夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

人生の主人公となる為に・・・其の3 霊的な大生命(神の世界)は創造する力そのものである。『私たちが他を害しない純粋な願い祈りは叶えられるのです。』

2019年07月29日 23時51分25秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
博多の小学校の先生である次女は6年生のクラスの様々な問題を手本通り、

思い通りに計らう事から厭離することが出来たようです。

夏休みは九州大学に留学している生徒を家庭に宿泊させ、。

また親子で、外国にホームステイして

現地の先生の授業を受け外国語(英語)を学ぶようです。

本来の夢の実現に前向きになり、明るさが戻ったようです。



人は描いたもの中で神の御心にあったものが実現する。

今与えられているものが神の御心である。

どんな些細なものでも神の賜物として享けよ。

そこから新たなる出発が始まる。

此のことが肝心である。



神は善そのものでありますから、

よろしきこと明るい想念、

積極的な前向きな行動は神様の御心と波長があうのです。



至る処に新しき生命は生み出され、

古き生命の姿は変化しているのである。

私たちはこの尽きることのない創造性が発現して、

常に新たなる向上の世界へと変化し進歩している大生命に住んでいるのです。

私たちが生活している大生命の世界は

常に創造性が生み出されている叡智体そのものです。

大生命の心は本来無相であり、

それ故に吾々が想うがままに、応じる創造的な力であるのである。

だから吾々の心に念ずる想念のままに、物事を創りだすのです。


私たちが思考している時、

宇宙霊(神霊)が私たちを通して考えているのです。

私たちが他を害しない純粋な願い祈りは、

必ず大宇宙の霊に印象せしめられ、

私たちが見える世界に現れることになるのです。



新しい天と新しい地


わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・・・・・

神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、

その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

最初のものは過ぎ去ったからである。

・・・すると玉座に座っておられる方が

『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また書き記せ。

これらの言葉は信頼でき、また真実であると言われた。

またわたしに言われた

『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。

初めであり、終わりである。

渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。

勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。

わたしはその者の神となり、その者はわたしの子となる。


                         ヨハネの黙示録二十一章 1~7




過去を捨てよ、あなたは『今』生まれたのである。

どんな悲しいことがあったにせよ、それについて思い煩うな。

どんな苦しいことがあったにせよ、それについて嘆くな。

『今』天地は一新したのである。

『今』この新しい天地に生きているのである。

『今』 日日草は喜びに満ちて輝いている。

この花よりも尊く美しいのが人間である



善根の辻・・・善を施し、そして善い報いを享けるのが信仰のあかしである。

2019年07月28日 10時06分54秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
道場の祭壇がある部屋の障子を張り替えたいが

