夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

相対の中の絶対、空虚の中の実体、不均衡の中の均衡・・・・・岡倉天心

2017年12月31日 12時56分06秒 | コラム・人文
今年一年、拙いブログを読んで頂きありがとうございました。

心より篤くお礼申し上げます。

平成最後の年である来年が皆様にとって

愛深く、祝福された、明るき、

幸いに満ちた年であることをお祈り申し上げます。

今日は今年最後の晦日である『大晦日』です。

以前は大変賑やかで、皆新しい年を迎えるのに駆け廻っていました。

蕎麦屋さんも一年で一番繁忙時でした。

合理的な信仰(考え)により、また時代の変遷により、

新しきものを吸収する代わりに『良き文化』も次第に忘れ去られようとしています。


今年最後の大晦日に

日本文化、文明論を外国に英文で紹介した岡倉天心先生の言葉を紹介します。


一椀の茶を前にしてこれこそ人生に美と調和と和楽とを授ける秘法であるという。

茶は薬用として始まり後飲料となる。・・・・・

十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道まで進めた。

茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、

純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。

茶道の要儀は『不完全なもの』を崇拝するにある。

いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、

何か可能なものを成就しょうとするやさしい企てであるから。

茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。・・・・・

宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。・・・・・

それはあらゆるこの道の信者を趣味上の貴族にして、

東洋民主主義の真精神を表している。


                             
 
         茶の本 岡倉天心(本名岡倉覚三) 
              
         『The Book of Tea』 1906年 フォックス・ダフィールド社(ニューヨーク)『茶の本』として英文で出版された。



                    

                  
              

            


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生命の輝き

2017年12月30日 11時57分58秒 | 誌編
生命の輝き

生きとし生けるもの

有りとしあらゆるものを

いだき、育み給う、森よ

青い、青い、地球よ

広大無辺なる宇宙よ

ありがとうございます。

神の無限の愛、

神の無限の生命、

神の無限の癒しが

すべての生きとしいけるもの

有りとしあらゆるものに

裕かに流れ入り給いて

天国となり、

荘厳極まりなき世界が今開く。

美しく、浄らかで、健やかで

豊かな緑に溢れた森と

瑞々しい妙なる地球と

夜空にキラメク宇宙が

光明燦然と輝き給う。

花咲く森よありがとうございます。

愛の満る地球よありがとうございます。

天樂が作り響く宇宙よありがとうございます。




遠くは東京、福岡等の子供、孫達の帰省が始まりました。

お互いに元気な姿を映し合い、それぞれの気持ちが合い通じ合いました。

やはり親しく身近に話し、相合うことで深く愛の絆で結ばれことになり、

互いに明日への希望、勇気、元気さに繋がるようであります。



私たちは常に

『大いなる夢』を描くのである。

『大いなる夢の翼』をひろげて、

神の大宇宙を天翔るのである。



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無老死亦無老死盡(むろうしやくむろうしじん)・・・老病死が無いことであると『摩詞般若波羅蜜多心経』に示されている。

2017年12月29日 20時04分48秒 | 日記・エッセイ
知人の処に年末のご挨拶にお伺いしました。

丁度リハビリから帰宅されるところでした。

しばらく部屋で話をしていますと体全体のオーラーに張りがあり、

だいぶん回復して元気になられていました。

衝撃的な体験をすると心が退行して、

純真な幼い子供心が垣間見られます。

車椅子に乗り、奥様とご一緒に玄関まで来られ御見送りをして頂きました。

一歩一歩ご精進なされているお姿が美しく、

また純粋なお心が爽やかでありました。

精進とは毎日、日々、精魂をつめて進んでゆくという事ですね。

毎日、一歩でも我々は向上し、

進歩してゆくようにつとめるのが、

本当の精進です。




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暗示感応現象&超暗示感応現象・・・(運が良い人は、なす事やる事すべて良い結果になります)

2017年12月28日 22時04分05秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
今晩、秋田の娘から電話があり、

旦那が『長崎名物の福砂屋のカステラ』を食べたいと思っていたところに

丁度そのカステラが届いてビックリしたそうです。

不思議なことですね!

贈る人の想いと贈られる人の思いは見事に感応するのですね!

人間の潜在意識は宇宙的意識ですね!

