夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

陽光

2014年05月10日 01時54分51秒 | 誌編
ビルの谷間から光が目にはいる。 何処かで見たような光景。 その幻を懐かしむように銀河がまわる。 ビルの谷間の向こうに若葉色に染まる山々。 永遠を照らす午後のまなざし。 人生は浄土に向かう旅なれば一歩一歩愛を重ねん

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稲穂の喜び

2014年05月08日 20時27分00秒 | 誌編

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恋しい山々の清らかないのちが魅惑の調べにのり 愛しい大地にしみ入り華麗なる世界を彩り、 いのち輝かせ、やがてこのひと時に 落ち日が甘やかにささやき、 希望に満ちた実りに 爽やかな黄金の吐息がかかり、 たわわにしなる稲穂の喜び。

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体験発表

2014年05月07日 21時52分01秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相

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合掌  有難うございます。 宜しくお願い致します。 山々が若緑に 染まるこの佳き日に、光明輝く 素晴らしい皆様との法縁を結ばさせて頂きありがとうございます。  お蔭様で若輩なる私に講師試験を推薦して頂きました相愛会長様を始め講師会長様、皆様方の深い御愛念と心温まる御指導を賜り合格させて頂きました。真にありがとうございました。 心よりお礼申し上げます。 出身地は旧制福岡県筑紫郡日佐村、現在の福岡市南区です。 昔、奴国と言われていた処で、近くに王の墓、などの遺跡があり、日本で最初に稲作が始まった処です。 苗字が藤といいますが小学生時代から皆さんフジといわれる方が多いです。 博多では藤(とう)とよみます。有名なのはNHKの料理番組の藤 清光さんです。以前は東区の篠栗町、南区の日佐町の人口の7割ほどは同じ藤と云う苗字でした。 古代より先祖代々住吉大神・神功皇后を 産土神として祀って来ました。住吉族と云われています。 入信は妻に導かれて、昭和四十六年京都市東山区 五条大和大路上がる、清水坂の近くの『大和相愛会』に入会させて頂きました。 内観療法の宇治の黄檗宗大本山万福寺、伏見稲荷の稲荷勧請、心理療法、精神分析、心療内科、民間療法、創価学会、天理教、など回り道をして生長の家にたどり着きました。 入信以来人生の明暗が織り成す色々な辛(つら)い厳しい事に遭うたびに 済んだことの中に生活せず、「今」の中に生活せよ。 「今」は常に生きている。「今」の中にはあらゆるものが輝いている。 「今」は常に新しく、今は常に喜びに満ちている。 過去にどんな悲しいことがあったにしても、 それに就いて思い煩うな。「今」天地は一新したのである。 もう別の天地に生きているのである。 過去に寒風に吹き晒されたことを歎かないで、 「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。 梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。喜ぶべきことしか無いのが人生である。 谷口雅春先生のこのお言葉を繰り返し繰り返し読んで慰められ勇気付けられてまいりました。 また谷口恵美子先生よりお忙しい中、私どもの一番辛い時期に美しいおハガキと優しいお言葉を頂きましたことは、 私どもが生きていくのに勇気と希望を持つことが出来ました。 お礼の御返事も差し上げておりませんでした。 谷口恵美子先生の尊い御慈愛に深く深く感謝申し上げます。ありがとうございました。 谷口恵美子先生のご健康とお幸せを心より切にお祈り申し上げます。 この度の講師試験を受けるにあたっては入信以来生長の家から長い間離れていました事もあり大変迷いしました。 勉強会・行事に参加していく中で段々と組織、課題の問題にもなれて来ました。