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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

ただよう暗さの起源(2) 『共同幻想論』 吉本隆明(著)

2004年12月15日 | Book
(前の記事「ただよう暗さの起源(1)」の続きです。今回は、吉本隆明さんの『共同幻想論』の中から、自分にとって興味深かった部分を簡単にまとめました。「国家」というものについて考えたいと思ったので、この本を読みました。(1)と(2)で全部で1万字400字あります。興味のある方は、読んでいただけるとうれしくおもいます。読んでいただける場合は、前の記事の(1)からお読みください。)


「共同体」についてここからは「共同幻想」という言葉を使うと、この「共同幻想」は、最初は「対幻想」との区分が必然的に曖昧なものでした。しかし吉本さんは、歴史上のある時点で、この「共同幻想」と「対幻想」の間にはっきりとした分離が起こったと考えます。

吉本さんはその分離を、『古事記』を手がかりに追います。

「対幻想」と「共同幻想」が未分化な段階とは、兄弟と姉妹との間の「対幻想」が「共同幻想」を作っている段階です。

しかし、ある歴史的な時期に生じた、同母の兄弟と姉妹が政権を分担し、司ることにより、「対幻想」と「共同幻想」が分離していく契機が(そのときははっきりとはしなくとも)生まれました。『古事記』に、アマテラスとスサノオの関係など、兄弟と姉妹が政治的な権力と宗教的な権威を分担して司っていることを示唆する記述がみられますが、吉本さんはその記述を、日本史の中で、兄弟姉妹の「対幻想」が同時に「共同幻想」を生んでいた段階ととらえています。


このとき「姉妹」は宗教的な権威を司ります。吉本さんは、これを、女性に特有な現象とみます。「対幻想」とは、人間が自らを「男性」あるいは「女性」として意識することを指し、また同時にその自分と異性が「対」であるという意識を指します。

吉本さんは、ある日本史の時期で、権力の座にある女性が「共同体」という観念と自分が「対」になっていると意識することが起こったとみています。この「対幻想」は、「幻想」ですから、絶対に相手が具体的な異性の人間でなければ生じないというものではありません。それは具体的な人間であってもよいし、また「共同体」という観念でもかまいません。その場合、その権力の位置にある女性は、自分は「共同体」と「対」になり、この「共同体」を営んでいるという「幻想」をもちます。まわりも、そういう「幻想」をもちます。このとき、「対幻想」は、同時に「共同幻想」となります。

ここで、なぜ女性だけが「共同体」と「対幻想」を結ぶことができるのか、という疑問が出てきますが、その疑問に対して吉本さんは次のように述べています。

「かれ(フロイト)によれば〈女性〉というのは、乳幼児期の最初の〈性〉的な拘束が〈同姓〉(母親)であったものをさしている。…身体的にはもちろん、心性としても男女の差別はすべて相対的だが、ただ生誕の最初の拘束対象が〈同姓〉であったことだけが〈女性〉にとって本質的な意味をもつ…。最初の〈性〉的な拘束が同性であった心性が、その拘束から逃れようとするとき、ゆきつくのは異性としての男性か、男性でも女性でもない架空の対象だからだ。男性にとって女性への志向は少なくとも〈性〉的な拘束からの逃亡ではありえない。母性に対する回帰という心性はありうるとしても、男性はけっしてじぶんの〈男性〉を逃れるために女性に向うことはありえないだろう。

 〈女性〉が最初の〈性〉的な拘束から逃げようとするとき、男性以外のものを対象として措定したとすれば、その志向対象はどういう水準と位相になければならないだろうか?

