | 日記・エッセイ

スズメさんの愛嬌

2016年06月26日 14時08分59秒 | 自然の育み・環境
スズメさんの愛嬌

昨夜は梅雨の寒が降り冷えました。
梅雨空に久しぶりに晴れ間が広がり、眩しさが目を差し夏の予感を感じる日中でした。
玄関先に愛らしいスズメが絶えず飛びまわっています。
最近生まれた幼いスズメのようであります。
帰宅すると舞い降りて愛嬌を振りまきます。
スズメは人との関わりが深い小鳥なので昔から、俳句、誌、唱歌などに詠われて来ました。
スズメやツバメは人家の近くで巣作りし、生活する習性がありますが、最近は少なくなりました。
これは人間の本来の習慣や生活様式が変化し、人家の近くで育つ植物、生物等が生活出来る環境で無くなったのではないかと思えます。
人々は目の前の生活等に振り回され、周りの環境の変化に気が付いていないようであります。
山々の植物、野鳥、生物等の自然環境に積極的に心を寄せ関心を持つ時代であります。



第三嬰童無畏心

『外道は天に生じて、暫く蘇息を得。
彼の嬰児と犢し(とくし)との、母に随うが如し。』
人間の生活のはかなさを知って天上の悠久な幸福にあこがれる生き方である。
幼い嬰児が無心に母を慕うように、また犢し(こうし)が母牛に随うように、天上の神々を信じ、安楽を得るのである。
しかしこれは、真実の楽である涅槃の境地を得ていないで一応の安楽を得て満足する者である。


弘法大師空海 秘蔵宝鑰 第三住心



6月25日(土)のつぶやき

2016年06月26日 04時14分12秒 | 日記・エッセイ

民族の意思は祖先から置かれた場所で咲く (民主主義社会の於いては常に内部闘争の契機を孕んでいる)

2016年06月25日 19時39分17秒 | コラム・人文
民族の意思は祖先から置かれた場所で咲く

離脱問題で国論が二極化され、国民が相争う状態となり、どちらに決まっても
二極化された国民は争いの種が深く根付き、益々泥沼にはまる結果となります。
離脱問題でも互いにどちらもある意味で正しい意見であります。
これを例えば裁判のように白黒決着させようとすると勝った側にも負けた側にも権利と権利が衝突して、
どちらが勝ってもリスクが残り、憎み合う結果となり、長い期間互いに恩讐の種となります。

日本人は物事を曖昧にするとよく言われますが、これは相手を排除しようとする心があっても、
相手のすべてを排除する訳ではないので、ハッキリと決断しないで曖昧にすることが人間関係を巧く築くことが出来るという日本人の智慧であります。
日本は古来より人間の罪、悪、穢れは祓い清められるという観念があり、
人間は本来悪では無いとした思想が古くから根付いていました。
このことが人間を神として祀って来た歴史的な事実あります。



民主主義社会の於いては常に内部闘争の契機を孕んでいる

建国の功労者の一人のアメリカ第三代の大統領ジェフアソンの言葉に『人間は自分ひとりを治めることさえ安心して任せられないものだと言われることが時々ある。
それならば、彼に他の人々を治めることをどうして安心して任せられようか。それとも、われわれは天使が人間を治めるために王者の姿をして現れたと考えるべきなのか』とあります。
これは人間を軽蔑している思想であります。
人間は自分ひとりすら治め得ないところの愚かなものであるから、どうして他の人を治める資格があろうか、
それだから多人数の会議によって最大公約数的結論を出さねばならぬと言うのである。
もう一つの民主義の思想は、『すべての人間は道徳社会の一員として平等の尊敬を払わればならぬのであって、
その尊厳性は何人も侵すことができない』という人間尊重の思想である。
一方に於いて人間を愚者として軽蔑しながら、他方において『すべての人間を平等の尊敬をもって扱わねばならぬ』という
矛盾した命題のなかで生活せしめられるのであるから、民主主義社会の於いては常に内部闘争の契機を孕んでいるのである。



民主主義は多数決で決められますが、そこには少数派が存在する訳であります。
長い歴史のなかで見るとその少数派のたった一人の意思が正しことがあります。
その当時は迫害を受けたイエスキリスト等などがそれであります。
民主主義と利己主義は表裏一体であります。
本当の民主主義は煩悩に溢れた表面的な人間智を超えた、人間は佛であり、如来であり、神の子であると云う深い人間性に根ざした叡智が必要であります。









