夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

かぼちゃのお客さま・・・離れて観ること。思善悪(ふしぜんなく)

2020年07月13日 22時59分45秒 | 自然の育み・環境
この大雨降りしきる時に20mの高さの石垣の上の

住宅の菜園からかぼちゃのツルが降りてきて

実をならせてその蔓の先端がまた上に上り始めました。

かぼちゃの壮大なる旅路であります。


 
離れて観ること・・・不思善悪(ふしぜんなく)

ものを観るのに、即いた観方と、離れた観方とがある、

即いて観るときには、事物の渦中に捲き込まれて却って其の真相を見ることが出来ず、

事物の混乱の中に自分も埋没して苦しまねばならないのである。

自分の眼球もまつ毛も自分では見ることが出来ず、

自分の欠点はよくわからず、

灯台の下は却って暗いのである。

心で苦しみをつかめば苦しみがあらわれる。

苦しみは自分自身で仮に顕している姿に過ぎないのである。

そのような苦しみのときにどうすれば好いのであろうか!

親鸞上人の『善悪総じて存知せざるなり』の境涯になり切ることである。

雲の中にいては入道雲の美しさはわからない

父や母や、夫や、妻や、子や、嫁やの美しさが見えないには離れて見ないからである。

宗教的な観方は芸術家の観方の如く、

すべてを離れて観ることによって、

どんなものにも神の生命の生動せる美しさを見出し、

『不思善悪』の境涯に達するのである。

『注』
不思善悪(ふしぜんなく)・・・不思善不思悪(ふしぜんふしあく)善悪の二つを脱して、
唯一絶対の念(こころ)に住すること。



子の愛は母の愛の反映である。



清くしてしかして美しき

わがマリアよ

おん身はかって

ルルドの聖泉の岸壁に

きざまれし黄金の

三輪の薔薇の花を踏んで立ちし

聖母マリアか

わが愛は汚れたれども

君にふれなば

たちまち清まりぬ。


地球に優しい幽玄なる日本の心。

2018年12月15日 11時00分12秒 | 自然の育み・環境
あっという間に日が落ち、

周りに温さが灯り

その燈が妙に帰宅を急がせる。


先日監査がありました。

限られた条件下でより良い医療環境を提供出来るかが試される監査でありました。


幽玄なる日本の心



『きよきあかき』こころである幽玄な『清明心』を大切にしてきた幽玄なる日本の心。

物質に価値があるとした物質文明に対して、

東洋文化は主に唯心論、汎神論を中枢として発達したところの霊的文化である。

仏教、、キリスト教、イスラム教も東洋で発芽して大いなる実を結んだのである。




川端康成氏スウェーデンアカデミーでの記念講演で曰く


一輪の花には百輪の花よりも花やかさを思わせるのです、

利休も教えていますが、今日の日本の茶でも、茶室の床の間にはただ一輪の花、

しかも蕾を生けることが多いのであります。

冬ですと冬の季節の花、たとえば白玉とか侘助と名づけられた椿、

椿の種類のうちで花の小さ椿、その白をえらび、ただ一つの蕾を生けます。

色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色をもっています。

そしてその蕾には必ず露をふくませまる。・・・・・・・・・・・・




日本の心が生活に実践せられ、物質追及の生活が浄化せられるならば、

人間の生活は心によって表現されたものであるから、

自然の汚染、物資的公害も自然になくなって行くにちがいないのである。



大きなハチの巣・・・生き物たちの輪廻転生。

2018年02月21日 17時36分10秒 | 自然の育み・環境
ふと見上げと大きな蜂の巣が!

