夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

縄文の古代より日本で独自に発達した『水晒し』の調理技術・・・体にやさしい食物を

2019年01月12日 12時56分27秒 | 日本の食文化
今日は初酉で、鏡開きも終わり、

新たに新年を迎えたような心持ちです。

朝靄にケーンケーンと力強い鳴声を上げて雉(キジ)が羽ばたくように

新たなる境地へと前進したいと願っています。



菩提寺の住職から頂いた年賀状でのお説教です。



よろこんであたえる人間になろう

物が有れば物を 力があれば力を 

知識があれば 知識を みんなに与えよう

無ければ自分の中に育てて与えよう

花は美しさを惜しまず 小鳥は歌をおしまない

誰にでも与えている

与えるとき人は豊かに成り 

惜しむとき いのちは貧しくなる

よろこんで 与える人間になろう

おさなきときにも おいたるときにも
 
みおやに かわらず つかえなん


浄土宗 常楽山 慶巖寺 



縄文の古代より日本で独自に発達した『水晒し』の調理技術


縄文の古代人はドングリのタンニン(tannin)の苦みを除去する為に、

砕いて水に晒して食べたのです。

トラフグの骨が各地の『古代の貝塚』から発見され、

テトロドトキシン(tetrodotoxin)の猛毒が含まれているフグなども古代人は

卵巣や肝臓などの臓器を除いたあと肉も多量の水で晒したのです。

古代人が考え出した知恵であり調理技術です。

それは現代の『日本料理』にも連綿として引き継がれています。




外国ではあまり見られない『アク抜き』の調理技術。



日本は水晒しの水、食塩水、酢、ミョウバン、灰汁(アク)、重曹水、米のとぎ汁などを使って

身体に良くない汚れ、アク、又は酸性度あるいはアルカリ度を中和させる『アク抜き』は

日本独自で発達したものです。


その心はすべてのものを祓い清め、

神火清明、

神水清明、

神風清明

の言霊にあるように、純粋なものみをひき出す

禊祓(みそぎはらい)いの心です


その背景にあるものは豊かな森林、清浄な水、豊饒な海に恵まれた

自然が広がっていたことが挙げられます。

これらの自然を保全してくことが求められています。



初釜茶事


ホトケノザ(仏の座)Lamium amplexicaule




食により心を養うことが出来る。・・・弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。  其の③

2018年02月27日 21時23分03秒 | 日本の食文化
食により心を養うことが出来る。


肉食偏重や嗜好料のとりすぎは、

健康によくないばかりか、

性格形成の上にも、

人相の変化の上にも、

人間の心にも好ましくない影響を与える。


弥生食

縄文人の狩猟主体の肉食、木の実等から

コメの主食に、魚、野菜等の副食が加わった『弥生食』へと変遷していく。

縄文人の『料理する場所と食事をする場所』が同一場所である『炉端料理』から、

弥生人のコメの炊飯、野菜を煮炊きする『竈(かまど』)の登場となります。

『竈』の導入により炉の機能の中から、煮炊き用の機能が独立して『台所』の出現となり、

住居のなかで

『竈で煮炊きする場所』と、

『食事をとる場所』がより明確に分離し、

食器も縄文人が使っていた飾り模様がある深鉢等から、

飾り模様が無い『高杯』、『椀』の出現となる。

『一汁三菜』の誕生です。

調理方法も『水』を使った『煮炊き』が基本となる。

貝塚はよく見られますが、

驚くことにフグの調理法も習得していました。

そして弥生人は父子、男女の関係なくお酒が大好きだったのです。



世界の料理方法も

『香辛料を使った西洋料理』、

『油を使った中華料理』、

水に恵まれた風土を生かし、『美味しい水を使った日本料理』等と

それぞれの地域を生かした料理方法が行われています。


日本料理では調理をする時には

『美味しい水』を使うことが最も大切な要因といわれています。

西洋料理は肉食が中心であるが為にどうしても香辛料を使って獣臭さを除去する必要があり、

黄土が多い中国ではどうしても料理に適する水を得ることが困難なこともあり、

温度が高い油を使う調理方法で安全性を確保したのです。



『神いい給いけるは、

みよ、我れ全地の面にある実胤(たね)のなるすべての草蔬(くさ)と、

核(たね)ある木果(このみ)の結(な)る諸(すべ)ての樹とを汝等に与ふ。

これは汝らの糧となるべし』

                                           創世記 第 1―29





優れたお米。(卑弥呼米を食べる)・・・古代国家を支えた米食文化。

2018年02月23日 21時40分16秒 | 日本の食文化
弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。  其の②

『豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり』と天照大御神みことのらせ給う。


2400年ほど前、北部九州に水稲耕作文化が伝来し、

そしてまたたくまに日本各地に拡がり、米食の時代に突入したのです。

縄文土器の表面にモミの痕がついたものがありますが、

しかしコメの出現で社会が変化した痕跡はない、また木製の農耕具もないのです。

やはり米食文化は弥生時代になってからなのです。

村人総出で開墾して、共同で水を引き、イネを育てる。

春に五穀の豊穣を祈り、秋の収穫のときには感謝する

このようななつかしい故郷の風景の誕生である。

弥生土器などの誕生により、焼いたりする以外に、

火で煮炊きしたり、蒸したりする調理方法、

食事方式の変化、食器、

煮炊き用の鍋に蓋が導入されコメを蒸す技術が進化していったのです。

近畿地方の縄文時代中期の人口が2800人だったのが、

弥生時代早期には10万830人に急増し、

コメは人口増加を支える大きな力であったのです。

コメによる農耕社会の誕生により

古代国家の形成に大きな役割を果たしたのです。

『魏志倭人伝』には邪馬台国には

租税をおさめるための建物があると伝えています。

『卑弥呼の館』には、中国からの贈り物以外に、

日本各地から集められた稲が入っていたのではなかと。


人類には穀物が最良である。

古今東西どこの国でも穀類を何千年もの間変わることなく、

最も重要な主食としてきたのです。

『釈尊』も肉類には毒性があるとして、

病気の時に薬として使う以外は肉食を禁じるなどして食事の戒律を定めた。

『孔子』も『肉多しといえども食気に勝たしめず』と戒めている。


『注』

    豊葦原の瑞穂の国・・・草々が豊かにしげり、瑞々しい稲が実る国。
                    美しい日本の国を讃えた『コトバ』。







弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。・・・気候風土にあわせて、その土地でできるものを食べることが肉体的、精神的健康をつくる。・・・石塚左玄

2018年02月22日 22時09分45秒 | 日本の食文化
弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。・・・其の1




寒がゆるんで葉菜が少々出回ってきました。

ジャガイモ類の根菜類は保存が出来ますが、

葉菜類は冬の間は厳しい時期であります。

現代は手に入らない食材は外国からも取り寄せる時代になりました。

昔は地域で収穫できる食材で生活するしか方法はありませんでしたので、

まさに天の恵みを享けることの有り難さが心に染み入る時代でした。


以前は苺の出荷は二月が旬でした。

長崎の史跡『料亭花月』に『苺の赤富士』の献立がでるのも二月でした。

12月のクリスマスケーキにイチゴを沢山使い始めた頃から、

其れに合わせてハウス栽培のイチゴの出荷が早まりました。

イチゴも夏の暑い時期に多量の水を使用し、

冬の寒い時期に夜間に電熱灯を灯したり、

ストーブを燃やして収穫時期を調整しています。

このように消費者の好みにあわせて生産者が調整する時代になり、

野菜の本来の露地物の旬が見失われてきました。

最近は消費者の好みにあわせて野菜、果物等が

品質改良が為され食べ易いようになっています。

自然の食材に合わせて人間が食するというよりも、

人間に合わせて食材を改良する時代になっているようであります。



気候風土にあわせて、

その土地でできるものを

食べることが肉体的、精神的健康をつくる。

スズメ、トビ、ワシなどの野生動物は

人手の加わらない食物を摂取しているので、

病気にかかる度合いも少ないのです。

万物の長といわれる人間が病気の問屋のようになっているのは、

食養の道に一定の標準がないことと、

食物に人手をますます加えてきたことが原因ではないのか。

                                                     石塚左玄
                  
『注』

石塚左玄・・・『食医』と云われ、穀物主義、玄米食を学問的に推奨した。
       近代の『日本料理』にも多大な影響を与えた
       明治時代の医師、薬剤師、軍医でもあった。
       乃木 希典・本山 萩舟・村井弦斉・沢木興道・
       西田天香・和辻哲郎等に影響を与えた。
       天皇家の献立も『左玄』の『食養学』に基づいているといわれている。