この部屋で作業をしてよいかどうかを尋ねられました、

そのくすんだ障子の側に行って見ると、

障子の外からなにか霊的なもの感じました。

その障子の外は駐車場があり崖の高台からの気配のようでした。


翌日その崖の周辺を回って、調べていますと周辺の土地の因縁が解ってきました。

この辺りの丘を『善根の辻』と称し、熱心な信仰の場所であったようです。

もともとこの変一帯は西郷氏が治めていたのですが

筑後柳川の龍造寺家晴が、秀吉より伊佐早領2万2千石の朱印状を享け

西郷氏の居城である高城の明け渡しを迫り、

善根の辻まで攻め入り此処で法螺貝を吹き勝利の宣言の合図を行ったとあります。

此の丘の周辺は信仰の証である祠が彼方此方に点在しています。

昔の人々の信仰の深さが偲ばれます。


1957年(昭和32年)7月25日、6時間降水量と12時間降水量では日本歴代最高記録を記録した

『諫早の大水害』で破壊された本明川の堤防の復旧の為に、

此の『善の辻』の丘陵地の山を崩し大量の土が使われました。



話は後に戻りますが道場の崖の上に登って見ますと

小さな屋根で覆われた稲荷、観音、この地では珍しい弁財天等の祠が並んでいました。

その一つに地元の御舘山稲荷神社の『霊璽』と思われる稲荷の祠があり

誰かが地祀りされていたのでしょうが現在は誰もお参りされている形跡がありませんでした。

祠には町名などが記されていました。

祝詞を奉上しお参りしました。



現在は浄土真宗が盛んな地域ですが

もともとは行基菩薩が諫早から島原半島の雲仙へと布教した場所であり、

観音信仰が盛んな地域でしたので彼方此方に磨崖仏の観音が刻まれ、

観音の祠が点在していて観音山と呼ばれている山もあります。

明治の廃仏毀釈までは真言宗の大きな寺院がありました。

この『善の辻』にも弘法大師空海の薫りが残っています。





火にも焼けず、水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも

自由自在な人間の本性である神性、仏性を信ずる信仰こそ本当の信仰である。




夕べに道聞かば、朝に死すとも可なり。





善』は自然界の法則である因果の法則を打ち破ることが出来る。



人生の主人公となる為に・・・其の2(一切の不幸から脱却する方法)

2019年07月23日 19時57分15秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
今日は研修会でしたが午後から参加しました。

雨雲の上に入道雲がひよっこりと顔を出しています

勤務先にも交換を潜り抜け総合病院であるのに警察署ですかと尋ねる

怪しい電話等が時々かかります。

役者顔負けの巧みな電話であります。

最近は即座に虚実を見分ける直観力が必要であります。



不幸を不幸と思わずその不幸の奥底にある『恵み』を発見せよ。


善なる神の愛を見失う時は、

その代償として苦痛という代償を背負うこととなる。

それは神の愛に心をふり向けないことにより、

神の無限なる叡智を

自分自身にあらわすことが出来ないからである。

それ故に、おのれ自身の直覚によって神に導かれることが出来ない。


より来る直覚こそ、

吾々を苦痛と不幸におとしいれる

間違った選択を正してくれるのである。


善は悪を知らない。

光は闇を知らない。

知恵は愚かさを知らない。

生命は死を知らない。

愛は憎しみを知らない。

美しさは穢れを知らない。

豊かさは欠乏を知らない。

歓喜は悲哀を知らない。

調和は混乱を知らない。


これらの善き性質は偉大なる真理である。

この真理は永遠に砕けることがない。

これらの善き性質を自覚する時に全てのものが整えられ

円満なる人生を支配することが出来るのです。



神は無限の善であり、無限の光であり、無限の知恵であり、無限の愛であり、

無限の美であり、無限の豊かさであり、無碍の歓喜であり、無限の調和なのです。

このような完全円満なる神が遍満している世界に素直にふり向け(回向)、  

『神は一切であり、全てのすべてであり愛に満ちた存在である』ことを自覚すると、

神からの恵みを受けることが出来、

一切の不幸から脱却することが出来るのです。





人の喜びをわが喜びとする。




われは口に入れるものは何もなくとも、われは喜びを食(じき)とする。・・・釋尊













人生の主人公となる為に・・・『自己の人生』と境遇、環境は互に牽制し、影響する。

2019年07月21日 23時53分03秒 | コラム・人文
永遠の包容

降りしきる雨の足元に

小さな草々の初々しさ、

健気に生きる逞しさ。

銀河にひろがる一粒の星、

その光が輝くとき

永遠が奏でられる。

浄き生命の讃歌、

魂がわななき、

甘やかな包容。

鳴り響く調べ、

此のひと時に

優しさ広がる。



どのようにすれば自分の環境、境遇を改善することが出来るのであろうか。


地獄も天国も我が心の内あると申します。

心で想うことが現実の世界に実現するのです。

まるで磁石のように

悪を想えば悪が現れる。

喜べば喜びが現れる。

私たちの人生は自分自身の心の想念の力で

創り上げるているのですから、

その想念の力で悪しきにも、善しきにも

人生を築くことが出来るのです。

自分自身の悪しき環境は外からの印象及び影響は受けますが

それを受け入れるか否かは自分自身で決定するのですから

最終的には自分自身が責務を負うことになります。

ですから全ての事物は己が心の反映で造り上げたものです。

求める幸福は外の環境から来ないのである。

悪しき想念は何処から来たのかを自問自答して、深く内省し

そして自分が欲する新しい明るい環境、

希望を自分の心に強力に描くと

貴方は希望成就の道へと歩み始めるのです。




欠点を見つけるな。彼のために祈れ。




物質そのもは無力である。この物質に人を支配する力を与えるのは人自らの力である。





働かぬ者にさえ施すものが愛の行為でる。









46億年前の真実は今此処にあり・・・・・人間の生命は『久遠』即『今』を永遠に生きるなり。

2019年07月11日 22時09分41秒 | コラム・人文
 『はやぶさ2』の成功

マクロとミクロの世界がひろがる

広大な宇宙の46億年前の真実を小さな

『はやぶさ2』が『今』此処に運んで来ました。

 

