夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

大根さんの喜び

2011年11月19日 22時38分42秒 | 日本の食文化

奥様から買物の時、その美しい透きとおるようなスベスベした白い肌、青々とした葉を携えた大きい大根を持たされますが、その大根さんの喜びを思うとき、大根は漢方でも大事にされ、最近は特に色々な食材の栄養素などの分析が進み色々な条件 を付けて食べていますが、

<例えば緑黄食のカロチンは何々に栄養があるとか> 

本来の大根さんの喜びはその美しい透きとおるようなスベスベした白い肌、青々とした葉を大切にし、調味料等は最低限に使用し、体に良いとか等の条件を付けずに其のままに、素直に大根さんの素性、色を失はずに、その出会いを大切にして食する事が大根さんの喜びではないかと思え、自然もこの大根さんの喜びと同じでないかと思えます。


「わが師はいう ― 人は天賦の能力を使い果たすことはできない」― 孔子

2011年11月18日 23時23分07秒 | コンコードの哲人 エマソン

時代が無力なとき、

彼は残骸と沈殿物から

美しい世界を仕上げる。

かれは絶望を禁じ、

彼の頬は喜びで紅潮する。

かくて想像に描かれなかった人の善行が

仔牛のように生まれ出る。

「わが師はいう ― 人は天賦の能力を使い果たすことはできない」― 孔子

エマソン 個人と社会 「社会の目的」より

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古い世界が不毛で


政治について

2011年11月17日 22時48分50秒 | コンコードの哲人 エマソン

われわれの意思よりもはるかにすぐれた自然の秩序によれば、つぎのような関係がなりたつ。

人びとが利己的であるとき、かならず力による支配がおこるだろう。

そして、彼らが力のおきてを公然と放棄するだけの純粋さに達するとき、郵便局、公道、商業、財産の交換、博物館、図書館、芸術ならびに科学の制度などの公共の目的が、どのような方法でかなえられるか、賢明に察知できるようになるのだ。

                            エマソン 個人と社会 (政治について)より


ワーズワース詩集

2011年11月14日 21時45分16秒 | 真理の言葉

愛はわれらを導く誤まらざる光にして、

喜びはそれ自らの保護なるとき、

われらの生涯は静穏にして輝やかしく、

またわれらの生命は幸福ならん。

賢くも大胆に、

この所信の精神に生きる人々は、必要に応じて義務の固き支持を求むれば、

現世にありても、幸福なる道を辿りうべけん。

                    ワーズワース詩集 義務に与うる頌より


若いアメリカ人

2011年11月13日 16時41分06秒 | コンコードの哲人 エマソン

われわれの家や町は苔や地衣のようなもので、弱々しくかつ新しい。

若さはわれわれが日々改めてゆく欠陥である。

またこの国の土地はノアの大洪水と同じ古さをもち、自然から授けられる装飾や特権には不足していない。ここには星、森、丘、動物、人間が豊かに存在し、同時に新秩序への大きな風潮が起ころうとしている。

人々が、われわれをここまで導き、なお導きつつある「精神」ともっぱら協力すれば、われわれは他人の非難がきこえないところに、またわれわれ自身の後悔の気持ちからも、たちまち脱出して、歴史に記録されたどれよりも新しいすぐれた社会の状態に入るであろう。

エマソン選集 若いアメリカ人より


名島城と名島弁財天

2011年11月13日 14時19分56秒 | 歴史

筑前 名島城(現福岡県東区名島)水軍の総師の小早川隆景が築いた海城。

天文年間(16世紀半ば)に立花鑑載が立花山城の出城として築城。

1587年(天正15年)3月 羽柴秀吉が九州征伐のため大阪を出発。

5月 秀吉が島津義久を降服させ九州を平定する。

豊臣秀吉は筑前国・豊後国・肥前国等を毛利の重臣小早川隆景に与える。

秀吉が淀殿を伴い名島城に立ち寄り宿泊する。弁財天を大阪城にも祀っていることもあり名島弁財天を参拝して“弁財天は福神なるに 荒れてさびしき貧神なり”と

水軍の総師である小早川隆景は三方に海に囲まれて、水軍の格好の立地である名島城を大改修して居城とする。

名島神社より弁財天を城内の弁天曲輪に移し城の鎮守とした。

1592年(文禄12年)3月26日秀吉肥前名護屋城に向かう。

1595年(文禄 14年)小早川隆景が安芸・備後(現広島県三原市)の三原城に隠居し小早川秀秋が307000石で相続する。

1597年(慶長2年)6月12日 小早川隆景の死。

           7月15日 巨済島の海戦で日本水軍敗れる。

1598年(慶長3年)8月18日 豊臣秀吉の死。

1600年(慶長5年)9月15日 関が原の戦い後小早川秀秋は岡山城に51万石で加増転封される。

1602年(慶長7年)      豊前国中津より黒田長政52万石300石で入城し名島城を廃城とし主な楼門・石垣等を福岡城に移築する。


神功皇后・藤大臣・薬師寺旧記

2011年11月12日 22時48分26秒 | 歴史
日佐住吉神社

              所在地  福岡県筑紫郡日佐(現福岡市南区日佐町)

