夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

『自粛』と『依存性』と『真の自立』・・・日本民族の理想(暗雲と混乱と騒擾を消し去るために)

2020年03月31日 22時18分07秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
『自粛』を辞典で調べると自分で自分の身を慎。

自分から進んで、やり方をつつしみ、気をつけること。

と書かれています。


日本は周りを太平洋、日本海、オホーツク海などの大海で囲まれた地理的な条件により育まれた、

歴とした海洋民族であります。

古代では安曇族等の海人族の活躍が盛んでした。
                                                             
山の神と海の神が互いにその独自性を維持しながら共栄してきました。

高天原の神々である天之御中主大神、伊勢神宮の祭神である天照大御神などの『天津神』

それに対して国神、地祇、地神、出雲大社等の『国津神』。

『天津祝詞』に・・・・・・・天津神(あまつかみ) 国津神くにつかみ) 八百万の神等(やおよろずのかみたち) 

共に 天の斑(あめのふち) 馬の耳(こまのみみ)振立て 

聞召せと畏み畏みを白す とあります。


このように日本の神々は天之御中主大神に帰一して、共に協力し穢れを祓い清めてきた歴史があります。

幽の幽なる哲学的な隠身(カクリミ)である最高の元始神である天の御中主神を頂点として

天照大御神『皇尊(すめらみこと)』、そして八百万の神々が丁度富士山の頂上から優雅に広がる裾野のように

一切のものを一つに和融して美しい大調和に満ちた秩序ある世界を創造したのが日本国であります。

このような美しい大調和の理念、元に帰一する秩序ある理念を享け継いだのが日本民族です。

バラバラの団子を串に刺すと一本になるように皆が一体となって

美しい調和に満ちた思いと秩序正しい行動をして行くならば

『未知のコロナウイルス』によって広がっている暗雲と混乱と騒擾は消えて去ることでしょう。


依存性について

依存性にも色々なパターンがありますが、自閉的といわれている頑固一徹、

または自立的な生き方を目指している人でさえも

内的な潜在意識には常に依存の要求を満足させている。

それは、自己の信念、心の故郷、神への志向、愛の対象への執着、甘えであったりします。

依存は愛の裏返しでもあります。

自分自身が依存の対象を喪失すると心の平安を失います。

それ故に対象への依存に執着します。

そこから様々な苦しみ、悩みを生じます。

大切なのは外界の世界に真実を求めるのではなく、

自分自身の内に既に存在しているなる無限なるもの、

絶対的なるものである『神』・『久遠の仏』に絶対的に依存することです。

言い換えれば心の内に存在している相対を超越した

絶対的な他力(依存)を信じることであります。

端的に言いますと『自分の内なる善』を信じることであります。

これが外界に依存しない真実の自立であります。

これにより大調和に満ちた安穏の世界が顕れることになります。


時間的な言語をもって表現すれば人間は『今・則久遠』の存在である。

空間的な言語をもってするならば 『有限即無限』の存在であり、

有限の自己をあらわしつつ阿弥陀の本物がいまここに生きてあるのが自分である。




神の善はわが内に在り。



























 

恐怖の感染・・・『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

2020年03月28日 11時39分44秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
私共の病院にもついに、新型コロナウイルスの疑いで診察に訪れる人があらわれて来ました。

しかし皆、陰性であるようです。

感染の終息を祈るばかりです。



『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

家庭で、赤ん坊や幼児が感染症に罹患したらうつらない様に近寄らないようにし、

他の人に迷惑にならないように外出を控え自分の部屋に閉じこもるのである。

しかし心の中に巣くう恐怖や動揺、心配や憤慨等の悪感情を起こした時

それが感染しないように自己を隔離したことがあるであろうか!

これらの感情は言葉や行動で表現しないでも

周囲に感染するのであることを考えたことがあるであろうか。

恐怖より開放されるための道はただ自己の真実の自我を知ることである。

この自我を知るためにはイエスがマタ傳第5章で述べた如く

『然らば汝らの父が全きが如く、汝らも全かれ』

・・・・『あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい』

若し吾々が、神を呼ぶにせよ、神は呼ばないでも、

神は常にましまして我らを護ってい給うということを信ずるならば、

この世の中に何一つ恐怖すべきものは存在しないのである。



ある校内第一の優れた女性教師がある日生徒たちの両親から

苦情がきて生徒も勉強に興味を失い、

教室にもいる事を嫌がるようになっていました。

今や辞職を勧告されるようになったのです。

それは彼女の内に秘められていた怒りと反抗と失望と不信と未来の生活に対する

陰気な想念感情の恐怖が知らず知らずのうちに生徒たちに感染したからです。

しかし彼女は自分自身が自分に与えている害、

そして愛する生徒達に与えている害に気がついていなかったのです。

彼女はカウンセラーの助言をうけたのですが

彼女の人を排斥する感情は中々消えなかったのですが

心の訓練を継続していく中で

やがて排斥の心が素直な心に置代わり、

赦しと理解の心が憎しみの心と置き代わり、

神の愛に対する信仰が彼女の恐怖を克服したのです。





決断とは何かを捨てると云う事である。



才智ばかりで小細工する者はついにその才智に翻弄されて自己が崩れさるであろう。







新コロナウイルスと日本の民族性

2020年03月22日 00時19分07秒 | コラム・人文
まだこの地には患者が出ておりませんが。

私どもの病院でも、新コロナウイルス患者の受け入れの準備しております。



今まさに、新コロナウイルスが世界を席巻している。


この様な危機的なる時にはそれぞれの民族性が発揮される。

日本の茶事の食事の時には御膳、食器、箸も別々であり、

抹茶を頂くときにも茶碗を各々に回しますが

その際には懐紙で飲み口をふき取り相手にまわします。

人と人の距離間があり、相手を意識し、恥じらいが強い民族性があります。

神道にも穢れを忌み嫌いことがあり、それを浄める『禊の心』があります。

このような民族性が衛生面でもこの様な危機的な時に

発揮されているではないかと思われます。



また子供の姿は親の現身といわれていますが。

未知の新コロナウイルスの症状の特徴が最終的には

肺が冒され息苦しい症状が現れると言われています。

今世界を支配している風潮が人間の頭脳的な知恵で進歩してきた倫理観、道徳観で縛られた

息苦しい空間であるように思われます。


未知の新コロナウイルスの息苦しい症状が現代の風潮の現身のように観じられます。



もっと心を広く、広くして、

日本の精神である『和をもって尊し』のように寛容な心を持ち、

お互いに赦し、尊ぶことが肝要であります。



人間同士だけではなく、宇宙に存在する、

自然、動植物、細菌、ウイルス等に対しても同様であります。


なぜならすべての存在は創世記第一章に示されている

『初めに、神は天地を創造された。』とあるように


すべての存在は神が創造されたのであるが故に

宇宙に存在する、動植物、細菌、ウイルスと

吾々は同根であり一つの生命体であるからです。


一つ一つの外形に就き、それを善である、悪であると

形によって決めることは出来ないのであります。

善を形の上で判断するよりも、善の本質に入って判断しなければならない。

唯一の善は神のみである――善の本質は神なのであります。

人間の生命は『神の生命』が種から伸びて花が咲くように

咲き出でたのであります。

だから善は神からの賜物であります。







人間は霊的存在である。



本に報い始めに反る。