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考えるための道具箱

Thinking tool box

◎『LIVE IN DUBLIN』

2007-07-14 13:09:51 | ◎聴
こんなブログ世界の片隅で書くことにもはやなんの意味もないし、そもそも顕在的なファンもずいぶん先細りしているような気もするので、ほとんど独りよがりな発信に過ぎない。しかしたとえそうだとわかっていても、それでもいっておきたい。ブルース・スプリングスティーンの新しいライブアルバム『Live in Dublin』はすばらしい。

昨年、結成された、シーガー・セッション・バンドとのツアーをおさめたこのアルバムについて、ぼく自身は『WE SHALL OVERCOME』に収録されず、その後はじまったこのツアーではじめて演じられた「How Can A Poor Man Stand Such Times And Live?」が目玉だと思っていた。まあ、それが聞けるのならムダではないなあ、という程度の期待だった。
しかし、そんな程度のものではなかった。場合によっては、ブルースのアルバムのなかで最高の部類に入るのではないか、といっても言いすぎではないかもしれない思える迫力のあるパフォーマンスである。

まず、バンドがすばらしい。アメリカン・フォークの大御所であるピートー・シーガーのレパートリーをベースとした曲が中心となるだけあって、セッション・バンドはフォーク・バンドだし、その楽器もフィドル(フォーク向けバイオリン)、バンジョウ、ドブロ(リゾネーター・ギター)、アコーディオン、トロンボーンなどもまぎれもなくフォークやカントリー&ウェスタン向きのものが中心である。しかし、これが17人というメンバーで一挙に奏でられると、もの凄い迫力になる。もちろん、ぼくは、Eストリート・バンドのセッションをなによりも望むものではあるが、このセッション・バンドにみられる、ロック、リズム&ブルースともいえるふところの大きさは、Eストリート・バンドに勝るとも劣らないと感じる。このツアー以降、バンドを収束させるのでなく、ソロ→Eストリート→シーガー・セッションをというサイクルをこれからも繰り返していってほしいところだ。

そして、曲。さきにあげた「How Can A Poor Man Stand Such Times And Live?」はやはり良かった。この曲は、ハリケーンのカトリーナ被災地に向け原曲に詩を加え、ブルース・スプリングスティーン・バージョンとして、より力強いプロテスト・ソングとしてしあげられ、アルバムには収録されなかったがツアーの新曲として公開されて以降、唄い続けられているものである。当初はニュース的に公式サイト公開されたり、AOL MUSICで集中的に流されていたが、ぜひ手元においておきたいと切望していた、まあなんとも格好いい曲である。
しかし、なにより期待を超えたのは、原曲とはまったく異なるアレンジでパフォーマンスされたブルースのオリジナル曲だ。あの「Atlantic City」が、「Further On (up the road)」が、そして「Blinded by the Light」が、こんな風に変わるのか、これは、もはや新曲ではないかという驚き。彼はこれまでも、原曲を大胆にアレンジした曲を新たに発表するということを何度か行ってきたが、ここまで完全に解釈をし直したものは感動的ですらある。

ブルース・スプリングスティーン?昔は少しは好きだったけれど?という人で、このライブに触れていない人が、なにかの拍子でこの世界の片隅の拙文を読まれることがあったらな、ぜひ一度。

◎紅盤。

2007-03-25 01:22:54 | ◎聴
音楽を前にして、鳥肌を感じる。たくさんの人が、そういう瞬間を知っているだろう。
僕の場合、それは、浜田省吾の『ON THE ROAD"FILMS"』に収められた「On the Road」や、ブルース・スプリングスティーンの『Video Anthology』の「Born to Run」のライブ映像で10万人は入っていると思われる会場の観客を目の当たりにしたときであったり、ipodから唐突に始まり流れる『Miles in Europe 』の「Milestones」で会ったりする。「Jupiter」の冒頭のアレグロ(ジョコーソ)の部分も、いきなり始まればヤバい。宇多田ヒカルの「Final Distance」だって、たとえ商業的とはわかっていても、そのdedicated toを思うと子を持つ親としては自然に体が反応する。オアシスやスピッツはもちろん、甲斐バンドにだってそういう曲はある。日本のポップミュージックの場合は、おおむね詩との関係に負うところが多い。

こうしてみると、鳥肌の音は、決してハイブロウなものではなく、どちらかといえば、わかりやすい音の場合が多い。シンプルな音階の限りある順列組み合わせから、たまたま身体に影響を及ぼすコンビネーションが生まれる。そのことは、なにも豊穣さのようなものだけに比例するわけではない。ときに、チープにみえる取り合わせからのケミストリーもじゅうぶんに起こりえて、むしろそういった場合ほうが印象的だ。

斉藤和義の新しいアルバム『紅盤』に収められた「ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~」は、まさにそういったケミストリーの賜物かもしれない。『紅盤』は、コラボレーションやカヴァーを中心とする企画アルバムで、浜田省吾の「君に会うまでは」やサザンオールスターズの「真夏の果実」(w/Bonnie Pink)、沢田研二の「ダーリング」さらには「Jealous Guy」が日本語でカヴァーされていたりと、ずいぶん楽しめる構成になっているが、1曲目に配された「ベリー ベリー ストロング~アイネクライネ~」は、斉藤のファンでもある伊坂幸太郎の短編小説を元に創作されたオリジナル曲で、じつは、このアルバムの中で出色と思える。そして、この曲が僕に鳥肌を与えた。

