夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

貴女の祈り

2015年11月20日 23時47分28秒 | 日記・エッセイ
貴女の祈り

貴女の切実なる真心により、今迄生かされて来ました。
貴女の句は、侘び、寂、儚さの趣を乗りこえて、一枝にこの世の真を托して、花が永遠の喜びを咲かせるように、
生きる真実を、永遠に尽きることのない真理を今此処に、この一瞬に、幼子のように、初々しく輝かせ、麗しい『言の葉』であります。
貴女の詠う『言の葉』はまるで魚が海でピチピチと跳ね上がるように、赤ん坊の産声のように、神々しさに満ち、生き生きとした生命力にあふれた生命の句であります。
ヴェートーベンのピアノ協奏曲第五番が今ここに広がり、ショパンのような優しさと、霊感に溢れる深遠なる旋律の世界が、希望と勇気と、平安と慰みが得られるように、私を毎朝、毎夕拝む貴女の真実の愛と微笑が、私の瞳に映り、私を支えて頂きました。
貴女の尊い祈りは無限に広がり、皆に元気と力を与えることでしょう。






わたしのもとに来なさい

天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しなりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。・・・・・
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、わたしを学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
            マタイによる福音書十一―二十五~三


心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。             
『汝らは幼児の如く無我の心になり、凡てを天の父なる神に全托するのでなければ天国にいることは出来ないのである。』

                                               マタイによる福音書十八―三