夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

有喜の白髭神社

2010年02月28日 02時14分51秒 | 歴史

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創建は伝説に因りますと西暦

200年(仲哀9103日神功皇后、新羅に出兵する。()

1214日 新羅の遠征より帰還され、筑紫において誉田別皇子(応神天皇)を生む。()

神功皇后が新羅に遠征され帰還された西暦200年(仲哀9103日から1214日の間の時期と考えられます。新羅の遠征より帰還の途中(注1)武内宿禰(現在の総理大臣にあたる)の軍船が難破され今の有喜に漂着され、有喜の人々から大切に扱われ。また武内宿禰公から漁業、農業、医術等などを献身的に教えられ、人々もたいそう喜んだそうです。武内宿禰公を尊敬し、神功皇后の元へ帰還される時には大変名残り惜しんだと云われています。武内宿禰公を偲びその功徳を讃え白髭神社を創建されたそうです。

(注1)(景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇5代の天皇に棟梁之臣・現在の総理大臣として仕える。古事記に因れば仲哀天皇が熊襲討伐のため博多の香椎で大本営を築かれる。神功皇后が神懸りになられ中臣烏賊津使主(なかとみいかつおみ)中臣雷大臣(注3)とも云う、武内宿禰が審神者(さには)を務めて住吉大神から新羅の遠征のお告げをうける。仲哀天皇が住吉大神の神意に背き、この地香椎で崩御(仲哀92月6日)なされる。神功皇后は中臣烏賊津使主、武内宿禰・ 藤大臣(高良大神)・安曇磯良等共に新羅の遠征に出る。

   (注1) 博多の官幣大社香椎宮(注2の中に武内社があり現在でも武内宿禰の 末裔の方が毎年4月15日にお祭りを為されています。

         

      (注2)仲哀天皇、神功皇后が御祭神で日本四宗朝のひとつ、平安の昔から続 く、勅祭神社。

             10年に1度は天皇陛下からの使者・勅使が直々参拝に来られます。

   

   (注3)天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祖神とし後に藤原鎌足を創出  する。

            

私見         

古代(有喜の貝塚がありますように)から有喜の漁労に就いていた人々は、博多の綿積見神(海神)を奉斎する金印が発見された志賀島の安曇族、その対岸の那珂川流域に底筒之男神、中筒之男神、表筒之男神を祭る住吉大神を奉斎する藤大臣(高良大神)の住吉族は同様に、海神族であります。この地を一般に奴国と云われています。天皇の近い海神族は瀬戸内海、九州、日本海沿岸等より新羅遠征に共に参戦し協力したのではないかと推察されます。有喜の漁労民は新羅の遠征から帰還するまでの間に武内宿禰公の仁徳の薫香をうけ、武内宿禰公は有喜の漁労民ともに凱旋し有喜の繁栄に寄与したものと思われます。

宮岳の高台に古代遺跡の有喜の貝塚が有り、古代より海岸沿いに沢山の人々が生活していたと思われます。昭和の初期まで有喜の漁師さん達は、朝鮮海峡まで小さな小船で出漁されていたと聞いています。古代の漁師も朝鮮海峡に出漁し北九州の漁民達(博多の安曇族等)と出会い、親交があったと思えます。

有喜の白髭神社の神功皇后伝説のように瀬戸内海、九州、日本海沿岸等にたくさんの神功皇后伝説があります。

芽出度い時に謡われている謡曲「高砂」に登場する白髭の翁は、竜宮(極楽)の世界に海神族の安曇磯良を遣わし如意宝珠を持ち来たした住吉大神の化身(現人神)でもあります。

神功皇后と武内宿禰が後の應神天皇を擁く姿は人形、京都の祇園祭り等全国のお祭りに登場し大切に伝承されています。

小高い処に薬師堂がありますが、奈良の薬師寺のなかに、大分の宇佐から勧請された休ケ岡八幡宮に国宝三神像が祀られています。『僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)を中心にし、向かって右に神功皇后(じんぐうこうごう)、向かって左に仲津姫命(なかつひめのみこと)』を配した三神一具の像として安置されています。このように薬師寺、神功皇后とは縁が深い関係にあります。故に、武内宿禰も薬師寺と関係が深いものと思われます。また薬師如来は医王如来ともいい、医薬兼備の仏様と云はれていますが、 “極楽は西にもあれば東にも 来た「来た」(北)道さがせ 皆身「みなみ」(南)にぞある”のように、薬師様は謡曲「高砂」と同様に極楽(竜宮)の世界を顕していると思えます。