いつものいい意味での斉藤和義のチープさ満載の曲で、唄いっぷりも、「very very strong」ではなく、まさに「ベリー ベリー ストロング」なのだけれど、そのサビの「ベリー ベリー ストロング♪~」に転じる瞬間に確実に震える。アルバムの最後に収められた「ウェディング・ソング」も、これから披露宴で幾千人かを泣かせ続けるだろうといわれているが、その比ではないだろう。
「ベリー ベリー ストロング」は、いわゆる美しい唄ではないではない。一聴、雑な曲に聞こえるかもしれない。しかし、その具体的な言葉の連なりと相俟った曲の転じ方が、確実に何か、何か清々しいものをイメージさせる。なんだろう?それは、生きているといろいろあるけれど、まあいいことのほうが多いよ、といったことかもしれない。fight songのような側面もあるのかもしれない。そういった意味では、流行りの感動シンドロームのように、ほんとうにチープな演出だ。しかし、僕は、こと音楽については、そんなことにすら、打ちのめされてしまう。
少し、疲れすぎているからなのだろうか。『ハゲタカ』の芝野の台詞「鷲津ファンドです」に落涙してしまうぐらいだからなあ。

◎最近の音楽事情。

2006-12-04 00:51:12 | ◎聴
▶WOWOWでライブのプログラムがあり、動くCOLDPLAYを初めて見た。いったい「SPEED OF SOUND」や「Clocks」のような曲がどのようなパフォーマンスで、どのように盛り上がるのか、まったくイメージできなかったのだけれど、オープニングの「SQUARE ONE」で久しぶりに鳥肌が立つくらい納得できた。めっちゃかっこいいやん、ってことだ。そして、COLDPLAYはライブだと思った。今頃気づくなんてあほだ。8ヶ月くらい前に気づいていたらなあ。WOWOWで放送されたトロントのDVDがでるとかでないとかいう噂もあるが、どうなっているのだろう。とりあえず2003を入手しようか。▶Dexy's Midnight Runnersは、「Come On Eileen」が爆発的い流行っていた頃ですら、聞けるアルバムは『Too-Rye-Ay』『Don't stand me down』しかなかったわけだが、それでもその2枚についてはLPレコードが擦り切れるまで聞いた。90年代の後半にたまたま思い出し、CDを求めてHMVなどいくつかの大型店を回ったのだが、すでに『Too-Rye-Ay』はともかく『Don't stand me down』などオリジナルアルバムは入手が難しくなっていたため、『because of you』というベスト盤でお茶を濁した。何枚かあるベスト盤のうち、もっとも筋の通っていないようにみえる『because of you』を選んだのは、どちらかとえば『Don't stand me down』の曲を多く収録していたからだったと思う。つい最近、HMVに行ったとき、なにかの拍子で「D」の棚の彼らの仕切りが目に付いて、いくつかのアルバムが揃っていることを発見した。これはいつかは購わねばと思いつつも、その場はやり過ごしとりあえず『because of you』をipodに投入した。しかし、決定的な名曲--「Until I Believe in My Soul」「Plan B」が脱落していることもあり、不完全燃焼だったのところで、ようやくMusic storeのことを思い出した。リストアップされていないかもしれないなあという懸念は杞憂に終わり、いくつかの曲が購入できた。ただし、『Too-Rye-Ay』はパーシャルアルバムのため、「PlanB」については、別のベストからアレンジ違いを購入。本来的に「PlanB~I'll Show You」のメドレーが絶妙なのだが、これが聞けないのはいささか残念。▶しばらく『stop the clocks』をヘビーローテンションしたため、少しoasisが好きになってきた。「(What's The Story) Morning Glory?」の詞の気だるさは、あらためて渋いと思えるし、いまいち不評といわれていた『STANDING ON THE SHOLDER OF GIANTS』なんかにだって、「Go Let It Out !」なんて、痛快な曲が入っているわけだと改めて気づかされた。▶迷った末、beckの『The Information』も投入。beckファンには嬉しい感じだろうか。『Sea Change』を求め続けているような僕にとっては、可もなく不可もない。もちろん、面白いし、ずっと流し続けていて機嫌がよい音であるのは確かなのだけれど。▶ここまで、書いてきて、ようやく米国のアーティストが登場したことに気づく。僕は相変わらず、SpringsteenやJackson Browne、さらについ最近ではJohn Mellencampの蒐集リスタートを始めたほどのアメリカン・ロック好きなのだけれど、嗜好するアーティストは70年後半からほとんど減りもせず、増えもせず、つまりは成長していない。しかし、これは、現在の米国のよくわからないヒップホップが席巻しているようなヒットチャートを見ればわかるように僕が成長していないのではなく、アメリカのロックが成長していないということだろう。ほんとうにそうなのか。それを検証するために、なんかないかなあ、と思って棚を探して、とりあえずR.E.Mの『OUT OF TIME』をAAC化してみた。90年の作品だけれど。

ipod雑談。

2006-07-01 23:13:27 | ◎聴
ipodの文学的&ビジネス的活用について考えたりしているのだけれど、音声情報といえばネットラジオ背負い場くらいしか聞かないんで、よし考えるぜって机に座っても、気がつけば鼻くそほじったり、パソコン磨いたりしている自分です。うそうそ。いちおう、googleに「ipot podcyast 文学」なんて入れてみるのだが、あれ?なんも出てこないなあ、これはまだ誰も気づいていないビジネス・チャンスの到来か?なんてドキドキしてたら、よくみたら綴り間違ってるじゃん。
 
いやまあ、ビジネス的活用ってのはおいておいて文学的活用ってのはあるね。どうやら内田樹先生もipod界の仲間入りを果たしたようだし、最近は、落語を聞いている人とかも増えているらしいし、英語学習ってのも文学っていやあ文学だし、こういった現実をベースにしながら、手元にある文字情報を音声化したらどうなるか?ってのをひとりブレーンストーミングしたらいいかもしれない。

