たとえば、1994年2月21日の「日記」にはこんなふうに書かれてある。
【原稿が数多、滞積するにも拘らず、文化放送の終了後、全日空27便にて大阪。在阪の関係者との打ち合わせ後、川崎市在住の日航スッチーY嬢と。
茶屋町の東急インターナショナルホテルの下二桁01、21の客室はバスルームが窓際にあり、地上を見下ろしながらの交歓はお値打ち。
みぞれ混じりの中、阪急電車で京都。祇園切通しにある日本料理、さか本。夜の祇園は初めてという彼女を゛お茶屋システム解説付き甲部巡回ツアー゛へと僕が御案内。鯖鮨、いづう。御主人と不況下の祇園話。
常磐津の師匠が経営する店、えん。百年振りに訪れたらドンペリのロゼを空けられちまう。
タクシーで大阪。各編集部担当者から伝言。FAXの山。】
それから、たとえば、同年7月10には【成田到着後、車をピックアップ。スッチーS嬢と待ち合わせ。銀座にある鮨屋ととや。】。
同年7月24日の日記では【秘書K嬢とフォーシーズンホテル。一回に二店舗紹介する「ぴあ」の内の一本を仕上げ、駒沢のラ・プリムール。シャトー・マグドレーヌ83を飲み、・・・】。
前段の抜粋はすべて、田中康夫の「東京ペログリ日記」から抜き出したものである。
田中康夫の「東京ペログリ日記」は、彼が、今は無き無頼派雑誌「噂の真相」(このスキャンダラスで過激な記事満載の雑誌、僕も毎月定期購読していた)に連載していた日々の「日記」を一冊の本にまとめたもので、発売されてすぐに買って読んだ。
当時、小説「なんとなくクリスタル」という処女作が「文藝賞」を受賞して一躍時代の寵児となった田中康夫は、政治や経済や文化の中で蠢き浮かんで来る種々の事象を次々と俎上の乗せ、バッサバッサと切りまくっていた。
恋愛や高級レストランや食の有名店舗に関する情報をすぐさま掴み取ってはそれをコラムに書き、自らの赤裸々な恋愛体験までおおやけに堂々と曝け出してもいた。
その行動と言動は過激すぎるところがあって、自分と寝た女性たちを、ホテル名と時間帯まで羅列して「噂の真相」に書き綴ることに対しての、ちょっとした抵抗感もなくはなかった。でも、読むと止められない。
その田中康夫の「東京ペログリ日記」を、数日前から久しぶりに読み返している。
まさに、本の帯に書かれている通り、「平成の日記文学」であり、「恐るべき私小説」である。
本の巻末には、都内を含めた主要都市のレストラン・ホテル全422軒の5段階評価まで付いている。
とにかく連日連夜、とっかえひっかえキャビン・アテンダントを中心に高級ホテルでのお泊りデートを繰り返し、本人が「おショックス」デートとうそぶく、六本木や銀座や京都や大阪や神戸や海外でのラブ・アフェアを日記のかたちにしてお披露目するのである。
何人もの女子大生や客室添乗員たちが本の中に登場する。
日航、全日空、人妻、企業秘書、女子大生・・・それら一人ひとりがイニシャル入りで明記され、生々しい「お泊り」場面までが詳細に記される。
相手から訴えられたりしないのだろうか?
田中康夫「東京ペログリ日記」は、前半が「宅八郎」の執拗な嫌がらせ来訪時の模様や女の子たちと日々繰り返される狂乱のナイト・クラビング、そして後半では阪神淡路大震災が起こってからのボランティア活動の模様が中心に書き綴られてゆく。
一本何万円もするワインを毎晩飲み、日本食からフレンチ、イタリアンの有名店に通いつめ、今日は東京、明日は神戸、明後日からはヨーロッパと、世界中を周って女性たちとの浮世を流す。
凄まじいまでの放蕩と狂乱の日々だ!
