夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

食により心を養うことが出来る。・・・弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。  其の③

2018年02月27日 21時23分03秒 | 日本の食文化
食により心を養うことが出来る。


肉食偏重や嗜好料のとりすぎは、

健康によくないばかりか、

性格形成の上にも、

人相の変化の上にも、

人間の心にも好ましくない影響を与える。


弥生食

縄文人の狩猟主体の肉食、木の実等から

コメの主食に、魚、野菜等の副食が加わった『弥生食』へと変遷していく。

縄文人の『料理する場所と食事をする場所』が同一場所である『炉端料理』から、

弥生人のコメの炊飯、野菜を煮炊きする『竈(かまど』)の登場となります。

『竈』の導入により炉の機能の中から、煮炊き用の機能が独立して『台所』の出現となり、

住居のなかで

『竈で煮炊きする場所』と、

『食事をとる場所』がより明確に分離し、

食器も縄文人が使っていた飾り模様がある深鉢等から、

飾り模様が無い『高杯』、『椀』の出現となる。

『一汁三菜』の誕生です。

調理方法も『水』を使った『煮炊き』が基本となる。

貝塚はよく見られますが、

驚くことにフグの調理法も習得していました。

そして弥生人は父子、男女の関係なくお酒が大好きだったのです。



世界の料理方法も

『香辛料を使った西洋料理』、

『油を使った中華料理』、

水に恵まれた風土を生かし、『美味しい水を使った日本料理』等と

それぞれの地域を生かした料理方法が行われています。


日本料理では調理をする時には

『美味しい水』を使うことが最も大切な要因といわれています。

西洋料理は肉食が中心であるが為にどうしても香辛料を使って獣臭さを除去する必要があり、

黄土が多い中国ではどうしても料理に適する水を得ることが困難なこともあり、

温度が高い油を使う調理方法で安全性を確保したのです。



『神いい給いけるは、

みよ、我れ全地の面にある実胤(たね)のなるすべての草蔬(くさ)と、

核(たね)ある木果(このみ)の結(な)る諸(すべ)ての樹とを汝等に与ふ。

これは汝らの糧となるべし』

                                           創世記 第 1―29





脳髄を破壊すれば精神力はあらわれなくなる。

2018年02月26日 23時02分30秒 | 真理の言葉
すべての事は吾が為すのではなく、

神の御心が為すのである。

神の御心の如く生きよ




精神力はおおむね本源の力(神の力)を指すものではない。

精神力が第一次的生命ではない、

それは脳髄を破壊すれば精神力はあらわれなくなるので明らかである。

精神力が消えようとも、

脳髄を創造した『神秘者の力』は消えるものではない。

だから精神力が現われる前に

『神秘者の力』により脳髄は創造されたのである。

脳髄から出でた精神力は、

生命の最前線にたつ先遣隊のようなものである。

しかし先遣隊(精神力)といって軽んじてはならないのです。

先遣隊(精神力)の案内するところに

本隊(神の御心)が導かれて行くからです。



御子の権威

そこでイエスは彼らに言われた。

『子は父のなさることを見なければ、

自分からは何事もできない。

父がなさることはなんでも、

子もそのとおりにする。

父は子を愛して、

御自分のなさることをすべて子に示されるからである。

またこれらのことよりも大きな業(わざ)を子にお示しになって、

あなたたちが驚くことになる。

すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、

子も、与えたいと思う者に命を与える。

また、父はだれをも裁かず、

裁きは一切子に任せておられる。

すべての人が、父を敬うように、

子をも敬うようになるためである。

子を敬わない者は、

子をお遣わしになった父をも敬わない。

・・・・・・・・

わたしは自分では何もできない。

ただ父から聞くままに裁く。

わたしの裁きは正しい。

私は自分の意志ではなく、

わたしをお遣わしになった方の御心を行うとするからである。

ヨハネによる福音書  5.19~30







花の心・・・久遠の喜びよ

2018年02月25日 17時18分18秒 | 誌編
花の心

雨がしとしと降りそそぎ、