たとえば、『爆笑問題の「文学のススメ」』が文庫化されたけれど、これなんかどうだろう。まあそもそもがTVプログラムなわけだから親和性は深いわけだけれど、これは本にする段階で、きっと太田がけっこう手を入れているはずだから、いったん融かしたものを凍らせてまた融かすみたいなことになり、そんなら放送時の映像を配信すればいいわけだから、まあ文学的活用には違いないけれど、工夫はない。太田光といえば『すばる』で引き続き8月号でも中沢新一と対談をしているようだけれど、これはいわば8月?にでる集英社新書の番宣みたいなものだから、こっちは配信する価値はかなり高い。同じ対談ならこれも文芸誌で恐縮だが、どうも『新潮』の8月号では中原昌也が古井由吉にズバリ訊くらしいが、これなんかはどれだけグダグダになるのかって点では面白そうだけれどグダグダすぎて倫理的な限界を超えるかもしれないなあ。うー。

さて、ちょっと煮詰まってきたので、ここで最近のipodへの投入状況の報告を。

①斉藤和義の『俺たちのロックンロール』は予想どおりよかった。いちどアルバムを通しで聴いてもらえればわかると思うけれど、彼はほんとうに多彩な音楽の影響をうけていて、それを自分なりにうまく噛み砕いている。それが誰か?って言われると、たいした音楽経験のないぼくとしては、うーってなるわけだけど、あまり煮詰まってばかりはいられないので、勇気をだしていってみると、まずビートルズは当然のこととして、今回は思ったのはドアーズかな。それと60年代あたりのムード歌謡。とりわけ、「グッドモーニング サニーデイ」って曲なんかは、これはまったく個人的でなんの立証もできない意見だけれど、最初にきいたとき浮かんだのは「Day in the Life」で、ほんとうはまったく似ても似つかないんだけれど、ああ言われてみればビートルズのエキスが詰まっているのだねえ、と思ってもらえることこのうえなし。

②『俺たちのロックンロール』を買った人はこんなCDも買っています、ってのが『ザンサイアン』。発売日にHMVなんかに入店した人の約89%が、この2枚をがっちり握りしめている、なんてデータもあるくらいだ。にもかかわらず、Coccoと斉藤和義が、チャート上で一進一退の攻防を繰り広げないのは、音楽界の不思議現象のひとつといわれている。ってな駄法螺はどうでもよくって、こちらも、いまさらぼくが言うこともないんだけれど4年間のエキスが凝縮されている。「陽の照りながら雨の降る」「Happy Ending」といったライトサイドの曲がいいのはSINGER SONGERの影響がうまくでているからだろうか。

③そして、そんな人がカゴにいれようかどうか1時間ほどあれこれ迷うのがPrimal Screamの『Riot City Blues』。くるりの『NIKKI』とか浜田省吾の『青空の扉』といった位置づけか。とうの本人は「これまででいちばんのアルバムができた」「とっても楽しかった」ってな発言を音楽誌上で繰り返すわけだけれど、確かにそこには極上の「楽しさ」が凝縮されていることに間違いはないとしても、ほんとうにそれがよかったのかという点で賛否のわかれる問題アルバムだ。日本のアーティストの場合は心温かいファンに擁護されることが多いけれど、今回のPrimalのレビューを見ていると完全に2つに分かれているところが面白く、んなら聴いてやろうじゃんということになる。

というわけで、ipodはやっぱり音楽に限るな。うそです、うそです。もうちょっと考えてみます。週刊ブックレビューみたいに書評を中江有里に囁いてもらうってのはいいかも。

1曲の劇的な瞬間。

2006-06-18 16:56:00 | ◎聴
その瞬間に聞きたい1曲、というものは、たとえ目の前に1000曲用意されていたとしても、必ずしも発見できるとは限らない。いや、特定の状況下において聞きたい曲といってしまうとむしろないケースの方が多い、ともいえる。それが音楽というものだ。だからipodを30GBに増強した。

もっとも、1000曲が3000曲であっても7000曲であっても、根本的には「ない!」という状況を変えることはできないんだけれど、自分の音楽経験容量に近くはなるためそれでも確度は高くなる。nanoのまま、複数のフォルダを切って、こまめに入れ替えればいいのではないかという考えもあるが、2500近いものをバランスよく腑分けるのはかなり難しいし、きっとあれか?これか?といった雑念が支配し気の遠くなるような面倒な作業になることだろう。インポートした順に「プレイリスト0001~0900」、「プレイリスト0901~1800」……とつくるという方法は、合理的ではあるが、「ない」確率が高くなるし、きっと聞きたい曲が分散して困ることも多いだろうし、「この曲は良いが、全体的に不調なプレイリスト」などが発生しようものなら、なんだかipod自体がイライラの原因になってしまいそうだ。

入手にあたっては、nanoを相対的に見たときの威嚇的なほどの大きさや、ディスプレイのあけっぴろげな恥ずかしさなど、さまざま観点から1~2ヶ月ほど、いちおうは迷ったのだが、ちょうどヨドバシのポイントもたまっていたので、わが家で3台目となるラグジュアリーを決断した。

もちろん、満足度は高く、予想どおり更新ストレスから開放された毎日が楽しめている。物理的なキャパシティの安心感は、新しい音楽に対する心理的な開放感をも生み出し、これまでああまり関心をもたなかったジャンルやアーティストの曲もどんどんぶっこんでいるわけだが、結果として新しい発見も多い。

斉藤和義もそのひとりだ。斉藤和義といえば、そこはかとなく阿部和重ふうダメ男、もしくは悪質なファンにより玄関ポストにマヨネーズをぶちまけられたといったトホホ・エピソード以外は、ほとんど知られていないのが現実で、ぼく自身も、彼がせっちゃんなんて呼ばれているのを初めて知ったくちだ。『劇的な瞬間』のようなシャープな60年代マイナーロック、『歩いて帰ろう』なんかは、たいていのno life,no musicにとっては周知の名曲だが、そのほかは?という話になると、福山雅治のように毎度激烈なプロモーション活動を享受できているわけではなないので、どちらかというととたんにマニアな会話になっていき、ついていけなくなる。

