joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

その人の本当の顔が見たい

2004年12月11日 | 日記
最近、朝にFMラジオをよく聞きます。神戸の民放の放送局です。台所にある小さなラジオでは、FMは、この神戸の局とNHKしか入らないけど、NHKはくらーい曲(クラシックや日本の古典舞踊に使う曲?)を朝から流していて、あまりさわやかな気もちにもならないので、民放にしています。

これまでは、親や姉がAM朝日放送のおっちゃんDJたちの「しゃべり」を聴いていたので、それに合わせていました。道上洋三さんや妹尾和夫さん(関西では有名)とかですね。

たしかに彼らの「しゃべり」も面白いのだけど、でも、ラジオから流れるこてこての関西弁が生理的に僕はだめなんですね。むりやり人情を作り出しているみたいで、ねちゃねちゃした感じがしてあまり好きじゃありません。

まあ、その僕自身も関西弁をばりばりに使えるバイリンガルだし、日常の関西弁には抵抗感はないんですが。

そういう関西的なノリに違和感を感じるので、朝に聴くのはFMに換えました。

ラジオの局を変えただけで、こんなに気分が変わるのかと思います。おっちゃんのおしゃべりを聴いていると、頭には勝手に大阪のにぎやかな繁華街とおっちゃん・おばちゃんたちの顔が想像で出てくるのだけど、FMに替えるとなんだか「シティ」(笑)の風景が見えてきます。

面白いのは、そういうFM番組の雰囲気というのは、おそらく何十年も前とほとんど変わっていないだろうということ。以前、洋楽に興味を持ち始めた子どものころ、よくFMを聞いていました。雑誌「FMステーション」(今でもあるのか?)で番組をチェックして。

そのときの番組も、みな一様に、無内容の話を英語風の日本語(笑)でDJがしゃべり、洋楽や日本のポップスをかけ、たまに英語のナレーションが入っていました(「ウェザー・リポート!」「トラフィック・インフォメーション!」みたいな)。

FM番組のいいところは、なんだか乾いた雰囲気がするところ。とくにリスナーと情緒的な関係を結ぼうとせずに、軽い話と曲を適当にかけているので、番組に自分の気持ちに入ってこられずに、かつ曲を楽しむことが出来ます。そこがわたしはFMの好きなところです。

でも、いつまでも英語のようなノリの日本語を話すのはどうかと思う。DJのおしゃべりも、意味のないことを無理やりに楽しそうに話しています。

AMでもFMでも共通しているのは、無理やりに楽しく話そうとしているところだと思う。それが関西弁か、あるいは英語風の日本語か、という違いがあるだけで。一方は、こてこての関西の雰囲気を作り出そうとし、もう一方はこの関西という場所を(おっちゃんとおじちゃんが支配するこの町を!)無理やりアメリカのウェスト・コーストにしようとしている。

もっと自然な番組づくりをして欲しいな。べつに深い内容の番組じゃなくてもいいけど、そのときDJ(あるいは放送作家)が想ったり感じたりしていることを正直に話して欲しいのです。FMのDJはみんな内容のない話を英語風の日本語で勢いよく話すけど、あれでは他のDJと差別化できなくて、人気DJになれないし、それは本人にとってもリスナーにとっても惜しいことだとおもう。もっと、その人自身でいて欲しいのです。

関西弁でも標準語でもいい。(話の内容というより)その人のそのままさを聴きたい。


涼風