春めくあかりがみえ、

草々も艶めいて息を吹き返し、

一枝の生命を潔くはなつ、

花のまことの心よ、

花の久遠の喜びよ、

ひとときの憩いを癒す、

ひとしずくの永遠の恵よ。




『知恵の言葉』



婦人が人を魅する魅力は

単にその容貌にあるのではない。

彼女に愛の雰囲気が

どれほどあるかということである。



神の本性は何よりも先ず光りである。


あなたは無限の知恵がやどっているのである。

あなたは無限の愛がやどっているのである。



愛は健康の源泉でもあれば、

繁栄の原理でもある。


愛はあなたに必要なものを

なんでも引き寄せてくれるのである。



自然には無限の宝庫がある。

自然は生きている、

素直に生きている、

争ったり、

凋落しているように見えるのは、

ひがみ目である。



大自然は争っているように

見えても皆生かし合っているのだ。

自然は生かし合い、

賛美し合い、

捧げ合い、

譲り合って、

悦びの涙と共に生きているのだ。









『神を信じること』とは、また言い換えると『本当の信仰』とは如何なることか!

2018年02月24日 22時46分43秒 | 真理の言葉
多良岳に春霞がかかり、春のおとずれを感じる一日でした。
 
信仰仲間の自宅で真理の勉強会でした。

今夜はイギリス戦!

『カーリング女子』のことで意気が上がっていました。


『神を信じること』とは、

また言い換えると『本当の信仰』とは如何なることか!

神が現われると善となり、

義となり、

慈悲となり、

すべてのものが

調和ある世界が現われることとなります。

故に火にも焼けず、

水にも溺れず、

天地の何処に置かれていても

人間は自由自在な『神の子』であり、

神のすべての恩徳を享け継いだ

『素晴らしい本性』を持っていることを信じることこそが、

恐れの無い金剛不壊の世界を

得ることが出来るということであり、

そのことを把持し

そして信じることが本当の信仰である。










優れたお米。(卑弥呼米を食べる)・・・古代国家を支えた米食文化。

2018年02月23日 21時40分16秒 | 日本の食文化
弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。  其の②

『豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり』と天照大御神みことのらせ給う。


2400年ほど前、北部九州に水稲耕作文化が伝来し、

そしてまたたくまに日本各地に拡がり、米食の時代に突入したのです。

縄文土器の表面にモミの痕がついたものがありますが、

しかしコメの出現で社会が変化した痕跡はない、また木製の農耕具もないのです。

やはり米食文化は弥生時代になってからなのです。

村人総出で開墾して、共同で水を引き、イネを育てる。

春に五穀の豊穣を祈り、秋の収穫のときには感謝する

このようななつかしい故郷の風景の誕生である。

弥生土器などの誕生により、焼いたりする以外に、

火で煮炊きしたり、蒸したりする調理方法、

食事方式の変化、食器、

煮炊き用の鍋に蓋が導入されコメを蒸す技術が進化していったのです。

近畿地方の縄文時代中期の人口が2800人だったのが、

弥生時代早期には10万830人に急増し、

コメは人口増加を支える大きな力であったのです。

コメによる農耕社会の誕生により

古代国家の形成に大きな役割を果たしたのです。

『魏志倭人伝』には邪馬台国には

租税をおさめるための建物があると伝えています。

『卑弥呼の館』には、中国からの贈り物以外に、

日本各地から集められた稲が入っていたのではなかと。


人類には穀物が最良である。

古今東西どこの国でも穀類を何千年もの間変わることなく、

最も重要な主食としてきたのです。

『釈尊』も肉類には毒性があるとして、

病気の時に薬として使う以外は肉食を禁じるなどして食事の戒律を定めた。

『孔子』も『肉多しといえども食気に勝たしめず』と戒めている。


『注』

    豊葦原の瑞穂の国・・・草々が豊かにしげり、瑞々しい稲が実る国。
                    美しい日本の国を讃えた『コトバ』。







弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。・・・気候風土にあわせて、その土地でできるものを食べることが肉体的、精神的健康をつくる。・・・石塚左玄