そういう人たち、つまりそういうぼくのような人に有効に作用するのが、彼の最近のベストアルバム『黒盤』『白盤』であり、ただそれだけなく、ここには震撼するような日本のロックの殿堂がある。ちょいと10年ばかり音楽というものを真剣に聞かなかっただけなのに、こんなのが生まれているなんて。AとBとCしか聞かないんで、といった視野狭窄さ加減をおおいに反省したい。

とりわけ、アコギを中心とした、といわれている『白盤』の後半、「Rain」から続く「古いラジカセ」、「やわらかな日」、「歌うたいのバラッド」、「楽園」、「アゲハ」は、その曲、その詩ともに圧巻である。「やわらかな日」のように、より具体的で日常的な言葉を積み上げていくだけで描いていく、けっして思わせぶりでない普遍的な世界観は、最近ではなかなか見かけないし、同様に「歌うたいのバラッド」のように、シンプルな音で作り上げる豊かなバリエーションは、流行りの曲とはひと味違う深みがある。
30GBを埋めていくうちに、何度こういった劇的な瞬間に出会えるだろうか。

なんだか、今週発売される新譜『俺たちのロックンロール』のプロモーション・コピーのようになってしまったけれど、今週はCocooしかチェックしていなかったので、実際はまったくの偶然である。せっかくだから、もう少し斉藤和義とつきあってみよう。

We shall overcome some day

2006-05-31 00:54:13 | ◎聴
「武田鉄矢、おおいに唄う。端やんメドレーショー」ってところか。いや違う。んなわけねえ。年齢差と歌のプロテスト性なんかを考えると、「ゆず トリビュート フォークル」?これならありえるかも。ゆずなら拓郎ってのもあるだろうな。

つまり、ブルース・スプリングスティーンの『We Shall Overcome: The Seeger Sessions』のこと。57歳のブルースがカバーした、フォークシンガー、ピート・シーガーは87歳で日本なら大正生まれ。よって田端義夫なんだけれど、もちろんたんに楽しいセッションというだけなら武田/田端も負けてはいないが、そこには寓意以外の意味がほとんど見出せない。そういうことなので、フォーク・クルセダーズのようなバンドということになるが、ではフォークルが汎用性の高い国民的シンガーか?というとそうでもないわけで、当然のことながらブルース/シーガーのような関係を、日本のフォーク・ポップ・ロックミュージックのなかで探すのはいささか無理がある。なぜいまピート・シーガーなのか、というところはブルースのライナーを読んでも、ノスタルジー的な部分以外の本意はわからないが、小さい頃からよく聞いていてふとしたはずみで鼻歌でも歌っているような曲を、普遍的なメッセージの意味あいもこめながら、思い切り(あたかもカラオケのように)唄いたかった、ということかもしれない。

このセッションのために集められたアコースティック&カントリー・バンドのなかで、ブルースは、ほんとうに楽しそうに、ピート・シーガーの素朴で実直な曲を歌っているが、公民権運動のテーマのようにもなっていた"We Shall Overcome"のような曲ではしっかり締めている。バンジョーのような楽器が多様されているため、当然のことながら能天気なカントリー&ウェスタンに聞こえるが、そこはやはりシーガーで、周縁のタフな人たちを見つめるまなざしはやさしく思慮深く、だからときに重い。こういった楽曲をきんきんにならず創れること、そしてそれを優等生ぶらずに歌えるところはアメリカらしいといえばアメリカらしい。

しかし、一方では、シーガー・セッションズ・バンドによる、ヨーロッパ&USツアーも挙行していて、このあたりは、世界に対してマルチチュード的ななにかを主張していうということかもしれないし、アルバム未収録の曲の"How Can a Poor Man Stand Such Times and Live?"という曲のいくつかのヴァースを、「ニューオーリンズの人々が直面している大きな試練のことを考えながら」、ブルースが新たに書き起こしたところなどをみると、そんなに楽しんでばかりはいられないよ、という立ち位置はより明解ではある。

ツアーでは『We Shall Overcome』からの楽曲からだけか、と思ったら、そうではなく
- Johnny 99
- Cadillac Ranch
- If I Should Fall Behind
- Open All Night
- My City of Ruins
- Ramrod
- You Can Look (But You Better Not Touch)
といったブルース自身の曲も演奏されており、これらの曲がシーガー・セッションズ・バンドで、どのようにアレンジされるのかはかなり興味深い。じつのところ、このバンドアレンジに、ブルースの曲はなじみやすく、たとえば"We Shall Overcome"や"Eyes On The Prize"は、『The Rising』に入っていたとしても違和感はないだろうし、逆に『The Rising』の"Waitin' on a Sunny Day"などは、シーガー・セッションズ・バンドのアレンジで聞きたくなる。

もちろんぼくは、ピート・シーガーなんて知る由もなく、最初は、大丈夫なのかねえ?と期待をもたずに聞き始めわけだが、これはこれで紛れもなくブルース・スプリングスティーンだし、とりわけさっきから何度も出てきている、"We Shall Overcome"の曲とメッセージにより、タフな毎日がいく分か救われている。

Sync DNA。

2006-03-03 12:16:29 | ◎聴
これはちょっとビビった。やっぱ神保はすげーや。2日の夜中のフジテレビの「メディアの苗床」。Synchronized DNAの第一歩や存在は、なんとなく知っていたんだけれど、実際に神保と則竹だけが並んで演っているのを目の前にするのは初めてで、ワールドクラス軍団とはいえ、はたしてドラムだけでうまい具合に愉しめるパフォーマンスができるのかなあ、と思って見始めた。

