夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

常に善き想いを把持して善き言葉を語れ。・・・・・一瞬の念(おもい)でも、善きにせよ、悪しきにせよ心の奥底に蓄積され、時間の経過を経て思った通りの世界が実現する。

2019年07月08日 20時24分11秒 | 旅行記
午後から年休をとって島原外港の近くに出講に出向き、

時間に余裕があったので途中小さな港に立ち寄りました。

坂本竜馬、勝海舟以下50人程の一行が神戸港を出発して九州を横断し、

この小さな港に上陸して島原街道、長崎街道を経て長崎に行ったことを知り意外でした。

その歴史の地に立ち海を眺めていると

年月の変遷を超えて坂本竜馬以下50人程の一行の思いと勇雄さが感じら、

歴史は時間を超えて今此処に生きていることを肌で学びました。



汝の運命を征服する武器は念(こころ)である。


汝もし人または団体に対して致命的な考えをもつならば、

汝は引き金をひかなくても相手に手傷を負わすのである。・・・カーライル



一瞬間、心をかすめてた念(こころ)は

一つの波動(コトバ)であり、

宇宙の一切は波動で出来ているものであるから、

一度吾々が或る念を心に思い浮かべたなら、

それは一つの創造力の種となり、

いつかはその種は発芽して吾々の生活上に力を及ぼすし、

人類全体の上に広がって愈々大きな力をふるう創造者となるのである。





泣き言をいうことを止めよ。泣き言は泣き事を呼ぶ。




すべての心の動きは、その人の顔に印象される。




想像の苦痛は、現実の苦痛よりも耐えがたい。










鳥の一声・・・・・其処に慈しみが芽生える

2018年01月02日 21時47分18秒 | 旅行記
鳥の一声

瞑想中に庭の鳥のさえずりが

意識の中に飛びこんで来た。

鳥のさえずりが我が意識となり、

さえずりと意識が一体となる。

其処に慈しみが芽生える。



四社目の神社巡りです。

後一社で五社になります。

今月中に目標を達成したいと願っています。


干潟の有明海を右手に見て走ることやく一時間で鹿島市に入り、

それからお目当ての祐徳稲荷神社まで20Kの渋滞でした。

日本三大稲荷神社の『祐徳稲荷神社』は正月、初午の例祭の時には

九州各地から参拝者が訪れますので大変混雑します。

我が家の神棚にも祖母が五十五年程前に祐徳稲荷神社から

御霊分けを授けて頂きその御神霊を祀っています。

本家も敷地内の庭に屋敷神として稲荷大神を先祖代々お祀りしています。

併せて名島の『神宮ヶ峰』の名島神社に神功皇后が三韓出征の戦勝祈願の為に

勧請したと云われている比売神『宗像大社の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)』である名島弁財天を祀っています。

朝鮮出兵の折、豊臣秀吉、淀君も参拝されていいます。

足元の海岸には神功皇后の凱旋時の船の帆柱といわれている化石が国宝として保存されています。

昭和十四年五月に谷口雅春先生、輝子先生とご一緒に帆柱の前に立たれたことがあります。

祖母への感謝とお礼の為にお参りをさせて頂いています。


静かに座して、自己が神の子であると云うこと、

神の造り給うた実相はすべて完全であることを念ずるが好いのである。

真理は静けさの中に、幽かなる魂のささやきの中に、

かすかに聞こえる幽玄のひびきとして魂の底から汲み出されるのである。











全ての者をゆるせ

2015年11月22日 22時25分07秒 | 旅行記
全ての者をゆるせ

昼は生誕記念のお祭りで本山に行きました。
夜は出講でした。

今日の講話次のようなお話をしました。

自然は神様から賜わったものであり人類はそれを尊び、敬わなければならない。

全ての者をゆるせ

愛と赦しと平和の思念はすべての癒しに必要なる要件である。



現象の消極的な悪いところは見つめないで、人間が神の子であること、美しいこと、健康であること、老いない、死なない事のみを賛美して歌を歌えば好いだけである。
神は一切のものを『想う』という方法によって創造せられたのである。
わたしたちも心で『想う』という方法によってものをつくり、よき運命を作り出すことが出来るのである。
だから、あなた常に善き事のみを想って善き事のみを此の世に作って幸福におなりなさい。