 このばあい〈他者〉はまず対象から排除される。〈他者〉というのは〈性〉的な対象としては男性である他の個体か、女性である他の個体の他にありえない。するとこのような排除のあとでなおのこされる対象は、自己幻想であるか、共同幻想であるほかないはずである。ここまできてわたしなりに〈女性〉を定義すればつぎのようになる。あらゆる排除をほどこしたあとで〈性〉的対象を自己幻想に選ぶか、共同幻想にえらぶものをさして〈女性〉の本質とよぶ、と。そしてほんとうは〈性〉的対象として自己幻想をえらぶ特質と共同幻想をえらぶ特質とは別のことを意味していない。なぜなら、このふたつは、女性にとってじぶんの〈生誕〉そのものをえらぶか〈生誕〉の根拠としての母なるじぶん(母胎)をえらぶことにほかならないからである。

 たんに男〈巫〉にたいして女〈巫〉というとき、この巫女には共同的な権威は与えられていない。けれど自己幻想と共同幻想がべつのものではない本質的な巫女は、共同性にとって宗教的な権威をもっている。そして人間(史)のある段階ではその権威が、普遍的な時代があったとかんがえられてよい」(102-4頁)。


(私にとって)難解なこの記述を強引に解釈すると、男性が「対幻想」を結ぼうとするとき、「乳幼児期の最初の拘束」である母が女性であるため、同じく女性を抵抗なく対象として選びます。母性への回帰という幻想に容易に男性は捕らえられるので、母に似た女性と「対幻想」を結ぶことが多いでしょう。

しかし女性は、「乳幼児期の最初の拘束」は同性であったため、自ら主体的に「対幻想」の対象を選ぶ必要にかられます。そのとき、女性には、レズピアンになるか、「男性」を選ぶか、それとも別のものを選ぶかという立場に立たされる点で、男性以上により主体的な決断を迫られます。つまり、その選択が主体的である分、女性は、必ずしも異性を「対幻想」の唯一の相手として選ばない自由をえることになります。

そのとき女性には、「対幻想」を結ぶ相手としては、自分(自己幻想)か、共同体(共同幻想)が残ります。ここに、男性とは異なり、女性が「共同幻想」と「対幻想」を結ぶ可能性が生まれます。

そのような可能性をもった女性という存在が兄弟とともに権力を握るとき、彼女は巫女的な存在として、共同幻想と自分は「対」であるということを表明します。そのとき彼女は、共同体全体と対等に対峙できる唯一の個人となり、それにより彼女には共同体を司る「権威」が生じます。

この権威者である女性は、「共同体」と対幻想を結ぶと同時に、前述したように、血縁関係によりその兄弟とも対幻想を結んでいます。つまり、二つの方向に同時に対幻想を結んでいます。それにより、兄弟は、その姉妹が宗教的権威をもつことで、現実の政治的権力を行使できることになります。

吉本さんは、『古事記』のなかのアマテラスとスサノオとの関係などから、日本史のある段階で、このように兄弟と姉妹が宗教的権威と政治的権力を分担し合った時期があり、そのとき共同幻想は共同体の権力としての地位を明確に確立したと述べています。

共同幻想自体は、兄弟姉妹の「対幻想」が、兄弟姉妹の分散により拡張することで生じると言えます。しかしそれが権力へと転化するには、権力の座にある女性が「共同体」という観念(共同幻想)と対幻想を結ぶ必要があります。

それにより、「共同体」という観念(共同幻想)は、権力者の現実的な権力と同一視されるようになります。このとき、共同幻想は、共同体の人々にとって「権力」として、圧迫的なものと感じられるようになります。吉本さんの言葉で言えば、共同幻想が対幻想とも自己幻想とも「逆立」する関係になります。

この「逆立」した関係が時代を経るにしたがい洗練されるにつれて、それは「法」あるいは政治権力となって、民衆にとって抗し難いものとなります。


吉本さんによれば、日本史の中で「対幻想」と「共同幻想」の間が未分化であった状態とは、民衆の「家族」(対幻想)が行なう現実的な農耕行為と密接に結びついていた宗教的儀式が、その民衆的性格を強く残していたことを意味します。そのような共同体の祭儀は、未だにそれら個々の民衆の生活と密着しているため、「対幻想」と「共同幻想」は未分化であると言えます。

そのとき権力者が追求したのは、この民衆的な性格を残した祭儀を、権力者のための祭儀へと転化させることでした。吉本さんによれば、天皇の世襲大嘗祭はその転化のための権力者による儀式でした。