その他演奏者と競演かと思いきや、ステージライトに照らされたのは、戦艦のようなドラムセットが2台のみ。もちろんそれだけで圧倒されるが、いっぽうでリズム部隊だけで小一時間どんな音楽を聞かせてくれるんだろうと不安もよぎる。

そして、オープニング。お、やっぱりメロディラインがついているじゃんと思い、舞台の袖のほうに向谷なんかの姿を探してみたが見つからない。おいおいカラオケ?テープ?それならドラムの意味ないよなあ、こりゃちょっと、とんでもショーだなあ、と思ってしまった。

もちろん、そんなわけはない。あるはずがない。なんてったってリズムを保つ神だ。なんでも、トリガーシステムってのを使っているらしい。そんなのがあるなんて、まったく知らなかったしイメージもできなかったんだけど、打ち込みのプログラムがドラムセットに実装されていて、ドラミングのセンサーに反応してMIDI音源を奏でるという、ちょっと素人にはそのしくみが皆目わからないものだ。ドラムセットの間隙に音源の割り当てられたパットが配置されていてそれをたたけば音色がでる(このあたりはサイレントドラムのイメージ)。ただ神保の場合はそれだけでなく、タムとかバスドラムとかスネアにも振動に反応するセンサーを装着しており、かつプログラムを切り替えるパッドもあったりして、かなりヴァリエーションが豊富な音色が使えるということだ。ようは、それぞれの太鼓が鍵盤を代用しているようなものと考えればいいのだろうか、とも思うがちょっと違うような気がする(※)。

リズムを保ちながら(それもふつうでは考えられないような重層的なリズム)、あくまでプロフェッサーとしてキーボードのメロディを奏でる。結果的に「ワンマンオーケストラが可能になる」といった言い方をされていることが多いようだが。いったいどのような手の動きになるのか想像するための材料が、ぼくにはまったくない。そこに、シンクロしている則竹のこれもまた、強く複雑なリズムが加わる。そしてな当然でありこれこそ大切なことなんだけれど、ドラムを打つ音がとてもタイトでシュアで気持ちいことで、これは打楽器好きにはたまらない。小型の液晶TVでも相当な迫力なんだけれど、凄さの本質は、きっとナマでなければわからなのだろうなあ。

そこで、CDを所望しようといろいろと探してみるが、じつは、まとまった形のスタジオサイズののはまだリリースされていないようだ。カシオペアとの協演や、どちらかというと、教則的なDVDは結構あるようだが、単独のものはみつからない。とりいそぎ、『Synchronized Paradise ~Synchronized DNA LIVE TOUR 2005~』か、カシオペアとの『CASIOPEA with Synchronized DNA / 5 STARS LIVE』『SIGNAL』あたりか。2006年もツアーを続けるみたいなので、ライブハウスなるものに行ってみてもいいかもしらんなあ。というか、この歳からドラムを始めるなんてのは無理があって意味がないのかなあ。


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(※)こちらが正確で、かつわかりやすい。

くるりの『NIKKI』。

2005-11-25 22:26:38 | ◎聴
残念ながら、くるりは、ぼくの蝕から少しズレてしまったようだ。いやそんなことはない、と思って、『NIKKI』を昼夜問わず、移動時間も含めて聞き込んでいるんだけれど、どうもピンとこない。昨晩もベッドで寝音として聞いていたが、少しいらいらしてきたので、思わずホイールで『TEAM ROCK』に合わせ変えてしまった。

今年にはいって怒涛のようにリリースされたシングルは、すべて抑えてつつも、少しづつ違和を感じていた。それらは、ある視点に立てばたいへんくるりらしくはあるとしても、楽曲のアイデアという点でのくるりらしくなさについて、多少なりとも物足りなさがあったということになる。
いっぽうで、2005年のベストアルバム賞をあげてもいいんじゃないかと思える『ばらいろポップ』といった企画もこなしていて、媒介としてのくるりの力の偉大さも感じていた。

もちろん『NIKKI』のそれぞれの曲についても、オリジナリティは高く、おそらくずっと昔からくるりを聴きこんでいる人にとっては、たいへん貴重なものに違いない。岸田自身も、ROCKIN' ON JAPANを、キーワード読みする限りでは、これまでのものから一皮向けたことに絶大なる自信を獲得したようだし、これこそがPOP、R'n Rという宣言も正しいと思う。これまでの作品は楽器のテクニックにこだわった部分が多かったが、今回は純粋に歌いたかった、という自らの解説どおりの作品群にもなっていて、そのシンプルなつくりも好ましい。

したがって、戯言はあくまでもぼくの蝕閾の狭さだけの問題だ(蝕閾なんて言葉はないと思うけれど)。

そこでポイントになってくるのが『アンテナ』だ。『アンテナ』こそをくるり、という人は少ないと思うが、じつはぼくはそのマイノリティのひとりであり、もし『アンテナ』をベンチマークとするなら、『NIKKI』に対するぼくの苦悶はわかってもらえるに違いない。クリストファーがバンドを去ることに懸念をしていたが、まさにそのとおりの事態になった。つまり、クリストファーのドラムそのものがくるりにとって異質であり、そこで演じられていた重みはあくまで期間限定的なくるりだったのだろうか。

しかし、『アンテナ』のそれぞれの曲がもつマイナーな影こそ、もう少し大げさに言うなら『アンテナ』を頂点とするそれまでの作品のマイナーな影こそ、ほんとうの意味で他にはないオリジナリティをもつPops & Rock'n Rollではないか、考え方にもうなずいてもらえるかもしれない。「Long Tall Sally」が、「Race」のような展開にならなかったことを、残念に感じるべきなのか、新しいと評価すべきなのか。それとも、暗さを明るさというオブラートで包んだ巧さと評価すべきなのか。

