夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

愛の萌 ・・・・・ 自己破壊からの救い(再建のための社会的技術) 最終回

2018年11月30日 21時53分04秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛の萌

その人を説得する前に、人にはそれぞれの人生がある。

その人の悲しみ、苦しみ、喜びが、今、此処にある。

その思いを、心を尽くし、力を尽くして、立ち向かってくる。

一度、立ち止って、その人の思いに、耳を傾けてみよう。

その人の思いは、私自身の思いでもあるから。

その人の思いに、心をよせることができれば、

そこに真実の愛がめばえる。




自己破壊からの救い・・・(再建のための社会的技術) 最終回


われわれの知性と愛情とが、自己破壊に対抗していくうえに、もっとも信頼のおける防壁である。

このような力がわれわれ自身の内に既にあるのを認識することが、

自己破壊の力をコントロールする第一歩である。

おのれを知ることは人間の色々な本能の邪悪性を知ることであり、

その邪悪性を取り除く力があることも知らなければならない。

自己破壊性の存在に盲目的であったり、

また無関心でいることは自己破壊性、そのものを存続させることになる。

知性を支援するためには、われわれは意識的に、

具体的な目的を持って愛を導き、勇気づけなければならない。

自分を救うにも、他人を救うにも、友情、笑顔こそは強力な武器である。




迷い出でた羊のたとえ


これらの『小さな者』を一人でも軽んじないよに気をつけなさい。・・・・・

あなたがたはどう思うか。

ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出でたとすれば、九十九匹を山に残しておいて、

迷い出でた一匹を捜しに行かないだろうか。

はっきり言っておくが、もしそれを見つけたら、迷わずいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。

そのように、これらの『小さな者』が一人で滅びることは、

あなたがたの天の父の御心ではない。

                             
                                  マタイによる福音書 18-10、12~14




あなたがたは世の光である。・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の⑤

2018年11月29日 23時26分03秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
街の広場には年末恒例のイルメネーションが現われ、

闇夜に顕われる煌きには不思議な魔力があります。

闇夜に発光ダイオードの淡い色が輝き、デザインが変化に富んでいて、

澄み切った冬の夜空のイルメネーションは人の心をかきたてる魅力があるようです。



自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の⑤


交響曲第5番、ハレルヤコーラスなどの音楽、芸術、演劇等の事項は自己破壊に対抗する防壁の強化である。

音楽や、芸術に治癒的効果があると言うよりも、これ等によって喜びを感じたときには、つねに愛がそこに含まれており、

この愛を引き出してくるものは、それがなんであっても、そこには自己破壊に対抗して闘う要素がある。


仕事というものが攻撃を利用して行われるものであり、

しかも攻撃が自分に向かうのをそらせる役割を演じるものである。

仕事をすることは、それは創造的昇華となりうるのである。

社会福祉、伝道、医業など多くの職業は『色欲的本能』の表現が昇華されたものである。

このことは自分自身から外へ愛を導きだすことであり、

自分の身近にある愛の対象から、隣人へ愛を及ぼすことになるからである。

ここに言う隣人はイエスが『汝の隣人を愛せよ』と説いた意味である。

この隣人に対して、われわれの『原始的本能』はわれわれが敵対するようにさせるのであるが、

われわれの『自己保存的欲求』は、この人々を大切にすることを要請するのである。



柔和な人々は幸いである。

その人たちは地を受け継ぐ。


あなたがたは世の光である。


またともし火をともして枡の下に置くものはいない。

燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。


そのように、あながたの光を人々の前に輝かしなさい。



          マタイによる福音書 5-5、14、15、16.(山上の説教より)








ゆっくりと穏やかに『今』を生きる・・・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④

2018年11月25日 18時16分40秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
新嘗祭も過ぎ、3連休も最後の日曜日。

東京競馬場のレースで騎手と馬が一つになり、

また馬の脚さばきを観ています『雌鹿の足』の話を思い出しました。

名馬はそのように脚をしなやかに美しく運ぶことに感心しました。

   『注』雌鹿の足・・・わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を
             雌鹿のようにし、聖なる高台を歩ませられる。
                                 (旧約聖書―ハバクク書3-19)



