夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

AI(人口知能)が人間を飲み込む・・・自己の存在を内なる心に振り向け既に『素晴らしい存在』であり『神の子』であることに目覚めなければならない。 今此処が既に天国であり極楽浄土であると!!

2019年01月30日 18時09分04秒 | コラム・人文
物質的な『AI(人口知能)』が人間の本質を呑み込むのではないかと危惧されているのです。

ICチップを指&脳に埋め込み、カード決済や企業など重要な判断を

ICチップやAIに委ねることが実用化されたのも『人間の本来の本質』ではない、

人間が神の力を得ようとする野心と欲望の産物である『人間至上主義』の成果ではないかと思われます。

知識の獲得などの合理的な現象面に心を振り向けるのでなく、

心の内面に振り向け心の深奥に大宇宙を観るが如く、

人間とは如何なるものかと云う人間本来の本質を知ることが大切であると思われます。



『ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)』の言葉


AI(人口知能)が人間を飲み込む


AIは感情や主観もなく、人間とは全く違った存在なのです。

最も大切なことは自分自身を知ることだと思います。

自分が何者であるかを理解することです。

テクノロジーを追い求めるだけでなく現状に満足する方法を学び

自分の内なる考えを深く理解することに時間を使うべきなのです。

あなたの心はどんな声を発していましたか

AIは神のような力を獲得しホモ・デウス(神の人)へとアップグレードするものになるだろう。

AIは社会を変えるだけではなく体も精神も、私たちを根本的に変えてしまう可能性があります。

知能と意識は全く異なったものです。

知能は問題を解決する能力です。

意識とは物事を感じとる能力です。

苦痛、喜び、愛、憎しみなど主観的なものです。

人間はこうした感情を通して問題を解決します。

コンピューターは感情などの意識を発達させることは全くありません。

最も恐ろしいシナリオは、意識や感情を全く持たない超知的な存在に世界が支配されることです。

特に重要な新しい技術バイオテクノロジーとAIは良いことにも悪いことにも使えます。


人間を神にアップグレードしホモ・サビエンス(旧人類を含む全人類)を

ホモデウス(神の人)に変えることを目指すであろう。

テクノロジーの進歩が人間の手に負えないものになる。


『注』
ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)・・・イスラエルの歴史学者
                             『サピエンス全史』、『ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来』の著者