『暗示感応現象&超暗示感応現象』

これは術者が被術者に与えるとこの暗示が感応して、

暗示の通りに被術者が行動し、或いはその血行が変化し、或いは雄弁になったり、

嗜好が変化したり、消化不良が治ったりするのである。

潜在意識では主観念は自己の自由選択の意思を有せず、

ただ受動的に与えられたる暗示の通りに活動し、

または創化作用を営むのである。

催眠状態がいよいよ深くなると、

カラクリを見破り暗示に感応しなくなる現象が起こってきます。

浅い催眠状態では『ナスビ』を与えてこれは美味しい『バナナ』であると申し渡してから、

それを与えますと美味しそうに食べます。

それがもっと深い催眠状態になりますと催眠者は眼を閉じていながらも、

それを透視してナスビだと言い出すのです。

また隣の部屋に行って何があるのか見てきなさいと言いますと、

隣の部屋に行っている様子だけを見せて、

この場所で、隣の物品を言い当てるのです。



このように深い潜在意識に沈潜すると透視現象が起きるのです。

これは誰にも起き得る現象です。

胸騒ぎがして、連絡してみるとそれが当たっている場合があります。

運が良い人はなす事やる事すべて良い結果になります。

これも超暗示感応現象であります。





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一陽来春・・・・・陰きわまれば陽転ずるのであります。

2017年12月27日 17時12分42秒 | 日記・エッセイ
門松がたてられ、いよいよ新しい年が間じかに迫ってきました。

来年は平成最後の年。元号が掲載されているカレンダーも滅多に見られません。

西暦ですと何かとデジタル的であり、

丁度時計のカレンダーが何事も無かったように日付が変るようで趣が感じられません。

しかし明治、大正、昭和、平成と元号が変るたびに

それぞれの時代が生き生きと鮮明に感じられます。不思議ですね!

このように不思議さを観じることが少なくなり、

日々を繊細に味わい深く感じとることが困難な時代に為りつつあります。

周りの生活や人事や物事が先鋭かされ、何事も刃物で鋭くえぐり取られ、荒々しい状態となり

善の為に相争うのが 『良し』とされる時代のようであります。

もっと穏やかに、円やかに、寛容的であり、調和に満ちた世界が、

柳が揺れるが如く微風にのって私たちの肌を温め、慰め、

その温かい愛でみんな仲良く暮らせる世界が実現せられんことを望みます。


『調和の霊感』のように爽やかに生きよう!
                          
                        アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi)

無明が消えたとき、

光明があらわれてまいります。

一陽来春であります。

陰きわまれば陽転ずるのであります。


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森の花は最も麗しく匂い、月光は一段と清く湖底に澄みとおる。 喜びと悲しみは自然を最も美しく照らし出す光である・・・ソロ―

2017年12月26日 20時54分21秒 | 自然の育み・環境
薄暗い夕暮れに鴨の群れが頭上を飛び去る。

あーそうだ11月からは狩猟解禁だ!

20代に父と一緒に英国ポインター犬を引き連れ、

上下の二連銃をもって狩猟に行っていた頃を思い出しました。

父が山に狩猟に行くための車の運転手でした。

行ったことない山道を走り周りました。

私が撃つ弾は不思議なことに至近距離でも殆ど当たりませんでした。

父から笑われていました。

しかし暗い夜明け前の朝早くから、山に入りますと白々とした山陰から朝陽が昇りはじめ、

山々にケーンケーンと雉の鳴き声が響き渡ります。

足元はまだ夜露で濡れ、猟銃を抱えた手は凍えその中をスマートな英国ポインターが

鼻をクンクンしながら藪の中を歩き周ります。

朝陽のあたる山肌の空間に鳥が土浴びした跡があり、また優雅な長い尾をたなびかせ、

深山の谷間を舞い下る山鳥、チョトコイ、チョトコイと鳴き、藪のなかで仲良く集団で暮らす可愛いコジュウケイ、

山々にヒッソリ咲いている小さな可憐な花々。

獣道をかき分け、谷間の岩山を歩き、流れるせせらぎで靴を洗い、

その透きとおる小さな水溜りで沢蟹が急いで身を隠す。

このような経験で山々の美しい清々しさを知り、鳥、動物たちの生き生きとした生態を知り、

大自然を身近に知る機縁を父から教わりました。



自然のいいあらわしがたい無邪気な恩恵、―太陽、風、雨、夏、冬のそれ、。

かれらはあのような健康、あのようなよろこびを永遠にあたえてくれる!

