淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「優雅な生活、それこそが最高の復讐である」とカルヴィン・トムキンズはいった。

2017年03月04日 | Weblog
 あなたの周りの人間、たとえば友人、恋人、知人、同僚、後輩に先輩、趣味を通じて知りあった仲間、その心から信頼すべき人たちが、いつまでもあなたを支え、いつまでも親身になってあなたを励まし続けてくれるわけじゃない。

 そしてまた、どんなに順風満帆な人生にも、いつか必ず影は濃く静かに忍び寄り、あなたの心を蝕み、生活を脅かし、不幸に陥れる。そういう時は、たぶん、いずれやってくる。
 老いること、重い病気に襲われること、なんらかの予期せぬアクシデントに見舞われること。様々なハードルがあなたの人生には待ち構えているはずだ。

 あなたを嫌いな人間、好きじゃない人間もまた、この世の中には確実に存在する。
 程度の差はあるだろう。露骨にそれを態度で表す人もいるだろうし、遠くから冷めた目であなたを見つめている人だっているかもしれない。いつか罠に落としいれよう、いつか足を引っ張ろう、そういう輩だっているはずだ。

 もちろん、人生はそれほど悲観的な部分だけで成立しているわけじゃない。それもまた、真実である。
 信頼出来る家族、あなたを心から愛してくれる恋人や異性、苦楽を共にした友人たちは、あなたの心の支えである。苦しいとき、辛いとき、困ったとき、純粋に手を差し伸べてあなたを救ってくれるに違いない。
 当然、どんな人生にだって、心から楽しめる、生きていてよかったと思える時間もまた必ず存在する。

 それでも、あえて言う。
 それでも人生は、苦難と煩わしさの宝庫だと。
 他人は、嫉妬や羨望から、あなたを暗く冷たい湿った井戸の中に引き摺り込もうと絶えず画策する。

 ただ、それよりもっと厄介なのは、あなたを暗く冷たい湿った井戸の中に引き摺り込もうとしていることに全く無自覚な人間たちのことだろう。
 これは、もらい事故のようなものだ。
 あなたは、気まぐれで我がままし放題な人間に巻き込まれた、単なる可哀想な善人でしかない。

 こんなふうに人生ってやつは、理不尽で不寛容で呆れるくらいに無慈悲である。
 ならば、そんな理不尽で不寛容で呆れるくらいに無慈悲な人生の荒波を泳いでゆくためには、あなたは一体どうしたらいいのだろう?
 あなたの周りに潜んでいる、裏切りの罠や大きな落とし穴、そしてまた、あなたに対して嫉妬や妬みを抱く人間たちに、あなたはどのように立ち向かっていったらいいのだろう?

 そこに登場するのが、アメリカの有名雑誌である「ニューヨーカー」にも執筆していたカルヴィン・トムキンズが、1920年代を舞台に書いたノンフィクション、「優雅な生活が最高の復讐」という本なのだ。

 フィッジェラルドの小説「夜はやさし」のモデルにもなった、ジェラルド・マーフィーとセーラ・マーフィー夫妻を描いたノンフィクションである。
 ジェラルド・マーフィーとセーラ・マーフィー夫妻は、驕らず、いつも友人を大切にし、シンプルな毎日の生活だけを心掛けて生きる・・・。

 他人を叩けば、必ずそれは自分自身へと跳ね返る。いつか復讐される。叩き返される。
 不合理な権力の行使、納得のいかない命令、妥協と諦めの反復。
 だから必要なのは、矜持と諦観だ。
 プライドを持ち、ものごとに少しだけ距離を置いて見つめてみるという力。
 それこそが、矜持と諦観である。

 そしてあなたは、どんな酷い裏切りにあっても、いきなり心をガツンと叩かれても、身に覚えのない中傷や陰口を囁かれても、突然暗い落とし穴に落とされても、毅然と、そして堂々と、ひたすら前を見続け、そこからすくっと立ち上がらなければならない。

 優雅な生活を送ること。
 別にそれは蓄えを放蕩して、豪華な生活をし続けるということじゃない。
 質素でも、自分のやりたいことだけを見つめ、普段の生活をきちんとこなしてゆく、そういうことにほかならない。

 優雅に生きる。
 それこそが今あなたが頭の中に浮かんでいるであろう、今のあなたを苦しめている、あの人とあの人とあの人に対しての最高の復讐となる。

 優雅な生活、それこそが最高の復讐である。
 







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