吉本さんは、民衆の農耕社会の祭儀、つまり民衆が田の神を奉る行為が、数ヶ月にも及ぶ時間的な長さを持ち、またその祭儀では民衆の田々と家々という現実的な空間が重要な意義を持っていることを紹介した上で、天皇の世襲大嘗祭では、それも同様に農耕社会の祭儀行為を示しているにもかかわらず、現実の民衆の田と家との関係を失い、また時間的にも極度に短くされていることを指摘します。

「天皇の世襲大嘗祭では、民俗的な農耕祭儀の〈田神迎え〉である十二月五日と〈田神送り〉である二月十日とのあいだの祭儀時間は、共時的に圧縮されて、一夜のうちに行なわれる悠紀殿と主基殿でのおなじ祭儀の繰り返しに転化される。彼は薄べりひとつへだてた悠紀殿と主基殿を出入りするだけで、農耕民の〈家〉と所有(あるいは耕作)田のあいだの祭儀空間を抽象的に往来し、同時に〈田神迎え〉と〈田神送り〉のあいだの二ヶ月ほどの祭儀時間を数時間に圧縮するのである。

 このあとでさらにつぎの問題があらわれる。

 民俗的な農耕祭儀では、すくなくとも形式的には〈田神迎え〉と〈田神送り〉の模倣行為を主体としているが、世襲大嘗祭では、その祭儀空間と時間とが極度に〈抽象化〉されているために、〈田神〉という土地耕作につきまとう観念事態が無意味なものになる。そこで天皇は司祭であると同時に、みずからを民族祭儀での〈田神〉とおなじように〈神〉として擬定する。かれの人格は司祭と、擬定された〈神〉とに二重化せざるをえない」(149-50頁)。

 元々は、民衆の生活に密着した農耕の神を敬う儀式であった宗教行為は、天皇という権力者によって模倣されることにより、民衆ではなく権力者(天皇)と神との結びつきを象徴する儀式へと転化するのです。

このときの天皇は、それが実際には男性であろうと女性であろうと、神に対して異性として向き合い、神と対幻想を結ぼうとしているのです。それにより権力者(天皇)は、神の力を手に入れることになります。吉本さんは次のように述べています。とても長くなりますが、引用します。

「…この大嘗祭の祭儀は空間的にも時間的にも圧縮されているため、(…)穀物の生成をねがう当為はなりたちようがない。また(…)純然たる入魂儀式に還元もできまい。むしろ〈神〉とじぶんを異性〈神〉に擬定した天皇との〈性〉行為によって、対幻想を〈最高〉の共同幻想と同致させ、天皇がじぶん自身の人身に、世襲的な規範力を導入しようとする模擬行為を意味すると考えられる。

わたしたちは、農耕民の民俗的な農耕祭儀の形式が〈昇華〉されて世襲大嘗祭の形式にゆきつく過程に、農耕的な共同体の共同利害に関与する祭儀が、規範力〈強力〉に転化する本質的な過程をみつけだすことができよう。

…民俗的な農耕祭儀では、〈田神〉と農民とはべつべつであった。世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された農民であるとともに〈抽象〉された〈田神〉に対する異性〈神〉としてじぶんを二重化させる。だから農耕祭儀では農民は〈田神〉のほうへ貌をむけている。だが世襲大嘗祭では天皇は〈抽象〉された〈田神〉のほうへ貌をむけるとともに、じぶんの半顔を〈抽象〉された〈田神〉の対幻想の対象である異性〈神〉として、農民のほうへむけるのである。祭儀が支配的な規範力に転化する秘密は、この二重化のなかにかくされている。なぜならば、農民たちがついに天皇を〈田神〉と錯覚できる機構ができあがっているからである」(150-51頁)。


わたしたち日本の最初の国家権力が、つまり大和朝廷がいつどこで成立したのかは、歴史家によって未だに論争があります。しかし、吉本さんの議論に従うなら、問題はそうした具体的な「国家」の形を取った制度がいつどこでできたかではなく、共同幻想を象徴する民衆の神が、権力者の儀式によって吸収され、民衆がじぶんたちの農耕を支配する神とそのときの権力者を同一視するようになったのかはいつか、というように問題が置き換えられる必要があります。なぜなら、そのときこそ、民衆は(現在の言葉で言う)「国家」というものがこの世界に存在し、じぶんはその団体の構成員でありながら、生れ落ちたときからその共同体の規範にそって生きることを強いられているからであり、それこそ、まさに太古の民衆と現在の私たちとを結ぶ糸になるからです。