龍宮城の浦島太郎が玉手箱を開け、

無時間の世界から、時間空間の世界へ舞い戻り


一瞬にして老いた姿に変貌しましたが、


『はやぶさ2』は46億年前の真実を今此処に見せつけました。



如来の性は、実は消滅なきなり・・・・人間の生命は永遠なり。



本当の自分は今まで天地と共に生き通してきた、

これからも天地と共に生き通して、

朽ちず、老いず、苦しまず、病まず、悩まざる

『円相的妙楽』の存在であり、金剛身、不可壊身である。



不治の病を持つ病弱な肉体に乗っている貴方は名騎手である。・・・

名騎手は却って駄馬を乗りこなそうとする。自信を持て



子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。・・・

家庭より外が楽しいようになった時、子供は危険の淵にたつ。

常に善き想いを把持して善き言葉を語れ。・・・・・一瞬の念(おもい)でも、善きにせよ、悪しきにせよ心の奥底に蓄積され、時間の経過を経て思った通りの世界が実現する。

2019年07月08日 20時24分11秒 | 旅行記
午後から年休をとって島原外港の近くに出講に出向き、

時間に余裕があったので途中小さな港に立ち寄りました。

坂本竜馬、勝海舟以下50人程の一行が神戸港を出発して九州を横断し、

この小さな港に上陸して島原街道、長崎街道を経て長崎に行ったことを知り意外でした。

その歴史の地に立ち海を眺めていると

年月の変遷を超えて坂本竜馬以下50人程の一行の思いと勇雄さが感じら、

歴史は時間を超えて今此処に生きていることを肌で学びました。



汝の運命を征服する武器は念(こころ)である。


汝もし人または団体に対して致命的な考えをもつならば、

汝は引き金をひかなくても相手に手傷を負わすのである。・・・カーライル



一瞬間、心をかすめてた念(こころ)は

一つの波動(コトバ)であり、

宇宙の一切は波動で出来ているものであるから、

一度吾々が或る念を心に思い浮かべたなら、

それは一つの創造力の種となり、

いつかはその種は発芽して吾々の生活上に力を及ぼすし、

人類全体の上に広がって愈々大きな力をふるう創造者となるのである。





泣き言をいうことを止めよ。泣き言は泣き事を呼ぶ。




すべての心の動きは、その人の顔に印象される。




想像の苦痛は、現実の苦痛よりも耐えがたい。










病気などの困難は困難に非ず。新しい真実の世界へ生れる為の導きである。

2019年07月03日 22時57分01秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
夜る遅く電話がなり、

電話を取ると部下からであり

昨日父が肺癌の宣告を受けたとのことでした。

色々と家族の事情を聞いていますと

父思いの部下であり、色々悩んだ挙句、私の処へ相談を持ち掛けたようであります。


誰しも親は子供には理解できない人生の悩みがあり、

長年寄り添った夫婦でも互いに微妙な問題が有ります。

子供は幼い時から何と無くその父と母との雰囲気は感じとっています。

またその影響をまともに受けています。


病気は自分自身の心の現われであり、また己が人生の写しでもあります。


家族の中でネガテイブな事が起こりますと自然に暗くなりがちであります。

病気は人生の宿題であり課題でもあります。

この病気という問題を通して、様々な困難を乗り越えることによって

『魂の浄化』となり美しき新しい清き世界に生まれる事となります。


此の世は暗黒に満ちた穢土ではなく、善に満ちた素晴らしい世界であります。


この世の病気などの凡ての事物、相対する人々を素直に有り難く享けとめて行くならば

そこには必ず極楽浄土の平安の道が開かれてゆくことになります。


その為にも『報恩感謝の先祖供養』は人生の基盤であり子孫の務めであります。


自分自身も何れ、御先祖になりますが、

父と母は最も大切の御先祖様であります。

父と母と和解し、天地一切に感謝して行くならば

自ずからすべてのものと大調和が出来て、

明るい素晴らしい善き世界が開かれることになります。




毎日鏡の前で自分の表情を幸福にして、笑いの練習を実行しよう。

・・・・・真に幸福な人となるであろう。