joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

言葉のギフト

2004年12月06日 | 語学
きのう、言語を学ぶことはその国のひとの気もちを学ぶこと、という話をしました。そう考えると、英語だけでなく、さまざまな国の言語を学ぶ機会を社会で確保しておくことの重要性も、今までよりわかるような気がします。


東京都は、現在、東京都立大学を新しい大学に変えようとしています。その具体的な構想は私は知りませんが、語学教育については英会話学校と連携して授業をしたいそうです。

大学を出て多くの人が英語を流暢に話せるわけではない現在の状況を考えれば、それは悪くないかもしれません。

ただ同時に、都はドイツ語やフランス語の授業などを減らすつもりでいるらしいです。

これについては、それはどうかな、と思いました。


ヨーロッパに滞在した人は御存知と思いますが、ほとんどの国の若者は英語を話すことができます。それはアジアでも同じだと思います。中国や韓国の日本ような大国はともかく、世界のほとんどの小国の人たちは、英語を話せなければ仕事を得る機会も減るため、英語を学ぶことに真剣です。

だから、英語を話せれば、とりあえず世界中の人とコミュニケートできますし、気持ちを通わせることもできると思います。

どんなに言葉がうまくなっても、やはり最後には、ある人とある人が仲良くなるかどうかは相性だと思います。だから、最低限通じ合う言葉があれば、人と人との相互理解は進むかもしれません。

その点では、英語教育を大学で充実させることは、悪くないのかもしれません。

ただ、そのおかげで、様々な言語を学ぶ機会を学生が「奪われる」ことになる恐れは、国や地方自治体や大学は意識してよいように思います。

大阪大学教授で、日本人で一番ドイツ語がうまいと言われている三島憲一さんが、10年以上前のエッセイで、「語学がうまくなるかどうかは、その人とその言葉の相性で決まる」と書いていたのが、今でも印象に残ります。

三島さんはドイツ語の達人と呼ばれていて、わたしも彼が同時通訳する様子を生で見たことがありますが、その圧倒的なドイツ語のスピードと日本語の説明のよどみのなさはびっくりしました(ドイツ語はわからなかった(笑))。

それだけの人が、あるとき韓国語を学ぼうと思いたったそうです。本人も、外国語の習得には覚えがあるから、2年ぐらいみっちりやればなんとかなると思ったそうです。

わたしは韓国語を知りませんが、私の知っているかぎりでは、日本に来ている外国の人で一番日本語を日本人並みに話せるのは韓国の人たちです。それだけ言葉がやはり似ているのでしょう。韓国語を学んでいる日本人の知り合いも、二つの言葉は似ているし、起源は同じではないかと言っていました。

しかし、にもかかわらず三島さんは韓国語には惨敗したそうです。そのとき、やはり言葉を学ぶのは相性だとつくづく思わされたそうです。


だから、英語教育の充実はいいけれど、英語以外の言語の才能をもった人がその言語にアクセスできる機会がなくなることだけは、やはり避けなければならないことなのだろうと思います。

ドイツ語やフランス語なんて、まだまだ勉強する機会もあるし、学習書も出ています。しかし、それ以外のマイナー言語となると、勉強できるチャンスすら少ないのが今の日本の現状だと思います。それによって多くの人の才能が発揮できないのであれば、それは日本にとっても損失のように思います。