 国家とは、ある面では政府や自治体などの具体的な制度にすぎません。それ自体は一種の機械的なもので、手続きに従えば変更することは(原理上)可能です。

 しかし、天皇制という存在が醸し出す「暗さ」、あるいは時の首相や政治家が「日本の使命」という名の下に国民を戦地に派遣する事態、君が代や国旗掲揚の強制など、それらはわたしに気分が悪くなるような生理的嫌悪感を呼び起こします。

もし吉本さんの議論が正当であるならば、このわたしの嫌悪感は、古代の日本の権力者が、元々は民衆の神がもっていた聖性をじぶんたちの側へと引き寄せ、その聖性と権力者である自身とを同一視するよう民衆を納得させることに成功したからだと言えます。その成功の歴史が何千年、何万年と続いてきた場合、この日本で生まれ育つものは、必然的に、その祖先によって引き継がれた「権力の神」の観念を、自らも抱え込まざるをえないのでしょう。しかもその神の観念は、民衆の共同利害からは抽象化されているため、必然的に権力として民衆に対して圧迫的なものとなる性質のものです。


天皇について議論するとき、たとえば昭和天皇に戦争責任があるかどうかという議論の形もあります。しかし、天皇家の個人個人も人間なのですから、好戦的な人間が生まれることもあれば、心優しい人が生まれる可能性もあります。現在の皇太子は、私がうまれてから初めて見た、その人間としての率直さと勇気を身をもって示した皇室の人です。また現在の天皇は、国旗・国歌の強制に疑問を表明するバランス感覚に優れた人です。次の言葉は、平成(今上)天皇によるものです。

 「経済状況の厳しい中で、お祝いをして下さる事を心苦しく思っていました」と天皇が皇后と共に皇居・宮殿「石橋の間」で切り出し、「言い尽くせない事も 有るといけないので、紙を見ながらお話しします」と予定を遥かに上回る45分間もに亘って思いを開陳したのは、「天皇陛下御在位10年記念式典」開催前日 に当たる99年11月11日でした。
 「私の幼い日の記憶は3歳の時」「盧溝橋事件が起こり」「戦争の無い時を知らないで育ちました」。「先の大戦が終わってから54年の歳月が経ち、戦争を 経験しなかった世代」「も多くなっています」が、「戦争の惨禍を忘れず語り継ぎ、過去の教訓を生かして平和の為に力を尽くす事は、非常に大切な事」。
 「軍人と県民が共に島の南部に退き、そこで」「敵・味方、戦闘員・非戦闘員の別なく」「無数の命が失われ」た「沖縄の歴史と文化に(私が)関心を寄せているのも、復帰に当たって沖縄の歴史と文化を理解し、県民と共有する事が県民を迎える私どもの務めだと思ったからです」(ゲンダイネット「「平和・護憲」の天皇・皇太子の人格を否定する政治家と宮内庁官僚」より)


こうした言葉を公の場で発言できる人格を天皇家の人々がそなえているにもかかわらず、天皇制が国民に対して「権力」として、圧迫的なものとして存在せざるをえない歴史がこの国にあるのであれば、この制度に対して、国民が主体的に議論する必要があるのだと思います。

また、「国家」というものが個々人に対して圧迫的に感じられる観念である以上、政治家は、自分はその「国家」という共同幻想の論理に取り込まれて個々人の利害を見失っているのかどうかを、つねに反省しなければなりません。「国家」という共同幻想が実際の生活から抽象化された規範的権力としての何千年、何万年にもおよぶ歴史を持っている以上、その個々人の利害と「逆立する」幻想から自由になる必要が、政治家にはあると思うのです。

この共同幻想に取り込まれてしまったとき、政治家は、国民の利害とは逆立する、「日本国家の使命」という共同幻想の論理に引きずられていく危険性があるように思います。



今日の記事では吉本さんの『共同幻想論』の中から自分にとって印象に残った部分だけを簡単にまとめ、その簡単な解釈を書きました。でも、この本は非常に複雑な論理がしかれている本なので、わたしのこの記事はこの本の内容のごく一部を扱っただけです。またその論理の複雑さについていっているかどうかもわからないので、誤読もあると思います。