どうもスズメバチの巣のようである。

一昨年までは藤棚を作っていました。

その時は藤の花が咲く四月中旬頃から

黒い熊蜂をはじめ色々な種類のハチが

花の香りに誘われ舞い遊んでいました。

藤の花とハチは縁が深い仲であり、

スズメハチも例外ではありませんでした。

当時は別に気にも留めていませんでした。

しかし藤棚がなくなると、巣が目立ち不自然な雰囲気になりました。

厳しい自然環境下でも縁が深い昆虫と植物同士が仲良く棲み分けをし、

互いに利益を共有しているようであります。

モチの木の赤い実が熟してくるとそれをめざして野鳥が飛来してきます。

雀も穀類の中でも米が大好きであります。

黒アゲハ蝶はツバキの木と縁が深いです。

八重ツバキについた毛虫が育ちやがて蝶になり、

生まれ育った八重ツバキを忘れないようであります。

夏に家の周りを旋回します。

セミも同じように生まれた場所で産卵するようであります。

驚くことに玄関の扉近くの2m程に野鳥が巣を作ったりします。

特に大きなスズメハチ等は社会性が整っているようであります。

長年藤棚の蜂の様子を観察していますと、藤の花が咲く時期を良く知っていて、

先遣隊のようなグループが周りを警戒しているようであります。

私たちを試すが如く近づいたりしますが、

恐れたり、威嚇等をしない限り襲ったりはしないようです。

藤棚を30年間作っていましたが

子供、孫達、家族も一度も蜂に刺されたことはありませんでした。

自然界はある大いなる力が働いていて、

我が家の周りでさえもこの様に生き物、植物たちが輪廻転生して生き続けています。




硬き土地は物を生ずることは出来ない。

石の土地は豊富なる植物は生じない。

柔らかい土壌にして初めて物を育てることが出来るのです。

水が若し硬ければ蒸気になって空中に飛び昇ることが出来ない。

水の偉大さはその柔らかさにあり、

人間の偉大さも亦柔らかさにある。







瑞々しい鎮守の森のクスノ木・・・『恵みの水』の有り難さ。

2018年02月07日 22時35分30秒 | 自然の育み・環境
年休をとり午後から神社参拝に来ました。

青空が澄み切り風もなく、

豆まきも終わり静かな境内でした。

明治以前は神社と大きな真言宗のお寺が

同居している典型的な神仏混合の神社です。

神社の境内に寺の蓮池があり其の当時の名残が残っています。


人類が文字を使い始めた起源前に『水』は自然や社会の基礎として、

また深い哲学的、宗教的にも認識されていました。

仏教では『地・水・火・風』四大種、中国の陰陽五行説の『木・火・土・金・水』、

エンペドクレスは四元『太陽・天空・大海・大地』と

これらの元素の循環により『ものごと』が成り立つとの宇宙観が認識されていました。

古代の人々は、水は万物、大自然を支え社会全体を結ぶものとして、

社会的役割を果たし、乾燥地帯の人などは洪水さえも害としてとらえるのではなく、

地力を高める偉大な恵みとして認識していました。



日本のすべての土地には祖先の労働の歴史が刻みこまれている。

現代の『水力社会』、『水田農業』は灌漑水による養分の供給、

土壌の還元化による地力の維持、肥料効果の調整、雑草の抑制さらに水稲の連作の実現など、

世界的にもきわめて優れた性質ももっている。

米の栄養価は他のいかなる穀物よりも高い。

これ等の優れた条件により、『水田農業』は国民生活の中心的な役割を果たしてきました。


『農業用水』は工業用水や都市用水とは異なり、

上流の水田から下流の水田へと繰り返し『循環利用』される。

モンゴルなどの牧畜民族は自然生態系と一体となって生活をすることにくらべ

農耕民族は気象、天文、土木など水の利用の為の知識が求められ、

科学技術に基づく文化が創造されました。

また反面社会生活も水に制約されることになりました。



私共の地域にも直ぐ側に灌漑用の『小倉ダム』と云う小さなダムがあります。

此処の水は5K先の長崎県で一番広い平野である『諫早平野』の灌漑水として利用されています。

この平野の先に有明海があり、今問題になっている『諫早湾干拓堤防』があります。

また故山下弘文さんが干拓地の干潟の保全を訴えておられました。

この堤防が出来る前は市の中心部の近い処まで、雨期や大雨のなどの時には毎年『床下浸水』がありました。



水のダイナミックな流れは地球のすべてに恵みを与え、

すべての塵を流し去り、大いなる大海へと還流します。

そして『森』は水を必要としていて、また『水の循環』の要として存在しています。

この水はある時は穏やかなセセラギ、オアシスとして、ある時は雷雨ともなり、

すべてをおし流す濁流ともなり、七変万化して私たちに恵みを与えてくれます。

『水』のキーマンとなる『森の保全』は地球規模においても

必要かつ成し遂げなければならない課題であります。

わが国は代々の天皇陛下みずから植樹祭で植林をなされています。

『自然を愛する心』、『植林の思想』が古代より定着しているわが国はありがたいことです。

先人の知恵と努力で現在の『森』が存在します。




山々のたたずまい、雲の行きかい、風のひびき、水の流れ ― 

ことごとく観世音菩薩の慈悲の説法である。

神の愛は静かに振りそそぐ夜露が、すべての植物をうるおして生気を与えるように、

静かに音もなく、目立つこともなく万物を生かす、万物を生かしながら、

自分が生かしてやったという顔すらしないで、朝がくれば消えて行くのである。





 