祇園会と『アユ(鮎)』・・・京の夢 江戸の粋 大阪の味

2018年02月04日 20時08分18秒 | 日本の食文化
この南国にも冷たい雪が降りだしました。

週明けも雪が降る予想です。



京都は年間に祇園祭り、葵祭り等伝統がある祭りがあり、

また其のほかにも色々な茶道の家元、寺院の茶事、旧家の茶事等の催し事があります。

其のたびに『茶懐石料理』が提供されます。

その為京都は『茶道』の隆盛と、ともに『茶懐石料理』も重用され、今日至っています。

日本の茶懐石料理はただ単に五官の感覚を満たすだけではなく、

その祭りの歴史的な意義、歴史、書、絵画、茶道、華道、俳句、短歌、

食材の一番の旬、出盛り、出終い等の微妙で、繊細な季節感、

日本の精神、文化等に熟達していなければなりません。

それを理解した上で献立を創作しなければなりません。

その茶懐石料理も殆どが裏千家をはじめ、寺院、

家々の茶事にあわせて出張してその現場で調理され提供されます。

京都には茶懐石料理専門の仕出し料理店が沢山あります。

京都弁の『はんなり』も淑やかで、優しく明るい心を表現した言葉です。

その『はんなりの』心根も茶懐石料理に反映されています。

此の『茶懐石料理』を基本にして

宴会の場では『会席料理』として一般の料理店で提供されます。




祇園会と『アユ(鮎)』


神功皇后が釣りをして戦勝祈願の占いをなされ、

その時アユが釣りあがった故事から『鮎』という漢字が生まれたそうであります。

琵琶湖の北岸に一尾のアユから十万以上の無数の卵がかえり、

その岸で稚魚は育ち、雪やみぞれの降る寒い季節に湖面からすくい上げられ、

『氷魚(ひうお)』と呼ばれ塩茹でにされて京の市場に並べられました。

アユの美味しさが本格的な旬は梅雨明けの七月からであり、

別名『香魚』と呼ばれているアユはこの旬の季節は香りがひと際高く

『タデ酢』でいただく塩焼きは

祇園会の夏の素晴らしい美々なる料理であります。

京都のアユは紆余曲折のある丹後保津川下りの流れが上々のアユで、

アユ桶に泳がせて京に運びました。

『茶懐石料理に変った珍しいごちそうをしようと思ってはなりまへん。

季節の旬の最高の材料を選んで、それを心をこめて調理するのが一番大切なことで、

目先で喜ばす料理は、味がおちますがな、

七月にはアユの塩焼き、

十一月の炉開きは、まながつおの『幽庵焼き』がおいしいにきまっています』と

茶事を開催される麩屋町の主人は変化のある献立ではなく

季節の旬の素材を生かして、簡素に調理することを命題にしていました。

この様にアユ料理ひとつとっても鮎の生まれた稚魚から五月の青年期、六月の解禁期、

そして梅雨明けの七月が香魚にふさわしい香りを放つ時期がアユの一番の出番であります。

このようにアユの一生を理解して献立を創作しなければなりません。

七月が京都の三大祭りである祇園会があります。

香魚に相応しい『アユの塩焼き』の時期が、祇園会が開かれる時期と重なります。

是が『出会の料理』と呼ばれています。

人間知恵で出会わせるのではなく

自然の知恵に遵って、出会うことが茶懐石の真骨頂であります。



私も二十代の頃、祇園街で料理に携わっていました。

京都の町家は天井が低く、門口が狭く奥深いのが特長です。

しかしその奥深い路地に入りますと、その細長い路地を利用して玄関までに

飛び石や植込、生垣で洗練された『露地』が続いています。

京都人の知恵であります。

そして打ち水の習慣があります。

京都では料理よりも九州出身でしたので言葉のアクセントを指摘され、言葉の発音で苦労しました。

特に高級店のカウンター席でのお店で、舞妓さんや京都の実業家の社長さん等が客筋でしたので

京都独特の言葉の言い回し、物腰を身に付けるまで大変でした。



京の夢 江戸の粋 大阪の味




魚を食する場合

魚は殺されるの嫌って逃げる。

逃げるもの追って捕まえて殺して食べることは愛にそむくことであります。

しかしながら自然の調節の問題がある。

魚一尾から何十万という産卵をする、そして稚魚の間は、殺されても痛覚神経が発達していない。

それは私たちの髪の毛や爪などがそうであります。

だからなるべく稚魚のようにあまり大きくならない時に食したらよいのであります。

        
『注』
                  幽庵焼き・・・醤油・酒・味醂(砂糖でもよい)を混合したタレに魚に振り塩をして、
                         二十分程して水洗いして、布巾等でふきあげて塩止めをする。
                         魚と柚子等の柑橘類を輪切りしてパット等の中に漬け込み焼いたもの。