この由縁からも元白髭神社の跡に神功皇后、武内宿禰と縁が深い薬師如来を祀ったと考えます。

また向い側の中通りに八幡神社(應神天皇)が存在しています。

地名にも天神、古場、氏名にも宮の前(さき)のように宮崎があるようにこの付近を大切な場所として扱ってきたようであります。

元々氏子が漁労民(海神族)が多いが故に、海岸線が後退するに従い漁労民が生活している海岸に近い現在の場所に移転鎮座されたと思えます。

これ等をひも解いてゆきますと白髭神社の御祭神は住吉大神と現人神(あらひとがみ)として顕現されている白髭公である武内宿禰だと思えます。この地に神功皇后の仁徳を広めこの地域の振興のため尽力を注がれ、繁栄の道へと導かれたのは武内宿禰だと考えられます。古代の人々もこれらのご恩に、末永く報わんがために白髭神社を創建し、永代にこの仁徳を伝え現在に至ったと思えます。


藤原 秋依(ふじわら あきより)

2010年02月27日 17時56分18秒 | 歴史

一説には阿比留秋依、平安末期・建仁(1200年~)の頃一説には文治8年(1189年)大宰府より対馬の国司に任じられる。対馬の藤氏の祖である。天正15年(1586年頃)以後藤 慶円が嶋井氏(注1)に変わり対馬の総宮司職となる。孫の藤 斎延(とう なりのぶ)が藩主に取り立てられ全島の神社を調査し祭神を定め、全島の神社の祭式等をまとめ統括し独自の神学を藤 斎長(注2)、孫藤 仲郷等に伝授した。“藤神道”と云われている。

(注1) 博多の豪商 嶋井 宗室、藤原北家の血筋をひき、代々藤氏を名乗ったが次郎右衛 門茂久の代に、嶋井姓に改 める。

(注2) 藤 斎長は本居宣長に国学を学び、本居宣長は対馬の資料を藤氏から得たと云われている。


THE BEATLES & MICHAEL JACKSON

2010年02月21日 00時51分53秒 | 日記・エッセイ

日本が世界大戦を経て国民が戦後復興に努力している時に、アメリカを始め世界各国も同様に復興に取り組みその努力が実り、世界が豊かになり始めた頃THE BEATLES と云うグループサンドが登場しあっと云う間に世界中に広まり、日本にも占領軍のマッカーサーが戦後処理のため飛行機のタラップを降りた時は苦い風景でしたが、THE BEATLESがタラップを降りた時は日本中の熱狂的なフアンが出迎えました。MICHAEL JACKSONも同じような道を辿り日本での公演に望み感動を与えました。世界が分裂しその結果、世界大戦が始まりその苦い経験を経て日本と同様に各国でも心を一つにして協調し、人々とのハーモニーを大切にして行く事が有益であることを感じ、戦後復興に努力し世界が次第に豊かになって行きました。その象徴がTHE BEATLES の4人の見事なハーモニーとルックスだと思います。そのことが世界中にヒットした背景だと思います。その後ベトナム戦争が始まり。権利と権利との衝突であり共に悲惨な戦いであり、その中にジョンレノンが日本の文化に興味があったのが縁で、魔女的な日本の小野洋子と結ばれアメリカの西洋的な感性の中に日本の心が吹き込まれました。THE BEATLESが解散されジョンレノンの「イマジン」が生まれ詩篇では国も宗教も否定しているような言葉がありますが、その中に響き渡る痛切な平和への祈りが感じられます。その心が世界の人々に響き大ヒットとし代表作となりました。

世界も豊かさのなかに貧困と抑圧的なストレスが溢れ、特に弱い立場の子供の世界での貧困が広がりMICHAEL JACKSONも子供達に憧れを持ち慈愛の目を向けていました。また黒人と云う人種の違いを深く心に刻み、それを乗り越えようと凄まじい心と筋金入りの筋力を使った切れ味のあるステップと、踊りと、童話の世界のような清らかな歌声で、またその才能に自惚れず日々努力精進し完成度の高い総合芸術を完成しギネスでも史上最も成功したエンターテイナー」として認定されています。

私もしばらく音楽産業に就き、音楽の父である「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ全曲集」クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人とされルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン全曲集」神童と言われた「ヴォルフガングアマデウス・モーツァルト全曲集」・「THE BEATLES全曲集」の輸入レコードの普及に携わりましたが深遠なる潜在意識の深い心に届くバッハ、音の中に恵まれない音を活かし苦しみも悲しみも乗り越えた霊感に溢れた豊かな力強いベートーヴェン、一つの音符も濁りの無い澄みきった音で無邪気なあどけない純粋なモーツァルト、見事なハーモニーのTHE BEATLES、現代に相応しい音とステップと映像の世界のMICHAEL JACKSON、平和主義のジョンレノン等の音楽性を考える時、それぞれの共通点であるその音、リズムは私の心の中に生き生きと躍動し魂が揺さぶられ、貴方と私は一つの世界に存在しているという確信が芽生え心深く響き渡ります。


