夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

初夏のささやき

2010年04月25日 11時49分18秒 | 日記・エッセイ

先日娘の嫁ぎ先の渥美半島から新鮮な潮騒の響きと暖かさのアサリが届けられ、早速その日の晩餐に迎えられ一つの要で結ばれた二つ貝殻が開かれ、湯気の彼方に心深く染み渡る薫りと出会い体に旋律がはしり、人間を生み出した海(生み)と故郷が観え懐かしくも有りがたく頂きました。ありがとうございました


人の悪しき言葉に乗るな

2010年04月12日 22時00分44秒 | 真理の言葉

怒りは火事のようなものである。あなたの心を焼きつくし、地獄の炎の中に投げ込み、ついに身体までも病気にする力をもっているのである。誰かが不親切な言葉を発したからとて、それを自分の心の竈(かまど)の中に放り込んではならないのである。不親切な言葉は、あなたの心の竈(かまど)の中で燃える地獄の火の燃料となるのである。

不親切に対して親切をもってし、憎しみに対して愛をもってするのは、自分の心の中に放り込む燃料に水を注ぐようなものである。人の告げ口に乗るな。それは怒りの炎をあおる風のようなものである。愛語と調和の言葉を雨ふらして、心の火事を消すことである。常に「平和」を心に念じて祈れ。


初々しいお坊さん

2010年04月11日 22時28分32秒 | 日記・エッセイ

良く晴れ上がった曲がり角で菩提寺のお坊さんを待っていますと、

菩提寺さんですかと尋ねますと、若い清清しいお方がはいと答えられ

我が家の咲きはじめた藤の花に蜂が舞い遊ぶ中をくぐりぬけ仏壇の前でお座りになりそのままで着替えになり17回忌塔婆に母の戒名をかかれお経が始まり、

塔婆を胸元に引き寄せ擁くように心を込めて温かく母の戒名を唱え勧請なされる姿を拝見し、さすが徳の高いお人であられるなと思い感動しておりました。

先々代の和尚さんに贈り名(戒名)を頂き孫にあたられると思われる初々しい清清しい若いお坊さんのご縁にふれ感慨深く、時の移りに思いを寄せていました。

5女の娘は足がしびれて見送りは行けませんでしたが妻と私は若いお坊さんと共に再び藤棚をくぐりぬけ、曲がり角まで見送りにいきました。

無事法要が行うことが出来ました事は、母の広大なる慈愛と母に御縁の有られた方々と信仰中間の皆様と妻と家族の支えとに因る事と思えます。

皆様に多大なる御礼と感謝を申し上げます。有り難うございました。

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青葉城恋歌

2010年04月06日 00時37分30秒 | 日記・エッセイ

休日の朝、あるメロデイーが正夢で奏でられ、夢の中で大変感動している自分があり、何処かで聞きなれたメロデイーと思い考えているとふと青葉城と言葉が出て来、暫くしてから青葉城恋歌と言う曲目が出て来、その後に広島城とメッセージが出てきました。私には歌謡曲に詳しい訳でも無く不思議に感じ、青葉城恋歌を調べて見てその歌詞を読んで見ますと離れ離れになっていてもその人をひた向きに思い続けていて、現在も心の中に生き続けている別れの曲でありその情感が切実に表現されていました。その後に広島城とメッセージが出て来た時に、17年前に亡くなった母が思い出され一歳の頃生き別れになり父の13回忌の年に母の遺骨を広島まで妻と共に引き取りに行き広島城で妻と一休みし、母もこの広島城で遊んだのではないかと思われ愛しく感じていました。

正夢で聞いた青葉城恋歌は母が大好きな歌ではないかと思われ、私には記憶が無いですが、母と四歳で亡くなった姉と私がこの広島城で別れたと思われます。残された母は一人で残された人生を熱烈に信仰に生き気丈夫に過ごしたと聞いております。この青葉城恋歌を聞いていますと、生涯二人の子供のことを思い続けていた母の深い情愛が感じられもう少し早く母に会うべきであったと思われ、申し訳なく残念であります。

今年の4月13日が17回忌であります。少しでも母のご恩に報われんことと願い4月10日(土曜日)午後2時に母久子の恩徳に回向しご供養をさせていただきたいと思っております。