野菜料理について

大根、ほうれん草、白菜が美味しい季節となりました。

懐石料理では根菜、葉菜、豆類なども各々別々に茹で、

清い水で晒し、またそれらを別々に調理し、調味料も最低限使用して、

各々の野菜の元々の自然の色、容、薫り、純粋な持ち味を失はわないように、

互いに調和したかたちで喉元を通りねけるように仕立てます。

『懐石料理』は多様な大自然が四季を通して

各々個性を発揮しながらも共生し、

互いに助け合い調和している姿を表現しているのです。




自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④


『色欲的要素』が破壊的傾向と対抗し、それを中和し、

そして人の部分的または全面的に救う力がある。

満ち溢れる愛の特質はなんであろうか。

愛することを拒み、如何すれば愛することが出来るかを知ることを

妨げているのは、『色欲的本能』の発達が阻害されているからである。


色欲的発達を禁止するものは、

すべてを空しくするような自己愛(narcissism)の作用である。

自己を愛する心ほど人間の愛を禁止するものはない。

愛を自分だけに偏って注ぐのは、憎悪を自分自身に蓄積させることになる。

攻撃を自分自身に向ければやるせなく苦しいと同様に、

愛を自分だけに注ぐのは情緒的不安定になり心が枯渇することになる。

愛を他人に注ぐということが『色欲衝動の精華』である。

このことが攻撃を和らげ、物事を成就させることへと静かに流れゆくことになるのでる。




イエス、死と復活を予告する

弟子たちに言われた、わたしについて来たいと思う者は、

自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。

たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、なんの得があろうか。


                            マタイによる福音書  16-24~26








神の愛(光り)を心に降りそそぐ。・・・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

2018年11月21日 22時42分45秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
秋水に紅葉映える、巫女舞う神楽の鈴冴えわたる。

はや四十一年目のお祭り、尊師の華やかさ蘇る。

今、生かされている有難さをかみしめる。

帰りは先輩の車で海岸線を迂回して帰路につく。

山の傾斜地『伊木力 みかん』の段々畑が続く懐かしい山道の風景を走りぬける。

お目当てのみかんは売り切れでありませんでした。

先輩が尋ねると、出荷するのに人手不足とのことでした。




自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④


無意識の罪悪感を解消させる手段として、もっとも広く行われているのは

『償い』である。

『償い』は犠牲を払うという形で形成される。

世の中の標準から考えてあまり高価すぎる犠牲を払わずに、

しかも罪悪感を解消させることの出来る『償い』を利用すれば人の再建を促進できる。



宗教が持つ償いの要素の顕著でまた具体的な治癒的効果を認めないわけにはいかない。

宗教は別の面ででも人々を救済する。

あらゆる宗教の信者たちのあいだに行われている種々の行事―

『懺悔(告白)』すること、『象徴主義』、『勤行』、『奉仕』すること、

悔恨して罪業消滅を認めてもうらうことなどを通じて、多数の人々を救済する機能を発揮している。



自分自身が意識していない、小児時代に形成された『超自我』は

『現代の現実』とは、かけはなれている。

多くの人はこの小児時代に形成された『超自我』の強制する不合理な命令を克服して、

良心を実際の役たせられる程度の知性と取り換えている。


神経症的な弱い自我を苦しめ、強権を振り回している超自我を処理するためには、

良心の再教育などは無駄な努力である。

叡智という光を良心に向けることができさえすれば、

良心を王座から落とすことが出来、弱い自我を強化させることが出来る。


知性的再教育より、情操的再教育がの方が一層大切である。




銀河ひろがり、心ときめく・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

2018年11月19日 19時56分57秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相


一雨毎に秋が深まり、

夜空には銀河が広がり、

走馬灯の如く今までのことが

一瞬に顕われ消えゆく。


四男が転居し

神棚奉斎の御祓いを頼まれ

休日に行ってきました。



思いは必ず実現する。

先日長年あきらめていた 

絶版になっていたいた本が偶然手に入りました。

心に留めていたものは必ず時を越えて

実現することを改めて実感しました。



無意識的罪悪感

自己懲罰の要素は、自分自身が意識していない

罪悪感に起因する無意識的罪悪感である。

この無意識的自己懲罰要素を減少させるために、

科学的手段にアルコール飲料が知られれいて、

鎮痛剤、薬品(麻薬類)なども同一原理に基ずくと思われている。

あまりにも容易に、速やかに罪悪感を減少させ、効果をあげる手段がたやすいからである。

しかし薬品の効果が消滅すると同時に、もとのもくあみになる。


もっとも健康的で効果がある手段として

罪悪感を刺激する攻撃そのもを減退させれば

罪悪感それ自体の減退を促すことが出来る。

攻撃性と自己懲罰的要素は相互に作用し影響し合っている。

罪悪感に悩む人が挑発的になる傾向があるのは

過去の罪悪感があたかも復讐と自己懲罰が再来し、

新しい攻撃的傾向が起こるように

挑発的になる傾向が刺激を与える機会となり易いからである。



敵を愛しなさい

しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく、

敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

悪口を言う者に祝福を祈り、

あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。・・・・・・・・・・

いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、

情け深いからである。

あなたがたの父が憐れみ深いように、

あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。


                    ルカによる福音書6-27・・・36