そしてかれらはわれわれ人類に対して限りない同情をつねに寄せていて、

だれか一人がもっともな理由のために愁えるならば、すべての自然はそれに感動して、

太陽のかがやきは消え、風は同情の溜息をし、雲は涙を雨ふらせ、森は真夏にも葉を落として喪服をつけるであろう。

わたしは大地と交通しないでいられようか?

そしてわたし自身もある程度まで木の葉であり腐蝕土ではなかろうか?


           Wslden, or Life in the Woods(ウォ―ルデン森の生活)
                           Henry David Thoreau(ソロ―)


朝の清涼な心をコヒーや茶で不純にせず、飲酒喫煙せず、肉食をさけて米や粗末なパンや木の実を好んで食べ、

恋愛もせず、家庭ももたず清純な感覚をもって自然と人生の真趣を味わい暮らしたソロ―。

エマソンとともにコンコードの哲人とよばれ、またインドのガンジーにも多大な影響を与えたソロー。














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生命の無数の盃の中に、ただ一杯のみ本当に完全なるコクテル(美味しい飲み物)がある・・・エマソン

2017年12月25日 22時43分48秒 | 日記・エッセイ
今宵は奥様が書きとめた六十程の俳句の編集のお手伝いです。

句を編集している間に、私には持ち合わせていない

煌く言葉の感性があり、

私の魂を揺さぶり、

亦驚くような言葉の使い方をします。

人にはそれぞれ、その人だけが持ち合わせている

独特の素晴らしい言葉を内に秘めていることに改めて感嘆させられました。




教養ある人格とは、その学識と知能と、愛や理解や同情や寛大さやその他あらゆる人格的要素が

円満にバランスされている人格であることを要するのである。

かかる人格こそ真に『人間』と称することを得るのである。

多くの青年が中途にして道を見失い、挫折し、失脚するのは、

青年気鋭、あまりにも全体を見渡す余裕がなく、

偏った一方のみを正しいとして見て

偏見一路、歪んだ方向に邁進するからである。




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神の人類愛へ 『おのれに背くもの』・・・人間の自己破壊性、死への願望。

2017年12月24日 10時19分16秒 | コラム・人文

愛は憎しみを知らない。

愛は失望しない。

愛は愛する対象が美しいことを必要としない。

愛は神の愛が此処にあらわれたものである。



世界各地の少数民族の存在が危ぶまれています。

またその中で弱者である幼い子供達が犠牲になっています。

強者が弱者を排除する心が根強く存在しているからなのでしょう。

違った視点では深い潜在意識の底では、強者が弱者を恐れているからでしょう。

強者が弱者を恐れるとは不思議ですね!

人間の深い意識の底で何が起こっているのでしょう。


死を恐れている人が自殺する。

自己をいじめることに快感を伴う、

失敗せんがために、成功の一歩手前で自らの手で失敗の道へと導く。

失敗の意思の虜、己れを破壊せんとする衝動。

『フロイドがいった人間の自己破壊性、死への願望』。

フロイドは言った『知性の声は低い、だが、それは強力である。』


カールメニンジャーは此のことを『おのれに背くもの』と言いました。



メニンジャーは知性をもって死に対抗せんとする人々に ― 

おのれを増悪に売り渡そうとする盲目の衝動を、

輝く『愛』に置き換えるために。

われわれは今こそ、勇敢に己れの内部に知性の光りをさしむけ、

内奥に潜む盲目の衝動から己れを開放し、

心の自由と独立と平衡をとりもどさねばならない。

これこそが、真の人間の開放であり、人間性の再建であり、

世界と人類を戦争の破壊から救う唯一の確かな道なのである。



         
               