人間の本性は明るい善なるものである。

2016年06月25日 10時39分34秒 | 真理の言葉
人間の本性は明るい善なるものである。

たえまなく時間は動き、今という瞬間は既に過去と変貌し、新たなる輝く時を向かえ入れます。
草花の生命は新たなる輝く時のチャンスを見逃さず、美しい装いである本性をこの地上に現し、何事も無かったように去っていきます。
ただその儘であれ、ただその儘で素直に生きる時、本来の人間の姿である、佛であり、如来であり、
神の子である真実の姿が現れるのであります。



苦しみ、悲しみに明るい心を灯せ

われらに災厄が襲いかかる時、多くの人々は、自分自身が非常な不幸に陥ったように思い過ごし、
何にも自己の心に存在する原因を取り除こうとせずに、自分自身をただ憐れみ、境遇に不平を言い、
周囲に対して責任を負わすような繰言を発するのであるが、これは自分の生きる力の弱さを自己告白し、
周囲の絶対威力を自分自身の魂の上に印象せしめることになり、かえって自分の運命を悪化するのである。
不幸や災厄は決して積極的存在ではなく、心の中に光明を点(とも)すだけでおのずから自滅してしまうものであるからでである。



人間を苦しめる最大の災い

無生物の科学が非常な進歩を遂げた一方では、生物の科学は初歩の段階にとどまっている。
生物学の進歩が遅いのは、人間の生存の状態や生命のの現象が複雑なこと、
われわれの知性が機械的な構造や数学的な抽象を好むように出来ていることによるのである。
科学的発見を応用することによって、物質的な世界も一変した。
この変化はわれわれに深い影響を及ぼす。
その悪い結果は、人間の本性について考えることなく行なわれたという事実によるものである。
自分自身について無知であった為、機械学、物理学、化学に、祖先からの生活形態を勝手に変えるような力を与えてしまった。


アレキシス・カレル(Alexis Carrel)ノーベル生理学・医学賞受賞










 調和の霊感  

2016年06月20日 21時16分38秒 | 真理の言葉
調和の霊感  

雨が激しく降り、雷鳴が轟き、突然停電になりました。
近くの部屋から娘が駆けつけ、灯りを持って来てくれました。
有り難いことです。
先日も側溝が溢れ道路に泥水が広がっていました。
しかしこの雷鳴、雨のお陰で地球の緑の豊かさ、青い海の美しさが輝いていることに思いを馳せ、
有り難い摂理であることを感ぜられ、有り難く感謝することが大生命の恩恵に報ずることであると思われます。
心の調和はどのような苦境に立たされていても唯『ありがとうございます』の言葉を念ずることで
不思議と調和と平安が得られるのです。
苦しみにもがいている時、周囲のすべての人と、すべての物と、すべての事とに心から感謝するとき、
有り難さと嬉しさと喜びとが訪れ、極楽世界に変貌するのです。
吾々はどのような時にもどのような場所に置かれていても常に神の恩恵のなかに生かされているからです。




心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。
その心をおさめることは善いことである。
心をおさめたならば安楽をもたらす。

心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。
英知ある人はこれを直くする。
―弓師が矢の弦を直くするように。

                                               ブツダの真理のことば




6月19日(日)のつぶやき

2016年06月20日 04時10分34秒 | 日記・エッセイ

田植えの神祭り・・・・・自然の摂理を生かした文明

2016年06月19日 16時32分50秒 | 自然の育み・環境
田植えの神祭り

長崎県最大の小野平野で田植えが最盛期を迎えています。
数百年前から干潟の干拓が行なわれ現在に到っています。
有明海で最も古い干拓は推古天皇の頃(五九三~六二九年)から始まったものといわれています。
有明海全体では二六〇㎞2(釧路湿原の約1.5培)を超える面積の干拓が行われています。
有明海流域の河川によって搬出される土砂の堆積と有明海の潮の干満によってひき起こされる
泥土の沈降・堆積(ガタ土)とにより生じる干潟は今も日々成長しています。
干拓は埋め立てと異なり、干潟を堤防などで仕切り、水を排出して新たに農地などに転用することです。
日本の地形は森林に恵まれた山々から豊かな水が河川へ流れ出でてゆるやかに扇状に広がる地形であり、
稲作に恵まれた環境でありました。