人間の本当の食性

2017年04月20日 21時16分36秒 | 日本の食文化
人間の本当の食性

ミニ菜園にキュウリ、トマト、ミニトマト、ブロッコリー、茄子、サニーレタス、カボチャを
爽やかな五月晴れの日に仲間と植えつけました。
植え付け後に直ぐ帰宅しましたが不思議にもその直後に激しい雨が降ったそうです。
後日会議がありましたのでミニ菜園をのぞきますと、僅か三日間で大きく生長していました。
植物の生長には水が大変重要な要素であることを再認識しました。
若々しい野菜は吾々に初々しい感性と瑞々しい生命の潤いを与えてくれます。

今、旬の山の美味である筍と潮騒の薫りがする若布との出会いの椀物が端午の節句の料理として出されますが、
まだ朝陽があたらない時に生まれ出た初心な筍と海の中に潜っている若布(和布)との出会いを
大自然の一期一会としてとらえ椀の中で一体となる調和の美を日本人は大切にしてきました。
ですから『筍』も穂先部分の香りを失わないように、また『若布』は熱湯の中を潜らせ直ぐ冷水に落とし、
真っ青な緑の色を失わないことが肝要であります。
このように食材の自然の色と薫りを失わないことが日本料理の掟であります。
出来ればだし汁も精進がよろしいです。
さすれば互いの食材の持ち味が出て、調和がとれます。

このように山海の自然の恵みを一皿に大調和せしめるのが日本料理の醍醐味であります。

野菜食を頂きますと健康管理はもちろんですが集中力と直感力が増します。
野菜食をおすすめします。

神は彼らを祝福して言われた。
『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』
神は言われた。
『見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木をすべてをあなたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
                                         
                                           創世記 第一章28、29






 

 

中(みなか)のこころ・・・(日本人の心)

2016年06月03日 21時33分59秒 | 日本の食文化
中(みなか)のこころ・・・(日本人の心)

山間部に住んでいる仲間が明日は朝から水田の『畦つくり』で忙しいので今日帰ると言い私と一緒に宿泊しないで帰ってきました。
山間部から田植えが始まり海辺の地区が最後の田植えになります。
農業の機械化が進んでいるのにもかかわらず、農作業が始まると経済活動、病院通い等が減少します。
以前は一族、親戚、同じ等総出で、田植え、稲刈り等の農作業には共同作業をして、学校も臨時休校になりました。
このような事が地域の連帯感、一体感を養いました。
背景に稲作が古代より日本国の重要な基幹産業でありました。
しかし時代の変遷により、外国から利便性のある食生活の文化が流入しました。
日本は穀物の原型を失わせ製粉にして食する文化は、飛鳥朝以前はあまり普及しませんでした。
そのうどんも飛鳥朝時代にまんじゅう、豆腐等は南北朝時代に中国から入ってきたもので、そうめんも帰化人によって伝承されました。それらは副食に値するものでした。
江戸の粋な心が生んだ『生(き)そば』は発酵を待たず、こねたものを延し、切って直ぐ茹でますが、
うどん、そうめん等は捏ねてからある時間(一晩等)ねせて発酵を待ってから延し、切って茹でます。
このように同じ麺類でも、江戸の『生そば』と、うどん、そうめん、外国のスパゲテイ等とは麺作りの考え方が大きく違います。
これは小麦粉を捏ねて発酵したものを焼いたパンにも言えることであります。
日本は米、麦等は精米して麦飯等のように原型に近い状態で食します。
これは懐石料理にも云えることですが、なるべく素材を捏ねまわさず、素材の純粋なるもの(中心)を顕して素朴な状態で食する考え方が日本古来の思想でありました。
純粋なる中心を大切にして、またその素材を極限まで簡素化した、日本画、浮世絵、生け花等の日本の伝統文化にも云えることでもあります。
これ等はヨーロッパの印象派の画家の人々にも多大な影響を与えました。
フランス料理にも日本の美的感覚は影響を与えました。
現代のフランス料理は日本特有の繊細な美しさに進歩しました。