タシギの喜びのダンス・・・大自然の躍動

2018年01月14日 18時06分43秒 | 自然の育み・環境
タシギの喜びのダンス・・・大自然の躍動


缶詰状態の列車の中での『善行』がTwitter(ツイッター)で拡散しました!

人の『善行』に出会うのは和みますね!



家を出て、10メートルほどの側溝に何時もは見かけない野鳥が車の前に躍り出てきてダンスをしました。

普段は色々な水鳥の野鳥が車の前に現われて挨拶のダンスをします。

妻は初めて見ましたわ!

私も初めて見た!

多分山際の水田などで活動している『ヤマシギ』だろうと!

しかし『ヤマシギ』にしては小さいな!

調べて見るとはるばるユーラシア大陸からの渡り鳥の『タシギ』でした。

『北アメリカ大陸、ユーラシア大陸で繁殖し、

南アメリカ大陸の北部、アフリカ大陸の北部から中部まで南下し、冬を越します。

日本では本州よりも南の地域に冬鳥として渡来する』そうであります。


此処長崎県は中国、朝鮮等ユーラシア大陸に近いところから

日本では迷鳥として珍しい野鳥が飛来します。


40年程前の青年時代に自然保護協会に属していた頃は

県の自然保護課の出先機関の雲仙自然保護事務所、野鳥の会等に

野鳥、自然保護関係の専門図書を紹介していました。

今年人家の近くまでタシギが現われたのには

今年は寒い地域の野鳥が沢山飛来しているのでしょう。

という事は、生息地ユーラシア大陸等が今年は普段よりも更に厳しい寒さではないかと思われます。

国境がない世界の野鳥、水鳥、又は自国の野鳥、水鳥の生息を知ることは

世界の自然環境の状態を正確に知る手がかりになります。

野鳥の姿が見えないと云うことは

水の汚濁、土壌が汚染され、その結果、樹木の育成が阻まれ、餌等が減少となり、

生きていく術が無いことを意味しています。



花のみまつらん人に山里の雪間の草の春をみせばや
                    千利休(せんのりきゅう)

人々は春爛漫の桜花を楽しそうに観賞するであろうが、

久しく雪に閉じ込まれていた野の草が、ところどころ雪どけの合間から、

草の新芽が、芽吹いている風情こそ、

艱難艱苦によって鍛えられて新生した霊的生命の息吹を見ることができるのである。












森の花は最も麗しく匂い、月光は一段と清く湖底に澄みとおる。 喜びと悲しみは自然を最も美しく照らし出す光である・・・ソロ―

2017年12月26日 20時54分21秒 | 自然の育み・環境
薄暗い夕暮れに鴨の群れが頭上を飛び去る。

あーそうだ11月からは狩猟解禁だ!

20代に父と一緒に英国ポインター犬を引き連れ、

上下の二連銃をもって狩猟に行っていた頃を思い出しました。

父が山に狩猟に行くための車の運転手でした。

行ったことない山道を走り周りました。

私が撃つ弾は不思議なことに至近距離でも殆ど当たりませんでした。

父から笑われていました。

しかし暗い夜明け前の朝早くから、山に入りますと白々とした山陰から朝陽が昇りはじめ、

山々にケーンケーンと雉の鳴き声が響き渡ります。

足元はまだ夜露で濡れ、猟銃を抱えた手は凍えその中をスマートな英国ポインターが

鼻をクンクンしながら藪の中を歩き周ります。

朝陽のあたる山肌の空間に鳥が土浴びした跡があり、また優雅な長い尾をたなびかせ、

深山の谷間を舞い下る山鳥、チョトコイ、チョトコイと鳴き、藪のなかで仲良く集団で暮らす可愛いコジュウケイ、

山々にヒッソリ咲いている小さな可憐な花々。

獣道をかき分け、谷間の岩山を歩き、流れるせせらぎで靴を洗い、

その透きとおる小さな水溜りで沢蟹が急いで身を隠す。

このような経験で山々の美しい清々しさを知り、鳥、動物たちの生き生きとした生態を知り、

大自然を身近に知る機縁を父から教わりました。



自然のいいあらわしがたい無邪気な恩恵、―太陽、風、雨、夏、冬のそれ、。

かれらはあのような健康、あのようなよろこびを永遠にあたえてくれる!

