夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

罪人なお生まる況や善人をや

2015年11月24日 20時27分54秒 | 真理の言葉
罪人なお生まる況や善人をや

菩提寺の浄土宗常楽山慶巌寺で『十夜法要』が三日間開かれます。

この法会は、浄土宗で最も大切な経典の一つ『無量寿経の巻の下』にこの世において十日十夜の間、善行を行なうことは、仏の国で千年善行することよりも尊いと説かれていることによって、その教えを実践したもので、十日十夜にわたり、
不断念仏を称えて別時の念仏を修し阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要であります。


月かげのいたらぬ里はなかけれどながむる人の心にぞすむ



・・・・・もろもろの知者達の沙汰し申さるゝ観念の念にもあらず。また学問をして念のこころを悟りて、申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。・・・・・
                                    一枚起請文


末代の衆生を、往生極楽の機にあてて見るに行すくなしとても疑うべからず、一念十年に足りぬべし。
罪人なりとても疑うべからず、罪根ふかきをもきらわじとのたまえり。
時くだりとても疑うべからず、法滅以後の衆生なおも往生すべし、況や近来をや。我身わろしとても疑うべからず、・・・・・
十方に浄土おおけれど西方を願うは、十悪五逆の衆生のうまるる故なり。・・・・・
本願に乗ずる事は信心のふかきによるべし。
うけがた人身をうけてあいがたき本願にあいて、おこしがたき道心を発してはなれがたき輪廻の里をはなれて、生まれがたき浄土の往生せん事、悦びの中の悦びなり。・・・・・
罪人なお生まる況や善人をや。行は一念十念なおむなしからずと信じて、無間に修すべし、
一念なお生まる況や多念をや。・・・・・                       一紙小消息




秋の夜長を念仏三昧で過ごすのも、素晴らしい御仏(みほとけ)の姿を自分自身の中に見出す機会ではないでしょうか。
我が体を捨て南無阿弥陀仏と独一なるを一心不乱というなり、されば念々稱名は念仏が念仏を申すなり。
南無阿弥陀仏の念仏は、煩悩に溢れた自身が念仏するのでは無いのである。
自分自身の内に存在する素晴らしい如来が念仏して、如来の実相(本当の姿)が顕れるのである。                            
                                                       合掌