中心帰一の精神を日本民族の伝統として

身土不二の立場から観るとき、われわれ日本人は、此の日本の国土の生命を享け、国土の生命をもつアイデアに導かれ、それを生活の様式に具体化しつつあるのである。
『中心帰一』という日本国民の本能的傾向は、国土の生命を享け、国土の生命が包有するアイデアがそこに住む国民の生命の傾向としてあらわれたものであって、それが『古事記』の冒頭に『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)』を
宇宙の主神として挙げた国民の思想となってあらわれたし、さらにまた日本国創建の主神として、
太陽系の中心にある太陽の霊にましますところの天照大御神を神話の中に配した思想ともなった。














宗教的精神と茶と僧房料理がコラボレーション(collaboration)した茶懐石

2016年04月06日 21時22分44秒 | 日本の食文化
宗教的精神と茶と僧房料理がコラボレーション(collaboration)した茶懐石

禅僧房の料理より出でて、茶の湯の儀式を定めてこれを完成に域にまで至らせた千利休により
『茶懐石』の様式が整いました。
『茶花』は宗教的の尊敬をもって花を見る、美的センスを目的に心を込めて選択して、
花に慈悲の心もって無闇に必要の度を超えて切り落とさないことを常とする。
茶懐石料理のひと品ひと品の分量は、空間も無限を表す味の一つでありますから十分でなく、
例えばみそ汁(椀盛)の分量にしても椀の六分に止める。
残り四分は心の余韻、趣にあてる。
恵まれない世界への慈悲の心根、また乞食の精神も含まれています。
寂の精神にも通じています。


みそ汁は口をしめらすのみなれば煮物焼物肝心と知れ

                                         裏千家 円能斎宗匠

四季それぞれの風雅の喜び、自然の恵みをさりげなく取り合わせる懐石と器物は尽きせぬ面白さであります。
                                          辻 嘉一 京都の茶懐石料理人

美味即菩提
眞の美味に出会った時は、佛の悟りである。

                           吉川英治
茶室は静寂純潔の世界である。

見渡せば花ももみじもなかりけり
    浦のとやまの秋の夕暮れ

                                    藤原定家


茶は薬用として始まり後飲料となる。・・・・日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。
・・・・茶道の要義は『不完全なものを』崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。
茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。
倫理、宗教と合して、天人の関するわれわれのいっさいの見解を表しているものである。
・・・・宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。
それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、東洋民主義の眞精神を表している。

                                                   茶の本 岡倉天心




















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一菜の葉っぱの屑にも神、佛の生命が輝いている。

2016年04月05日 17時46分47秒 | 日本の食文化
一菜の葉っぱの屑にも神、佛の生命が輝いている。

ある高級料亭で、見習いの者が一切れの豆腐をゴミ箱に捨てたのを調理長から、
その豆腐を捨てたゴミ箱に頭を入れられたそうであります。
君の実家は農業ではないか、
豆腐が出来上がるまでにはどれだけの大豆が必要であるか君は知っているか、
君のお父さん達の苦労で大豆が収穫さているではないかと諭されたそうであります。



またある寺の台所で、夜な夜な、ある僧が何かを美味しそうに食べているのを見当たり、
翌朝、己は皆が寝静まった夜中に隠れて旨いもの食べているのはけしからんと抗議をされ。
その僧は答えて曰、昼間典座係が切り捨てた野菜の屑を煮て食べているのである。




一人の老婆が米のとぎ汁を捨てようとして家の外に出た時に、釈尊に出会い、思わず信心を起し、
なにもさし上げるものは無いですが、この粗末なとぎ汁でも召し上がって下さいと言って、
捨てようとしていた米のとぎ汁を釈尊に供養した。
釈尊は喜んでこれをうけとり、老婆はこの功徳により、生前にはこの上もない福楽をうけ、
来世にはきっと悟りを成就するであろうと云う予言を受けたと云う。




醍醐味の御馳走を作るときにも、それを必ずしも上等とはしてはならない、
また菜っ葉の汁を調理するときにも下となさず、誠実な心、浄心、潔らかな心で、
醍醐味を作るときと同じ心で調理すること。
上等な物、粗末な物と区別して差別してはならない、与えられたものを好き嫌いせず、一味にして食べないとならない。
                                    典座教訓 道元