そしてかれらはわれわれ人類に対して限りない同情をつねに寄せていて、

だれか一人がもっともな理由のために愁えるならば、すべての自然はそれに感動して、

太陽のかがやきは消え、風は同情の溜息をし、雲は涙を雨ふらせ、森は真夏にも葉を落として喪服をつけるであろう。

わたしは大地と交通しないでいられようか?

そしてわたし自身もある程度まで木の葉であり腐蝕土ではなかろうか?


           Wslden, or Life in the Woods(ウォ―ルデン森の生活)
                           Henry David Thoreau(ソロ―)


朝の清涼な心をコヒーや茶で不純にせず、飲酒喫煙せず、肉食をさけて米や粗末なパンや木の実を好んで食べ、

恋愛もせず、家庭ももたず清純な感覚をもって自然と人生の真趣を味わい暮らしたソロ―。

エマソンとともにコンコードの哲人とよばれ、またインドのガンジーにも多大な影響を与えたソロー。















世界の環境の多様性を保全するために

2017年12月16日 17時01分56秒 | 自然の育み・環境
私達が知ることも出来ない、見えない所で、花々や植物、生物の在来種と外来種が入り混じり

その中で在来種が淘汰され絶滅危惧種が増え、保護種に指定されている数が増えています。

それは日本人の欧米化が進み、万葉集等に登場する古い時代から在来種の

美しい花鳥、風月、植物、生物を愛で、小さな雑草まで植物の種類に名を冠けている

細やかな日本の精神を見失い、無節操に外国の花々や植物、生物に惹かれた結果なのでしょう。

イエスキリストの言葉に『汝の隣人を愛せよ』とありますが

まず身近に与えられている身近な在来種の植物を知り、愛でることが大切な事と思えます。

その上で世界の其々の地域で外来種の様々な花々、植物、生物が

其々の地域に置かれた場所で調和が取れているか否かを知り、愛でることが必要であります。

それが真の意味での『世界の環境の多様性』を保全する事に繫がると思います。

愛でることも実用化することにも秩序と調和が大切であり、

それを実現するには知恵と叡智が必要であります。

梅の花咲きて散りぬと人はいえどもわが標結(しめゆ)ひし枝ならめやも

                      万葉集400大伴坂上郎女(おおともさかのうえのいらつめ)
               
君が代も和が代も知るや磐代の岡の草根をいざ結びて

                      万葉集 10 中皇命(なかつすめらみこと)・・・間人皇后

冬ごもり 春さえ來れば 
鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 
咲かざりし 花も咲けれども 
山も茂み 入りても取らず 
草深み 取りても見ず 
秋山の 木の葉を見ては、黄葉(もみじば)をば
取りてそしのう 青きをば 置きて嘆く そこし恨めし 秋山われは

                       万葉集 16 額田王

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮かべる心わが思はなくに

                       万葉集 711 丹波大女娘子(たにはおほめをとめ)









愛の循環・・・谷間の浄き水

2017年05月14日 18時51分27秒 | 自然の育み・環境
谷間の浄き水

先日の烈しい雨が嘘のように、
白い雲と青い空が天高くひろがる。
新緑が瑞々しく鮮やかに冴えひろがる。
石蕗に木漏れ日が射し込み斑模様となり、
岩盤から滲みる水が一滴、一滴落ちる。
青々としたシダ葉の間をせせらぎ、
生き生きとした龍のようにくねり、
銀盤の宝石の上を静かに流れくだる。
天空から鶯の声が心奥深く鳴りひびく。



日本書記に
『豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)瑞穂(みずほ)の国は世々是れわが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり』という勅があります。
日本のくには水に恵まれ、水を大切にして来たという長い歴史観があります。
当時の世界では屎尿は川等に捨てられていましたが、江戸時代の屎尿は金肥として扱われ無駄に捨てられることなく,循環利用されていたのです。
既に循環型の社会が江戸では世界に先駆けて創られていたのです。



