夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

全ての者をゆるせ

2015年11月22日 22時25分07秒 | 旅行記
全ての者をゆるせ

昼は生誕記念のお祭りで本山に行きました。
夜は出講でした。

今日の講話次のようなお話をしました。

自然は神様から賜わったものであり人類はそれを尊び、敬わなければならない。

全ての者をゆるせ

愛と赦しと平和の思念はすべての癒しに必要なる要件である。



現象の消極的な悪いところは見つめないで、人間が神の子であること、美しいこと、健康であること、老いない、死なない事のみを賛美して歌を歌えば好いだけである。
神は一切のものを『想う』という方法によって創造せられたのである。
わたしたちも心で『想う』という方法によってものをつくり、よき運命を作り出すことが出来るのである。
だから、あなた常に善き事のみを想って善き事のみを此の世に作って幸福におなりなさい。




世界の民族の使命は異なる

神がある土地に或る民族を生み出して国を建てさせた以上、その民族には使命がある。
それぞれの民族は、神から与えられたところのおのおの一つの独立した個性と使命をもっている。
すべての民族は神様から特徴あるところの個性を与えられ、特殊ある文化を創造し、各々異なる美しさというものを夫々の国に顕わしてゆくことが神様から与えられた人類の使命である。
この様な事を尊重してグローバル化を計らないと、民族同士の対立や、不信感を招き、それがエスカレートして憎悪と化して混迷が生じて世界が混乱し、平和を損ねてしまいます。




哀愁への旅路

2015年11月21日 16時48分09秒 | 日記・エッセイ
哀愁への旅路

人の背に漂う哀愁は何処から来るのであろうか、テロリストの首謀者の写真にもこの哀愁が漂っていました。
この人も人の子、神様の子と思え、胸が痛みました。どのような人間にも兄弟、姉妹、親戚、知友等はいなくとも
必ず父と母、ご先祖は必ず存在し、その一筋の生命の連続により今此処に私達の存在が意識され生かされています。
私達のご先祖様が一人でも欠けていたならば私達の存在は無いことになります。
喜びも悲しみも自分一人だけのことでなくて、ご先祖様と共に味わって来たものであります。
この世に生を享け様々な経験をして、今の私たちがあります。どんな罪人にも悲しい、苦しい経験、運命により、潜在の心には錯綜した心が有りながら、この道を生きて行くためには自分自身は正しいことであると考え、あるいはそうではないと思いながらも生活にために、この道を歩まざるをえないと考えたかもしれません。
しかしもっと深い深層の心では人間には父と母と兄弟、姉妹、親戚、知友と共に喜びも悲しみも分かち合いたいと思う慈悲の心が存在しています。その本当の自分の慈悲の心が満たされないが為に、悲哀、哀愁の心に覆われその心が影を落とし暗黒の心根に陥り、そのコンプレックスを乗り越える為に、人はそれをバネとして果敢に挑戦して善なる栄光を勝ち取り、ある人は人間の実相(本当の姿)を求めて信仰という道を選び、またある人は悪、負の根源を排除したい(排除の思想)という正義感の理想に燃えて、今ある全ての常識、概念等を排除しようと考え、手段を選ばない行動をします。
この様な思想は善を実現するには、森を一度焼き払うと新しい芽が萌えるという、悪も善も実在する二元論であり。共に平等に生産するという原始共産主義的な考えであります。また善を実現するには悪を排除しなければならないという平面的な考えは三次元的でもあります。しかし人間が生きている世界は、縦横の厚みを超えた無次元である神、または仏という無限の慈しみの世界に生かされている有りがたい存在であります。
このようなことを辿って行きますと生命の喜びの反対である悲哀、哀愁の心は、本当は素直に父と母の真心を通して神の愛を享けたいと願いながらも、カールメニンジャの『おのれに背く』という本がありますが人間は無意識に自分に背く傾向があります。
その様に、その本当は仏であり、如来であり、神の子である自分の心に背いて生きて行きますと、無意識に悲しみがわきあがり哀愁を演じることになります。




汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の萬物何者も汝を害することは出来ぬ。・・・・・
汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父、母である。神に感謝しても父、母に感謝し得ない者は神の心にかなはぬ。
天地萬物と和解せよとは、天地萬物に感謝せよとの意味である。・・・・・
と云うお言葉があります。


人間はどのような暗黒と見える時にも、神様から頂いた素晴らしい神の御子であることを自覚して、善なるものを見て明るく前進することが必要と思えます。





衆生劫つきて大火に焼かるると見る時も、我がこの土は安穏にして、天人常に充満せり。
園林(おんりん)諸々の堂閣、種々の寶もて荘厳せり、寶樹華果多くして、衆生の遊楽する所なり。
諸天、天鼓をうちて、常に衆(もろもろ)の伎楽をなし、曼陀羅華を雨ふらして、佛及び大衆に散ず。
法華経如来壽量品第十六


 

貴女の祈り

2015年11月20日 23時47分28秒 | 日記・エッセイ
貴女の祈り

貴女の切実なる真心により、今迄生かされて来ました。
貴女の句は、侘び、寂、儚さの趣を乗りこえて、一枝にこの世の真を托して、花が永遠の喜びを咲かせるように、
生きる真実を、永遠に尽きることのない真理を今此処に、この一瞬に、幼子のように、初々しく輝かせ、麗しい『言の葉』であります。
貴女の詠う『言の葉』はまるで魚が海でピチピチと跳ね上がるように、赤ん坊の産声のように、神々しさに満ち、生き生きとした生命力にあふれた生命の句であります。
ヴェートーベンのピアノ協奏曲第五番が今ここに広がり、ショパンのような優しさと、霊感に溢れる深遠なる旋律の世界が、希望と勇気と、平安と慰みが得られるように、私を毎朝、毎夕拝む貴女の真実の愛と微笑が、私の瞳に映り、私を支えて頂きました。
貴女の尊い祈りは無限に広がり、皆に元気と力を与えることでしょう。






わたしのもとに来なさい

天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しなりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。・・・・・
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛(くびき)を負い、わたしを学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
            マタイによる福音書十一―二十五~三


心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。             
『汝らは幼児の如く無我の心になり、凡てを天の父なる神に全托するのでなければ天国にいることは出来ないのである。』

                                               マタイによる福音書十八―三


カルガモのおともだち

2015年11月19日 21時23分09秒 | 自然の育み・環境
カルガモのおともだち

夕暮れの本明川に、たくさんの小さなコガモがはしゃいでいます。
街の小さな用水路に、綺麗なカルガモが泳いでいますので階段を下りて、近く行きますと、流石に街にいるカモガモさんは人に馴れている様子で手を出すと近くに寄って来ます。しかし近くに来るとプイとユータンして仲間たちの処に行ってしまいます。
若い頃十一月の狩猟解禁になりますと、父と一緒に、英国ポインター犬を連れ立って、雉の狩猟に朝早くから山に行っていました。しかし二連の散弾銃で雉めがけ撃ちますけど当りません。今迄一度も鳥に当った事がありません。
一度は渓谷で山鳥が優美な長い長い羽を、たなびかせ谷を舞い降りて、目の前に来た時も当りませんでした。
それ以降は狩猟に行く事はありませんでした。






今考えますと私に打ち落とす意思と気迫が無かったのではないかと思えます。
どうもその様なことは私には不向であったのでしょう。
しかし良い面も学びました。
口から吐く息が白くけむり、手がカジカミ、朝陽の当る山肌の斜面に出ると、鳥たちが土浴びをしている跡が見受けられ、
自然と共に生きる鳥たちの清清しい風景が垣間見られ、また渓谷の岩肌を歩くときのたどたどしさ、
横を流れる清水の美しさ、ポインター犬も登れないような急斜面を、犬を押し上げて登り、上り詰めて見下ろす世界の爽快さ、山の険しさと温かさが心深く広がりました。
その様な経験を教えて頂いた父も、今は山の頂から見守ってくれていると思えます。父からは色々な事を学びました。




