夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

名残の月

2009年12月29日 11時59分35秒 | 日記・エッセイ

今まで溜まっていた沢山の家電品を廃品回収で引き取って頂いたが、その中に88年製のテレビが含まれていました。13年前にタイムスリップするなかで過去が意識され、またそれ以上に強く現在が意識されこれからどの様に変化するのであろうかと、未来までも創造してしまいました。身近に存在し現在も生き生きとお役に立っているものには感じられないものが、このように活動を停止した廃品のテレビをみるとしじみと自分自身の内面を意識しプラネタリウムの星のごとく歴史が意識され素直に慈しみを感じ、このリタイヤしたテレビに新しい生命が吹き込まれ装いも新たに再び煌く星のごとく輝くことが想われ嬉しく思われました。このように“静”のなかには内面を深く意識することができますが、“動”のなかには中々動きに惑わされ心が浮き草のように流され本質を見失いがちであります。確かに動きは刺激的で魅力がある様に思えますが、静な心を中心として動くことが大切だと思えました。一日のなかで静寂なひと時を積極的に持ちたいものです。


大陸の人々

2009年12月29日 01時25分56秒 | 日記・エッセイ
日本で暮らしているアメリカ、韓国,北朝鮮、中国、の人々と御縁がありましたが共通な点は、日本人があまり持ち合わせていない表現力があり、からだ全体で感情を表に豊かに表現し時間、空間の使い方も大らかであります。
そこには永年の歴史の中で民族と民族との出会のなかにおいて人と人の関係が、利害を超えて調和していかなければならない必然的な要素があったからではないかと思われます。
特に日本に暮らしている大陸の人々は日本人の良さと大陸の人々の大らかさを持ち合わせ、今まで御縁がありました人々は懐疑的でなく寛大で紳士的であり優しさに満ち溢れていました。

誕生

2009年12月26日 00時29分36秒 | 日記・エッセイ

心の深い深い深淵の中にうごめく存在を観じる時、その存在(魂)が何処から生じ何処へと行くのであろうか、畏れと旋律が奔り我が心のそこの底に漂う霧、喜びと安寧と至福の世界は何処に存在するのか・・・・・ このように観じられる時、この様に想う心は他より影響されて想う感情では無く紛れもなく自分自身であります。この素晴しい世界は我が心の中に実在するのであろうか、この確信(愛)を求めて止まない一筋の道のり。


日本の食事の精神性を考える

2009年12月13日 15時57分14秒 | 日本の食文化
よく懐石料理の原点は精進料理からだと言われていますが、私どもの幼い時分は台所(キッチン)と食事を頂く所とは明らかに隔てられた別々の場所でありました。
料理する場所は大地と接する同じ高さの土間であり、そこで井戸水か近くの湧き水を使い野菜を洗い竈門神が祀ってある竈門で杉の葉、木切れなどで火を起し調理していました。
食事を頂く所は一段上の囲炉裏端か座敷でした。明らかに調理する場所と同じフロアーでは食事する事はありませんでした。
私たち食事する人は料理がどのような過程をへて出来上がったかを知らないで、厳粛な雰囲気で緊張してその食事を頂きました。今その事を考えますと食事を頂く私たちは調理する人を無意識に信頼し食べていた事を感じ、其処にただ単に食欲を満たすだけでなく人と人の間の絆を築いていた事だと思われます。
動物の世界では狩りが終わると直ちに口と手足を使い調理し胃袋に納める行為が殆どと思われます。
即ち調理と食事とは同じ場所でありまた調理から食事までの時間と空間が同じであります。人類は調理から食事までの時間と空間が別々であり胃袋に納めるまでに食材そのものを創意工夫して時間をかけます。
頂くときにも、それぞれの国々で約束事があります。日本の懐石料理も茶料理により色々な作法、約束事がありますが、懐石膳も一つの膳を多くの人が囲むことではなく、ひとりひとり別々であり、また同じ料理であり平等であります。
その事は現在意識では慈しみを意識し、自分自身の内面で他(愛)を意識し、自分自身の内面で感じた心根(愛)を相手方に表現し、出会った人々と互いに信頼関係を築く事だと思われます。
料理の技術も自然色を生かし、為るべくエネルギーを消費せず無駄なく、また料理の温度は人肌であり、過激な味覚、表現は避け、一期一会の言葉がありますようにこの一瞬の”人(芸術)と食材(自然)”との出会いを永遠と考え、一点の料理に全てを託し、その意味からも同じ料理、同じ色を使用しない、調味料も控えめに使用するように考えられています。
また木の葉の葉脈が一枚一枚違うように唇などの五感の味覚だけで味わうよりも,その食材一つ一つの自然の風景を大切にし心の奥深いところで観じられるように表現されています。
このように食事を通じて自然を敬い、自然と人との調和を意識して、永遠の生命を感じていくことが日本の食事の原点だと思われます。

目に見えないものにも慈しみを

2009年12月12日 13時01分41秒 | 日記・エッセイ

政治、小子化、環境問題を思う

変化の中にもチャンスがあると思われますが、葉っぱが美しく紅葉し、はかなくも大地に没しやがて春になると私達に初々しく、清清しい新緑を見せ、五感で感じられない見えない処でも私達に不愉快に思われている炭酸ガスを吸収し地球上に新鮮な酸素を供給している、けなげな姿を感じます。

地球上に必要で大切な水と火(炭酸ガス)と空気との循環を担っている樹木と草ぐさの存在、最近たびたび論議されている小子化、環境、経済問題等、消費と生産と再生の循環を考える時、一枚の葉っぱの存在が全てのヒントになっていると思われてなりません。

日本は古より山を神と崇め、其処には川、樹木と草ぐさ、生き物等全てを分け隔てなく神と崇め慈しみ祖先を偲び、荒れた地には帝自ら樹木を植えて山を大切になされ、常に物事を否定的でなく肯定的に考え、和と結びの精神を大切にし、明るい生き生きとした文化がありこの事が祭り事(政治)の根幹でありました。

ひとつの小さな集落でも老人も大人も子供も共に希望を祈り、収穫を祝い山々が荒ぶれ循環が乱れている様なときにも、収穫に恵まれ幸多き時にも等しく直会を開き(祭り事)自然と共に喜びと苦しみを分かち会い、一年を感謝し未来の希望と平安を祈り再出発してきました。見苦しいように思われているような一枚の葉っぱさえも、大切に掃き集められ焚き火(消費)として燃やされ灰となり、やがて水と結合して肥料(再生)となり見事な万朶の美しき花を咲かせ、豊かな実(生産)を実らせる原動力となります。

このように一見無駄と思われ、今現在には必要では無いと感じている存在にも等しく慈しみを持ち、明るい光りをあて工夫と研究を重ね再生して行く事が大切に思われ、また子供を生む事(再生)の未来に価値感を持ち、心が振り向けられるように働き懸ける事が政治及び小子化、環境問題の根幹だと思われてなりません。