一日の終わりは明日への始まり



初めに、神は天地を創造された。神は言われた『光あれ』こうして、光りがあった。

さわがしき 風につけても 外国に いでて世わたる 民をこそおもへ ・・・ 常にどの様な時にも民に思いを寄せられる大御心の深き慈愛。

2019年01月27日 22時43分46秒 | コラム・人文
和の精神


妻と一緒に大阪なおみさんの決勝戦をテレビで観戦しました。

スポーツ観戦は久しぶりでした。

大阪なおみさんの活躍を見ていますと、はにかみとウエットのなかにも

素晴らしい集中力とパワーがみなぎり、執着心のない、内に秘めた強い信念を感じました。

そして優しい控え目な和の心を持ち合わせている姿に感動しました。




御製 明治天皇


さわがしき 風につけても 外国に いでて世わたる 民をこそおもへ

神がきに 朝まゐりして いのるかな 國と民との やすらからむ世を



よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ


いまから千四百年ほど前 聖徳太子は十七条憲法というものを定められ 

その第一条に 『和を以て尊しとなす』としるされた。 

この和を尊ぶ心、つまりは平和の精神こそ、長い歴史のなかで培われ、

連綿として続いてきた日本の伝統の精神の根底をなすものではないだろうか。


                    パナソニック創業者 松下幸之助 



 
ひと時を癒す黄色い花びら



長崎市内は空気が澄みきり穏やかな素晴らしい快晴

陰、極まって陽生ず・・・花も、樹も、生き物も日々精進してより美しき姿を現している。

2019年01月26日 15時24分12秒 | コラム・人文
インフルが出盛りとなりました。

該当病棟への出入りにもI Cカードで制限されました。

陽気な春の到来が待ち遠しいですね。

花も、樹も、生き物も移り変わる日々のなかで精進して、

より美しき姿を現しているのです。



キリストの生活の摸倣

かくてイエスまた人々に語りて日(い)ひ給う。

我は世の光なり。

我に従ふ者は、暗き中(うち)を歩まず、

生命(いのち)の光を得べし
                     ヨハネ傳 第8-12



すべての生物に宿る叡智


凡ての生物(いきものは)は、どこかに、キリストの光を受けて、生活の修行を為すことが出来るのである。

私は或る日、森の樹の下に静かに座り、小さな口笛を用いて、

森の小ネズミの鳴き声を真似していると、その声に引き付けられて、

獲物を探していた一匹のイタチが私の足元の至近距離まで誘われて来たのです。

イタチの姿は全て私の前で見えるのである、

どこにも逃げ隠れるような、障壁は何もなかった。

私の眼はまともにイタチを見た。

その瞬間に電光石火かのごとく、素早く姿を消した。

この彼の本能的な自己防衛の能力は

神がイタチに与えたところの叡智の光りである。




ただ神のみ暗黒を照らすことが出来るのである。


これに生命(いのち)あり。この生命は人の光

光は暗黒(くらき)に照る。

しかし暗黒(くらき)はこれを悟(さと)らざりき。

                      ヨハネ傳 第1-4-5

                      スターデリー (Starr Daily)1953




冷たさと温かさが漂う寒牡丹・・・祐徳稲荷神社





何で近づくのだろうか! 寄るな、触るな、アッチへ行け






心は魔術師である・・・心が解放され自由自在になり豊かなる平安へのヒント。

2019年01月23日 19時07分35秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
ありふれた素材のなかにヒントがあり斬新さがある。

そのアングルを変える事により新たなる発見がある。



密室のパンドラ。

例えばエレベ―タ―に乗りボタンを押すと

自分の押した階に必ず着くのであるという誤解がある。

たとえボタンを押しても自分の押した、思い通りの階には

必ず着くとは限らない。

他の階で誰かがボタンを押しているからである。

此の事がなかなか理解出来ない。

それは他の階で押した人が認識出来ないからである。

だからエレベ―タ―の扉が開くと

着いたと思って反射的に直ぐ降りようとする。

また扉が開き、どうも目的の階ではなのではないかと感じると

まるで始めて来た別世界のように驚いて目を見開く。

この思い通りにならない状況を

なかなか直ぐには受け止めようとはしない。

その挙句いら立ちヒステリックになる。



心の退行・・・先祖返り


多くの人間はどうも幼児のように何事も

自分の思い通りに成ると云うことを信じているようである。

思い通りに成らないと『ヒステリック』になり『パニック』に陥る性質がある。

『パニック』に陥ると幼児性的な

自己保存性の強いナルチシズム(利己主義)へと退行するようである。



愛と憎しみ・・・相反する心(アンビバレンス)