そしてアイデア。そこにある「お祭りわっしょい」は、たんに変な曲であるという以外のなにものでもなく、「水中モーター」や「GO BACK TO CHINA」には遠くおよばない。現在おこなわれているツアーでは、オープニングナンバーとしてセットされていて、それはそれで盛り上がるんだろうが、どうも知恵が足りないような気がする。

これまでも実験的なことを繰り返してきた彼らだから、そのバリエーションのひとつとしてとらえることもできるわけで、その実験のひとつとしては、つまりポップスのアルバムとしては、シンプルだし、気持ちのいいギターアルバムだし最良であることは言うまでもなく、それならもう少し、フィル・スペクターぽくあってもいいかなあ、と思った次第である。

全員バンドへの幻想。

2005-08-15 09:39:53 | ◎聴
南総里見八犬伝、真田十勇士はもとより、サイボーグ009にしてもアストロ球団にしても、未来永劫連綿と続くと思われる特撮戦隊ものにしても。
何人かの人間が集まり、ときには自分だけにしかない専門能力と個性を発揮し集団の勝利に貢献し、またときには、自分にないはまったくない能力を誰かに補われ、意外な形で勝利を手にする。仲間がそれぞれの強み弱みをしっかり引き受け、そのことを自覚する過程において、支え委譲することの重要性を知り、精神的に成長し、何某かの目標を完遂する、このグループダイナミックスを日本の人たちは好み続けてきた。そして、ご多分にもれず、ぼく自身もこのメンタリティをしっかり受け継いでいる(もちろんファンタスティック4などのアメコミを見る限り、これは日本人特有のものではないのだけれど)。

しかし、この協力集団がうまくいくためには、たとえば3人なり4人なりのそれぞれが専門能力に突出しているのは当然のこととして、それ以外の能力についても基本的に常人より高いレベルを達成できているということが前提になる。

これは、現代の実社会における、協力集団のひとつであるバンドを例にとれば端的だ。それぞれが楽器を受け持つが、たとえばふだんはボーカル専門の人間がときにはキーボードもたたくし、ギターマンは弦がつくものならならなんでもOK。メインボーカルはいちおう決まっているが、じつは全員がなかなかよい歌声をもっていて、アルバムには必ず全員がメインボーカルをとる曲が挿入されているのはもちろん、あまつさえアルバムのラストの重要な曲のボーカルを務めたりもする。とうぜん曲作りの才能にも長けていて、全員の持ち味をいかしたバラエティに富んだアルバムができあがるし、逆にそのときに誰かがリードをとってプロデュースすればその人の好み全開の作品ができあがる。おいおい、こんなバンドいるのかよって?そう、滅多にいないのです。だから、ぼくはQueenが好きなのですよ。

全世界的な商業的なバンドとしては初めてQueenを知って以来、バンドたるもの「全員バンド」たるべし、とこだわり続けてるんだけど、じつは後にも先にも、そんなバリエーション豊かなバンドは(ぼくの狭い音楽範囲に限れば)彼らだけなんですよね。楽器の掛け持ちといったレベルのことはあっても、曲をつくる人間、それを歌う人間はおおむね固定されていることが多いし、たまにメンバーが歌ったり作ったりすることがあったとしても、おおむね色物っぽいことが多い。商業作戦上いたしかないことであるとはいえ、一方でバンドはメインボーカリスト、メインライターの才能に委ねられることが多いのもまた事実。

じゃあQueenの4人がバランスよく能力を発揮していたか?といえば、じつはそこまで完全ではないのだけれど、他のバンドに比べ、ボーカルや曲作りが分散されているのも事実で、なによりフレディの曲以外によいものが結構あったりするのが大きい。幼いころは、新譜がでるたびに、歌詞カードをみて、これは誰の曲で、誰が歌っているのか、ということを調べるのをものすごく楽しみにしていたひとりです。

というわけで、ishmaelさんにこっそりと囁かれたQueenの15曲は、そんなことも考えながら、わりあいにQueenらしくないところで。ベストというか、いまここですぐに聞きたい15曲というところでしょうかね。絞れないので17曲で。

Killer Queen, Death On Two Legs, I'm in love with my car, 39, You and I, Good Old-Fashioned Lover Boy, Drowse, Sleeping On The Sidewalk, My Melancholy Blues, Don't Stop Me Now, More of That Jazz, Dragon Attack, Rock It (Prime Jive), Staying Power, Under Pressure, I Want to Break Free

うん。よいバランス。このバランスがQueenを長続きさせた(させている)ポイントなんでしょうね。きっと。なお、好きなアルバムは、QUEENがいろいろと変わったことにトライしていった写真の3連発。ファンクラブに入っていたような人には酷評されるかもしれませんが。

MUSICAL AID。

2005-07-10 11:58:53 | ◎聴
やあ久しぶり。元気?ああ、おれ?おれはあいかわらずだね。あいかわらず考えないための道具箱だね。

「B to C」の商品を「B to B」的に営業していくにはどうしたらいいかとか、エキセントリックな誘引力がないなかでショールームのような買い場に集客をはかるにはどうしたらいいかとか、品質管理のためのシステムの導入のストーリーや商品の未来像を考えてみたり、いっぽうでそんな中期的なことばかりでなくて、夏から秋にかけて発売される新製品のコミュニケーションツールの最後の追い込みとか、ファンサイトの企画や実装など、めくるめく案件にだいたい3時間交代くらいで取り組んで、あいからず結構遅い時間まで会社にいるって感じだね。そういうのが全部うまくいってりゃそれはそれでランナーズハイになったりもできるんだけど、仕事ってのは、そううまくいくもんでもないわけで、まあ悩みつつ、落ち込みつつやってるわけです。