ただ、1968年に書かれたこの本が提示した自己幻想・対幻想・共同幻想というロジックは、やはりとても卓抜なものに思えます。「国民国家」という概念について多くの議論が重ねられながらも、そのどれもに新味が感じられない中で、「性」としての人間から共同体の観念が生まれる過程を論理的に突き詰めて記述したこの書物は、今でも多くの人々に知的刺激を与えうるのではないかと思いました。

興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

最後まで読んでくださってありがとうございます。


涼風



ただよう暗さの起源(1) 『共同幻想論』吉本隆明(著)

2004年12月15日 | Book
わたしは天皇家の人々をみると複雑な感情を抱きます。天皇家の人たちの、100%善良そうな雰囲気をみると、このひとたちは本当にノーブルで、まじりっけのないいい人たちなのだ、と思わされます。

皇太子が宮内庁による雅子さんへの不当な扱いに公に抗議したときなど、ああ、この人は本当に正義のために闘う人なんだ、と感動しました。

しかし、にもかかわらず、天皇家の人たちを見ると、なにかとても複雑なものも感じてしまいます。彼らの人格にかかわらず、なにか暗い気分になってしまうのです。君が代や日の丸にもやはり同様のものを感じます。

国会議員の人たちの下品さまる出しの言動をみると、わたしは微笑ましい気もちになったり、ただ呆れたりします。学歴を詐称したりとか、年金の払い忘れとか、1億円をもらって「記憶にない」とか、バカバカしいほど人間らしいじゃないですか。

でも、そうした彼らの個人的言動とはべつに、自衛隊の海外派兵を強行したり、自衛隊の訓練に出向いて彼らの前で演説をしたり、戦車に乗って東京都の中を行進したりするのを見ると、とても気もちの悪い、生理的嫌悪感を感じます。それは、おそらくそういうときの政治家の行動が、かれら個人の人格を越えて、「国家」という論理に取り込まれているからでしょう。

天皇家の人たちの存在に暗いものをわたしが感じてしまうのも、彼らの個人的な清廉潔白さとはべつに、かれらの環境自体が、ふつうの家族とはちがう論理に従っているからなのでしょう。


そうしたことをあらためて考えさせてくれたのが、最近読んだ、文芸批評家の吉本隆明さんの著書『共同幻想論』でした。

わたしは以前にもこの本にチャレンジしたことがあるのですが、全然読めませんでした。どれだけ文字を追っても頭に残らず、何か書いてあるのかさっぱりわからなかったんですね。それで放っていたら、気づいたらなくなっていました。

だけど、このブログで天皇について書いているうちにまた読んでみようと思ったのですが、意外に(以前より)本の内容が頭に入ったように感じています。もちろん難解な本なので、その理解度には不安はあるのですが。

今日は、簡単にこの本の解釈をまとめてみたいと思います。ただ、結果的に今日の記事は1万字になってしまいました。少し長い上に、この本の内容を簡単にまとめて感想を少し付け加えたものなので、すでに『共同幻想論』を呼んだことのある方や、そういう本には興味のない人には、とても長くかんじられるかもしれません。


『共同幻想論』が試みているのは、「国家」というものの明確な定義づけです。

わたしたちは「国家」という言葉をよく使いますが、そのメルクマールは人によってかなり曖昧でしょう。政府と自治体という具体的な制度を思い浮かべる人もいるし、その国の「領土」という地理学的な線引きを考える人もいます。あるいは、その国に住む人々の集団というように考える人もいるでしょう。「国家」という言葉には、明らかなようでいて、いろいろな内容が入り込んできます。吉本さんは、この言葉の内容をはっきりとさせようとしました。


吉本さんは、「国家」を一つの「幻想」と位置づけます。「幻想」と言うと非現実的な空想を思い浮かべるかもしれませんが、この「幻想」は、むしろ「観念」と言い換えてもいいでしょう。つまり、わたしたちの頭の中に張り付いている「観念」「想念」です。そういう意味での「幻想」です。