2018年02月22日 22時09分45秒 | 日本の食文化
弥生人の食文化こそは、現代の食生活につながっている。・・・其の1




寒がゆるんで葉菜が少々出回ってきました。

ジャガイモ類の根菜類は保存が出来ますが、

葉菜類は冬の間は厳しい時期であります。

現代は手に入らない食材は外国からも取り寄せる時代になりました。

昔は地域で収穫できる食材で生活するしか方法はありませんでしたので、

まさに天の恵みを享けることの有り難さが心に染み入る時代でした。


以前は苺の出荷は二月が旬でした。

長崎の史跡『料亭花月』に『苺の赤富士』の献立がでるのも二月でした。

12月のクリスマスケーキにイチゴを沢山使い始めた頃から、

其れに合わせてハウス栽培のイチゴの出荷が早まりました。

イチゴも夏の暑い時期に多量の水を使用し、

冬の寒い時期に夜間に電熱灯を灯したり、

ストーブを燃やして収穫時期を調整しています。

このように消費者の好みにあわせて生産者が調整する時代になり、

野菜の本来の露地物の旬が見失われてきました。

最近は消費者の好みにあわせて野菜、果物等が

品質改良が為され食べ易いようになっています。

自然の食材に合わせて人間が食するというよりも、

人間に合わせて食材を改良する時代になっているようであります。



気候風土にあわせて、

その土地でできるものを

食べることが肉体的、精神的健康をつくる。

スズメ、トビ、ワシなどの野生動物は

人手の加わらない食物を摂取しているので、

病気にかかる度合いも少ないのです。

万物の長といわれる人間が病気の問屋のようになっているのは、

食養の道に一定の標準がないことと、

食物に人手をますます加えてきたことが原因ではないのか。

                                                     石塚左玄
                  
『注』

石塚左玄・・・『食医』と云われ、穀物主義、玄米食を学問的に推奨した。
       近代の『日本料理』にも多大な影響を与えた
       明治時代の医師、薬剤師、軍医でもあった。
       乃木 希典・本山 萩舟・村井弦斉・沢木興道・
       西田天香・和辻哲郎等に影響を与えた。
       天皇家の献立も『左玄』の『食養学』に基づいているといわれている。











大きなハチの巣・・・生き物たちの輪廻転生。

2018年02月21日 17時36分10秒 | 自然の育み・環境
ふと見上げと大きな蜂の巣が!

どうもスズメバチの巣のようである。

一昨年までは藤棚を作っていました。

その時は藤の花が咲く四月中旬頃から

黒い熊蜂をはじめ色々な種類のハチが

花の香りに誘われ舞い遊んでいました。

藤の花とハチは縁が深い仲であり、

スズメハチも例外ではありませんでした。

当時は別に気にも留めていませんでした。

しかし藤棚がなくなると、巣が目立ち不自然な雰囲気になりました。

厳しい自然環境下でも縁が深い昆虫と植物同士が仲良く棲み分けをし、

互いに利益を共有しているようであります。

モチの木の赤い実が熟してくるとそれをめざして野鳥が飛来してきます。

雀も穀類の中でも米が大好きであります。

黒アゲハ蝶はツバキの木と縁が深いです。

八重ツバキについた毛虫が育ちやがて蝶になり、

生まれ育った八重ツバキを忘れないようであります。

夏に家の周りを旋回します。

セミも同じように生まれた場所で産卵するようであります。

驚くことに玄関の扉近くの2m程に野鳥が巣を作ったりします。

特に大きなスズメハチ等は社会性が整っているようであります。

長年藤棚の蜂の様子を観察していますと、藤の花が咲く時期を良く知っていて、

先遣隊のようなグループが周りを警戒しているようであります。

私たちを試すが如く近づいたりしますが、

恐れたり、威嚇等をしない限り襲ったりはしないようです。

藤棚を30年間作っていましたが

子供、孫達、家族も一度も蜂に刺されたことはありませんでした。

自然界はある大いなる力が働いていて、

我が家の周りでさえもこの様に生き物、植物たちが輪廻転生して生き続けています。




硬き土地は物を生ずることは出来ない。

石の土地は豊富なる植物は生じない。

柔らかい土壌にして初めて物を育てることが出来るのです。

水が若し硬ければ蒸気になって空中に飛び昇ることが出来ない。

水の偉大さはその柔らかさにあり、

人間の偉大さも亦柔らかさにある。







柔軟心の大切さ・・・柳のようにしなやかで柔らかい心で生きよう!