食事は自分自身の内に宿る神に供え物を献ずる最も尊い儀式である。
食事をとる時にもすべての隣人と仲直りし、自己が過ちておかした罪が神によって許されんがための供え物と思い、
またすべての人の罪が心から許されんがための食事として食べよ。



食物と人間の関係 (共に生かし合いの食生活のために)

2016年04月04日 22時32分08秒 | 日本の食文化
食物と人間の関係(共に生かし合いの食生活のために)

温かくなりますと、爽やかな清涼感あふれる食材に魅かれるます。
不思議にも山菜、野菜、海草、果物等も春夏秋冬の季節に合わせて色づきます。
キュウリ、西瓜の瓜等は夏の汗ばむ時期に合わせ利尿作用に適した野菜のように。
このような季節感にあふれた山海、里の恵みは神より授けて頂いた尊い珍味であります。


殺すものは殺さなければならない、キリストは『剣をとるものは、剣によって滅ぶ』と云う聖言を言っています。





『本来殺生なし』とは現象世界は有ると見えながらも本来無いのである。と云うことを悟ることが必要であります。
蛇が蛙を飲み込む姿は実在していると見えているけれども、
神が創造し給うた実相の世界では蛇が蛙を殺した業もなければ、蛙が蛇に殺された業もないのです。
人間が魚を殺すと思い、魚が殺されると思って食べる時には、そこに殺生の業が発生し、業とは心に鳴りひびくものである。
その業を支えているものは心そのものであり、その業を支えている心が存在する限り、輪廻転生し、
殺生は、次の殺生を生み、それが輪転して、ついには人類相互いに殺生の一大業を生むことになるのです。
その故に現象世界は本来無いのであると覚るまでは、生き物を殺し、また捕獲して食べない方が好いのです。
弘法大師と山伏の問答で山伏が坊主でありながら猪の肉を食べたと弘法大師を非難しますが、
弘法大師は報謝の供養の心は食べたが猪の肉は食べてはいないと言ったそうであります。・・・・・
悟らないでそのようなことはすることは殺生の業を輪転することになるからであります。
殺生の業はつぎの殺生の業を生む、人間が殺生して命を保つかぎり、人類同士の殺し合いも尽きることがない。
戦争の根本原因は此処にあるのです。
ただ習慣で生き物を食べるので、凄惨な気持が起こらないであります。
これは殺生した意識が希薄であるからです。だから殺生の肯定が起こるのです。
目の前で生き物が死んでいく姿には誰しも慈悲の心が起きるものなのです。
知らないで犯した罪が、知って犯した罪より、その受ける被害、業、が大きいように、
凄惨な気持が希薄なのは殺生の業の意識も希薄なのであります。
それ故に殺生の業を強引に肯定するのです。
釈迦は、自ら殺さずして、布施し、供養をされた肉食はこれを受けてもよしとしました。
それは受けても好いと意味であります。積極的に強制し、仕向けてはいけないのであります。
儲けるための、獣鳥魚肉は、利己心のために殺生を肯定したものであるからけがれた殺生であります。
しかし漁師が生計のため、やむえず魚等を捕獲するのは生活のためにゆるされるのです。
生命(いのち)は聖霊であるから聖霊を翻弄して殺すことは赦されないことであります。
しかし純粋に愛の心、報恩感謝の心、布施心で供養された肉食は、これらの心で浄められているので浄食である。
植物、米、穀物、野菜も生きているので、それを収穫して、殺してしまうのは残虐な殺生であると云う考えをする人があります。
例えば吾々人間の髪の毛等なども切らない間は生きているが、切り取った時死ぬのです。
これらは身なりを整えるために、喜んで髪を適度に調えるのです。
また髪を切り取った時苦痛を感じないのです。
ミカンが熟すと鳥が啄ばむます。
放っておくと地面に落下してしまいます。
果樹は鳥に食べられても悲鳴を上げる等の苦痛を感じません。
このように野菜、穀物、果樹等の植物は食べられるように喜んで、自ら夫々の個性ある色づきをして表現します。
日本にも、追うと逃げさりるような生類は避けて、痛覚がない植物、米、穀物、野菜、山菜、海草等の食材で頂く
精進料理の歴史が連綿として今に続いています。
このように食して喜び、食べられて喜ばれる生かし合いの食材での食生活をお進めします。


