「国家」が「存在」するためには、「国家」というものが存在するという「観念」をわたしたちがもつ必要があります。逆に言えば、この「観念」がなければ、「国家」はこの世に存在しません。


そこで疑問として出てくるのは、この「観念」がいつ成立したか、ということです。いつから、どのようにして人々は、この「国家」という「観念」を現実のものと認めるようになったのか、この問いを吉本さんは追及しました。


「国家」という「観念」はなぜ成立したのかと問うことは、共同体という「観念」はなぜ成立したのかと問うことであると言ってよいでしょう。そこで吉本さんは、「共同体」という「観念」の成立の起源を追います。


共同体とはなぜできたのか。それは人と人がたんに集まってできるものではありません。そうではなく、一つの結束性のある集団として個人に想念されている必要があります。

その結束性をもっとも生みやすいのが、血縁です。家族と言い換えてもいいでしょう。男性と女性が出会うとき、そこにひとつの「夫婦」という観念がうまれる可能性が生じます。そこで生じる「男性と女性は対である」という観念が、「夫婦」という一つの「対幻想」を生むのです。

そこで、この「夫婦」つまり男性と女性の出会いから、「共同体」を構成する可能性が出てきます。事実、「夫婦」が「家族」となるとき、それも「共同体」のひとつです。しかし、一対の男女とその子どもだけでは、のちの「国家」となるような共同体にはなりえません。その血縁意識が、ある程度の量的規模を伴う「共同体」という観念へとつながる必要性があります。


吉本さんは、この血縁という意識がなぜ「家族」(だけ)ではなく「共同体」という観念を生んだのかを考察します。

一人の男が沢山の女性に子どもを産ませることに「共同体」の起源をみようとすると、つまり、その男性と女性と子どもたちの間の血縁意識の量的拡大に「共同体」の起源をみようとすると、その血縁意識が拡大していく可能性は、それら「夫婦」の死とともに終わります。その子どもたちが後にまた沢山子どもを作ったとしても、また夫婦と子どもとの間の血縁だけに注目する限り、それが共同体の拡大につながることはありません。親と子のつながりがたくさんできるだけです。

吉本さんは、対幻想である「夫婦」が共同体へと拡大していく契機は何かという問題の難解さを次のよう述べています。

「いまでもなく、家族の〈対なる幻想〉がの〈共同幻想〉に同致するためには〈対なる幻想〉の意識が〈空間〉的に拡大しなければならない。このばあい〈空間〉的な拡大にたえるのは、けっして〈夫婦〉ではないだろう。夫婦としての一対の男・女はかならず〈空間〉的には縮小する志向性をもっている。それではできるならばまったく外界の共同性から窺い知れないところに分離しようとするにちがいない

 エンゲルスはこれを誤解したとおもえる。かれは一対の男女が〈夫婦〉としての内部にあまねく拡大する場面をおもいえがいた。この場面を想定するかぎり、内のすべての男性が内のすべての女性と〈性〉的にかかわり、ある期間同居できる集団婚を想定するほかなかったのである」(161‐2頁)。

しかし、どれほど沢山の男が沢山の女を通して子どもを産もうと、そこでは多くの男女の出会いという「対幻想」が生じるだけで、その「対幻想」がそのまま「共同体」という観念を生む契機にはなりえません。「対幻想」が「共同体」の観念(共同幻想)となるには、男と女の単なる出会いによって生じる人間と人間の間の幻想とは違う幻想が生じる必要があるからです。集団婚は多くの「対幻想」を生じさせますが、それはそのままでは「共同幻想」とはなりえません。


そこで、もし「夫婦」という「観念」が「共同体」へと広がるとすれば、それは男と女が産む子供たちが兄弟姉妹という「性」をもった人間であることによる、と吉本さんは考えました。

なぜ男と女が兄弟姉妹であることによって、「共同体」という「観念」が生まれるのでしょうか。


「夫婦」という「観念」が生まれるのは、人間が男性あるいは女性であることに由来します。わたしたちはひとりの「個人」として振舞うこともできますが、異性と交わり、性行為を行い、家計を営むときは、じぶんを「男性」あるいは「女性」であると意識しています。