愛は土を運び肥料を与えなけばならない

『愛』は美しき天国の花を地上に咲かしめる不思議な種である。
『愛』は必ず生長して美しき花を咲かすが、
必ずしも一夜のうちに『愛の種』が発芽し生長して、美しき花を咲かすにはきまってはいないのである。
よき地にまかれたる愛は速やかに生長して美しき花を開くが、
石地に蒔かれたる『愛の種』は忍耐強く石地を穿ち行くことなしには、その『愛の芽』は枯れてしまうのである。
だから愛は忍耐強くなければならない。
愛は土を運び肥料を与える努力を必要とする。









スズメさんの愛嬌

2016年06月26日 14時08分59秒 | 自然の育み・環境
スズメさんの愛嬌

昨夜は梅雨の寒が降り冷えました。
梅雨空に久しぶりに晴れ間が広がり、眩しさが目を差し夏の予感を感じる日中でした。
玄関先に愛らしいスズメが絶えず飛びまわっています。
最近生まれた幼いスズメのようであります。
帰宅すると舞い降りて愛嬌を振りまきます。
スズメは人との関わりが深い小鳥なので昔から、俳句、誌、唱歌などに詠われて来ました。
スズメやツバメは人家の近くで巣作りし、生活する習性がありますが、最近は少なくなりました。
これは人間の本来の習慣や生活様式が変化し、人家の近くで育つ植物、生物等が生活出来る環境で無くなったのではないかと思えます。
人々は目の前の生活等に振り回され、周りの環境の変化に気が付いていないようであります。
山々の植物、野鳥、生物等の自然環境に積極的に心を寄せ関心を持つ時代であります。



第三嬰童無畏心

『外道は天に生じて、暫く蘇息を得。
彼の嬰児と犢し(とくし)との、母に随うが如し。』
人間の生活のはかなさを知って天上の悠久な幸福にあこがれる生き方である。
幼い嬰児が無心に母を慕うように、また犢し(こうし)が母牛に随うように、天上の神々を信じ、安楽を得るのである。
しかしこれは、真実の楽である涅槃の境地を得ていないで一応の安楽を得て満足する者である。


弘法大師空海 秘蔵宝鑰 第三住心



田植えの神祭り・・・・・自然の摂理を生かした文明

2016年06月19日 16時32分50秒 | 自然の育み・環境
田植えの神祭り

長崎県最大の小野平野で田植えが最盛期を迎えています。
数百年前から干潟の干拓が行なわれ現在に到っています。
有明海で最も古い干拓は推古天皇の頃(五九三~六二九年)から始まったものといわれています。
有明海全体では二六〇㎞2(釧路湿原の約1.5培)を超える面積の干拓が行われています。
有明海流域の河川によって搬出される土砂の堆積と有明海の潮の干満によってひき起こされる
泥土の沈降・堆積(ガタ土)とにより生じる干潟は今も日々成長しています。
干拓は埋め立てと異なり、干潟を堤防などで仕切り、水を排出して新たに農地などに転用することです。
日本の地形は森林に恵まれた山々から豊かな水が河川へ流れ出でてゆるやかに扇状に広がる地形であり、
稲作に恵まれた環境でありました。

それ故に、『豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫(うみのこ)の王たるべき地(くに)なり』と天照大御神がのらせ給いて、
その理念(かみこと)が天下りて瓊瓊杵尊の降臨となり、神武天皇の建国となりました。
今上天皇陛下自らお田植えと稲刈りをなさっておられ、稲作と幡種を皇居で行じておられます。
新嘗祭(にいなめさい)には祖先神である天照大御神・八百万の神々に新穀を捧げられ神と共に召し上がられます。
天皇が即位の礼の後に行なわれる始めての一世一度の新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)といわれています。
三種の神器をうけついだ時が即位されたときであります。
それ故に合議して決める民主義国家のように権力闘争などがなく速やかに即位なされます。
天照大御神より歴代の天皇様の御徳を通して皇位の理念(かみこと)である御光りが厳かに八揚されて即位されましたので、欧米諸国のように民族と民族が相争う権力闘争で血を流すことはあまりありませんでした。
二千六百七十八年間も皇統がひき継がれた所以であります。




