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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『HPクラッシュ』 ピーター・バローズ(著)

2006年06月11日 | Book
2004年1月に日本で出版された『HP(ヒューレット・パッカード)クラッシュ 「理想の企業」を揺るがした1億ドルの暗闘』を読みました。原著は2003年なので出版後すぐに翻訳されたのでしょう。アメリカ・アマゾンでの原著へのレビューを見ると、どれも長い文章が並びますが、概ね好意的に迎えられています。

私がこの本を手に取ろうと思ったのは、先日紹介した“Good To Great”の中で“Good To Great Company”の例の一つとしてHPが取り上げられていたことと、一年ほど前に私が購入したプリンタがHP(psc1315)だったからです。一万円ほどのエントリー・モデルで外観も安っぽく不具合もなくはないですが、いつも横にいるのでなんとなく愛着はあります。

この本は、そんなHPが2000年に入ってから行ったコンパックとの大型合併の際に取締役メンバー間で起きた内部対立を追ったものです。“Good To Great”では触れられていませんが、hpは90年代に入ってそれまでの成長カーブを描けなくなり、深刻な停滞を余儀なくされていたそうです、その時事態の打開策としてCEOに起用されたのが、若干44歳のカーリー・フィオリーナでした。

本の中心は、女性として異例の若さでアメリカを代表する企業のCEOに抜擢されたフィオリーナと、創業者の息子ウォルター・ヒューレットとの間で起きた合併を巡る衝突劇に置かれています。単純に言えば、外部から来たフィオリーナが業績停滞を打開するためにコンパックとの合併を実現しようとしたのに対し、ヒューレットが独自の民主的・共同体的な社風・文化をもつhpを守るため合併を阻止しようとした事件を追っています。

この物語を読めば、ライブドアが起こしてきた騒動と似通った点があるのに気づきます。つまり、地道に職人的に技術開発を行ってきた日本の企業文化に対して、同じ技術を基盤とするはずのIT企業は技術開発よりもマーケティングと株価を重視した戦略を取っているのですが、hpで起きた騒動も基本的にはこの二つの新旧文化の対立だったということです。

hpという会社は、善意の塊の人間が頭で描いたような企業が実現した一つの“奇跡”でした。利益よりも技術者の情熱を尊敬すること、部下が上司に意見を言うことが許されるだけでなく求められさえする民主的な社風、社員に対する手厚い福利厚生、各部門の独立性、報酬の平等性… このような社風から、給与は高くないのにhpに忠誠を誓う技術者が多いことでもhpは90年代まではシリコン・バレーの象徴だったといいます。多くの社員が引退するまでhpに残ることを希望し、実際にそうしてきました。このようにまるで日本企業以上に共同体的な文化を作りながら、日本企業とは違い各人の個性・自立性という欧米の価値観をも尊重した企業、それがhpでした。

「ふたり(ヒューレットとパッカード)が会社をつくったのは、仲間と働く喜びのためであり、気の合うエンジニアが楽しんで働ける場所をつくるためであり、技術を通じて世の中に貢献するためだった。「利益は本来、経営の目的でも目標でもない。本来の目的や目標を実現するための手段が利益なのだ」(パッカードの言葉 引用者)。」(70頁)。

また創業者のパッカードは、あるとき経営学者のホールデンという人と話し合ったとき、次のようにも述べたそうです。

「「経営陣の責任とは何か?」という問いを提示したのち、ホールデンはこう論じた。「経営陣は株主に対して責任を負う。それがすべてだ」。パッカードは反論した。「まったくちがっていると思う。経営陣は従業員に責任を負い、顧客に責任を負い、地域全体に責任を負う」」(70頁)。