おさな児が父と母の愛を求めるように。

乳児が母の乳首を噛むように

思春期に父と母を憎悪し反抗したように。

大人になると超自我(幼児時代の自我)が災いして、

隠れた意識の奥で愛と憎しみの心が相反して

『現在の自我』を悩ますのです。

隠れた意識の奥で父母と共に生活した幼児の時代に退行し

『思い通りにならない心』を貴方のお蔭であると、

父母を責めるようなものである。

このようにして無意識の世界で父と母のへの

愛と憎しみが相反して苦しむのです。

吾々はこの奴隷的であり、母の乳首を噛むという

幼児的な利己主義(ナルチシズム)から

脱け出でなければ『心に自由を取り戻す』ことは出来ない。



相対する人への感情の移入


吾々の現在意識には幼い時に父母と兄弟、周りの隣人達等に向けた

悪感情、憎悪の感情は忘れ去っているかも知れないが、

幼い時の父母、縁者の代理者として現れている現在の『夫、妻、兄弟、周りの隣人』に

『悪感情、憎悪の感情』を無意識的に移入しているのです。



父母との和解・・・心の魔術

その脱け出すヒントは生を享けた原点である父と母と和解しなければならない。

無意識の世界に抱いていた、父と母に対しての悪感情、憎悪を捨て去らなければならない。

だからこそ父母と周りの一切の人々と仲良くして和解すると、

『魔訶不思議』にも幼児的な利己主義(ナルチシズム)から脱け出でることが出来きて、

心が解放され自由自在になり平安になることが出来るのです。



感謝はすべてを癒す


そして更に前向きになり、天地一切のものと父と母と一切の人々と物と環境に

有り難く感謝することです。

すると不思議にも穏やかな平安が訪れることになります。



無条件の愛を与える


感謝とは天地一切のものである

神、佛、御先祖、父母、人々、大自然、置かれた環境などに対して

一切の自分の自我を捨てて、無条件に愛すると豊かな心を与えられます。




純潔のクチナシさん



水の仙人さん



今年は山が豊作なのだろうか、野鳥がツルウメモドキの実を食べ残している















大いなる神秘・・・枯れることのない精霊の清水。

2019年01月21日 23時11分12秒 | 誌編
生命の泉

朦朧として

道をさ迷う

虚ろな光景

霧が広がり

街の騒めき

誰かが囁く

遇ったことが

有るのだろうか

足もとが舞い

けむりとなる。

ここは何処だろ

愛のささやき、

愛の戯れ、

愛の悦び

生命の泉

枯れることのない

精霊の清水

雲霧の奥に流れる

精霊の霊水。



祝福の祈り

昨日

悩める人達の為に

皆で瞑想をして

祝福を祈りました。






大いなる神秘


朝起きたら、

太陽の光と、

おまえの命と、

おまえの力とに、

感謝することだ。

どうして感謝するのか、

その理由がわからないとしたら、

それはおまえ自身の中に、

罪がとぐろを巻いている証拠だ。


ネイテイブアメリカン 
ショーニ族の酋長 ラカムセ(Tecumseh)(1768―1813年10月5日)





おお! 大いなる魂よ私は風の中にあなたの声を聴きます。



多良岳


苦しみの奥に聖地がある。・・・有り難いばかりの人生である。

2019年01月19日 09時41分44秒 | 誌編
結実

温かい太陽と

降り荒れる慈雨を

素直に享けるとき、

芽が出でて、

葉が茂り、

幹が伸び

花が咲き、

実が結実するのである。

そして大地にすべてを

まかせるとき

永遠という華が咲く。





煩悩を貫いて歓喜に至れ、



涙の奥に聖地がある。

煩悩、則菩提なり。

今、此の身

今、この侭

置かれた環境が、

天国であり、極楽浄土である。

人間はすでに多大なる

恩恵を授かっているのである。

有り難いばかりの人生である。




朝、覚めると

有り難くない感情がうごめく。

心がのた打ち回っているうちに

不思議にも明るい言葉が降りてくる。




永遠という華が咲く。



苦しみの懸け橋を渡り歓喜へ



我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に

2019年01月18日 22時47分02秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛し子の 波間に光る 天の川 