自然の摂理を無視した文明は有害である

明らかに、科学には計画性がない。でたらめに発達するものである。その進歩は、天才が生まれたとか、
人間の心がそれに合った形態をしていたとか、好奇心がそちらの方向に向けられていたとかいった、
偶然の要素に頼っている。
全く、人間の状態を改善したいという願望によって動いているのではない。
工業文明を起す原因となった種々の発見は、科学者の気まぐれな直感や、多少ともその経歴の中の偶然な状況から生まれた。
もしガリレオやニュートンが、その知的能力を肉体と意識の研究に向けていたら、
今日われわれの住む世界はきっと違ったものになっていたであろう。
科学者は、どこを目指しているのか知らなかったのだ。
彼らは偶然の機会や、鋭敏な推理や、一種の透視力に導かれた。
彼らに一人一人は、それ自体の法則に従っている、切り離された世界に住んでいる。
時には、他の人が不分明なことが、自分にははっきりと分かることがある。
大体において、種々の発見は、それがどんな重大な結果になるか前もって知らずに行なわれている。
しかし、これらの結果が世界に革命的な変化を起し、今のような文明を創ったのである。

                                    アレキシス・カレル(Alexis・Carrel)ノーベル生理学・医学賞受賞














純粋種と多様性との調和

2016年06月18日 21時41分54秒 | 自然の育み・環境
純粋種と多様性との調和

種の純粋性を維持しながら、多様性を尊重し、繁栄するにはその種が最初に置かれた所で
多様性という環境の洗礼を享けることではないかと思えます。
その種自信が他の地域、或いは他の天地に置き換えられて多様性を営むということは困難ことであり、
次第にその種の力が衰弱して、最後には滅びることではないかと危惧します。
人間も同じではないかと思えます。
人間も地球上であらゆる人々と地域を置き換わり多様性を発揮して繁栄することは、困難な事であります。
さらに飛躍して宇宙全体を対象にしても同じように困難なことであります。
それぞれの地域で生活した歴史の純粋性を大切にして、その基礎の上に立って多様性を発揮して、
地域の連帯、国と国との連帯を大切にすることが、その民の繁栄と喜びにつながり、
平和を築きあげるのに必要なことであると考えます。
多様性にも貞操観念が必要であります。



自然淘汰がつくったエリート

現代文明は、想像力や知性や勇気に恵まれた人を生み出す能力を持たないように思える。
実際にどこの国でも、責任ある公務に携わって人たちの、知的、道徳的素質が低下してきている。
どこに国でも、経済状態と社会状態が非常に早く変化する。
ほとんどいたる所で、現在の政府のあり方が討議されている。
偉大な民主義国家は、恐るべき問題に直面していることに気がついた。
われわれは、人間が現代文明に大きな望みを託したにも拘わらず、
それは危険な道をうまく導いていけるような人々を育て上げることが出来なかったに気がついたのである。
われわれは、新しい生活様式がどのように民族の将来に影響を及ぼすか、つきとめねばならない。
工業文明によって、祖先の生活様式にもたされた変化に対する女性の反応は、きわめて早く決定的であった。
直ちに出生率が下がった。
この出来事は、直接的にしろ、間接的にしろ、科学的発見を応用することによって、
最初に恩恵を受けた社会層やそうした国々で、最も早く深刻に感じられている。
世界の歴史の中で、自発的断種は別に新しいことではない。
過去の文明の中でも、ある時期にすでに見られる。
それは古典的徴候である。
続く・・・・・

アレキシス・カレル(Alexis Carrel)ノーベル生理学・医学賞受賞









神が唯一の創造者である・・・(森の恩恵)

2016年06月05日 09時28分10秒 | 自然の育み・環境
森の恩恵

鎮守の森は連綿として生き続けている。
今日も奉仕の人々が清掃に励んでおられました。
全国の神社仏閣もそれぞれの地域の方々の支えによって悠久の昔よりこれまで法統の灯が引き継がれています。
日本はこのような鎮守の森を精神的な支えとして、また心の聖域として崇めてきました。
鎮守の森を通して幼い時から樹木、植物、生物を見つめて、身近に感じて自然とのつながりの空間を
無意識に体現して来ました。
明治神宮も広大な森の多様性が形成されて、都民の憩いの場ともなっています。
植樹際のように樹木を植える思想が歴代の天皇様より粛々と行なわれた来ました。
一本の木(気)の生命を植えることによりその生命が青い地球を育み、
有情非情、生きとし生けるもの、有りとしあらゆるものが豊かな恩恵を蒙ります。


