夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

友は心の花・・・友にめぐり合い共に学ぶことは人生の幸福である。

2019年04月08日 18時14分02秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
早咲きの『市の花』ツツジが母校の門で咲いており、

校門の付近は綺麗に清掃がなされていました。

反対側にノーベル化学賞をうけた下村修氏の銅像が立っています。

54年ほど前は、門柱以外は簡単な柵で囲まれており、

当時の校舎は素朴な木製造りの2階建であり、

階段も歩くとギシギシとキシミ音がして、屋根裏には鳩が巣を造っていました。

共に学び遊んだ学友もそれぞれ夢を抱き、

ジャーナリスト、建築家、画家、官僚、僧侶、教育者、政治家、

弁当屋、自営業などの様々な職業を選び各地に散って行きました。

長い年月を経て、それぞれの場所で、其々の運命を背負い懸命に生き抜け夢を叶えた友も居り、

又東大在学中に若くして病に倒れ急逝し、惜しまれた親友もいます。




朝(あした)に紅顔あって夕に白骨となる。



思想(想念)は思った通りに形成される。

死後の世界に於いては心で思う通りのものが容易に形成される。



ある死後間もない4ヵ月目の霊魂の霊界通信。


問 汝は今何かキモノを着て居るか?

答 着て居ます。・・・白いキモノ。


問 飲食をやるのか。?

答 何物も食べません。


問 睡眠は?

答 睡眠も致しません。


問 月日の観念はあるのか?

答 ありません、チットモ。


問 私達が此処に座り、精神を統一して、汝を呼んでいる時、
  どの様にして汝に通じるか。汝の実感を教えてくれないか?

答 何か、ふるえるように感じます。細かい波のようなものが、ブルブル
  ブルと伝わって来て、それが僕の方に感じるのです。


問 述べる言葉が汝に聞こえるのか?

答 言葉が聞こえるのとは違います。


問 誰かが心に思えば、それが汝の方に感じるのか?

答 感じます。いつも波見たいに響いて来ます。
  人間の五感の働きと異なって、何も彼も皆一緒に伝わって来ます。



問 生きている時のように自分の体があるように感じるか?