合掌すれば妙楽の世界今開く、父を拝まん母を拝まん









今を生きよう、愛をこめて

2015年11月18日 20時51分24秒 | 誌編
今を生きよう、愛をこめて

今は常に新しい。
今は輝いている。
今を喜びましょう。
今与えられている生命に感謝しましょう。
今置かれている時間、場所に真心を込めましょう。
今魂の囁きに耳を傾けましょう。
今に映る光景に美しさを見出しましょう。
今心にひろがる閃きを大切しましょう。
今自分自身に優しい言葉を投げかけましょう。
今目を閉じて微笑みましょう。
今この身このままの自分自身をそっとさすり、いたわりましょう。
今悲しみの涙が煌き夜空にひろがる。
今愛の雫となり大地を覆う。
今喜びの芽が吹き、大地に広がる。
今小鳥が喜びの詩を歌い舞い踊る。
今この一瞬に神の愛が満ち満ちている。
今この一瞬に神の愛が吾らを抱き給う。








過去にどんな悲しいことがあったにしても、それに就いて思い煩うな。
『今』天地は一新したのである。もう別の天地に生きているのである。
過去に寒風に吹き曝されたことを歎かないで、今梅の花は喜びに満たされて咲いている。
梅の花より尊く強く逞しいのが人間である。
喜ぶべきことしか無いのが人生である。








Requim フランスへ  モナ・リザの微笑(Le sourire de Mona Lisa)(ルーブル美術館)

2015年11月17日 20時18分55秒 | 日記・エッセイ
モナ・リザの微笑(Le sourire de Mona Lisa)(ルーブル美術館)

Requim 彼等に永遠の休息を与え給え、主よ

謎の微笑(lesourrire enigmatique)とも云われているレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作はフランス国王フランソア一世に招かれてフランスへ行っても持参し、クルー城で亡くなるまで終生持っていたと伝えられています。
フランス(ルーブル美術館)の『モナ・リザの微笑』に想いを馳せていますと、アヴェ・マリアが連想されモナ・リザの微笑とレオナルド・ダ・ヴィンチについて書き綴りました。 

『主は御身とともにまします。』
『主の御母、聖マリア、罪人たる我等のためにも、今も臨終の時も祈り給え。』

レオナルド・ダ・ヴィンチは幼少の頃、母性にあまり恵まれない不遇な時代を過ごしましたが、そのことがかえってレオナルド・ダ・ヴィンチにとっては、深遠なる本当の愛について深く考え、真理を求めることにつながり、キリストの真実の愛を探求し、尊い母の温かい愛を求め、永遠の母なる『聖母マリア』を重なり合わせ、そこにキリストの愛を映し、終生、側に擁き、崇めたのではないかと思われます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの具体的な母への純粋でいたいけな愛を強く感じ、その思いを崇高な愛まで昇華したのがモナ・リザの微笑(Le sourire de Mona Lisa)ではないかと思え、文を綴りながら感動しました。






シンプルさは究極の洗練である。

五感は魂に仕える従僕だ。

質素であることは最も素敵なことだ。

大いなる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない。 

時々、機会を見つけて外出しなさい。そして、リラックスしよう。外から帰ってくると、あなたの判断はより確かなものになります。いつも仕事にへばりついていると、あなたは判断力を失ってしまいます。

人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、あるいは正確な発明をすることは決してできない。なぜなら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである。

そんな小さな空間に、全宇宙の姿を抱えることができるなど誰が信じるだろう。
(裏切り者の弟子ユダの顔は)世界の創造主である神を裏切るまでに邪悪な顔なのです。難しいと思いますが、モデルを探し続けるつもりです。ですが、もし見つからなかったら、いつでも院長の顔がありますから。

