夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

今は物質(分割する)文明から霊的(全てを融合する)文明への曙(あけぼの)・・・衣食足りて、礼節を知る

2018年12月28日 22時06分50秒 | コラム・人文
粉雪がチラチラと舞う年末となりましたが、

桜の蕾が、もう膨らみ始めました。

妻から筑前煮(がめ煮とも云います)の材料の買い物を頼まれましたが、

その食材が殆ど外国産であり、国産を探すのに時間がかかりました。

博多辛子明太子もよく生産地を確かめないと失敗します。

色々な食材が溢れて紛らわしい時代であり、食材の目利きが必要であります。

以前より身近な地域の食材を手に入れることが簡単ではなくなりました。

地域もグローバル化され、

全国の食材が簡単に手に入れることが

出来るようになった事が一つの理由でもあります。

ひと昔前の身近な地域での循環型のライフワークが出来ると良いと思われます。

私は完全なベジタリアンですが家族はそうではありません。

『同じ釜の飯を食う』ということが困難な時代になりました。

家族それぞれ違う職業に就き、働く時間帯も違い

同じちゃぶ台で御飯を食べる事が出来なくなりました。

家族同士以前よりも増して『優しい思いやる心』が必要な時代であります。

これは社会でも同じであります。


家庭または社会を丁寧に一つ一つ愛をこめて生きていくことが

家庭の平和であり、ひいては社会の平安となり、世界の平和につながり、幸福への道でもあり、

此のことが阿弥陀仏の世界であり、大日如来の世界であり、竜宮の世界であり、普賢菩薩の世界であり

宝樹華多くして衆生の遊楽する世界であります。



愛への目覚め



愛は、肉眼で見れば個々別々に分離して、

対立している様相をていしている現象を超えて、

その奥にある『生命の一体』をみるのである。

愛があれば、個々別々に存在するが如く見えている

相手の人々の魂の中に貫き入ることが出来るのである。

則ち『人の感情がわかる』のである。

人の感情がわかる人は人の苦しみをとって楽を与えてあげたいと思い、

人の喜びを自己の喜びとして感じ、人の悲しみを自己の悲しみとして感じて、

自己の利益を捨てて他に奉仕しようと欲し且つ行動するのである。

このような愛に目覚めることで争いがなくなり、

世界に平和をもち来すことが出来るのである。










                  
 

民の竈(かまど)の煙・・・・・仁徳天皇の御徳。

2018年12月27日 23時55分18秒 | コラム・人文
この地区の担当者の方が年末の挨拶に来られ、

来年から担当地区が変わることになりました。

長年のお付き合いでした。

お別れは懐かしい思いがするものですね!