それ故に、『豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫(うみのこ)の王たるべき地(くに)なり』と天照大御神がのらせ給いて、
その理念(かみこと)が天下りて瓊瓊杵尊の降臨となり、神武天皇の建国となりました。
今上天皇陛下自らお田植えと稲刈りをなさっておられ、稲作と幡種を皇居で行じておられます。
新嘗祭(にいなめさい)には祖先神である天照大御神・八百万の神々に新穀を捧げられ神と共に召し上がられます。
天皇が即位の礼の後に行なわれる始めての一世一度の新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)といわれています。
三種の神器をうけついだ時が即位されたときであります。
それ故に合議して決める民主義国家のように権力闘争などがなく速やかに即位なされます。
天照大御神より歴代の天皇様の御徳を通して皇位の理念(かみこと)である御光りが厳かに八揚されて即位されましたので、欧米諸国のように民族と民族が相争う権力闘争で血を流すことはあまりありませんでした。
二千六百七十八年間も皇統がひき継がれた所以であります。




自然の摂理を無視した文明は有害である

明らかに、科学には計画性がない。でたらめに発達するものである。その進歩は、天才が生まれたとか、
人間の心がそれに合った形態をしていたとか、好奇心がそちらの方向に向けられていたとかいった、
偶然の要素に頼っている。
全く、人間の状態を改善したいという願望によって動いているのではない。
工業文明を起す原因となった種々の発見は、科学者の気まぐれな直感や、多少ともその経歴の中の偶然な状況から生まれた。
もしガリレオやニュートンが、その知的能力を肉体と意識の研究に向けていたら、
今日われわれの住む世界はきっと違ったものになっていたであろう。
科学者は、どこを目指しているのか知らなかったのだ。
彼らは偶然の機会や、鋭敏な推理や、一種の透視力に導かれた。
彼らに一人一人は、それ自体の法則に従っている、切り離された世界に住んでいる。
時には、他の人が不分明なことが、自分にははっきりと分かることがある。
大体において、種々の発見は、それがどんな重大な結果になるか前もって知らずに行なわれている。
しかし、これらの結果が世界に革命的な変化を起し、今のような文明を創ったのである。

                                    アレキシス・カレル(Alexis・Carrel)ノーベル生理学・医学賞受賞














純粋種と多様性との調和

2016年06月18日 21時41分54秒 | 自然の育み・環境
純粋種と多様性との調和

種の純粋性を維持しながら、多様性を尊重し、繁栄するにはその種が最初に置かれた所で
多様性という環境の洗礼を享けることではないかと思えます。
その種自信が他の地域、或いは他の天地に置き換えられて多様性を営むということは困難ことであり、
次第にその種の力が衰弱して、最後には滅びることではないかと危惧します。
人間も同じではないかと思えます。
人間も地球上であらゆる人々と地域を置き換わり多様性を発揮して繁栄することは、困難な事であります。
さらに飛躍して宇宙全体を対象にしても同じように困難なことであります。
それぞれの地域で生活した歴史の純粋性を大切にして、その基礎の上に立って多様性を発揮して、
地域の連帯、国と国との連帯を大切にすることが、その民の繁栄と喜びにつながり、
平和を築きあげるのに必要なことであると考えます。
多様性にも貞操観念が必要であります。



自然淘汰がつくったエリート

現代文明は、想像力や知性や勇気に恵まれた人を生み出す能力を持たないように思える。
実際にどこの国でも、責任ある公務に携わって人たちの、知的、道徳的素質が低下してきている。
どこに国でも、経済状態と社会状態が非常に早く変化する。
ほとんどいたる所で、現在の政府のあり方が討議されている。
偉大な民主義国家は、恐るべき問題に直面していることに気がついた。
われわれは、人間が現代文明に大きな望みを託したにも拘わらず、
それは危険な道をうまく導いていけるような人々を育て上げることが出来なかったに気がついたのである。
われわれは、新しい生活様式がどのように民族の将来に影響を及ぼすか、つきとめねばならない。
工業文明によって、祖先の生活様式にもたされた変化に対する女性の反応は、きわめて早く決定的であった。
直ちに出生率が下がった。
この出来事は、直接的にしろ、間接的にしろ、科学的発見を応用することによって、
最初に恩恵を受けた社会層やそうした国々で、最も早く深刻に感じられている。
世界の歴史の中で、自発的断種は別に新しいことではない。
過去の文明の中でも、ある時期にすでに見られる。
それは古典的徴候である。
続く・・・・・