        起源 536年(宣化)前後 住吉大神 中津瀬の神を祀る

祭神

香椎大神(比売神)―神功皇后      聖観音菩薩

    住吉大神 表筒男命・中筒男命・底筒男命  薬師如来・阿弥陀如来・大日如来又は釈迦如来

八幡大神(応神天皇)            阿弥陀如来

高良大神(藤大臣)            十一面観音菩薩・勢至菩薩・竜樹菩薩

宮大神(宮地嶽神社)神功皇后・勝村大神<藤之高麿>・勝頼大神<藤之助麿>

藤大臣(とうのおとど)の示顕時期

神功皇后摂政時代  西暦200913

[高良玉垂宮縁起](高良大社・玉垂宮)

神功皇后が征新羅勝利を筑前四王寺の峯の榊に、金鈴をかけて、七日七夜の間祈願し、九月十三日になって、明星天子(住吉神)と月天子(高良神)が示顕した。武内宿禰の請で藤大臣と称し参戦、筑前の八女神のうち豊姫を竜宮に遣わせて借りた千珠・満珠をもってついに新羅王を降伏させた。

藤大臣は中臣鳥賊津臣命とも、藤大臣連保のこととも月天子とも、住吉明神の化身ともいふ。

藤大臣(とうのおとど)の没し地

  大善寺玉垂宮

            祭神

     玉垂命<藤大臣(とうのおとど)>・八幡大神・住吉大神

所在地  久留米市大善寺町宮本

例祭日  17日  日本三大火祭り(国の重要無形民俗文化財 鬼夜

平成151900年祭

  

奉葬時

    390(仁徳78)  筑後国 高三瀦塚崎に奉葬する

年表

133(成務3) 武内宿禰を大臣とする。

200(仲哀9) 2月6日 香椎宮で仲哀天皇亡くなる。

3月 1日 武内宿禰に命じて琴をひかせ、中臣烏賊津使主をよんで

      審神者とされた。

       320日 神功皇后、羽白熊鷲を討伐。

       325日 福岡県山門群に行き土蜘蛛の田油津媛たぶらつひめを討伐。

410日 肥前国松浦県にいき、玉島里の小川で食事をする。

       910日 大三輪に神社を建立。<刀と矛を奉じる>

913日 神功皇后が征新羅勝利を筑前四王寺の峯の榊に、金鈴をかけて七日七夜の間祈願し、九月十三日になって、明星天子(住吉神)と月天子(高良神)が示顕した。[高良玉垂宮縁起]

103日 神功皇后、鰐浦から新羅に出兵する。()

1010日 対馬の和珥津(わにのつ)を出発した。

このころ白鬚神社を古場名に鎮祭する。祭神、武内宿禰(諫早市有喜町)

1214日 筑紫において誉田別皇子(応神天皇)を生む。()

  201(応神2) 35日 忍熊皇子を討伐。()

 102 神功皇后、大和に帰り政を摂する。()

 1118日 足仲彦天皇(仲哀天皇)を河内国の長野陵(大阪府南河内群美陵町大字岡)に葬った。()

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夕暮れのお月様

2011年11月07日 23時20分53秒 | 日記・エッセイ

ふと見上げると山の頂に、丸いお月様。

この季節によく似合うお月様

澄みきったお月様のように

”その日その日が宗教生活である。

自己を生かすことが宗教生活である。”
            
            知慧の言葉より


生長の家講習会

2011年11月06日 22時53分36秒 | 日記・エッセイ
今回は三歳と五歳の孫二人と参加しました。

殆どが親子で参加している中で、周りからお孫さんですかと聞かれ自分自身のこれまでの年月を感じながらも総裁先生の自他一体のお話を聞いていますと、自分の未来の予感を観じ、ほっとするひと時でした。

 ”人生はどこまでも積極的であれ”
                 「伸びゆく日々の言葉より」