ウォ-ルデン森の生活 “ 池 ”

2010年02月20日 11時14分51秒 | 真理の言葉

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一つの線をかざることも

わたしが夢にも思わぬことだ、

わたしはウォ-ルデンのそばに住んでいるより

より近く神と天国に近づくことはできない。

わたしはその岸の石の河原、そこをわたるそよ風だ

わたしの手のひらのくぼみには

そこの水とそこの砂がある

そのいちばん深いかくれがは

わたしの想いのうちに高く懸かる。

ヘンリ-・ソロ- ウォ-ルデン森の生活

 

アメリカの詩人、思想家。ハーヴァード大学卒業後、エマソンを中心とする超絶(神秘)主義者の一員となり、ウォ-ルデン池畔に小屋を建て、ほぼ自給自足の生活をした。その時の記録が「ウォ-ルデン森の生活」である個人の自由と独立を侵す制度に反対する彼の意見は、のちのガンジ-やキング牧師などに感銘を与え、かれらの運動に深い影響を与えた。

 

ヘンリ-・ソロ- の最期のことば

 

神と和解したかときかれて、

 

わたしたちは言い争ったりしたことはない。

大鹿・・・・  インディアン・・・・

 


日本の技術力・・・(職人力)

2010年02月14日 15時26分31秒 | 日記・エッセイ

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技術力と云うと自動車、造船、建築、パソコンなどの”もの作り”とおもいますが、広い教義では農業、美術、文学、等の芸術、美容、料理、などと幅が広いと思います。以前の日本の技術力と現代の技術力を考えますと目に見えない処で白蟻が巣食うが如くだんだんと地盤沈下していると感じています。最終的に作品の完成度を見分けるのは道具そのもので無く職人などの人の感性であります。せっかく何世代も培ってきた技術を次の人にバトンタッチできない時代となりました。たとえば農業の最先端、バイオテクノロジイーなどの技術は進んでいるように思えますが、実際にそれを活用、運用するのは農業に携わる人であります、絶対的に農業に携わる人が減少しているように、頭だけが膨らみ足腰が無い状態は農業(技術者)ではありません。職人は自分の心に理想を掲げおのれ自身の全ての能力を最大限に活用し妥協を許さない姿勢であります。奈良の法隆寺が飛鳥、奈良、平安、江戸、明治から現代へと脈脈と培われ受け継がれた精神と技術力のように、日本人の感性とオリジナリテイーを、引継ぎそれを土台とし飛躍することが本当の意味での技術革新だと思います。温故知新という言葉がありますように、過去の日本が生き生きとしていた良き親子と郷土との絆の基盤の上に親方(会社)と職人(社員)と上司と部下いう絆が出来、このように一致団結したところに良い“もの”が完成し、戦後の繁栄につながったと思います。決して末端の人々の同士だけの団結で技術の伝承は出来ないと思います。ドイツの徒弟関係がまだ生きているように、もう一度今まで磨きあげた、良き日本の姿を思い起し眼前の利益を追う事無く、人と人の絆を大切にし親方(会社)を愛し、また“仏が一人残らず救い賜うが如く”弟子(社員)の全てを守る心構えが大切だと感じます。

このような精神を現代に活かす知恵が必ずあると思います。そうで無ければ日本の真の意味での技術の向上と未来は開けないと思います。

”私たちの祖先がもっていた長所は、古きものを崇敬することでなく、現代の瞬間を尊ぶ点にあった筈である。”           コンコードの哲人 エマソン

2010年02月13日 10時47分35秒 | コンコードの哲人 エマソン

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子供たちがどの程度まで回復力というものをもっているかを、私たちはしみじみとした興味で観察することがある。彼らが、私たちによってか、中間同士によってか、傷つけられたり、組の最低に落ちたり、毎年ある賞を貰いそこねたり、試合で負けたりする場合、意気沮喪して、自分の家に帰っても、自分の不幸をくよくよ思いかえしたりするならば、容易ならぬ傷害となることがある。けれども、彼らが弾力性のある精神と抵抗力とをもっていて、それによって、新しい瞬間にたいする新しい興味で心がみたされるならば、傷は癒着し、繊維組織は傷を受けたためかえって強くなるのである。

この陽性な健康の前にいっさいの困難が消えてゆく。 


建国記念日

2010年02月11日 15時11分00秒 | 日記・エッセイ

西暦 起源前600211日 辛酉の日 神武天皇橿原宮に即位する。正妃媛蹈鞴五十五鈴媛命を皇后とする。この頃秦の穆公の即位。ヨーロッパでは起源前601年アッシリア軍がエジプトに侵入してテーベを略奪。