「夫婦」とは、この自分の中にある「性」という「観念」を意識する場であると言えます。ここから吉本さんは、「対幻想」という言葉を生みます。男性と女性がお互いの「性」を意識しながら「対」になって一つの「家族」を営むこと、それが「対幻想」です。この「対幻想」により、その男と女は、じぶんは「家族」の一員であるという「観念(幻想)」をもつことができます。

この「対幻想」を、吉本さんは、もっとも基礎的な人間間の集合体の観念であると考えているようにわたしは思います。

そこで問題となるのは、いかにしてこの「対幻想」が「共同体」へと規模を拡大していくかです。

このような問題の立て方は、吉本さん以前の学者もしてきましたが、かつての学者は、古い歴史に見られる多夫多妻や乱交などの現象に答えを求めたようです。

しかし吉本さんは、よほど人間が未分化で非文明的な意識をもっているかを想定しない限り、そのような答えは正しくない、と考えました。人間が自分を「性」として意識することは、そこに「自分とは何か」という意識があることを意味します。そのような自己意識を想定するかぎり、乱交によって人間は集団意識を高めたという答えは、吉本さんの腑に落ちなかったのではないかと思います。

吉本さんは、「対幻想」が「共同体」へと拡大したのは、同じ家族の兄弟姉妹がみずからを「性」として意識し、また兄弟は姉妹を「女性」として、姉妹は兄弟を「男性」として意識したことに由来する、と考えました。

そのとき兄弟姉妹の間に実際に性交渉があったかどうかは問題ではありません。お互いが互いを「異性」として意識しあう(現代の言葉で言えば「恋愛感情」をもつ)ことにより、兄弟姉妹のあいだに「対幻想」が生まれるのです。

兄弟姉妹は、やがて他の家族から生まれた外部の人間と家族をもちます。しかし、兄弟と姉妹が互いを「異性」として意識しあう「対幻想」は消えることはありません。このとき、「対幻想」は、ひとつの「家族」という枠を破り、より大きな共同体へと飛躍するきっかけが生じます。兄弟姉妹がばらばらの家族に散っても、「対幻想」が残る限り、その「幻想」は拡大していくのです。そこに、より大きな「共同体」という幻想が生まれる契機があります。

吉本さんはこういう論理の導きにより、「対幻想」があることをきっかけにして広がりをみせたとき、「共同体」という観念が生まれたと考えました。それは、歴史的にははるか何万年も前のことですが、そのとき人類は、「共同体」という観念を手に入れました。吉本さんはこのような、「対幻想」から「共同幻想」が生じる点について、歴史的に見られる母系制を例にとりながら、次のように述べています。

 「いまエンゲルスのいうとおりに同母の〈姉妹〉と〈兄弟〉を、原始的な〈母系〉制の社会で純粋に取り出してみたと仮定する。この両者の間には普遍的な意味では自然な〈性〉行為、いいかえれば性交はないだろう。たとえあっても、性交があったとしても、なかったとしても〈母系〉制社会の本質には、どちらでもいいといった意味においてである。だがたとえ性交はなくとも〈姉妹〉と〈兄弟〉のあいだには〈性〉的な関係の意識は、いいかえれば〈対なる幻想〉は、自然的な〈性〉行為に基づかないからゆるくはあるが、また逆にいえばかえって永続する〈対幻想〉だともいえる。そしてこの永*続*す*る*という意味を空間的に疎外すれば〈共同幻想〉との同致を想定できる。…

 こうして同母の〈姉妹〉と〈兄弟〉は〈母〉を同一の崇拝の対象としながらも、空間的には四散し、またそれぞれ独立した集団をつくることになる。〈姉妹〉の系列は世代をつなぐ媒体としては尊重されながら、現実的には四散した〈兄弟〉たちによって守護され、また兄弟たちは〈母系〉の系列からは傍系でありながら、現実的には〈母系〉制の外に立つ自由な存在になる。ただ同母にたいする崇拝の意識としては、いいかえれば制度としては、この〈母系〉の周辺に存在するだろう。ここに氏族制へ転化する契機がはらまれている」(172-3頁)。
 

(次の記事「ただよう暗さの起源(2)」に続く)


涼風