今日は初観音

『観音の縁日』は我が愛する子へ『回向』させて頂く尊い縁日です。

律儀で何事でも全力で成し遂げる子でした。



我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に



我々が隣人、家族を愛し、友と語らい、一筋に求めた理想、献身は

『死後』、肉体の消滅によって、肉体と同じように煙のように消えてしまうのでしょうか。

悪行三昧、悪戯に生きる事も、

ひたむきな献身も善意もことごとく同じ価値観でしょうか。

もしそうであればこの世界には直向きな愛も、

如何なる善意も無いと等しいことになります。

それではあまりにも痛ましい人生であります。

だからこそ喜べば喜び来たる、

他に祝福を与えると祝福が自分自身に来る、

悪意を持てば悪意が返ってくることのように

『因果の法則』が働くのです。

それ故に死しても善業も悪業も

現世から来世へと引き継がれ精算が行われる所以があると思われます。

一枝に真を生きた椿さえも、

潔く散り、永遠のよろこびを大地にまかせ、

ふたたび生命を輝かせるのです。



死後の霊魂

肉体を去った念(こころ)は

その念(こころ)の力で一つの個性を持続して

幽界(死後の世界)で生活を続けることになります。

これらが『霊魂』と云われています。

念(こころ)が浄化するにしたがって、

その念(こころ)に相応しい霊界(死後の世界)に留まり、

悪を念じたり、不浄を念じたり、執着を持ったような念(こころ)の浄まらざものは、

それにふさわしい境遇(幻しの世界)を念の力で造りあげ、

その境遇の世界『幻しの世界』で苦しむことなる。

是がいわゆる『地獄の世界』である。

本当は『実在していない地獄の世界』の苦しみは

自分自身の心で造りあげ、自分自身が自ら苦しんでいる『幻しの世界』である。



だからこそ明恵上人が歌われた


ながき世の 夢をゆめぞと しる君や さめて迷える 人をたすけむ



ながい人生は夢(現象の世界)であり、

真実の世界ではないということを知っている君は 

心が現している虚像の世界からさめて(覚り)。

迷える(現象の世界で苦しいでいる)人々を救いなさい。




臨死体験で『幽体離脱』を体験する人々


自分の肉体を脱ぐのをはっきりと自覚しており、

私たちが科学的用語を使って理解しているような死は、

存在しないことにも気づいている。

死とは蝶がマユを脱ぐのと同じで、

肉体を脱ぐだけに過ぎません。

より高い意識の世界への移行であり、

その世界では歓喜に満ち、苦しみの無い愛に満ちた永遠の生命を理解し、

ますます『魂』が生長することが出来るようになれるのです。

            Eキュ―ブラ―ロス(Elisabetb Kubler-Ross)





一枝に真を生きる椿



愛し子の 波間に光る 天の川







淑やかにゆれる冬薔薇・・・すでに希望は我が内奥で発芽して、叶えられ実現しているのである。其のことを素直に認めよ。

2019年01月14日 15時53分17秒 | 真理の言葉
輝やしくも 日だまりゆれる 冬薔薇の

今日の祭日は出勤日でした。

通勤の細道に

淑やかにゆれる

冬薔薇の蕾に出会い、

夢と希望がひろがり、

清楚な美しさに

一瞬足を止めました。




先ず人間の天命を知り、人間の本質を知る事である。



吾々の希望、願いは必ず叶えられ、成就するようになっているのです。

吾々の魂の奥底なる希望、願いは神が植え付けられた天命であります。

人間の本質は佛であり、如来であり、

神の生命を其のまま授かった神の子であり素晴らしい存在であります。



人間の不幸、病気などが人間の本来の姿であるならば、

幸福になりたいとか、健康になりたいなどとは思わないに違いありません。

人生にもいろいろな失敗がある。

しかしその失敗したが為に人間は運命が好転する。

吾々が幸福になりたいとか救われたいと願うのは、

すでに自分の内奥に

『既に幸福があり、救われている自分が在る』からそう願うのです。



『衆生久しく成佛せるに未だ成佛せることを知らず』 

                   弘法大師空海 即身成佛義 

吾々は久遠のまえから既に救われているのに、いまだに救われていることを知らない。




輝やしくも 日だまりゆれる 冬薔薇の




素朴で広い広い、もっともっと広い、おおらかな愛

2019年01月13日 14時15分28秒 | コラム・人文
明日は成人式。

若者を敬愛し、讃嘆と祝福を贈りましょう。

『若者、息子、娘、孫、曾孫』は己の確実な『来世』であります。




素朴で広い広いもっともっと広いおおらかな愛

天皇様の素朴でひろい大愛が、

日本文学で最も美しいと文章と云われている『古事記』に

天皇様が歌われた、美しい心温まる『御製』が連綿として歌われています。


媛蹈鞴五十鈴媛がお后として後宮に参(ま)入り時に歌をよまれた。

その後三柱の御子様がお生まれになった。


葦原(あしはら) しけしき小屋(おや) 菅畳(すがたたみ)