この会話はマズローの『完全なる経営』が出版される30年近く前の1942年のものです。

hpの成功した過程を、著者は次のように描きます。例えば製品開発について。

「hpのエンジニアはアインシュタイン流ではなく、トーマス・エジソン流に考えるよう訓練された―最短期間に最大の利益をもたらすアイデアを追求するためだ。…稼いだ利益を研究開発に再投資することで新たな市場を創造し、アメーバさながら果てしなく自己増殖を繰り返した。電圧計だの調和波分析器だの電圧波形計測器だの、いかめしい名のついた新製品がつぎつぎに登場する。エンジニアがこうした何とか装置を発明するたび、少数の管理職で経営チームをつくって自由に事業を構築させた―ただし採算のめどがたっていることが条件だ。こうした計器製品は、数年で二億ドル市場に成長する例も珍しくなかった。信頼性の高い計器には割高に価格を設定できたので、hpは荒稼ぎした」(74頁)。

または組織構築について。

「成長につれて官僚主義がはびこるのを怖れ、創業者はいくつかのルールを定めた。これがさらに、その後四十年間の成功につながる基礎になった。まず、会社を部門別に分割することを決めた。それぞれに幹部チームを任命し、独立企業と同様に、経営に責任を持たせる。これで中小企業的な感覚が制度的に定着し、やる気のある若い管理職が自由に腕を振るえるポストが大量にできた。元幹部、ジョン・ラッセルによると、会社が成長を続ける限り「将来のキャリアについてあれこれ思い煩う必要はなかった。時期がくれば、お呼びがかかった」(強調は引用者)」(75頁)。

しかし、この物語の興味深いところは、このような絵に描いたような理想の企業が停滞していった事実です。

一方で“市場原理主義的”に短期的な利益のみを求めるビジネスが脚光を浴びる一方で、本屋の経営の書棚に行けば、お金儲けに走るのではなく、自分のやりたいことを実現して社会に貢献することが結果的に企業の繁栄につながることを説く“経営哲学”の書籍が多くあります。hpはまさに後者のタイプです。しかも、そのような理想を実現しながら、同時に莫大な利益をも達成してきた企業でした。

良心的な人々にとっては、hpのような企業の存在は、お金儲けだけを追い求めることは悪いことで、人の役に立つことが結果的に自分に還ってくるという道徳を説くさいの格好の材料でしょう。

しかしそのhpは実際にはコンピュータの出現とともにそれまでの利益の伸びを達成できなくなっていました(もっとも、赤字化したわけではありません)。

コンピュータビジネスの勃興は、hpの停滞の原因となりました。著者によれば、それまでの“計器”の開発とコンピュータの開発の性格の違いを指摘します。

「コンピューター事業で求められるアプローチは、従来のhpのそれとはまるで別だった。計器事業の場合、少人数のグループが数十万ドル程度の予算で新製品を開発する。ところが本格的な新型コンピュータを開発するには数百万ドルかかるし、他にいくつもの作業を並行しなければならない。基本ハードウェアを構築する一方で、CPUを開発し、ソフトを設計し、ディスクドライブを組み立てなければならない、また計器事業なら、新製品ができたらカタログに一頁追加して、他の製品と同じように一般エンジニア向けに販売すればいい。とろこがコンピューターでは、高給取りのセールスマンと一流マーケター部隊を顧客の大企業に送り込み、IBMをはじめライバル企業をさしおいて契約を取ってこなければならない」(93頁)。

計器とコンピューターとのこの違いが、結果的に1999年のカーリー・フィオリーナのCEOへの招聘へとつながることになります。コンピューター・ビジネスへの進出はhpでは60年代から始まりますから、その時点でフィオリーナとの出逢いの種は蒔かれていたとも言えます。

また、平等・民主主義を社是とする文化もhpの足枷となっていました。創業者たちにとって社員を大事にすること、彼らの意見を聞くことは、利益を上げるという企業の現実的な目標と一貫した行為でした。現実的だからこそ、社員・技術者の情熱を尊重し、彼らが働きやすい職場を作ることの大事さを創業者は意識していました。地域への貢献や社員への福利厚生を大事にしたことと、利益を上げることは、創業者達の中では不可分に結びついていました。