2018年02月20日 23時02分51秒 | コラム・人文
一日たりとも普段の心(現在意識)の思い通りに過ごしたことが無い。

しかし実は隠れている心(潜在意識)が計画した通りに過ごしているのです。

思い通りに為らない事実を謙虚に受け止めねばならない。

その事実を基とにして再び立ち上がらなければならない。

よそ見をしないで、つまずいた処から出発しなければならない。

そのつまずいた処に、立ち上がる為の大いなるヒントがある。

すべてのことは神が導き給う知恵である。




草の庵に ねてもさめても まをすこと 南無釈迦牟尼仏 あはれびたまえ 

道元禅師の悲願の歌であり、一心で貫き通し、すこしもよそみをしない歌である。



にほの海や 矢橋の沖の 渡し船 おしても人に あふみならば

道元法師(道元禅師) 恋の歌

十三歳で出家して以来、只管打座(座禅)の生活をした聖僧道元に恋の歌があるというこの不思議さ。

親鸞ならエロスの神とも大いに交渉があったのだから納得できるけれども

道元ではそのことは考えれられないのです。

人に逢うという言葉は、道元が口ぐせのように使った言葉なのです。

人に逢うとは、

道を伝える人、

道を継ぐ人、

道を求める人、

即ち真実の人に逢うということである。

人に逢うことは道元の生涯の悲願であったのです。

真に道を求める友にめぐり逢いたい、

真に仏法を得た師にめぐり逢いたい、

真に仏法を伝えるべき弟子にめぐり逢いたい。

これが発心、修行、正悟の時期を貫いての生涯の願いであった。

この願いは人を『恋ふる』ことである。

その恋の対象が必ずしも異性でなく、

男にせよ、

女にせよ、

百歳の老人にせよ、

十歳の童児にせよ、

万難を超えてその人に逢わずにはおかないという切なる思いなのです。

『正法眼蔵』の『礼拝得髄(らいはいとくずい)』にこのことを情熱ももって書き残しているのです。

恋の歌という言葉を前にして、昔の坊さんが当惑した様子が目に見えるようです。

禅師の徳を傷つけんことをおそれた気持ちも理解できます。

道元法師はそんな『固い心』の持ちぬしではなかったのです。

宇治興聖宝林寺の開堂に『柔軟心』とある。

『恋ふる』とは魂と魂が一層高い立場で一体となる精神の動きである。

本居宣長は『もののあはれ』を『まことごごろ』にあるとし、

その『まことごごろ』が一番よく現われるのが『こひ』であるとした。

僧たる者は『人情を捨つべし』とあれほど説いた、

大悟の道元禅師が悲しさや嬉しさを歌に詠んでいることは、

道を求める人にとっては例えがないほど重要なことである。

                                            田中忠雄

                          
濁りなき 心の水に すむ月は 波もくだけて 光りとぞなる 

                                                     道元禅師

私はこの歌を、心を浄まして、奥深いに処に既に存在している実相心(本当の姿)で観ると、

波で荒れ果てている世界も

その奥に只ただ光り輝く真実の世界である仏(ほとけ)の姿が現われてくる。

と理解したいと思います。



『注』

宇治興聖宝林寺・・・道元禅師創建の日本曹洞宗最初の寺院。
正悟(しょうこ)・・・正しい悟り。








温かい心・・・雪が温かさで融けるように!  霜が朝陽が差し昇ると消え去るように!

2018年02月19日 22時54分15秒 | 日記・エッセイ
元大学の教授である大先輩のお通夜でした。

通夜の会場では文化会館での

講演の様子がながされていました。


今から40年程前に

私が京都から帰ってきた時には

心温かく、優しいご指導を賜り、

また高邁な徳久先生にも出逢わせて頂きました。

有り難いことでした。

心から御尊敬申し上げ、心より感謝申し上げ、

ご冥福を心より切にお祈り申し上げます。




温かい暖炉には人が集まる。

人を拝めば人が集まる。

他が自分に対して薄情であり、冷淡であるときには、

自分自身の心に温かさがないからである。

冷たい世界から何人も逃げ出したいからである。

温かい心がありながらも、人の欠点を責めたり、

人の過ちを裁く心は人を追い出す心であり、

そのこと事態が神に背く心である。






人生は光と闇が交錯する舞台である。・・・不来の相にして来る(文殊菩薩)

2018年02月18日 15時01分49秒 | 日記・エッセイ
長崎へ、互いにお互いを祝福し合う『祈り合いの神想観』へ行ってきました。


どんぐりのいのち

公園に植えられた椎の木も大自然の装いをしている。

人の気のないブランコのある広場に、

太陽を燦燦とあびている椎の木の根もとに

静かにどんぐりの実が眠っている。

どこに転がって行くのでしょうか!