いや清(さや)敷きて 我が二人寝し


                            神武天皇 御製


『注』

葦原(あしはら)・・・葦がたくさん生えている原っぱ。

しけしき・・・穢い荒れた

菅畳(すがたたみ)・・・菅というカヤツリグサ科スゲ属の植物で編んだ敷物。

いや清敷きて・・・いよいよ清らかに敷いて

我が二人寝し・・・私(神武天皇)が、そなた(媛蹈鞴五十鈴媛)と寝たことだ。

媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)・・・神武天皇の皇后。



幼などき 集めしからに 懐かしも しがらき焼きの 狸をみれば

                    昭和天皇御製 昭和26年11月15日 しがらき焼きの里にて




生と死のアンビバレンス(ambivalence) ブラックホール





わが家の狸







縄文の古代より日本で独自に発達した『水晒し』の調理技術・・・体にやさしい食物を

2019年01月12日 12時56分27秒 | 日本の食文化
今日は初酉で、鏡開きも終わり、

新たに新年を迎えたような心持ちです。

朝靄にケーンケーンと力強い鳴声を上げて雉(キジ)が羽ばたくように

新たなる境地へと前進したいと願っています。



菩提寺の住職から頂いた年賀状でのお説教です。



よろこんであたえる人間になろう

物が有れば物を 力があれば力を 

知識があれば 知識を みんなに与えよう

無ければ自分の中に育てて与えよう

花は美しさを惜しまず 小鳥は歌をおしまない

誰にでも与えている

与えるとき人は豊かに成り 

惜しむとき いのちは貧しくなる

よろこんで 与える人間になろう

おさなきときにも おいたるときにも
 
みおやに かわらず つかえなん


浄土宗 常楽山 慶巖寺 



縄文の古代より日本で独自に発達した『水晒し』の調理技術


縄文の古代人はドングリのタンニン(tannin)の苦みを除去する為に、

砕いて水に晒して食べたのです。

トラフグの骨が各地の『古代の貝塚』から発見され、

テトロドトキシン(tetrodotoxin)の猛毒が含まれているフグなども古代人は

卵巣や肝臓などの臓器を除いたあと肉も多量の水で晒したのです。

古代人が考え出した知恵であり調理技術です。

それは現代の『日本料理』にも連綿として引き継がれています。




外国ではあまり見られない『アク抜き』の調理技術。



日本は水晒しの水、食塩水、酢、ミョウバン、灰汁(アク)、重曹水、米のとぎ汁などを使って

身体に良くない汚れ、アク、又は酸性度あるいはアルカリ度を中和させる『アク抜き』は

日本独自で発達したものです。


その心はすべてのものを祓い清め、

神火清明、

神水清明、

神風清明

の言霊にあるように、純粋なものみをひき出す

禊祓(みそぎはらい)いの心です


その背景にあるものは豊かな森林、清浄な水、豊饒な海に恵まれた

自然が広がっていたことが挙げられます。

これらの自然を保全してくことが求められています。



初釜茶事


ホトケノザ(仏の座)Lamium amplexicaule




善き運命に転じることが出来る。・・・・・・運命は神が考えたものだ 人間は人間らしく働けばそれで結構だ・・・夏目漱石

2019年01月07日 20時31分22秒 | 真理の言葉
『七草がゆ』の日であり。

店頭にはしなやかな草々が並べられ、

日本の美しい四季の移り変わりを感じます。



『神の無限なる愛』との一体の自覚


不幸から自己を護るのは、自分の心の内に『不幸を予感』することを

止めることから始めなければならない。

人を批評してはならない、人を言葉でこきおろし、

悪しざまに言ってはならない、

人を傷つけたら、ボールを壁に投げたら跳ねて返ってくる『動反動の法則』によって、

自分自身が傷つくことになるのである。

天地一切のものと和解し、さらに全ての人々、森羅万象、物事に感謝して、

『神の無限の愛』を我が胸に抱き『この優しき無限の愛』との一体感を自覚して、

もうすでに癒されたのであると感じて『神の愛』に感謝しなければならない。



善き運命に転じることが出来る。


一切の不調和なる心の念(おもい)を

感謝に転じれば一切ものは悉く神霊に導かれ

『善なるもの』が顕れ、全ての環境(人生の思い)が変化するのである。



小野町 宗形神社


雲仙 普賢岳

永遠のテーマである — 人生は何のためにあるか? 何のために生まれたのだろうか?

2019年01月06日 18時00分12秒 | 真理の言葉
病院は365日、毎日24時間動いています。
屠蘇気分も覚めて、

新しい年号である今年が動き出しました。

日も段々と長くはなりましたが

空風が吹き今日は寒の入りの『小寒』です。

フロントガラスも凍り付き

これから南国も本格的に寒くなりそうです。



今年初めての講話をさせて頂きました。



『人生は何のためにあるか』をお話しました。

何のために人生はあるのだろうか?

何のために生まれたのだろうか?

これを知ることが人間の切実な問いである。

自己が存在するならば自己の存在を自己が知らなければならない。

自己が自己を知ることは、『眼』が自分の『眼』を見ることが出来ないように

そのままでは出来ないのである。



『人生は何のためにあるか』?