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白菜の出盛り・・・・・和啓静寂の精神を旨とした日本料理

2015年12月18日 22時17分59秒 | 日本の食文化
白菜の出盛り

今新鮮な白菜が市場に沢山出回っています。
十一月頃が旬で、この一二月迄が柔らかい白菜が美味しく食べられる時期です。
年が明けると段々と硬く薹が立ちます。
和啓静寂の精神を旨とした日本料理の基本になっている茶懐石の向付、椀物、焼物、煮物、八寸などがありますが、
鍋物の旬(材料の美味磁味なるは十日間)は十一月から一二月迄が白菜、春菊、椎茸、松茸、アラ(クエ)、寒鰤、青魚、橙(ダイダイ)、紅葉おろし(大根・赤唐辛子)、柚子、アサツキ(冬の小ネギ)等があり、
また日本の豊かな水と此の山海の珍味が一同に出会い、
見事な色彩、香りと調和が演じられ、楽しく、美しく、気持よく、和やかにの『もてなしの心』が広がります。
またその食事作法も我国独特のものであります。
調味料過剰を避け、個々の材料の美味磁味の繊細な持ち味を生かし、またその材料を引き立てて調理する。
いたずらに細工、工夫に弄しない。あくまでも素朴に材料を調理する。
しかし今は一年中白菜が食べられるようになり、その調理もあまりにも人間的工夫に走り過ぎ素朴さがなくなりました。
このように野菜も『旬』と『出盛り』と『出終い』との区別が解らないようになり、
日本料理の繊細な季節感、色合い、素朴な味わい方が無くなり、濃厚で多彩な調味料が出現して、
本来の繊細な材料の美味磁味なるものが失われてきました。
やはりこれも合理主義の表れでしょうか。日本人特有の内に秘めた心の情感、派手な色を避けて、
大自然の色を大切にして来た色彩感覚、繊細な言葉の表現などが段々失われて来ているように思えて残念であります。
この様な中で今、外国の皆さん方が日本料理の繊細な季節感、色彩感覚、健康にも優しい、素朴な味わい方をよく理解され、
『和食』が世界遺産に登録され日本の美しい文化が、世界の人々に愛されいることに感慨深い気持ちで一杯です。 






吾ら食事をとるに当たって先ず兄弟と仲直りしなければならない。
何故なら食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式であるからである。
食物をただの食物の物質の栄養分であると思う人にはそれだけしか自分に受取れないけれども、
食物を神の恵みと観、霊的実在として観るとき、それ以上のものを受取ることが出来るのであります。
人間自身が『神の子』なる『聖霊』であってその『聖霊』が神の恵みを供養され献上される、
その荘厳極まりなき行事がお食事である。こう思って食せよ。





                                                                                                                                                                           

柿に魅せられて

2015年11月02日 22時48分36秒 | 日本の食文化
柿に魅せられて





木枯らしが吹く季節になり、ふる里の福岡産、甘柿が並んでいました。毎年この季節になりますと不思議にも柿に惹かれます。父が大好きであったことも関係しているのかなと思います。父は博多出身の日本料理の調理師でした。
今は王位を譲られたオランダのベアトリック王女が国賓として長崎花月で食事を為された時、父が調理長をしていました。その父が柿の味を出すのが一番難しいと言っていました。柿を使っての料理の事と思いますが、その当時はよく意味が解りませんでした。日本料理の事をよく教えて頂きました。茶懐石料理、精進料理、スッポン、どじょう等の川魚料理、
神社料理の約束事、ニワトリのように葉菜等は生で食さない事、必ず火を通す事、例えばキュウリを塩揉みして沸騰した
湯に落とし、直ぐ冷水浸し、美しい緑色を無くさない事、清らかな水で野菜の灰汁を抜く事、素材の色を失わないように調理する事、舌の味より、舌では味わえない、柚子、松茸等の、季節感溢れた香りを食べて頂く事、原色を避け、
日本独特の中間色の控えめな色合いを出し、日本画のように絵心を大切にして、『心』『目』で感じる豊かな色彩を優先して調理して、盛り付けをする事、入れ歯で硬いものが食べられ時にはその人が食べられるよう思いやり、工夫をする事、
最も大切な事は日本の四季の移り変わりを予感させ、同じ食材でも旬の時と出盛りの時、出終い(名残り)の時の視点を
見分けて料理をする事、甘いものは甘く、酸っぱいものは酸っぱく、メリハリの利いた味付けをして、一品、一品の個性も大切にしながらも全体の献立の流れを意識して料理をする事、部分よりも全体の調和がより大切である。
山で採れたもの、里で採れたもの、海で採れたものの出会いを大切にして、三品、五品等、奇数で一皿に盛り付ける事、皿に盛る時も、毎員電車のように盛るのでなく、皿の空間を大切にする事、大自然の様に山の如く高く、川のように流れ、海のようにおおらかに盛り付ける事、包丁の先一寸を良く研ぐ事、切るのか、千切るのか解らないような包丁の切れあじでは、如何にもならない。魚、野菜等を切るときは息を止め一太刀で切る事、また切った後、艶がでないといけない、煮るときはご飯を炊くとき同じであり、火加減が最も重要である。揚げ物の油を焦がさないように揚げる事、揚げた後の油を綿で漉して油のいのちを大切する事、ネギの穂先を捨てないで全ての素材を使い切る、道具をよく磨く事等、数え切れない程、沢山の事を教わりました。
有り難いことでした。
柿の思いでは父の思い出であり、また姉の思い出にもつながっているようでもあります。
若い時は舞妓さんで賑あう京都の祇園で働き、父には心配をかけましたが今は総合病院で畑違いの仕事をしています。
父も姉も草葉の陰で読んでいるのではないかと思えます。