今では珍しい『六曜・行事・二十八宿・九星・六十干支・月齢・選日・名言』が掲載された

分厚い 『日めくりカレンダ』ーを頂きました。

嬉しいですね! 元旦の名言は私が尊敬しているエマソンの言葉でした。


その日その日が一年中の最善の日である・・・・・エマソン




来年は皇太子殿下が天皇に即位され、

連綿として継承し来たり給える皇位の厳の御光が輝き出でて、

『清き明るい世界』が開かれ愈々益々より良い政治が行われる予感が致します。


民の竈(かまど)の煙


仁徳天皇が高殿に登って遥かにながめると、人家の煙が見られない。

これは人民たちが窮乏しているのであると思われ。

今後三年間すべて租税をやめ、人民の苦しみを柔げようといわれた。



それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり、

然らば則ち君は、百姓をもって本となす。

是を以て、古への聖王は、一人飢寒(きかん)すれば、

顧みて身を責む。いま百姓の貧しきは、則ち朕の貧しきなり、

百姓の富めるは、則ち朕の富めるなり、

未だ百姓富みて、君貧しきことあらざるなり。

            日本書記 『民の竈(かまど)の煙』 仁徳七年夏四月一日






心の豊かさ・・・・・貴方は既に無限の豊かさの中にいる。

2018年12月24日 16時49分57秒 | コラム・人文
天皇陛下の大御心のお言葉を

拝聴していますと愛豊かな、慈しみに満ちた

広大無辺な優しいお心に感動致しました。



休日出勤の帰りにスーパーで買い物していますと

何時もの賑わいが影を潜めていました。

今夜迎えるクリスマスイブは静かなイブのようであります。



貴方は既に無限の豊かさの中にいる。


神は彼らを祝福して言われた。

『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。

海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを支配せよ。』


神は言われた。

『見よ、全地に生える、種を持つ実をつける木を、

すべてあなたたちに与えよう。

それがあなたたちの食べ物となる。

地の獣、空の鳥、地を這うものなど、

すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。』

創世記 1-28~30




人間は『造り主より』本来すでに豊かに造られているのです。

それなのに貧しく思うことは『神の愛』を疑うものであります。

自己の生命は神の生命と一体でありますから、

既に『無限の叡智』を蔵しているのですから、

蛇にだまされて『知恵の果実』を食べて

もっと余計に豊かになろうと思はなくても良いのです。



心の豊かさ


自己が貧しいと呟く心の貧しさからの解放は

自己の境遇を他の略奪等のセイにするネガティブ(negative)な心から

自分の心は『無限の豊かさ』に恵まれているのであると信じることであります。

そして『今』既に恵まれている『小さな恵み』に心から感謝することです。

すると次第に心が豊かになって行くことが感じられるようになります。

物質の豊かさよりもこの

『心の豊かさ』こそが本当の豊かさであり『永遠の豊かさ』であります。




多大なる富



多大なる富は

多大なる重荷であり

多大なる責任だ。


そして多大なる富は次にあげる

二つの一つをもたらす。

大いなる祝福か

大いなる呪いかだ。

ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr)









無条件で与える愛

2018年12月22日 22時28分06秒 | 日記・エッセイ
暖かい冬至を迎え、

これから明るさに満ちた

光明の日々が始まります。

職場の忘年会の抽選で一等が当たりました。

このような抽選会で一等を引き当てたのは

此れまでの人生で始めての出来事でした。



無条件の愛


暖かいストーブには人が集まる。

愛の在るところに人は身をよせる。

なぜなら愛はすべてを癒すことが出来るから。

笑いのあるところに穏やかさが満ちている。

笑えば怒ることが出来ないから。

聖なる言葉には魂の糧が満ちている。

魂の糧が満ち満ちるとそこに天国が顕れる。



吾がうちに、神が今此処に、そして天国が今此処にある。




争い責め合う心から、拝み合いの生活へ

2018年12月16日 18時55分55秒 | コラム・人文
お互いに祝福し合う、祈りの行事に参加し、

人それぞれの心のひだに触れ、悲しみも楽しも

共に生きている存在であることを!!!


小さな小さな菜園のカツオ菜、ブロッコリー、セロリー達も元気に成長していました。



合掌して礼拝する姿は美しい光景であります。

自分自身を拝むことを知らなければならない、

そうでなければ他の人を拝むことが出来ない。

先ずは自分を尊敬することが出来る人が、

他の人も尊敬することが出来て拝むことが出来るのです。



百丈和尚が川で菜っ葉を洗っていたら、

菜っ葉がちぎれて流れていった。

その菜っ葉を追いかけていって、それを拾って拝んで頂いて、

仏様の命の現れであると言われたのです。



日本では『もったい無い』と云う言葉があり、

物質をただの物質ではなく

『仏の生命』の現れであるとして拝み、

崇高にして謙虚な精神をもって物質を観て

とり扱っていました。






地球に優しい幽玄なる日本の心。

2018年12月15日 11時00分12秒 | 自然の育み・環境
あっという間に日が落ち、

周りに温さが灯り

その燈が妙に帰宅を急がせる。


先日監査がありました。

限られた条件下でより良い医療環境を提供出来るかが試される監査でありました。


幽玄なる日本の心



『きよきあかき』こころである幽玄な『清明心』を大切にしてきた幽玄なる日本の心。

物質に価値があるとした物質文明に対して、

東洋文化は主に唯心論、汎神論を中枢として発達したところの霊的文化である。

仏教、、キリスト教、イスラム教も東洋で発芽して大いなる実を結んだのである。




川端康成氏スウェーデンアカデミーでの記念講演で曰く


一輪の花には百輪の花よりも花やかさを思わせるのです、

利休も教えていますが、今日の日本の茶でも、茶室の床の間にはただ一輪の花、

しかも蕾を生けることが多いのであります。

冬ですと冬の季節の花、たとえば白玉とか侘助と名づけられた椿、

椿の種類のうちで花の小さ椿、その白をえらび、ただ一つの蕾を生けます。

色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色をもっています。

そしてその蕾には必ず露をふくませまる。・・・・・・・・・・・・




日本の心が生活に実践せられ、物質追及の生活が浄化せられるならば、

人間の生活は心によって表現されたものであるから、

自然の汚染、物資的公害も自然になくなって行くにちがいないのである。