眼が眼を見るには、眼は鏡を用いて

仮に自己の外に『自己の影』を見なければならない。

神が人間をつくったのは、神が自己自身の生命の歓喜を見るために、

神自身の歓喜の姿を、神自身の外に『神自身の影』を創造したのである。

此の神の創造を『此の世』に持ち来し、薔薇がバラの花を咲かせるように、

カンバス(canvas)に絵を描くように、

『人生と云う画題』を無限に描き、表現することが人生である。



『何のために生まれたのだろうか』?


神の無限の知恵、神の無限の愛、神の無限の生命、神の無限の供給、神の無限の歓び、

神の無限の調和等の『善なる神の無限の御徳』を此の世に実現する為に生まれたのである。



人間は神そのままの『写し』である。

神は完全で円満であるから

人間も完全で円満であるのが真実である。

しかしながら本来は完全円満なる天国(エデンの園)の世界に住していたのにもかかわらず、

蛇の誘惑に負けて『知恵の木の実(分析の心)』を食べて

『善』も『悪』も存在すると云うことを知り、

また男と女との区別を知り、恥じらい、イチジクの葉を腰に覆うようになった。



そして悪も存在すると云う考えが具体化して、

自ら『悪』と云う現象を造り上げ

此の世に悪と云う世界を構築することになったのである。

そして人間は自らの心で描いた『悪の世界』を見て

悲しみ、恐れ、心配し、自ら不愉快になり心が痛むことになったのである。

此のままでは永遠に『エデンの楽園(天国の世界)』に還ることが出来ないのです。


では如何にしたら良いであろうか?


それは思いを変えることです。

自己の環境も肉体も自己の念(こころ)の反映であるから、

思いを変えれば環境も肉体も変わるのである。

・・・・・・・続く







救急時の情報(地震速報)の有難さ!・・・直観力を養う。

2019年01月03日 20時01分15秒 | コラム・人文
娘と孫を駅に迎えに行きその帰りに、

車載のラジオから地震速報の放送があり、

車を安全に停車するようにと指示がありました。

娘にスマホで情報を見てもらうと、この地区は震度2でした。

ホットしましたが、震源地はまたもや熊本でした。

数年前に此の地区で震度5弱を経験した熊本地震を思い出しました。

人はこのような場面では『直観的』に

安全な情報を得たいと思う感情が出る事を身近に経験することが出来ました。



直観力

『煙を見て、火なることを知らず』『角を見て牛なることを知らず』

        一を見て全機を把握することを知らざる』のろ間者では宜しくないのである。

人間は宜しく『擧(こ)一 明(みょう)三』

・・・・ 一を挙げて三を明(さと)る 位の明敏さ、


『目機銖雨(もっきしゅうりょう)』

  ・・・・目分量で何銖(なにしゅ)何兩なにりょう)と

        『直観』出来るようでなければならないのである。

                     碧巖録 第一則 聖諦第一義





明るい希望に輝く! 新しき年を迎えましょう。

2019年01月02日 16時58分28秒 | 日記・エッセイ
謹賀新年

旧年中は親しくご愛念を頂き有難うございました。

心より御礼申し上げます。

新しき新年を迎え、

貴方様に永遠なる愛の御光りが降りそそぎ

明るき運命と平安と御幸福と御健康を

心よりお祈り申し上げます。

今年も宜しくお願いします。


今年は7家族の内5家族が帰省しました。

私たちの家族と孫を含めますと総勢26人になりました。

遠方の家族は我が家で宿泊しますので大変な賑わいです。

今年も東京の次男坊がスポンサーとなりご奉仕していました。

それぞれの夢を描きながら生長して行く姿を見ていますと

孫たちの輝く瞳と生命力、それを支える働き盛りの親の姿が印象的でありました。



私は明るい心で新しき年を迎える。

私は『今』生まれたのである。

過去の悪しきもの、見苦しきもの、

消極的なものの一切を捨て去ったのである。


そして私は『今』新生したのである。

『今』生まれ変わったのである。

これから明るい心と美しきもの、

善きものと積極的な想念を把持して

悲観的な想念感情を捨て去ったのである。

私はどんな困難をも克服する力と叡智とを

神から与えられているのである。


私は神の子である。

私は永遠の生命である

神はつねに私とともにあり給い、

常に私を護り給うのである。