しかしそれが“hpウェイ”として強調され持て囃される頃になると、現実的に仕事を行い利益を上げるという部分が忘れられ、上司と部下の対等性・地域貢献・福利厚生といった口当たりのいい枝葉ばかりが意識され、会社の中に停滞感がはびこることになりました。

基本的に技術者向けの計器開発を行っていたhpは、コンピューターを売る場合には、機械のメカニズムを知らない素人に売り込むために、大衆のニーズの変化に敏感に反応することが求められます。しかし業界向けの商売をおこなっていたこの会社には、消費者のニーズに対応する能力が欠けていました。

こうした状況を改革するために迎え入れられたのが、やり手セールスウーマンとして評判を得ていたカーリー・フィオリーナでした。

この本にはhp関係者への豊富なインタビューが収められていますが、フィオリーナへのものはありません。それは、著者が以前から彼女に批判的な記事を書いていたためだと推測されています。

たしかに著者は彼女に対して感情的に反発していることが文章から浮かび上がっていますが、それでも著者は最大限の想像力を発揮して彼女の長所もつねに指摘しようと心がけています。しかし、その長所・彼女への周りからの賛辞の言葉のすぐ後には、「しかし実際のところは…」といった感じで彼女への否定的な評判が取り上げられます。

簡単に言えば、技術者中心の会社だったhpに対して、それをマーケティング本位の会社に換えるために呼ばれたのがフィオリーナであり、彼女は自分に求められた目的をただ実践しようとしていました。

しかしそれはhpのそれまでの歴史を顧慮しない強引で独裁的なやり方であり、そのためフィオリーナは著者から批判的に見られていると言えます。

数万人規模のレイオフを行い、技術者の権限を廃止し、マーケティングを中心に組織を編成し、なるべく大きな(無茶な?)額の利益見込みを掲げることで株価を上げようとし、独裁的に方針を打ち出し、自分のやり方に異を唱える者を排除する彼女のやり方は、hpの文化とはあまりにもかけ離れたものでした。

この本は、フィオリーナがコンパックとの合併をめぐるヒューレットとの裁判で勝訴した2001年の時点で終わっています。

著者は基本的にフィオリーナに批判的なスタンスを一貫して採っています。それはおそらく彼自身がアメリカの企業文化をおかしいと思い、その中で独自性を保っていた“hpウェイ”が見直されることを望んでいることから来ています。そんな著者にとってフィオリーナは、短期的な利益(あるいは利益報告)のみを追い求め、そのためにはまわりの社員の人格をも顧みない行動を取るエゴイストに映ったのではないかと思います(もっとも、公平を期すために著者はつねに彼女の他人に対するユーモアのセンスや時に見せる優しさにも触れています)。

この本を読んだ後でネットを見ると、フィオリーナは2004年に業績と株価の低迷から、取締役会から退任を言い渡されたそうです。ヒューレットと彼女との対立は合併がhpの企業価値を高めるか否かを巡って争われ、法律上はフィオリーナの勝利に終わりました。しかし皮肉にもフィオリーナはその数年後に業績低迷の責を負わされたのです。

しかしフィオリーナ自身にどれだけ問題があろうと、hpが消費者本位の大衆向け製品で改革を迫られていたことは事実でしょうし、それは今も変わらないはずです。重要なのは、技術者本位だった企業をどうすればマーケティングに対応できる企業にできるのかという問題は残ります。

そうした組織上の問題にもっと踏み込めば、この本はもっと面白くなったかもしれません。フィオリーナ一人に責任を負わせるには、問題は多すぎたような印象があります。




参考:「HP-コンパック買収の裏側に迫る」CNET Japan  フィオリーナの側からコンパックとの合併を取材した『私はあきらめない―世界一の女性CEO、カーリー・フィオリーナの挑戦』(私は未読)の著者とピーター・バローズとの同時インタビューです。

   「フィオリーナ会長辞任に思う、HPとソニーのたどる顛末」[R30 マーケティング社会時評]


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