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日本料理(懐石料理)の素晴らしさ

2013年09月30日 20時32分50秒 | 日本の食文化
日本料理は森林と渓谷を経た福与かな水と火を使用し、美しい四季の彩り、希望、薫りを懐かせ、大自然の世界が心深く染み入りワクワクします。 例えば秋の季節に既に初冬の季節を予感させる夢が広がる食彩。 単品の栄養価の組み合わせでは無く、その季節、その土地、山、海、風土で恵まれた食材を出会わせた陰陽叶った一品料理、例えば竹の子の季節に海の恵み若芽、山の恵み木の芽を出会わせた若竹のお吸い物等。 それも竹のようにスクスク育って欲しいとの願いが込められた心と眼で見る謙虚な色彩、山の香りが広がる木の芽の薫り、噛み切る必要もなく、口内に漂う爽やかな味と体温に即した程よい、温もりの咽こしが広がる静寂さ。 人間と大自然を調和に導く『結びの心』を大切にする日本料理。

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自然と共に生きる事について

2013年09月25日 19時28分45秒 | 日本の食文化

 

古来より身近に存在する豊かな山の幸、里の幸、海の幸を神様の尊い恵みとして大切に取り扱い、美しい大自然と共に生きて来ました。<o:p></o:p>

 

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近年、大自然との関わりが希薄になり、人間を中心にした物質求める生活に変わってきました。<o:p></o:p>

 

今回の地震に遭った原子力発電所のように人間の過信から自然界と人間界に悲惨にも有害な放射能が大量に汚染しました。<o:p></o:p>

 

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自然から人間、人間から自然へと互いに循環していた生活から、目の前の安易な利便性の追求、人間中心の合理的な生活に甘んじてきました。<o:p></o:p>

 

慈しみに充ちた、大自然の神秘なる四季との出会いを尊び感謝し、清らかな水、山菜、五穀、野菜、魚等の自然の恵み使った素朴で謙虚な日本の料理から、肉、油、化学物質の添加物が入った食品を多用した料理へと変化し、また石ケンから合成洗剤の使用等と人間界から自然界へのリサイクルが困難な生活スタイルが定着しました<o:p></o:p>

 

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ソローが“ウォールデン森の生活”で体験した、有機肥料をも廃した自然農法のように大自然の気高さを尊び、自然と共に生きる事を学び、自然の恩恵に感謝して、その恩恵に報いる為に自然の再生、保全に努めることが求められています。

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若竹のお吸い物

2012年03月24日 19時33分07秒 | 日本の食文化

海の幸の若布、山の幸の竹の子との出会いの季節となり

若布の如く真緑でお椀の底まで透きとおり、

永遠の青竹が大空に真直ぐに伸びていくように、

実直にいついつまでも初々しく育ってほしいとの願いから、

この季節から5月5日の節句の料理とし受け継がれてきました。

このように日本の料理は月々の節目を節句として捉え、穢れを祓い晴れの日として

崇めてきました。

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