かなわない・・・。
その後、田中康夫は政治の世界に入り、長野県知事を務めたあと、今度は国会議員の道へと突き進むのだが、結局それも落選の憂き目にあって政界からリタイヤしてしまう。
現在では、インターネットを中心に、政治や社会状況に対するコメントを放し続けているようだ。
「日記」にも頻繁に登場するキャビン・アテンダントのS嬢とは、その後紆余曲折を経て、晴れて結婚へとこぎつけたらしい。
しっかし。ここまで徹底的に遊び尽したなら、もう悔いなんてもん、一切ないだろうな。
羨ましい・・・。
【原稿が数多、滞積するにも拘らず、文化放送の終了後、全日空27便にて大阪。在阪の関係者との打ち合わせ後、川崎市在住の日航スッチーY嬢と。
茶屋町の東急インターナショナルホテルの下二桁01、21の客室はバスルームが窓際にあり、地上を見下ろしながらの交歓はお値打ち。
みぞれ混じりの中、阪急電車で京都。祇園切通しにある日本料理、さか本。夜の祇園は初めてという彼女を゛お茶屋システム解説付き甲部巡回ツアー゛へと僕が御案内。鯖鮨、いづう。御主人と不況下の祇園話。
常磐津の師匠が経営する店、えん。百年振りに訪れたらドンペリのロゼを空けられちまう。
タクシーで大阪。各編集部担当者から伝言。FAXの山。】
それから、たとえば、同年7月10には【成田到着後、車をピックアップ。スッチーS嬢と待ち合わせ。銀座にある鮨屋ととや。】。
同年7月24日の日記では【秘書K嬢とフォーシーズンホテル。一回に二店舗紹介する「ぴあ」の内の一本を仕上げ、駒沢のラ・プリムール。シャトー・マグドレーヌ83を飲み、・・・】。
前段の抜粋はすべて、田中康夫の「東京ペログリ日記」から抜き出したものである。
田中康夫の「東京ペログリ日記」は、彼が、今は無き無頼派雑誌「噂の真相」(このスキャンダラスで過激な記事満載の雑誌、僕も毎月定期購読していた)に連載していた日々の「日記」を一冊の本にまとめたもので、発売されてすぐに買って読んだ。
当時、小説「なんとなくクリスタル」という処女作が「文藝賞」を受賞して一躍時代の寵児となった田中康夫は、政治や経済や文化の中で蠢き浮かんで来る種々の事象を次々と俎上の乗せ、バッサバッサと切りまくっていた。
恋愛や高級レストランや食の有名店舗に関する情報をすぐさま掴み取ってはそれをコラムに書き、自らの赤裸々な恋愛体験までおおやけに堂々と曝け出してもいた。
その行動と言動は過激すぎるところがあって、自分と寝た女性たちを、ホテル名と時間帯まで羅列して「噂の真相」に書き綴ることに対しての、ちょっとした抵抗感もなくはなかった。でも、読むと止められない。
その田中康夫の「東京ペログリ日記」を、数日前から久しぶりに読み返している。
まさに、本の帯に書かれている通り、「平成の日記文学」であり、「恐るべき私小説」である。
本の巻末には、都内を含めた主要都市のレストラン・ホテル全422軒の5段階評価まで付いている。
とにかく連日連夜、とっかえひっかえキャビン・アテンダントを中心に高級ホテルでのお泊りデートを繰り返し、本人が「おショックス」デートとうそぶく、六本木や銀座や京都や大阪や神戸や海外でのラブ・アフェアを日記のかたちにしてお披露目するのである。
何人もの女子大生や客室添乗員たちが本の中に登場する。
日航、全日空、人妻、企業秘書、女子大生・・・それら一人ひとりがイニシャル入りで明記され、生々しい「お泊り」場面までが詳細に記される。
相手から訴えられたりしないのだろうか?
田中康夫「東京ペログリ日記」は、前半が「宅八郎」の執拗な嫌がらせ来訪時の模様や女の子たちと日々繰り返される狂乱のナイト・クラビング、そして後半では阪神淡路大震災が起こってからのボランティア活動の模様が中心に書き綴られてゆく。
一本何万円もするワインを毎晩飲み、日本食からフレンチ、イタリアンの有名店に通いつめ、今日は東京、明日は神戸、明後日からはヨーロッパと、世界中を周って女性たちとの浮世を流す。
凄まじいまでの放蕩と狂乱の日々だ!
かなわない・・・。
その後、田中康夫は政治の世界に入り、長野県知事を務めたあと、今度は国会議員の道へと突き進むのだが、結局それも落選の憂き目にあって政界からリタイヤしてしまう。
現在では、インターネットを中心に、政治や社会状況に対するコメントを放し続けているようだ。
「日記」にも頻繁に登場するキャビン・アテンダントのS嬢とは、その後紆余曲折を経て、晴れて結婚へとこぎつけたらしい。
しっかし。ここまで徹底的に遊び尽したなら、もう悔いなんてもん、一切ないだろうな。
羨ましい・・・。