考えるための道具箱

Thinking tool box

◎いまさらながら。

2007-11-08 22:50:32 | ◎書
村上春樹の小説の登場人物には感情移入できる。そればかりではなく、これはまるで俺のことを言っているのではないのか、と、本来、違いが明確な個体であるべきものが、あたかも同期しているかのように感じることも多い。そして、このことは、強い批評の眼をもって読む人は別として、多くの人が感じているのではないだろうか。しかし、その原因は特定のキャラクターに対する共感や好意度から生まれているものではないことに気づいた。彼があらわそうとしているのは、人間の普遍であり、人間の無意識の普遍なのだ。いまさらながら。まるで井戸の底に降りるように、普遍の底に降りていく。だから、彼が長編小説の執筆において限りなく消耗する、とまことしやかに語るのは、あながち嘘ではない。

もうひとつ、いまさらながら、『文藝』の笙野頼子特集を買う。この時期、リアルの世界からも、バーチャルの世界からも、マストではないかという囁きが聴こえてきたので。しかし、誰かと同じで笙野頼子の作品は読んだことはない。『レストレス・ドリーム』くらいは古本で買っていたかもしれないけれど、いまとなっては、探すのものたいへんだ。そういった意味では、『文藝』なんか買っている場合ではなく、まず『笙野頼子三冠小説集』なんだろうけれど、ここから始めてみる。何かを何度も何度も考えて、それを冗長で饒舌な言葉で表現している場には、きっと学ぶべきものがある。

さらに、いまさらながら、2007年度の文芸誌の低調に気づく。そうでもないのかな。去年は毎月、4誌並んだらどれを選ぶか迷うことも多かったのだけれど、今年はほとんど悩まない。『新潮』の連載が面白く(というか、平野と舞城と高村)、これを定期購読としてフィックスしているため、もう豊かな選択肢を形成できず、簡単にあきらめていたのかもしれないが、まあ簡単にあきらめられた内容だということだったのかもしれない。確かに『新潮』は、連載のほか、引き続き、いくつか新しい試みを提起してはいるのだけれど、だいたい1号に1本で、これは他も同じような状況だから、昨年のように、『群像』の3本と『文學界』の2本と、それでも譲れない『新潮』の1本といった悩み方が格段に減ったということだ。もう少していねいに読めば違ってくるかもしれないな。今月の『新潮』の田中慎弥なんかも冒頭を眺める限りはとりあえずよい滑り出しになっているようだし。

最後に、いまさらながら、Firefox とThunderbirdのロゴはよくできているなあ。

なんか、ほかにも、「いまさらながら」があったかもしれないけれど、あんまり覚えてないや。「いま」だ、という瞬間をしっかり覚えておくような記憶力を復活させるためのまじないなんか唱えるより、なにかを着想したり違和感を感じたりした、「いま」だ、と思った瞬間に、たとえそれが定着していなくても、確信がもてなくても、行動するなり発言するのがよいのかもしれない。