夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

木造建築の長所(法隆寺)

2024年04月17日 00時05分02秒 | 歴史
令和6年4月16日(火)

雨だれ

ポト、ポトと雨の雫が心に鳴り響き

気だるさと、開放感に満たされ

心に潤いと、平安が沁みわたり

生命の泉を、どこどこまでも遊泳し

何処に、行き着くのだろうか

このまま、雨だれと共に

全てを、神様にまかせたい




松の簡単な剪定がやっと2本済みました

後5本は厳しい。



隣の家の屋根の葺き替えをしている業者さんが

私どもの紋入りの瓦屋根を見て一度無料で点検しますと言うことで

明日来ることになりました。

最近の屋根はメンテンナンスが不要な材料があるという事で、

施工期間が短くて驚きました。

建坪60坪の瓦屋根は丈夫そうに見えますが、

大国柱が丈夫でないと瓦の重みで家を押し下げます。

遠くから観察して屋根の峯と峯の間の谷の銅版に緑青が出ている事と

鬼瓦の漆喰が痛んでいるようだと言われます。

また最近は瓦の生産はしていないと言われます。

木造建築の弱点は雨に弱いということです。

世界最古の木造建築の法隆寺が1300年程長きにわたり続いてきた所以は、

これまでに何度も修理、修復、再建を繰り返してきた結果だといえます。

又その費用も賄えたと云うことです。

木造建築の長所はこのように鉄筋コンクリート建設と違い

メンテンナンス施工に向いている事だと思われます。

それと古代から木造建築の技術力が優れていたと思われます。




霊感に溢れたヨハネによる福音書
                                                                        
言(コトバ)が肉となった

初めに言(コトバ)があった。言(コトバ)は神と共にあった。

言(コトバ)は神であった。

この言(コトバ)は初めに神と共にあった

万物は言(コトバ)によって成った。

成ったもので、言(コトバ)によらずに成ったものは何一つなかった。

言(コトバ)の内に命があった。

命は人間を照らす光であった。

光は暗闇(くらやみ)の中で輝いている。

暗闇(くらやみ)は光を理解しなかった。



豆畑(半開化の畑)

2024年04月15日 19時24分12秒 | 誌編
魅惑のポピー

待ちわびたポピーよ

魅惑の細い脚線美を風にまかせ

舞い遊ぶ花びらの麗しさよ

太陽の熱きまなざしを受け

喜びに満ちたポピーよ




昨日畑の雑草を刈り取り、畑に雑草を積み上げ
日に晒し乾燥してから始末しようと思いましたが
空模様が怪しくなり、生の雑草を袋に入れました。




豆畑(半開化の畑)

わたしは諸君に、もしできるなら霧があるうちに

すべての諸君の仕事をするように忠告したい

ー わたしの畠の高慢な雑草の列を切りたおし、

その頭に砂をなげかける仕事にかかった。

しかし時刻がうつるにつれて日はわたしの足を焼いた。


・・・・・・・・英国乾草の収穫は克明に計られ、

水分も珪酸塩も加里も計算される。

しかし森や牧草地や沼沢のすべての谷あいや池の隅に

ゆたかでとりどりな実りがあるのだが、ただ人が取り入れしないだけなのだ。

わたしの畠はいわば自然の畠と人為のそれとの中間的存在だ。

ある国々が文明であり、他の国々が半開化であり、

また他の国々が野蛮未開であるように、

わたしの畠は悪い意味ではないが半開化の畑であった。

・・・・・・・・・畠が農夫の納屋をみたすかどうかは比較的に大した問題ではない。

真の農夫は思いわずらうことをやめるであろう。

リスが今年は森で栗が実ろうが実るまいが知らん顔をしており、

一日一日でその労働を終わり、

彼の畠の産物に対するすべての権利を捨て、その心のなかで、

彼の最初の実りばかりでなく最後の実りをも犠牲にしているごとく。

ウォールデンソーロー





京への想い

2024年04月12日 22時26分55秒 | 誌編
令和6年4月12日(金)