世界の民族の使命は異なる

神がある土地に或る民族を生み出して国を建てさせた以上、その民族には使命がある。
それぞれの民族は、神から与えられたところのおのおの一つの独立した個性と使命をもっている。
すべての民族は神様から特徴あるところの個性を与えられ、特殊ある文化を創造し、各々異なる美しさというものを夫々の国に顕わしてゆくことが神様から与えられた人類の使命である。
この様な事を尊重してグローバル化を計らないと、民族同士の対立や、不信感を招き、それがエスカレートして憎悪と化して混迷が生じて世界が混乱し、平和を損ねてしまいます。




桜満開の団体参拝練成会

2015年03月30日 20時16分53秒 | 旅行記
透きとおる清楚な花を背に、
足元に広がる小さな小さな若根の草を、
蟹の横這いのように追い求め、
麦わら帽子の向こうに聞こえる
ありがとうございます。ありがとうございます。
のウグイス娘の声援をうけ
若根をかき寄せ、かき寄せ、歩く足の心もとなさよ。
御縁にふれた幾歳のご恩を感じ、
その御恩に報いられないわが身を思い、
空手にして郷に帰るときに、掌(てのひら)の上に
『無限』が載るのである。』 とのお言葉を胸に刻み、
自分のああしたい、こうなりたいと云う一切の思いを
いっぺん捨てて、再び魂の郷(ふるさと)である
神様の温かい御胸に抱かれたいと願い。
奥津城で新たなる課題を祈る。










三十五年ぶりの別府へ

2014年12月12日 21時09分30秒 | 旅行記
十二月七日午前六時三十分、仲間とマイクロバスに乗り込み一路別府へ、
冷え込みでバスの窓は曇り、車中では話が弾み、小学四、五年生時に過ごした、基山、鳥栖を左手に望み、
真っ白な雪を頂いた湯布岳を眺めると、眼下に湯布院の盆地が広がり、
暫く走ると本日の講演会場別府国際コンベンションセンターに着きました。
新しいスタイルの講演が始まり、中学生の『“はい”と云う言葉は自分を伸ばす。』『“ありがとう”と云う言葉は人を伸ばす』とのコメントがありこの素晴らしい体験発表に感動しました。
最後に両総裁先生に握手を交わして頂き、身近なお姿にふれ合うことが出来ました。



人間はもっと謙虚に大自然の知恵の前に跪いて、神からの知恵を受けるようにしなければならない。

軽い病気が治るならば、重い病気も同じ軽さで治る筈である。
どちらも夢であるのだから、その夢から覚めさえすれば、
病気に重い軽いはなくどんな病気でも消えてしまうのである。















悔いのない生活とは一瞬一瞬に永遠を生きると云うことである。

2014年09月28日 20時09分16秒 | 旅行記
第三百六十四回団体参拝練成会

練成会に一泊二日参加しました。
遠くは北海道、宮城、愛知等からたくさんの参加がありました。
二十六日には境内にある田圃で稲刈りの献労があったそうです。
心の傷である人生の重荷がひとつ軽くなりました。