答 自分の存在は感じますが、手や、足のようなものがあるようには感じません。・・・・・・・

  そして造ろうと思えばいつでも瞬間に自分の生前の姿を造れます。
   
                         浅野和三郎 新樹の通信




『今』と云う武器をもって大いなる未来を戦いとれ。



『今』を生き抜けよ。

弓を射る時に、『的』に執着して凝視するよりも、手元にある『今の弦』を全力で引き抜け、そしてなすが儘に放て。



『有限』即『無限』 ・ 『極微』則『極大』の瞑想・・・普く我が全身を観ずるに此の身この儘、大宇宙に満ちる普賢菩薩なり(観普賢菩薩行法)。

2019年04月06日 14時54分53秒 | 真理の言葉
昨夜の御前1時30分にふと目が覚め、

直ぐには寝付かれず、枕もとのスマホでニユース記事を見ていると、

皇太子殿下の『水運史から世界の水へ』の御本が4月4日発売との

記事を見当たり直ぐAmazonで注文しました。

Amazonでベストセラーになっていました。

去年、水に関する講演会記録を読まさせて頂いたことがありますが、

水に関することはもちろん、災害、環境問題、民俗学、歴史学

又あらゆる学問にも深い御造詣があられ、また御慈愛に溢れた御文章に感動致しました。

昨夜は不思議な出来事でした。




『肉体と云う制約された有限の世界』そのままで『永遠なる無限世界』を生きているのが私達である。



本来、人間は死ぬこともなく、無限であり、

遥かなる虚空に満ちている霊身であり如来であり、普賢菩薩であり、観世音菩薩であり、キリストであり、

全ての処に変化して現れ、顕幽をかけめぐる『大自在身』である



言葉だけでは画に描いた餅に過ぎないものとなる。


眼にみえるもの、耳に聞こえるもの、鼻に匂うもの、舌に味わうもの、身体に触れるもの、

意識に顕れるものの『六塵』に執着することがなければ、そのまま『正覚(さとり)』となる。
             
今を生きるに、本来『六塵』と呼ばれ得るものもなく、

また『正覚』と呼ばれ得るものもない。

三祖僧璨(さんそそうさん) 『信心銘』



ありのまま真実の姿をありのままとして自覚することができなければ『六塵』と呼んでも、

また『正覚』と呼んでも、それは言葉だけの画に描いた餅に過ぎないものとなる。

金剛経


心を観るには、心で観る他はない、

その『妙明心地』に至れば六塵もなく正覚もなく、

ただ『不可得』としか言いようがない。

『主観と客観』、『主体と客体』とが未だ別々に分かれる以前の

『今、則において働く心』こそ『本質』である。

道元禅師 正法眼蔵

『注』

妙明(みょうみょう)・・・すぐれた真実の知恵。

心地(しんぢ)・・・戒め。菩薩の10地の50心を指す。

不可得(ふかとく)・・・認識され得ない。その存在が知覚され得ない。

          確定的な本質のないものについて求めても得られないこと。

          ものの自体が存在するという執着のなくなること。

          現象世界は実体がなく空であり、夢、幻である。




神の御言葉は光である。すべてを照らし、迷いの暗黒より救い給う。




パウロの言葉に・・・もはや吾れ生くるに非ず、キリスト我れにあって生くるなり

      



令和元年・・・神の御前にひざまずき、御心の天になるが如く。地にもならしめ給え。

2019年04月03日 23時40分57秒 | コラム・人文
もう直ぐ、令和天皇の時代が開かれます。

老いも若きも皆さんが新しく生まれる時代に

希望をもち、歓んでいる様子を見ていますと

私も嬉しくなりました。

久しく用いられて来た日本の元号は

素晴らしい存在であることを再認識しました。

此のことを大変有難く思い、皇祖皇宗の御神霊に

深心の感謝を申し上げる次第であります。



『令和』という元号は『言霊』であり

宇宙に満ち満ちている魂の振動であり、

新しい生命の響きであり波動であり、

宇宙大生命の脈動そのものであります。


元号発表の日に帰宅して『令』を、文化勲章を受けられた

『諸橋 轍次(もろはし てつじ)』監修の廣漢和辭典(全4巻)。

中村元著の仏教語大辞典(全3巻)、宇井伯壽の佛教辭典でも調べました。

人名、熟語で色々と使われていました。


廣漢和辭典(全4巻)では

① 命ずる。
② みことのり(君主の命令)。
③ のり。おきて。
④ いましめ。教訓。
⑤ おさ。君。(長官)
⑥ よい(善)。りっぱな。すぐれた。
⑦ よくする(りっぱにする)令色。
⑧ 敬称。
⑨ めす(召す)。
⑩ まったい(完)。
⑪ 皇后、太子、諸候などの命令文。

この他にも熟語、詞牌、曲牌、人名、地名、鳥の名など色々挙げられています。


『会意』は

甲骨文、金文、篆文の箇所であつめるの意とも、頭上にいただく冠の象形であるという。

人がひざまずいて神意をきくさまを表し、いいつけるの意を表す。

と説明なされています。


これを読み当たり、聖書の『主の祈り』が想い起こされました。

御心の天になるが如く。地にもならしめ給え。


祈るときには

あなたがたの父は願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。

だからこう祈りなさい

天におられるわたしたちの父よ、

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

御心が行われますように、

天におけるように地の上にも。

わたしたちに必要な糧を今日与えてください。

わたしたちの負い目を赦してください。

わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。

しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
      
マタイによる福音書 第6 9~14


言霊の神秘

『言霊』は宇宙に満ち満ちている魂の振動であり、

生命の響きであり、宇宙大生命の脈動そのものであります。

『心の想念』の波が宇宙に広がり、

やがてその想念の波が結実して物事が成就するのです。

テレビの放送局が発した映像、言葉を、


肉眼では見ることが出来ない電波という

波動を通して私たちがスマホやテレビの受信装置で

見たり聞いたりすることが出来るということとよく似ています。


心の想念は『コトバ』であります。

ヨハネ傳に『大初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき』とあります。

丁度人名のように『A』さんと呼べば『A』さんが現れます。


日本の五十音の一つ一つの『音』は

天地及び自然の韻きを受けたものであります。

その一つ一つの『音霊』を探るとき

その音霊であるコトバの語源

又はそのコトバの本質を知る手懸りとなります。




イの言霊
生命(いのち)、又は祝(いわ)う、威厳(いげん)の『イ』であります。
生命的刺激をもっていて、人間に積極的に拍車をかける力をもっています。




ワの言霊
『ワ』というのは『輪』であり、『和』であり、丸みをもった意味をもっています。




愛はあたえるばかりである。愛は何ものも失わない。