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大御心

2017年12月23日 11時18分08秒 | 日記・エッセイ
今日は天皇誕生日、今上天皇陛下の大愛に満ちたお言葉に接する時、

大変有り難く、この上のなく幸せであり、豊な気持ちを懐きます。

平和な此処、大御心を頂く日本国にいることに感謝の心でいっぱいであります。



憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、


天皇の勤めを果たしていきたいと思います。


国民の幸福を念じられた昭和天皇を始めとする古くからの天皇のことに


思い致すとともに、現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたいと思っております。

平成元年八月四日  宮殿 御即位にあたっての記者会見から


ありし日のみ顔まぶたに浮かべつつ暗きあらきの宮にはべりぬ
                   
平成元年 殯宮祇候


今の世の国の基の築かれし明治の御代を尊みしのぶ
                    

平成二年 明治神宮例祭にて


いにしへの人も守り来し日の本の森の栄えを共に願はむ

                    
平成三年歌会初御題  森


人々の年月かけて作り来しなりあいの地に灰厚く積む
                     


平成三年雲仙岳噴火


いにしえの我が国人(くにびと)の踏みし地を千年を越えて我ら(おとな)ふ



平成四年 西安


 


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逞しき木立

2017年12月22日 18時15分57秒 | 誌編
半日で早退し、研修会の後、母校の近くを散策しました。

久遠の今

雲の上に青空が広がり、

関の流れが清く澄みきり、

魅せられる黄葉が、秘かに流れ去る。

せせらぎに、真砂がキラキラと映り、

ひと時がひと際美しく感ぜられる。

青春時代に木立の間を歩いた道、

見上げるともう遥か青空に届く木立

久遠の今を生きる汝は逞しきかな。



仏典を論ずると佛教を悟るとは異う

言葉、語学にこだわり過ぎて、

この文字は梵語では本来何を意味するのだなということを考証するほど、

およそ『さとり』に遠いものはないのである。

マタイにしても、マルコにしても、ルカにしても、ヨハネにしてもキリストの言った言葉を、

あんなに力づよく聖書の中に表現し得たのは、

キリストの言った言葉をただ頭で覚えていただけでは出来得なかったに違いない。

それを完全になし得たのはマタイも、マルコも、ルカも、ヨハネも

『久遠を流るるいのちに』に触れていたからである。









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神は、常に何時いかなる時にも、如何なる場所でも、吾等を生かし、吾等を導き、守り給う。

2017年12月21日 20時34分24秒 | 日記・エッセイ
吉祥寺で働いている次男から久しぶりに電話がありました。

自転車から降りたばかりなのでしょう!

電話の向こうからしろい息づかいが伝わり、元気な様子が伺え安心しました。

年末、共に帰省する兄弟達のことを話していましたが、

色々な事情で上京した人々は、長年東京暮らしをしている間に、

振り返ると父母、親戚、縁者との縁が薄れ、帰るにも帰る処が無い人が多いそうです。

東京のビルの谷間に、まさに生きている間に無縁仏になっている人のことを思うと胸が痛みます。

この人たちに神の愛が満ち満ちることを祈ります。


疲れたもの、重荷を負う者は、

だれでもわたしのもとに来なさい。

休ませてあげよう。

わたしは柔和で謙遜な者だから、

わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

                                    マタイによる福音書 28~30

われは周囲に何事が起こって来ようとも思い煩うことはないのである。

何故なら、それは神に知恵に導かれていて万事がよくなるほか致し方がないからである。













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あらゆる種類の不幸は恩人である。

2017年12月20日 23時16分23秒 | 日記・エッセイ
今日部下と共に宴会に参加して、

その部下を見ると今までとは違う素直な清清しい雰囲気が感じられる。

この様に場所が変ると違う顔がのぞく、

今までとは違った環境で違う生活をすると今までとは違った自分を発見することが出来る。

体の動きでも、今での習慣とは違う動きをすると今まであまり使ったことの無い筋肉を動かすことになります。

今まで苦手なものにも兆戦してみると、以外にも出来るものであり隠れた才能を発見することにもつながります

エマソンが自分の欠点、病気、罪、貧乏などあらゆる種類の不幸は恩人であることがわかるときが来ると言っています。

却って長所の方を警戒せよとも言っています。


『家貧にして素食を弁じ難し』

吾々は余り裕かな環境に育っておりますと、

本当は仏に取りまかれていながら仏が分からないようになるのです。

乏しい環境にいると、

水一滴でも『ああ美味しい!と言うほどの味がするのです。


 



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娑婆世界の幻

2017年12月18日 23時52分19秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
前日の日曜日に、知人を通して土地購入のことで相談があり、知人と現地に行きました。