勉強させて頂いている間に以前から物質文明の後(のち)に精神文明の世界が訪れると云われていましたが、生長の家の自然観が現代の物質文明から精神文明への転換の先駆(さきがけ)であり、精神文明への夜明けがいよいよ近い事を感じました。 試験勉強の後半は車にメモをのせて長崎医療センター・勤務先・長崎強化部・自宅の移動の間に暗記しました。 また試験本番中には筆記問題の用紙を取り違えパニックになりました。ビッシリと積めて書き終わったときに気がつき、その答案用紙を破れないように消しゴムで消し、黒くなった用紙に再びビッシリと書き込みました。今までこんな事は始めでしたが以外にも冷静に行動することが出来ました。 驚いたことに講師試験勉強・先祖供養などの行事に参加している間に皆様方のお陰で大変な功徳をうけることが出来ました。 ありがとうございました。心より篤くお礼申し上げます。 妻の癌が癒され、また私の心に大きな変化がありました。 谷口雅春先生が一灯園時代、托鉢の中での泥棒のお話であります。 泥棒から『食事』をめぐまれたとしたら、それを受けるべきかそれを受けたら泥棒の分け前をもらったことになり、自分も泥棒にはならないだろうかとの問題で 西田天香師との間で問答があり、 もとまで 考えることはいらんのですよ。 それはたとい過去において盗んであっても、その捧げる人が、これを仏に捧げたい、感謝の心を捧げたいと 浄心を持ったとき、過去は清められると 言うお話であり、 生長の家式に言えば『今の一瞬の心は現在及び未来を清めるだけでなく、過去をも変貌する事ができると 言う事であり、 過去は無いと云うお話でありました。 しかし過去は無い、悪は無いと生長の家で長年聞いていながら、悪しきことの奥に存在する清く、善なる美しい世界を恐れている心が私の潜在意識の奥底に潜んでいる事に今回の出来事で気がつき、深い懺悔の心がわき上がり、真実の世界への第一歩を歩み始めさせて頂く事ができました。 妻が私も一緒に神想観をやりたいと言いますので二年程前から、朝五時十分より向かい合って拝みあいの神想観を実習しておりました。 ところがこの試験勉強会に参加している間にも人生の課題、問題が容赦も無く降りかかり、それもベートーベンが “こうして運命が扉を叩く”と申しますが、それはまさに稲妻の如く衝撃的に訪れました。 愛する家族との突然の別れ、家族の辛い苦しい苦悩の運命に寄り添い 深く深くその運命を見つめていますと、 良い種を蒔いたと思っていますと、迷いの花が咲き、そしてその迷いの花が散ると、やがて真実の美しい善が顕われ、良き果実が実る事に気づかせて頂きました。 よき種を蒔くことは迷いを吹き払い浄化し、清めることであることにあらためて教えられました。 真(まこと)にも家族一人一人の姿はまさに観世音菩薩が 慈悲と 捨徳を  授け賜う妙妙なる響きであり、美しく 清らかな 光明遍照実相世界に導く御仏(みほとけ)の御姿であると教えられました。 温かい、やわらかな日差しをうけ、この世の全てを一枝に託して咲いている 藤の花の下 (もと)で、永遠にほろびぬ生命のよろこびを悔いなく、優雅に舞い遊ぶ花と蜂たち、生きとし生けるもの、ありとしあらゆるものの生命、行き交う大自然、一人一人の運命は神様の優しい、優しい御愛が顕われ、一人一人を祝福し、全てのものを生かし、善き事のみが顕われる美しい光明燦然と輝く神一元、善一元の世界を貫き通す霊的実在であり、神より出でたる神の子である』と観じて合掌礼拝しその自覚へと一歩一歩前進したいと思っております。 皆様方のご指導を賜りますよう宜しくお願い致します。 京都時代から今日まで多くの講師の先生方、先輩諸氏の方々からの御愛念、お導きを享けましたことに心より感謝し、お礼申し上げます。 神のみ声に響かぬ私にひたすらに御愛行を捧げて頂いた先生のお蔭で、再び生長の家の御教に導かせて頂きました事に此処に深く深く感謝申し上げます。先生の御愛念と御愛行が無ければ今私は此の場に立つ事は無かったでしょう。 真にありがとうございました。 本日は私の講師試験合格体験発表聴いて頂きまして真にありがとうございました。 心より感謝申し上げます。 有難うございました。           平成二十六年四月二十七日日曜日長崎強化部に於いて

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