考えるための道具箱

Thinking tool box

◎たまにはライフログ。

2007-11-26 02:09:57 | ◎書


こちらのほうでも。あんまり、べき論が続くのもなんだし。

『ロング・グッドバイ』(矢作俊彦/角川文庫)
:単行本を買いそびれていたので。いわゆるエンターテインメントは、少し苦手なのだけれど、矢作俊彦は読める。とはいえ二村シリーズははじめてなので、これから遡っていくことができれば。とはいえ、本の置き場が右のような状況なので、半年先まで、予約はいっぱいです、ってか。ただ、ちょっと読み始めたところ、まあ言うまでもなくこの「LONG」ふうの導入にひきつけられ、やめられなくなり、一気に100ページほど。ほんとうに矢作は「WRONG」なやつである。そういえば『マンハッタン・オプ』の完全版復刊も始まっているようなので、こっちも抑えるか。ようは、歴としたハードボイルドは読める、ということだ。

『これがMBOだ!』(島田晴雄+CVC)
:マネジメント・バイ・アウトって、なんかやったろう!って感じの言葉だな。いや、そんな気概はともかくとして、気になるのは資金だけれど、やはりPEファンドみたいな話になるのだろうか。いずれにしても、市場の短期的な評価に左右されない、というのが本来の会社のような気がするんだけれど、これは甘いんだろうな。

◎ところで。ちょっと前にこのブログに"平野啓一郎""決壊""退屈"の検索ワードからのアクセスがあったが、これはうなずけるところもある。そこで、語られている話は、まさに現代のある部分を綿密に凝縮させた猟奇的な事件簿なので、場合によっては、エキサイティングで、エキセントリックな展開と感じられてもいいはずなのだけれど、そうならないのは、『決壊』が、現在の日本で発せられているすべてといえるほどの言葉を丹念に、ある側面では機械的に拾い出そうしている、きわめて冷静沈着な実験だからだ。
たとえば、「新潮12月号」の掲載分を見てみると、それは、予算を消化しておかないといろいろアレなんでやっている、なんの情報も意義も信念もないサラ金のTVCFの描写であり、ワイドショーのレポーターのかなり恣意的で悪意に満ちた現場検分の語りであったりする。
真骨頂は、観覧者参加型のトーク・バラエティ番組収録の現場のシーン。ほんとうにくだらないコメンテータの言説を、ごくふつうにくだらなく書き留めていき、あたかもすべてがファクト(ノンフィクション)であるかのように退屈にしあげて、(くだらないTV番組をみているような気持ちに)読者を辟易させるのだが、もうほんとうにダルいなあ、と気持ちが萎えかけた、そのよい頃合を見計らって、ほんの一瞬、するどい虚構を挿入してくる。このテンションが、『決壊』のすばらしさであり、そこには文学者の書く小説として何かと一線を画したいという強い気概が見えるように思える。
連載から1年を経て、物語のある部分の緊張は最高潮に向っている。ただし、『決壊』は平野の小説には珍しく、ここまでかなり拡散してきた。この壮大な「(日本)覗き見」小説は、最終的には、その覗き見趣味に痛烈な批判をもたらすために、さまざまに張り巡らされた伏線をまとめにかかるのか、それともリアリティたっぷりに放置するのか(=世の中には開いたって閉じないものがけっこうある)。このあたりも、『決壊』も大きな見どころではある。

◎ずいぶん酒に弱くなってきた。そんなに飲んでいないのに、なぜあんなに酔っ払って、朝起きたらなぜこんなにつらいんだろう、と検分のため飲んだ酒を書き留めてみた。(1)生中×1、(2)芋焼酎ロック(銘柄不明)×2杯(ただし、ごくふつうのタンブラーに表面張力が発生するほど、なみなみと注がれた異常なロック)、(3)スーパードライ×コップ1杯、(4)ボウモア(ロック)×2杯 (5)ボンベイサファイア(ロック)×2杯。いや、そんなに飲んでないことないな。致命的なのは(2)だな。なんか、俺がほんとうの忘年会の日程を決めようとか騒いで無理やり決めさせたという伝聞もあるようだけれど、そんなことを言った記憶はまったくなく、これはちょっと、悪意に満ちたでっちあげによる冤罪っぽいなあと感じている次第である。
ということなので、頭がぐらついて仕事もはかどらないため、はじめて「ウコンの力」ってのを飲んでみた。ほんとうは、飲んで寝る前に服用すれば朝スッキリらしいのだけれど、宿酔にも効いたよ。