現代の物質文明から精神文明へ先駆けとなる人間と自然の調和のために
自然と共存する文明を構築することが人類に与えられた命題であると思われます。

徐々に死ねば霊魂は多くの肉体の雰囲気(業因)を負うて立去り、


急激に死ねば少しの雰囲気しか持去らない。
どちらが良く、どちらが悪いと云う事はなく、
ただその人々にとって一番適した道を選ぶまでである。

































生長の家神性開発第25回信濃練成会

2012年03月11日 11時21分33秒 | 旅行記

0001  写真は当時藤原敏之先生を囲んでの記念写真です。

今日は相愛会誌友会でした。講師の先生から藤原敏之先生のお話があり、生長の家神性開発第25回信濃練成会に参加した当時のことが蘇えりました。当時京都に在住しており東山区祇園の近くの大和相愛会でお話を聞かせて頂いていましたが、生長の家の真理のお話聞きだして間もない頃でした。最初は宇治別格本山練成会、舞鶴の両丹道場等に参加しておりましたが、信濃練成会の評判を聞き参加しました。その当時地方練成会では異色で、沢山の参加者でした。特に東京地区の上品な方の参加者が多く、お山で谷口輝子先生の御そばでお世話をなさって居られた女性の方も参加なさって居られました。私共は親子3人で参加し、私は参加なさって居られる方々のお子さんを別のお部屋で遊ばせていましたが、スピーカーから流れる沢山の耳を疑うようなお話を聞いていましたが、特に印象に残っていますのが、椅子に腰掛けて居られた男性の方の黒ずんだ顔色がズンズンと白くなり、良くなっている姿にただ驚くばかりでした。

練成道場から見おろす松本の素晴らしい風景とお食事時のキャベツの甘い美味しい味が忘れられません。当時参加なされた皆さんありがとうございました。


横浜中華街の人々と奥様

2010年05月08日 19時42分51秒 | 旅行記

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言葉も文化も違う遠い異国の日本に移住し多くの苦難と労働に接しながらも、関帝信仰を中心にして祖国を偲びまた関帝廟の中に浅草から勧請されたと云われる観音菩薩を祀り、日本の文化も温かく抱擁しながら心を一つにして、是までの繁栄を築かれた中華街を訪れて感じますのは人々の活気ある行動と気高さ、意気込み温かさであり、日本人が忘れ去った人と人の絆の深さを強く感じその生き様に感動しました。

奥様がいちど横浜中華街に行きたいと望んでおられ、今回も息子のご招待で実現しました。奥様と歩いていますと祖国の文化を大切にした店構えが連なり、沢山の観光客で溢れふと店の奥に5人程の中国の手相見さんが並びその前に8人の若いお客さんが座り順番をまっていました。私共も奥さんと一緒に椅子に座り、片言の日本語が聞こえ不思議にもひと時のあいだ異国情緒を感じました。

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奥様も百歳まで頑張れ、社会的にも成功すると占われご機嫌でした。


明治神宮と若者の街原宿

2010年05月07日 21時06分15秒 | 旅行記

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とこしへに 民やすかれと いのるなる わがよをまもれ 伊勢のおほかみ 

明治天皇御製 明治二十四年

こころから そこなふことのなくもがな 親のかたみとおもふこの身を

おもふこと 思ふがままにいひてみむ 歌のしらべになりもならずも

国を思う臣のまことは 言の葉のうへに あふれてきこえるかな

なすことのなくて終らば 世に長きよはひをたもつ かひやなからむ

若きよに おもひさだめし まごころは 年をふれども まよはざりけり

むらぎものこころ はれし朝(あした)かな さやかに富士の山もみえつつ

明治天皇御製 明治四十五年

原宿駅に降り立つとむんむんとした活気に満ちた若者のどよめきの中に奥様と二人で分け入り、車道では休日にも関わらず長いデモ行進があり其の脇をすり抜け竹下通りのカラフルなモニュメントの門を潜りいよいよひしめき会う、何時の時代にも新しい文化を生み出した若者、いや少年の群集の中に身を投じて肌で感じる竹下族はいかにも紳士的であり人懐こい人々でありました。チョット細い路地に入ると上品な住宅が連なり、東郷神社をへて本日の予定であります生長の家本部へ辿り着きました。

長い表参道を、キャリーバックを引き擦り簡素な大木で立てられた壮大な鳥居をくぐり、本宮で他の神社では感じられなかった煌びやかでは無く、素朴で親しみのある雰囲気で心持良く参拝を済ませました。明治天皇様と昭憲皇后様の新しい日本の発展に強い決意と国民の安寧に、終世まごころを尽くされた仁愛の心にふれる事ができました。ありがとうございました。

今回は明治時代の外来の新しい文化を招き入れ近代国家への道へと歩んできた日本と同じように新しい文化を次々と生み出して来た原宿木下通りの不思議な縁を感じました。


春風をあびて葛飾柴又帝釈天を歩く

2010年01月21日 21時40分15秒 | 旅行記

江戸川筋にほのぼのと親しみのある、ひなびたお寺葛飾柴又帝釈天を訪れますとお参りの人々が地藏菩薩の頭に水を注いで束子で擦っていました、奥様も同じようタワシで擦りお参りをしていました。草餅店などが並ぶ門前の参道を歩き、夏目漱石「彼岸過迄」など多くの文学作品の登場する “川魚料理の川甚 (カワジン)” で鰻を食べましたが、奥様が市川海老蔵に似ているねと云われる会計のお兄さんにお土産を頼みますと、人情味のある優しいいお人柄で食事を頂く部屋まで届けていただきました。