だれにも誕生日があるように、これが日本国の誕生日である。世界の国々にも神話がありそれを素直に大切にして尊厳をもって建国記念日を認め祝福しお祝いをしています。最近の日本の現状を見ると、特に戦後しばらくしてから自己処罰的な日本国を裁判にかけるが如く実証がないからと云う理由から、日本神話の否定から始まり今のように賛成派の権利と反対派の権利とが衝突し、そのしわ寄せを学校教育まで持ち込み混乱しています。このままでは国が分裂し、今まで聖徳太子が“和をもって尊し”と云う精神で顕されているように一致団結力と抱擁力のある文化が失われてしまいます。よって日本国の生命そのものが失われる危険性があります。

ペットの誕生を喜ぶことが多い最近ですが、もっと尊厳があるのが人間の生命誕生であり、その尊厳性をもとに日本国の生命と尊厳がありどちらも大切な生命であります。

勇気をもって、永い間研磨、臨床、培われ、大切にして来た皇紀2666年の歴史を、科学的根拠がないからと言う理由「最も科学は万能ではありません」で深い深層にある目には見えない尊い日本国の実相を、否定することは決して許すことは出来ないことであります。


日本の祭事(政治)

2010年02月11日 11時28分27秒 | 日記・エッセイ

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日本の祭事(政治)を考える時に「道義の上に建たない国は滅びると」いう言葉があります。道議の第一は生命の尊重であります。生命の尊重には個人の生命、縦に連続している家系的生命、国家を一つに統合している国家生命、民族をその発祥以来連続せしめている民族生命もあります。民意の中にも親鸞が申しますように煩悩に近いものと人間本来の尊厳性豊かな實相との両面があると思います。その事を考えますと、今の政治の是までの行動を観察していますと、上記の個人の生命・・・・誠を軽んじている、国家生命・・・・天皇制を軽んじている、民族生命・・・・

地方参政権(選挙権)付与法案等、に疑念があります


運命

2010年02月10日 23時22分01秒 | コンコードの哲人 エマソン

運命に非難を浴びせるのは、弱い堕落した連中のすることである。運命を正しく用いるということは、私たちの行動を、自然のもつ崇高さにまでひきあげることである。地水火風という自然の力は荒々しく、これを破るには、自然自身の力をもってするほかはない。人間もこれにあやかってほしいものだと思う。空虚な自負を胸からはらいのけ、態度と行為によって、自然と同じ立場で、おのれの支配力を示すがいい、重力のもつけ牽引力を以って、自分の意図するところを固持するがよい。どんな権力、どんな説得、どんな賄賂をもってしても、おのれの主張を譲ることがあってはならない。人間は、河や樫の樹や山に比して劣ってはならない。河のように流れ、樫の樹のように枝をひろげ、山のような抵抗力をもたなければならない。       

                 コンコードの哲人 エマソン


自然

2010年02月10日 18時50分42秒 | コンコードの哲人 エマソン

人間の基礎は物質にはなく、精神にある。しかし精神の要素は永遠である。したがって、精神にとっては、もっとも長く続いた出来事や一番古い年代記も、若くて新しい。

本来の永遠の美を、世界がとりもどすという問題は、魂の救いによって、解決される。われわれが自然を見る時、目にうつる破滅もしくは空しさは、われわれ自身の目にあるものだ。視力の軸は事物の軸と一致していないために、事物は透明でなく、不透明にみえる。世界が統一を欠き、切れ切れで、はき溜めのようになっているのは、人間が自分自身と分裂しているからである。         

                 コンコードの哲人 エマソン

 


煩悩即菩提

2010年02月09日 21時45分10秒 | 真理の言葉

菩薩は非道を行じて道を成す          維摩経

それは「捨」の愛である。地位もいらぬ、名誉もいらぬ、金もいらぬ、悟りもいらぬというのが「捨」の愛である。この境地において、煩悩がそのまま菩提となるのである。

いのちを引き出す練成会 谷口清超


2010年02月09日 19時14分24秒 | 日記・エッセイ

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今年は正月から子供達の里帰りで大変な賑わいでした。

それぞれの家族の感性と気持ちがうかがえ、しみじみと生命の神秘とつながりの深さを感じました。これからそれぞれの輝く未来が約束され、明るい希望の星が煌めき、紅く染まる暁の空に夢と希望をのせてみんなで進みましょう。

かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、広く広くもっと広く    

般若心経の最後の結語

羯諦(ぎゃてい)・羯諦(ぎゃてい)・波羅羯諦(はらぎゃてい)・波羅儈羯諦(はらそうぎゃてい)・菩提娑婆訶(ぼじそわか)・般若心経(はんにゃしんぎょう)

行こう、行こう、さあ行こう。みんなで行こう、心を合わせ、力を合わせて、

幸せの、あこがれの、理想の彼岸の世界に行きましょう。

高田好胤 薬師寺124代管主・法相宗管長