今上天皇御製

とつくに       くにばしら
外国の風招きつつ国柱太しくあれと守り給ひき
                                   明治神宮御鎮座八十年にあたり

神山に『歓びの歌』鳴り渡り集う人々苗を植ゑけり
                                    第四十回全国植樹際  徳島県


ミルクユ ユ ニガテイ スリタル フィトウタ トゥイクサバ ヌ アトウニ マツイ ユ ウイタン
弥勒世よ願いて揃りたる人たと戦場の跡に松よ植ゑたん
                                     第四十四回全国植樹際 沖縄県
                                     沖縄の八八八六調の短歌である琉歌



神が唯一の創造者である


素直な心で神の智慧を受ければ、自然に何時、如何になすべきかが示されるのである。
イエスは『空の鳥を見よ、蒔かず、刈らず、倉に収めず、然るに天の父はこれを養い給う』といっている。
彼らは自然な心をもっているから、自然に『内部の啓示』を受けて、
その時その場所に適当な処置をとり得るという意味である。
驚くべき智慧が宇宙には満ちており、季節と自分、海水と自分、鉱物と自分、植物と自分の間にも相互関係があり、
互いに相手の動きを知る智慧があるのである。
宇宙の万物のことごとく『一つの智慧』によって支配されていることが分かるのである。
その『一つの智慧』が『神』である。














国家という生命体の統合の座としての皇位。

2016年05月23日 21時21分17秒 | 自然の育み・環境
国家という生命体の統合の座としての皇位。

外は太陽がギラギラとてりつけ、気温が上がると最近は直ぐに温暖化を意識します。
人類が繁栄した結果だと思えますが、それに比例するように地球の気温が上昇していると自然科学者が警告を発しています。
グローバル化が進み、他の地域から色々なルートを通して動物、植物等が浸透して広がり夫々の地球上の地域の生態系を乱しています。
地球は何万年のサイクルにより寒冷化から温暖化に移行することにより、
生物が誕生して、人間と生物、無機物等が調和して今日の繁栄を築きました。
しかし人間は自然科学等の智慧を獲得することにより、夢と希望を叶える代わりに、
新たなる弊害が生じその結果を甘んじて受けることになりました。
アフリカのアフリカゾウが生きて行く為には一日に沢山の水が必要であります。
人間も同様であります。
全ての生物、植物等は先ず水が必要であります。その次に塩分です。最後に食料であります。
その水、塩分を含んでいるのは海水であります。
透析患者を透析するにも大量の食塩水が必要であります。
温暖化が進むと地球上の海面が上昇すると云われています。
このことは地球上の陸地の面積が縮小して海水の面積が広がることになります。
北極の海水の温度が上がり海水中の生物が増えたように、必然的に海水である海に生息する生物は増殖することになり、
陸地に生息する生物等は縮小することになります。
このことは地上の生物、植物等が活動する面積が縮小されることになり、必然的に生物、植物全体が淘汰されることになります。
しかし地上で活動する人間にとっては死活問題であります。
ある面、温暖化対策は人間の利己主義的な面もあります。
動植物は温暖化を素直に受け止め、懸命に生きています。
それ故に温暖化対策は人間の生活よりも、地上で生活する動植物がより、なおさら必要となっています。
心の先祖返りをして、人間本来の素朴で質素で謙虚で、素直な心に立ち返り、一日の神の御恵みをあり難く享け、
全ての物、生類、生物等に感謝して生活することが何よりの温暖化対策と思えます。






国家という生命体の統合の座としての皇位。


国というものも生命体ではないか、人がそれぞれ個の生命体であるならば、
『国家は超越した個の生命体』である。ひとしく生命体であるならば、個の人に全身統一の座が立つように、
国家にも統合の座が立たなくてはならぬ。
その座は、わが日本国においては『天つ日嗣(ひつぎ)・高御座(たかみくら)』
(すなわち皇位)として、歴史的に与えられている。















苦痛、涙の奥に聖地がある。(生きとし生けるもの、ありとしあらゆるもの、山川、国土を愛する)