“ 貧しくとも君の生活を愛したまえ。君はたぶん救貧院においてさえ、何か愉しく、心を躍らす、かがやかしいときをもつことであろう。入日は富んだ人の邸宅からと同じくかがやしく養育院の窓からも反映される。 ”  ソロー  森の生活(WALDEN, OR LIFE, IN THE WOODS 1854 )より

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サーフインとヨットがお似合いの湘南江ノ島と都鎌倉の夢

2010年01月14日 23時56分10秒 | 旅行記

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江ノ電の車窓に突然広がる青い海とヨット、砂浜に打ち寄せる蒼い波、その波と戯れるサーフイン族、真冬なのに一瞬夏の真っ只中にいるような錯覚を覚えるような光景が目にはいり、季節感を飛び越えた若さ溢れる勇気と行動力を目の当たりに見、常にこのように先入観念によらない感性を持ち続けたものです。

大勢の長谷観音詣での人達と長谷駅を下り、山門の前で写真を写し岩窟の弁才天、中腹の地藏菩薩、奥の院の錫杖を携えた十一面観音菩薩と巡り・・・・・私共の一族の本地仏でもある十一面観音菩薩と一族にも縁がある源氏の都鎌倉を詣でたいと願っておりました。

奥様お気に入りの鎌倉の大仏、駅から拝殿までの長い参道に参拝の人々が身動きができないように溢れ、まるで合戦で砂塵が舞い上がっているような風景が思いだされるように大勢の人々でひしめき会う高台に鎮座まします鶴岡八幡宮。

息子の招待で東京を訪れる縁でこのように参拝また祈りを捧げることが出来ました事を、有難く感謝しております。


築地の風景と浅草観音の情愛

2010年01月14日 23時50分36秒 | 旅行記

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再び息子の招待で東京を訪れる事となりました。

土曜の朝から築地の場外市場を訪れましたが、乾物店が多く車が行き交う道路の傍では畳3枚程で商いが為されていて、どの店もたくさんのお客で賑わっていました。

以前は汐風が吹き磯の薫りが漂う清々しい処だと想われ、以前の江戸っ子の粋が思い出され少しばかりか寂しい気持ちになりました。

浅草観音様の前で出店の焼そばをたべようと並びますと大勢の中国の家族連れの方達と一緒になり、花壇の縁に座り食べていますとお隣さんも中国の家族連れの方でした。

お父さんとお母さんと子供二人の4人家族で、親子の情景を見ていますと、周りを意識するでもなくただひたすらに両親を信頼し喜び、楽しく、遊んでいる姿を観るにつけ、遠い記憶の彼方に忘れ去ってしまった、カラー色ではないモノクロ色の素朴な親子の情愛が見受けられ、物質とか権利とかでは得られないこのような素朴な情愛の深さと切実さを感じさせられました

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マイケル・ジャクソン ”THIS IS IT”

2009年11月03日 15時16分51秒 | 旅行記

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今日長崎のTOHOシネマズで13時15分開演、  上映時間111分のマイケル・ジャクソン ”THIS IS IT” に行ってきました。
奥様は喜んでいましたよ。マイケル・ジャクソングッツのコーナーで本を買っていました。
マイケルジャクソンの芸術は音が響かない音と音の間、余韻、また間合いを大切にし、あたかも人間と云う言葉で表されている様に人と人の間を大切にし、日本の茶道の世界の静寂の間合いの世界を思わされるような観じをうけました。
リハーサルにも関わらず完成度の高い作品を演出し、リハーサル中のスタッフ一同をも感動させている姿は常に日々の中に努力精進しているマイケルジャクソンの真剣な努力と思いが感じられました。
マイケル・ジャクソンの苦悩の中にも ”THIS IS IT” のジャクソン・ファイブ時代の場面では自然の笑みが溢れ、力みのないマイケルジャクソンが感じられ、マイケルジャクソンが探し求め続けている”THIS IS ITの純粋な愛の満ち溢れた理想の世界が見受けられるように思われました。

