joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

ひとつひとつ

2004年12月24日 | reflexion
今晩は、かなり肌寒いイヴですね。冬らしくなってよかったのかもしれない。神戸の元町駅周辺は、ルミナリエ(クリスマス・シーズンに開催されるイルミネーションの展示。神戸にしては大規模そう)を見物する人ですごい混雑でした。わたしもちょっと見ようと思ったけど、あまりにも人が多いのですごすごと帰ってきました。


きょうは(も)、将来起こるかもしれないことを想像したりして、あえてそれにまつわる感情を感じていました。まだ起こってもいないことをわざわざあえて考える必要もないという考えもあるけど、でも少しでも頭をかすめて嫌な思いをするときは、わたしはあえてそのことを正面から想像して感情を感じてみます。

そのとき、たしかに嫌な感情がからだのなかに湧き起こります。今日の感情は、なんだか顔のあたりで感じられるような、痛さをともなったものでした。

それを感じているときはたしかにつらいけど、でも同時に、あえて主体的に自分でそれを選択しているので、やはり感じるということは自由の一つの表現かもしれません。

『なまけ者のさとり方』(地湧社)の作者タデウス・ゴラスさんは、人がなにかを見ないようにしていると、そのなにかがやってくる、と言っています。つまり、何かいやなことが起きるのは、それが「罰」だからとか「因果応報」だからというわけではなく、世の中のあることを怖れで見ないようにしていると、まさにその怖れが現実化する法則がある、ということです。

逆に言えば、じぶんのなかの怖れを見つめる人は、その人にとってできうるかぎりの範囲で世界を正確に見ていることになります。 それは、より偏見のない目で世界を見ているのであり、それだけ「世界」と「自分」との間に境界がないことを意味します。ゴラスさんはそのことを「スペース状態になる」と表現しています。自分という存在が、肉体に拘束されずに広がっているということですね。

「スペース状態」になるまでどれだけ自分のなかの怖れをみる必要があるのかは、人それぞれなのでしょう。ただ、わたしのばあいは、わりと多くの怖れを見て感じていく必要がある、そんな人生を送っているのかも。それだけ偏見のあるものの見方を矯正する必要があるのかも。

感情を感じることは怖いことでもあります。それは、とても受け入れられないと思っている現実を受け入れようとする試みだからです。おそらくその分は成長できるのだけど、わたし(たち)は、成長よりも今までの心地よさの方をやはり優先したいですからね。

「スペース状態」になること、つまり世界との一体感を感じることがヒーリングの目的だとしたら、それは、怖れではない目で世界を見ることを意味しているのでしょう。つまり、ヒーリングとは「いい気分」になることが目的ではなく、むしろ自分の中の見たくない怖れを見ていく作業なのかもしれません(ヒーリングの方法も人それぞれだろうけれども)。

嫌な感情を感じることはつらいことでもあります。でも、それが主体的になされるのなら、やはりそれは「自由」を表現するひとつの行為じゃないでしょうか。その結果として世界との一体感を感じることも素晴らしいですが、そこに至るまでのその「自由」な行為も、素晴らしいものじゃないでしょうか。


涼風