踏まれながら、蹴られながら、流されながら

転々として大地を彷徨ながら、

どんぐりさんの故郷に還り

再び真実の花が咲くのでしょうか。



『祈るときには』

祈るときにも、あなたがたは偽善者のようではならない。

偽善者たちは、人にみてもらおうと、会堂や大通りの街に立って祈りたがる。

はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。

だから、あなたが祈りるときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、

隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。

そうすれば隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる。

異邦人のように『くどくど』と述べてはならない。

異邦人は言葉が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。

彼らのまねをしてはならない。

あなたがたの父は願う前から、

あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

だから、こう祈りなさい。

『天におられるわたしたちの父よ、

御名が崇められますように。

御国が来ますように。

御心が行われますように、

天におけるように地の上にも。

わたしたちに必要な糧を今日与えて下さい。

私たちの負い目を赦してください。

わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。

わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。』

もし人の過ちを赦すなら、

あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。

しかし、もし人を赦さないなら、

あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。

           マタイによる福音書5. 47―6.5~14



私達が生きている世界は物質で形成されている現象世界である。

そして此の現実の世界は、『心』及び『五官』の力では感じることが出来ない

奥深い心の、内なる『創造する神秘力』である『霊』が外界に現した表現である。


『注』

不来の相にして来る・・・来たらない相(すがた)をして、今、此処に既に来ている。

             真実では娑婆世界(現実世界)に生まれてはいない

             しかし現実世界の父母を通して生まれている。

             この娑婆世界は映画の舞台のようなもので、
 
             幻の如く、響の如く消え去って行くものであり

             真実の世界ではないのです。





お墓参り・・・南無阿弥陀仏をとなうふれば、梵天帝釈帰敬(ぼんてんたいしゃくききょう)す、諸天善神ことごとく、よるひるつねにまもるなり。―親鸞上人

2018年02月17日 13時58分16秒 | コラム・人文
お墓参りに出かけると、

週末で天気が良いので沢山の人がお参りに来ていました。

『公営墓地』、『寺墓地』は便利ではあります。

直ぐ側まで車で横付け出来ます。

水、桶、柄杓、廃棄物の篭もあります。

共有通路は定期的に清掃が為されています。

そして『寺墓地』はお坊さんからお参りもして頂きます。

月一回の目標でお墓参りをしています。



家の仏壇の位牌、祖霊舎の霊璽(れいじ)、御霊代(みたましろ)等に

鎮まる『幸霊(さちみたま)』の前で礼拝、お参りするように、

お墓に鎮まります波動が粗大であり荒々しい『荒霊(あらみたま)』にも

お花等を手向けてお参りするのがよいとされています。


また悟りを開いている叡智の奇霊(くしみたま)は肉体を脱した時、

実相の霊である『直日霊(なおひのみたま)』に還る。

『和霊(にぎみたま)』は天界に昇って天界を拠点として社会国家のために活動する。

古神道ではこのことを『一霊四魂』と説いていて、

一霊が四っに分化してそれぞれのはたらきを為していると云います。


墓はよく清掃して、合掌礼拝して経等を読誦して、

供花等を怠らないようにするのがよいとされています。

墓の納骨堂は雨期に水浸しにならないほう良いのです。

また納骨堂の地面はコンクリートではなく、自然の土がよろしい。

骨は速やかに大地に還したのが良いのです。

そうすることにより速やかに生まれかわりを促すことになります。

それは愛と尊敬と感謝の表現であるからです。










如何にすれば境遇を改善し得るか!・・・平安な心に至る道しるべ (其の5)

2018年02月16日 22時24分51秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
ベートーンヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴きながら書いていますけれども