幸福への道

2009年05月24日 10時41分44秒 | 旅行記

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先日親戚の結婚式に招待され、初めてキリスト教式の結婚式に出席しました。そのときの賛美歌です。

いつくみ深き友なるイエスは、罪とが憂いをとり去りたもう。
こころの嘆きを包まず述べて、などかは下さぬ負える重荷を。

いつくみ深き友なるイエスは、われらの弱気を知りて憐れむ。
悩みかなしみに沈めるときも、祈りにこたえて慰めたまわん。

小さな小さな愛くるしいヨチヨチ歩きの姪が、もう逞しい男性とご縁があり結ばれることになり、過ぎ去る時間の速さとこれから始まる輝く希望に満ちた未来をこの結婚式に観じ、自分自身の過去と現在と未来をご縁のある人々と共有できる喜びを感じ有りがたくも、厳粛な気持ちになりました。
此処に結婚と云われる、結ばれる事の意義の大切さが心深く刻まれました。

贈る言葉
これからも末ながく共に愛を育み、共に真をささげあい、希望と慈しみに満ちた、幸せの道を一歩一歩前進なされます事を、心よりお祈り申し上げます。


幸福への道
幸いなるかな、憐憫(あわれみ)ある者。その人は憐憫(あわれみ)を得む。  「マタイ伝」5の7

他(ひと)のために自分が生きる。他(ひと)のために尽すという心持ちが起こってきた時に初めて、われわれは実際に生きた喜びというものを感ずるのです。 生命の実相30巻
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ゴールデンウィークの旅

2009年05月10日 12時15分19秒 | 旅行記

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今回も次男坊のご招待で2泊3日の旅で、お昼頃の出発で座席は余裕がありました。東京駅に着き丸の内中央口近く

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のロッカーに大きな荷物を置き、はとバスの乗場行きますと以前より況してお客さんが多くバスも2階だてバスが多く、綺麗になり盛況でした。

2時間ほど待って居る間に駅前でデモと宣伝活動で、交通規制などがあり少し混乱がありましたが、プリンスホテルで食事後銀座にある笑座とニューハーフ的なデビューショウーのあるお店に行きますと、地下の狭い座席に100人程のお客さんでムンムンしていて、いざショウーが始まりますと大音響の音楽が鳴り響き奥様がお店の外に出て店の次男坊と同じ年頃の若い店員さんの身の上話などを聞いていました。

日本の1等地の銀座のお店でのダンサーの2時間程の休む間もない早変わりの、狭い移動舞台での連続の踊りを見ていますと、現代の東京そのもの様子が映し出され、その中で懸命に生きている人間の姿が印象てきでした。

マンションに行く途中に次男坊から電話が鳴り、今回マンションに着くのが遅いので連絡がありました。

翌日伊勢丹で天ぷらの昼食を頂き、奥様は新宿アルタ前で最前列でいいともの、で待ちをしたあと歴史のあるレトロのカフェ店で休息していますと、眠気がし次男坊は原宿で洋服をみにいき、私達はネット&漫画カフェで隣のパソコンのキーボードの音が聞こえる狭い一室で休息し、渋谷の寿司店で、普段の3倍の店外の行列に並び美味しい寿司を頂きお土産の棒寿司まで頂きました。

後で次男坊の話を聞きますと、原宿、渋谷の界わいは最高の人手で電車に乗れなくて、原宿から渋谷まで歩いたそうです。

三人とも疲れ果ててマンションに帰りました。東京での繁盛店で外で行列をつくり時間をかけ食事をするのみて観じますのは、東京で一生懸命に働き、頑張りその成果で食事をするには、お店にもそれなりの、成果と頑張りを求めているが故に行列をつくり時間をかけ食事をする由縁が理解できました。

天候にも恵まれ長崎空港に着きますと暑い日ざしが燦々とふり注ぎ、まるで夏の午後みたいでした。今回も次男坊に心温かいお世話を頂き有難うございました。