で、こんなのをなにも日なが机の前に貼りついてやっているわけもなく、たとえば、一日で東京・港区→名古屋・栄→大阪・りんくうタウンという三都ミーティングをこなし、結局最後は、関空快速で天王寺までしか帰れない時間になったためタクシーで日が変わってから大阪の帰宅するといったかなりアクロバティックな運動もやっていて、おれって結構、脳の筋力とか体の持久力とかあるなあ、これはきっとエアロビクスのおかげだ、と思ったりしているんだけでど、そういうやつに限ってある日とつぜん、ガクンとなったりするんだろうなあ。考えたくもないや。

こういうときにおれを救ってくれるのはやっぱり音楽だというのがよくわかってきたよ。もちろん、忙しい合間にも『小説の自由』とか『現代小説のレッスン』といった評論(?)や、例の本を契機に『悪霊』を読み直したりしていて、ああ、こんなふうに思考のプロセスをそのままダイレクトに書き付けていけたらいいなあと感激したり、これらの文学について何か書くべきだと焦燥していたりするんだけど、いかんせん「本は仕事をしながら読めない」という最大の障害にぶつかって、じつは思うどおりには読み進められてはいないんだ。スパッと読める『20世紀少年 19巻』についても、じつはこの漫画はもうちょっとマジメに読んでマジメに批評したほうがいい、その果てしないエンターテイメント性に幻惑される一方じゃだめだ、と起案はするも、人に話せるほど意見が固まらなかったりする。

そこで「仕事しながら(盲目的に)聞ける音楽」ということになるんだ。

ふいに「Under Pressure」が聴きたくなってQueenの『Greatest Hits Ⅱ』を借りて、ついでに「More of That Jazz」も、と『Jazz』を、「Rock It」も、と『The Game』をデジタルリマスターで借りてみる。Coldplayの前のやつとか、Radioheadの『Hail to the Thie』とか、あとついにBeckの新しいのを買ってみたり。音楽の筋はかなり限定的だし、まあ人によっては、しょぼいとかチープとか全然ダメといった厳しい批評もあったりするのだろうけれど、どんな音楽であれ音楽である以上は、乾いたスポンジには貴重な養分になるよ。

養分?そんな中、養分どころかユンケルスターくらいの滋養強壮・回復力を与えてくれたのが、SINGER SONGER。ばらいろポップ。ちょっとビビった。少しくらいはチビったかもしれない。おいCoccoってこんなだった?岸田繁ならではのケミストリー?いずれにしても、CoccoのLightsideが徹底的にフィーチャーされた。詞も好み、曲も好み、編成も好み。「私をあなたの元へ運ぶ汽車は壊れちゃったの だって あーあ 壊れちゃった こわれちゃったの」だって。すばらしい。もう舌の奥地でもなんでもいいからイッてくれい!これぞNO MUSIC, NO LOVE LIFE。

それともう一枚は宿命の浜田省吾。ユンケル黄帝Dくらいですかね。やっぱりあいかわらず詞はかなり直截的で気障で、聴く人によっては苦笑を通り越して怒りすら覚えるかもしれないくらい思慮浅いんだけれど、しかし、それでも浜田はやめられない。このことを決定づけるのが、どうしようもないタイトルの『MY FIRST LOVE』というアルバムのこれもまた、どうしようもないタイトルの「初恋」という曲なんだ。
「俺の初恋はRocK'n roll」がテーマの曲で、それこそ、詞のなかで、もうモロに「I wanna hold your hand」とか「The Young Rsscals」とか、それこそ「救ってくれたのはBruce Springsteen & Jackson Browne」といったフレーズが使われていて辟易するところもある。しかし、聴くべきはメロディと編成。最近得意とする軽いR&B感に、ちょっとしたウィットをまじえながらのパフォーマンスは、J-POPで最近見かけなくなった気持ちよさがある。ギターのリフのなかに、さりげなく「Born to Run」のイントロのリードを混ぜられた日にゃ、Rock'n Roll Kidsは Blinded by The Lightだよ。ほかにも、「10th Ave.Freeze Out」のもろリスパクリもあったりなかなか微笑ましい。

ありゃ、いまCDTVで流れてる、ミスチルの「ランニングハイ」って曲の詞もそうとう面白いや。

もうひとつ、料理と食器洗いがおれを救ってくれているんだけど、それはまたの機会に。



Musical Baton。

2005-06-16 23:46:39 | ◎聴
id:ishmaelさんから、Musical Batonをいただきました。見てみると「id:なし」は、僕だけなので、そろそろ、マジでこちらの市民への帰化を考えつつ、せっかくいただいた時間を愉しみたいと思います。ishmaelさん、こんなことでもない限り書き出せないBLOGを書くトリガーをいただきありがとうございます。

1.Total volume of music files on my computer
コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量

じつは例の音楽容器をもっていないのです。もうそろそろサントリーさんからよい知らせがきたりしないかなあ、と思いながらも、来なければ来ないで、結論を出せねばなりません。したがって、あまり活動的に持ち出せないbitくんは[DELL LATITUDE]と[VAIO-J]であわせて11.5683GBでした。

2.Song playing right now
今聞いている曲

先々週くらいから「音楽空白の10年を埋める企画」って言うのを始めていて、そんなこともあって、いろいろ聞いてはいるのですがright nowは、BECKの「Paper Tiger」でした。夜中に職場でPower Pointを開きながら聞く、『Sea Change』は気力を与えてくれるのか、はたまた吸い出してしまうのかよくわかんないです。

3.The last CD I bought
最後に買ったCD

山ほど借りているけれど、4月の『Devils & Dust』(Bruce Springsteen)以来、買っていないことにはたと気づいた。まあこれから8月ぐらいまで、マストが目白押しなのでいいか。 たとえば、Bruceの紙ジャケ仕様再発売なんかを買ってしまうと思う。