ベートーンヴェンも音楽家にとっては致命的な耳の病に冒されながも

不屈の精神力で力強い、霊感溢れる優れた曲を作曲しました。



場所に漂う雰囲気


ある時フエンイック・ホルムスはロンドンで大きな家を買って

クリスチャン・サイエンスの治療院を開いた。

患者募集の広告を出した。

彼は有名なだったにも拘わらず、はじめは誰一人も来なかった。

街に住んでいる病人で、毎日治療を受ける約束になっていた婦人が約束の時間よりも遅れて来た。

ホルムスが遅刻の理由を婦人に聞いて見ると、

治療院に近づかせないように、何かの力がはたらいて、

一時間も近くの公園のベンチに掛けていたのだと答えたのです。

ホルムスはその後に、この購入した大きな家を調べて見ると、

その家は個人経営の病院としてこれまで使われていて、

多くの患者が苦しんだり死んだりした所であることが判ったのです。

ホルムスは各部屋に往き、

すべての部屋が平和と信仰との雰囲気に満ちるように祝福の思念をし、

心の中に患者が一杯訪れ来ている有様を描いたのです。

しばらくするとこの治療所の部屋は病人で満員になり、

ホルムスのこの治療所はその後、常に繁盛したと云うことです。




私も以前ブログで紹介したことがありますが、

ある購入した土地に入ろうとすると何かの力が働いて、

どうしても近づけないと云う相談を受けたことがあります。




吾等は自己自身の天国と自己自身の地獄とを自分の手でつくるのである。

吾々の心に思い浮かべた観念を形に現してくれるからである。

暗黒的な雰囲気に冒されたと思ったら、

積極的な明るい態度をとって『自己は神の子』であり、

万物を支配する権を与えられているのであるから、

暗黒的な雰囲気以上に勝るものであり、

優越しているものであると自己の心に宣言しなければならない。



天国も地獄も自分自身の心のなかにある。


自分の心根しだいで天国にも地獄にもなります。

吾々の心に思い浮かべた観念を形に現してくれるからである。








不幸の癒しは時間、空間を超越して訪れる。・・・自分自身と他の人々とは奥深い世界では繋がっていて一体であるから!(平安な心に至る道しるべ― 其の4)                 

2018年02月15日 20時28分19秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
新幹線は1964年(昭和39年)東京、新大阪間が開業しましたが

それから58年後の2022年にいよいよ、九州新幹線長崎ルートが開業の予定です。

勤務先の病院の直ぐ裏側に新幹線の諫早駅が改装されています

駅の周辺は再開発されます。

新しい駅が出来ますと周辺に異郷の新しい人々が集まって来ます。

駅周辺はまるで植民地の新しい風が吹いているような街に変貌することでしょう。





施法の原理・・・何故他人の不幸を癒すことが出来るのか!


『神は全てのすべて』であるが故に、

神の霊の世界には自分と他の人々との境界線などは存在しないのです。

諸君が祈り言葉を黙念した瞬間、

その言葉は被術者の心の上に刻みつけられているのである。

なぜならその黙念された言葉は

時間も空間も超越せる

霊の世界において語られたことになるからです。

時間、空間を超越せる世界は

自分と他の人々を分かつ境界線は存在しないのです。

従って自分の心のうちに悟られた癒しの真理は、

被術者の人々の心の中にも癒しの真理の悟りが開かれることになるのです。







不幸は心から生ずる・・・平安な心に至る道しるべ (其の3)

2018年02月14日 21時36分46秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
二羽の若い白鷺が水面擦れすれに、

自慢げに白い翼を映して飛翔している。

幼い鷺達が愛に目覚めたのだろうか、

ホバリングして他の仲間に分け入る。

凍てつく朝の水辺は白鷺の天国である。



重荷をあげてくれるのは愛である、


あらゆる仕事を照らすのも愛である、

汝ら恐れないで争いを止めるのがよい。

 

何事を人がしようとも、言おうとも、

それが自分の心の内に入ることを許さなければ、

それは吾等に何らの不幸も与えることが出来ない。

他の人が自分の前で憂鬱に陥ったり、

くよくよと心配したからとて、

自分も不幸にならなければならない理由はないのである。

自己の幸福を他の人、または物から得ようと、

外の物に以来心を起している間は、

真の幸福は得られないのである。

もし何者かに寄りかかっているならば、

寄りかかっている相手の動きによって、

幸福は浮草のようなものになるであろう。

また境遇の奴隷となるであろう。

  



不幸を克服する。・・・平安な心に至る道しるべ (其の2)

2018年02月13日 21時58分27秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
今日は一転して青空がひろがり過ごし易い一日でした。

吾はすべてのものを与え給し吾が父に感謝します。



ユング(Carl Gustsv Jung)は人類には潜在意識のもっと深いところに

『普遍的無意識(宇宙意識)』(collective unconscious)が存在していると言います。

又は集合的無意識とも云います。

あらゆる民族・あらゆる時代のすべての神話や童話の

普遍的根本理念を人間は共有している、

神話について意識的には何ひとつ知らないような

個々の人の観念のなかにもそれは姿を現すのです。

潜在意識の深いところには

宇宙意識(神的性質)が存在しているいることになります。



現在意識は潜在意識を源として、発生したものであり、

固体がその環境に接触し、その環境を支配する為に発達したのであるが、

やがて潜在意識は逆に現在意識の暗示に服従し、

その希望を実現するために奉仕をする。

『この心の事実』を利用して運命を支配する戦いに、

希望を持って進むことが出来るのです。

神に繋がる潜在意識に、完全なる想念又はコトバを印象付けることによって、

肉体を健康に、又は運命を幸福にすることが出来るのです。