2016年05月19日 22時02分28秒 | 自然の育み・環境
苦痛、涙の奥に聖地がある。(生きとし生けるもの、ありとしあらゆるもの、山川、国土を愛する)

寒暖の差が激しい変化に、心と体を調和することが難しいですが。
刀剣を鍛える時に高熱に晒した真っ赤な鋼を打ち、またその鋼を水に入れて冷やします。
そのように温度差のある環境に晒して鋼を鍛えます。
このような経験を経て名刀が顕われます。
日本の美しい四季の移り変わりの中で、このような寒暖の差があることは、人の心を自然に鍛える作用が秘められています。
この国の人々は自然に対して優しい情感を持っており、またその自然環境の変化に鋭敏であります。
また自然環境の変化に寛容であります。
それ故に自然を人間の智慧のみで調和せしめるような事に対して否定的な感情があります。
歴史的に自然に人生を托したり、模したりして自然と一体になる心が内観的に自覚され、その心根が古事記、万葉集などに顕されています。




苦しみ、痛みを味わう経験は霊魂の進化のためになくてはならぬものだと理解した時、
この世界は苦しみ苦痛があっても究極的には調和しているのだと判ってくるのです。
苦痛の境涯を味わっている人も被害者でもなければ、苦痛を与えている人も加害者でなくなります。
それは無限向上のためにの切磋琢磨であると信じることが出来ます。
今まで敵として見えていた者が、自分を生かす味方に変貌することを体験することでしょう。

どんな小さな草花でも、小さな昆虫でも、みんな同じ毘盧遮那如来(びるしゃなぶつ)の生命の兄弟である事が
根本自覚となって初めて単に人類のみを愛するのでなくて、愛が拡大して単に『人類愛』のみならず生類愛にまで高められる。
そして一切の生きとし生けるものを愛することができる。更に生きとし生けるものだけじゃなくて、ありとしあらゆるもの・・・・・山川・国土というような全ての鉱物も、ひとしく毘盧遮那如来の生命の顕現としての兄弟である。
・・・・その真理が解る時、今まで、物質で構成されていると思われていた環境が物質でなくて、
自分の心が生きとし生けるもの、ありとしあらゆるもの互いに感応して自由に
自分の心で思い通りに変化させることが出来る、『唯心所現』の世界であることが理解出来るのです。



























大自然と桜と『寂』と日本の文化。

2016年04月03日 11時38分39秒 | 自然の育み・環境
大自然と桜と『寂』と日本の文化。

東京の杉並区在住の次男の声を久しぶり聞き、大変元気そうでした。
東京はまだ寒いとのこと、吉祥寺界隈の景気もまずまずのようで機嫌が好いようでした。
次男に桜のことを常々聞きますと何時も東京の人は桜見には気合が入っていると言います。
考えて見ますと歴史的にも、江戸に幕府が開かれてからは人口が集中してからは人々には
『火事と喧嘩は江戸の花』と言われるようになり、ストレスが溜まる時代となり、
ストレス解消、憩いの場として広い小路等が整備され計画的に植えられたようです。
田舎の自然の山に自生している山桜と違って殆どの桜の木がそれぞれの時代の人々の手により
人工的に植えられた模様であります。
それ故に人々が自ら愛と心を込めて植えた桜に惹かれ、また無意識に桜に人生の栄枯盛衰を映し、
桜見物に駆り出される衝動が強く現れるのではないでしょうか。
また気高い大自然を愛でる日本人の文化が、自然が少ない江戸の町並みの中で桜見物によって
自然を身近に人々は感じていたのではないでしょうか。
それは今の東京にも云えることでもあります。




大自然の悠久さ、久遠不滅の生命の尊厳が顕れているのが『寂』であり、ただ古いと云うものではないのです。
そこに永遠なる、時間空間を貫いて滅びない生命が躍動していて、
大自然の深い味わいというものが滲み出ているものが『寂』には出ているのです。
芸術にも大自然のいのちが作品に『寂』と云う精神が染み込んでいることにより成り立つのであります。
日本人は古来よりこの『寂』というものを愛でいた民族、国民であります。
『寂』には温かい包容心と他を排除しない、対立感の無い、争い心が無い、自然と一体感のある精神であります。
この寂の精神は俳句、能、書、日本画、茶の精神、茶懐石、雅楽、華道、香道等日本の文化に脈々と息づいています。






















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