購入者が契約も済みその土地に入ろうとすると、

見えない力で入れないそうであります。

神社の直ぐ側の土地でした、元々は神社の敷地ではないのではないですかと問います

とハイそうですと答えられました。

神社も明治以前はお寺だったそうであります。

現在は庭園が国指定の史跡になっています。

案内されて3人で細長い長屋の奥まで入り、出てこようとすると出口の付近で確かに違和感があり、

嘆きと涙がこみ上げてくるような悲しみをうけました。

購入者の方に感じたことと今後のことを説明して差し上げました。

世の中には色々な事情があり、色々な人生があり、

そのようなことが万華鏡のように煌いているのが、私たちの娑婆世界であります。

しかしこのような娑婆世界は『夢』『幻』であり本来無いのであります。


即身成仏

執着がなくなり心が砕け解けると

心が自由自在になり大宇宙と一如になる。

此のことが成仏である。

悟りの世界に時間、空間は無い、

故に此の身、此のままで成仏するのである。

それ無上菩提(仏の悟り)の心を発せんと欲(おも)わば

先ず深心を以って仏の法身を観ぜよ。

『阿字』を観ずるのは仏の法身を観ずるのであります。

観ることは見(あらわ)すことであり、

自身の心が『仏の法身』になることである。

妙々なる本来の仏を成就するには『思念』と『観』が必要である。

自分の身体が、このまま法界遍満の毘盧遮佛の身である、

同時にその加持身たる普賢菩薩、観世音菩薩の身であるとわかるのが『即身成仏』なのであります。



 





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新しき生命・・・(私たちの生命の最も深いところには、神の心が宿っているのである)

2017年12月17日 14時09分06秒 | 日記・エッセイ
最低気温が-1℃の秋田に嫁いだ四女から来年8月に出産するという喜びの連絡がありました。

娘の困難を乗り越えての生命誕生の喜びに、

心から祝福を贈りたいと思います。

13人目の孫です。

やはり嬉しいですね!

生命誕生は厳粛でまた慶びに溢れた瞬間であります。

また私達が無時間、無空間の世界からこの世に生まれ出でた出発点であります。

この生命の神秘さ、荘厳さ、慶び、感激を皆さんも感じられたと思います。

この神秘さと荘厳と感激と慶びとを何時如何なる時にも常に心に把持して行くことが、

子供の教育の原点だと思われ、また私達の人生の糧にもなります。


聖愛

『愛』は美しき花びらの如く人生を飾るのである。

私はすべての人に、

すべての時に、

あらゆる所において、

愛の資産を行使する。

それゆえに、私の行くところ常に天国浄土とならざるを得ないのである。














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世界の環境の多様性を保全するために

2017年12月16日 17時01分56秒 | 自然の育み・環境
私達が知ることも出来ない、見えない所で、花々や植物、生物の在来種と外来種が入り混じり

その中で在来種が淘汰され絶滅危惧種が増え、保護種に指定されている数が増えています。

それは日本人の欧米化が進み、万葉集等に登場する古い時代から在来種の

美しい花鳥、風月、植物、生物を愛で、小さな雑草まで植物の種類に名を冠けている

細やかな日本の精神を見失い、無節操に外国の花々や植物、生物に惹かれた結果なのでしょう。

イエスキリストの言葉に『汝の隣人を愛せよ』とありますが

まず身近に与えられている身近な在来種の植物を知り、愛でることが大切な事と思えます。

その上で世界の其々の地域で外来種の様々な花々、植物、生物が

其々の地域に置かれた場所で調和が取れているか否かを知り、愛でることが必要であります。

それが真の意味での『世界の環境の多様性』を保全する事に繫がると思います。

愛でることも実用化することにも秩序と調和が大切であり、

それを実現するには知恵と叡智が必要であります。

梅の花咲きて散りぬと人はいえどもわが標結(しめゆ)ひし枝ならめやも

                      万葉集400大伴坂上郎女(おおともさかのうえのいらつめ)
               
君が代も和が代も知るや磐代の岡の草根をいざ結びて

                      万葉集 10 中皇命(なかつすめらみこと)・・・間人皇后

冬ごもり 春さえ來れば 
鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 
咲かざりし 花も咲けれども 
山も茂み 入りても取らず 
草深み 取りても見ず 
秋山の 木の葉を見ては、黄葉(もみじば)をば
取りてそしのう 青きをば 置きて嘆く そこし恨めし 秋山われは

                       万葉集 16 額田王

鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮かべる心わが思はなくに

                       万葉集 711 丹波大女娘子(たにはおほめをとめ)








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