故郷に帰りたい。あるいは原初の混沌に戻りたいという望みや願いを抱いている。明りに向かう蛾のように、春や夏の再訪を喜びとともに待ち望む人のように。自分の願うことがやってくるのが遅すぎると嘆き、自分の望むことが自分の破滅につながるとも知らず。しかしこの願いこそ、その本質において、人間の体に閉じ込められ、元に戻りたいと願っている元素の霊なのだ。この願いは、その本質において、自然に内在するものである。
          レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)





今、ジョンレノンのJeslous Guyga が流れています。

2015年11月16日 20時11分07秒 | 真理の言葉
今ジョンレノンのJeslous Guyga が流れています。

ビートルズの中心的メンバーで、旧家の家柄の出身で東洋の魔女的存在のオノ・ヨーコ(小野洋子)の前衛的な神秘性に魅かれニューヨークで結ばれ、レノンの詩、メローデーにはヨーコーの影響があり、特にバラード曲には
日本的な情緒的な哀愁が漂っています。オノ・ヨーコはビートルズにも多大な影響を与えています。
ジョンレノン、ビートルズの見事なハーモニー、マイケルジャクソン等の音楽性の共通することは、音と音の間の、音が響かない空間(間合い)を非常に大切にしていることであり、クラシックの音楽の父と仰がれたバッハと共通するものがあります。
それで有ればこそ、世界の人々に愛されたのではないかと思われます。




『自然』がしたいといわれているものは、実際には、『神の芸術』がしたのだ。
プラトン




思想は、魂の扉を強く叩いて、語られること、行為にうつされることを執拗に求めるのが常である。

その人の目に美しくうつる作品を制作しようという芸術家は、自分の個性をすて、党派や習慣や時代にとらわれることなく、空気が肺を通って流れるように、すべての人々との魂が自分のなかを通って流れるようにしなくてはいけない。

詩人は目的をもたずに、ものを観察し、(すすんで)考えることなく見たものを、思索の対象にしようとする。

芸術の根源は、いつも、愛情、愛国心、宗教といった熱情にある。

コンコードの哲人 ラルフ・ウォルドー・エマーソン First Series 1841





神は愛であり、全ての渾である

2015年11月15日 20時30分56秒 | 真理の言葉
神は愛なり

明るい言葉、明るい未来
明るい心、明るい創造
闇に光を、
弱きに強さを
苦しみに楽しさを
痛みに安楽を
罪深きものに赦しを
憎しみに愛を
悲しみに喜びを
恐れに勇気を
憂いに嬉しさを
怒りに笑いを
嘆きに自信を
不安に安心を
不足に感謝を
空腹に豊かさを
争いに平和を
魂に救いを

明るい言葉、明るい未来、明るい心、明るい創造
光り、強さ、救い、安楽、赦し、愛、喜び、勇気、嬉しさ、
笑い、感謝、楽しさ、自信、安心、豊かさ、平和、
これらの全ての善きものは神より来る。 
あなたの心深くにおられる愛深き、善なる神を、精神をつくし、心をつくし、力をつくして求め、愛しなさい。
すると全ての善きものが貴方のものとなり満たされます。



人間の心は不思議であります。心理的に明るいものを求めながらも、暗いネガティブ、自己処罰的な暗黒面に惹かれ、悪魔のような心に誘惑され易いですが、明るく豊かに生き抜ける為には、これらの暗い面を捨て去ると同時に
明るい言葉(言霊)の力を使いポジティブに溢れた明るい心(神の御心)を引きだすことが必要であります。




誘惑を受ける  マタイによる福音書 四…1~11

四十日間、昼も夜も断食したのち、空腹を覚えられた。すると誘惑する者が来て、イエスに言った。
『神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ』
イエスはお答えになられた。
『人はパンだけで生きるものではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。
『神の子なら飛び降りたらどうだ』
神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。
イエスはあなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。と言われた。
更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世の全ての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った、
するとイエスは言われた。
退け、サタン。
『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。そこで、悪魔は離れ去った。
すると、天使たちが来てイエスに仕えた。






11月14日(土)のつぶやき

2015年11月15日 05時14分48秒 | コラム・人文