アレキシス・カレル(Alexis Carrel)ノーベル生理学・医学賞受賞









グローバル社会と排他的依存性。

2016年06月17日 21時28分20秒 | コラム・人文
グローバル社会と依存性。

現代の世界はグローバル社会に変化していて、遠く離れた地域の出来事でも、日本国内どころか、
自分の地域の出来事であるかのように、錯覚するようであります。
それは瞬時に最新のニュースが全世界を駆け巡るからであります。
人間の依存性はあたかも遠くの戦場や洪水等を見て、
今この住んでいる地域が平和であっても危機に迫っているような心になり不安を感じます。
これはマイナスの自己暗示であります。
太陽が瞬時に核融合反応を起して、光輝いていることには人々は不安を感じません。
しかし身近な処での核融合反応には敏感であります。
排他的な依存性が強いと、周りの事が必要以上に敏感になり、それを受け入れるよりも排他し、攻撃的な思考に走ります。
グローバルな社会になり人間の排他的な依存性が益々強くなり、攻撃的な思想が蔓延しているように思えます。
これは特に弁証論的唯物論のインテリジェンスに能力のある人間に特に顕著に排他的な依存性が現れるようであります。
逆に捉えますとインテリジェンス的な人間程排他的な依存性が強いことになります。
相手を論理的に打ち負かそうとします。
これは善悪の判断を理性的に明白する能力に優れていて、その結果、悪を排除しようとする意思が働くからです。
大きく捉えると世界を善と悪に振り分ける事であります。
また愛と憎しみの心と同じであり、どちらの心も人間の依存性であります。
しかし本当は善悪を超えたところに愛に満ちた聖地があるのです。





『すでに完全円満であって、すでに佛である。すでに神の子である。佛の子である』。

弘法大師はその著述『即身成佛儀』という本の中で、こう書いておられる。
一切衆生すでに成仏せるに、未だ成佛せることを知らず』と。
生きとしいけるものである衆生は佛になって成佛していることを知らないのである。
『自分はすでに佛である。完全円満である。迷いなんてすでにないのである。罪なんかすでにないのである。
すでに完全円満であって、すでに佛である。すでに神の子である。佛の子である』と知ればよいのです。






不幸と病気が消える人生

2016年06月16日 19時45分51秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
不幸と病気が消える人生

沢山の若い研修医が学んでいますが、
青年の柔軟さと謙虚さと清新さは清清しい限りです。
親ツバメが雛鳥に頻繁にエサを運んでいます。
雛鳥は歓びに満ちた鳴き声で親ツバメに応えています。
此処にも佛の生命が鳴り響いています。




不幸と病気が消える人生

山川草木国土悉皆成仏とお釈迦さんがさとりをひらかれたとき言われたのでありますが、悟りをひらくというのは、
物質と見えているものは実は『物質』そのものではないのであって、
神のいのちそのもの、佛のいのちそのものの現われだと知ることであります。
山や川や、草や木や国土と見えているいるものも、実はと言えば宇宙に満ち満ちているところの
、盡十方に満ち満ちている無礙光如来のあらわれだと云うことであります。
『心』というものと『物質』というものが全然別なものであるならば、これは全然波長が異なるものでありますから、
認識の仕様がない、認めることが出来ない、感ずることが出来ないのであります。
ところが『心』が『物』を感ずることが出来るのは、物質と見えているものは実は物質ではないのであります。
物質は物質には非ず、心の顕われている相(すがた)であります。
体に現れる病気というもの、あるいは肉体に現れて来るところの色々の状態というものも、
悉くこれは心の相(すがた)であることが解るのであります。

常に健康でありたいと思う人は、病気を心に描いてはならないのであります。
『今日は辛い辛い』『今日は頭が痛い』『今日は体がだるい』と言って悪いことをことさら言葉に現して自分の心に印象する、人に訴えて同情を得るつもりが、自分の心に深く病気の症状を印象して、その心に描いた症状が具象化して、ますます病気を悪くすると云う結果になるのであります。
心理学的には自己暗示であります。
自分で自分の潜在意識に病気を自己暗示して、自分の心の内に病気の観念を深く印象して、
それを現実の世界に物質化してわれわれの目の前に客観化して現して苦しむことになるのです。
自分の潜在意識の中に、自分がすでに健康であるところの相(すがた)を描けば、
それによって心の描いた通りのものが現れる原則によって、健康が回復するということになっているのであります。