雨の散華

見上げては麗しき喜びの讃歌を詠い

はかなくも身を大地に捨てては慈しみを

清らかな生命を無限に生きるあなた。






京への想い

神祭り しんなりと弾く 三味線や


帝の移り香が薫る鴨川に光る燈篭。

清水で清められた坪庭にカラカラと格子戸が開き、

『おいでやす』 としんなり(神成り)と

快い舞妓さんの声

艶かに座る佇まいに煌めくかんざし、

振袖をたぐる白い指先がしなやかにしなり、

『ほなおおきに』 と優しく、

円やかではんなりとした振る舞い、

和み、淡い旋律となり心の奥底に響く、

長閑な平和と、温かい

はんなりとした文化が祇園の石畳みにひろがる。

八坂神社を仰ぐ門前町、いにしえよりの文化が色濃く残る

祇園に倭姫の『神よび』の火打石がひかり、

連綿とした伝えて来た祇園祭り、生活文化、

優しくも、尊さに溢れた上品な京ことば。




自然界の不思議(自然農法)

2024年04月10日 23時26分13秒 | 日記・エッセイ
令和6年4月日(水)

自然界の不思議(自然農法)

庭の芝刈り、7本の松の剪定を始めました。

去年は庭木の剪定、小さな畑も休耕していましたので大変です。
しかし不思議なことに、休耕していた畑に今まで見たことがない花々が咲き、
植えもしない、肥料、水もやらないのに大きな一本の大根が実りました。
帰省した何人かの孫達がやっとのことで引き抜きました。
孫達には大変貴重な体験でした。
自然界は不思議なものです。



1854年に出版されたウォールデンソーロー作 『森の生活』で書かれた
自然農法を思い出しました。

1854年に出版されたウォールデンソーロー作 『森の生活』
1879年5月16日改変第冊発行 岩波書店
ウォールデンソーローは神秘主義者の『ラルフ・ワルド・エマソン』からも多大なる影響を享けました



芸術・自然・唯一つ心

画家が自然を見てその意義を表現する場合、彼が自然に内在する意義を捕捉することが出来るのは、自然そのものの中に『則ち心的なるもの』があるからである。
自然も決して機械的偶然の物質集合体ではないのである。






肉体的な現象世界を失う事で、かえって心の中(うち)に浄められた 美しいものが目覚めます。

2024年04月07日 21時26分09秒 | 日記・エッセイ
令和6年4月7日(日)

肉体的な現象世界を失う事で、かえって心の中(うち)に浄められた
美しいものが目覚めます。

今日は半身不随で言葉が出ない、息子の面会日である。
人は当たり前の生活をしていて、
或る日突然にその生活を悲劇的に失う事で、
肉体的にも精神的にも、どん底に追い込まれますが
しばらくすると心の奥底から
きよらかな浄められた精神が目覚め、
周りに清々しい息吹が広がります。
人間の素晴らしい心根です。



心の法則を知るものは運命の自由を得るのである。

心こそ自分である
心ひとつで幸福になれる。
心に輝く喜びの時刻だけを記憶しましょう。
朗らかに笑って、明るく陽気に生きる



天は高く地は低く、
天に太陽輝き、
地に水分潤う。
陽気を受けて、地にものが育つのは
永遠にかわざる真理である。




心に禍を描かない!!

2024年04月05日 15時13分15秒 | 日記・エッセイ
令和6年4月5日

長年冬眠状態のブログを冬眠明けの亀のようにゆっくりと再開します。
3月末で35年勤務した病院を退職の予定でしたが・・・・・
事情により年休を取得して4月末までの勤務となりました。
現在、3年前から隣街に住んでいます。
この街は国の施設が多く桜の木が沢山植えられていて
桜見には恵まれており、家内も喜んでいます。
また全国でも珍しく人口が毎年、着実に増加している街です。
大きな屋敷の旧家が多く、公民館には『和を以て貴しとなす』
の額が掲げられた、保守的な町に住んでいます。
冬眠期間の4年間は世界、日本共々に激しい変化と変貌があり、
困難な状況に置かれていますが、
明るく、希望に満ちた世界が開かれる事を切に祈るばかりです。
そう願われずにはいられません。



心に禍を描かない

『心に禍を描いたら、最初は主観的のみに存在する禍が客観的に形造られ、
禍の渦巻きの中にみずから溺没する』

自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。