4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

(1)Death on Two Legs~Lazing on a Sunday Afternoon~I'm in Love With My Car/Queen
(2)Message in a Bottle/The Police
(3)Sky Blue & Black/Jackson Browne
(4)Ocian Beauty/浜田省吾
(5)Wreck on the Highway/Bruce Springsteen

(1)ishmaelさんとかぶってますね。最初に聞いた洋楽アルバムの最初の曲は、やはりインプリンティングされるものです。腰抜かしてましたね、きっと。この3曲の「GO→STOP→GO」のミックスダウンを1曲と解釈させていただきました。じつはロジャー・テイラーのしゃがれ声もおおいに刷り込まれています。いまやふつうのブタしゃんになっちまったけれど。
(2)きっと、もうスティングには、こんなカッコいい曲はもう作れないだろうなあ。ひょっとしたらこんな思弁的な曲もつくれないかもしれない。いまでも熱狂的に聴いてます。
(3)彼が、90年代にがんばった曲。ほんとうは「The Pretender」とか「Fountain Of Sorrow」なんかの方をよく聴いてるはずなんだけれど、がんばったので一票。いやそれだけでなく、ほんとにいい歌です。
(4)もちろんこのあとに続く「マイホームタウン」も含めて、ということで。bank bandもがんばったけれど、やっぱり「Ocian Beauty」を、はしょったらだめですね。最近では、とりわけ詞について、ことあるごとに「陳腐疑惑」が持ち上がっている浜田ですが、なかなか嫌いにはなれません。だれかライブのチケットわけてください。
(5)たまさか「レコードコレクターズ」の今月号がBOSS特集。「21世紀のスプリングスティーンは名実ともに第2の黄金期に突入している」なんてエッセイも掲載されているようだけれど、「Wreck on the Highway」は、もう20年以上も前の曲ということになる。カタルシスを求めるときに必ず聴いてます。ああ、何度求めたことか。

なんとも大衆的な選択ですが、これにてわかるのは音楽についてはgood old-fashioned dayを引きずり続けているということと、ロックンロール万歳、ということでしょうか。

5.Five people to whom I'm passing the baton
バトンを渡す五名

もし、このエントリーに気づくことがあって、お時間があれば、ぜひ。勝手にすみません。

kensukemさま
Ken-Uさま
souさま
下町貴族さま
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多すぎるぞ、カシオペア。

2005-06-10 14:01:33 | ◎聴
たとえば、QfrontのTUTAYAに行くと、もの凄い枚数のカシオペアがラインアップされていて棚の前で呆然としてしまう。いったいどれを聴けばいいのか、それを判断する基準もみあたらない。僕は80年代以降、カシオペアの新譜を聞いていなかったのだけれど、90年代にいったいなにがあったんだろう。

とりわけややこしいのは「ベスト盤」と「ライブ盤」の多さだ。なかには「ベストライブ」なんかもあったりして、ややこしさに輪をかける。そこで、カシオペアこんなにあるある探検隊を呼んで調べてもらった。

2005 GIG25 【LIVE】
2004 ★MARBLE
     Live & More 【ライブ】
     ゴールデン☆ベスト 【ベスト】
2003 ★PLACES
2002 ★INSPIRE
2001 CASIOPEA "SINGLE" COLLECTION【ベスト】
     Limited Editonal Collectors Box【ベスト?】
     20th【ライブ】
     ★MAIN GATE
2000 ★Bitter Sweet
     Best Selection【ベスト】
1999 20TH ANNIVERSARY BEST【ベスト】
     ★MATERIAL
     ★be
1998 GOLDEN WAVES 【シングル】
     ★Light and Shadows
     TWINS~SUPER BEST OF CASIOPEA【ベスト】
1996 Schedir【ベスト】
     ★Flowers
     work in【ベスト】
1995 work out【ベスト】
     LIVE ANTHOLOGY FINE2【ベストライブ】
     ★freshness
1994 ★HEARTY NOTES
     ★ANSWERS
     ★ASIAN DREAMER【リメイク】
     LIVE ANTHOLOGY【ベストライブ】
     テイク・コレッジ【シングル】
     MADE IN MELBOURNE【ライブ】
     AGURI SUZUKI selected for F-1【ベスト】
1993 ★DRAMATIC
     GLORY【シングル】
     WE WANT MORE 【ライブ】
1992 MEMORY【ベスト】
1991 ★FULL COLORS
     ★active
     デイブレイク&トワイライト【ベスト】
     ウインド&クワイエット・ストーム【ベスト】
     決定版カシオペア・ベスト・セレクション【ベスト】
1990 THE CASIOPEA (1987~1989) ~LAST MEMBERS 【ベスト】
     ★PARTY
      SPLENDER 【シングル】
      BEST OF BEST【ベスト?】
     ★EUPHONY
1988 WORLD LIVE'88 【ライブ】
     BAYSIDE EXPRESS 【シングル】
     ★PLATINUM
     FUNKY SOUND BOMBERS【ベスト?】
1987 CASIOPEA PERFECT LIVE LIVE II 【ライブ】
     ★SUN SUN
1986 ランディング・トゥ・サマー 【ベスト】
     ★HALLE
1985 CASIOPEA LIVE 【ライブ】
     ★DOWN UPBEAT
1984 THE SOUNDGRAPHY 【ベスト】
     ★JIVE JIVE
1983 ★PHOTOGRAPHS
     Mint Jams 【ライブ】
1982 ★4×4 Four by Four
     ★CLOSS POINT
1981 ★EYES OF THE MIND
     ★MAKE UP CITY
1980 THUNDER LIVE 【ライブ】
     ★SUPER FLIGHT
1979 ★CASIOPEA

ネットをあちこち見ながらかき集めたらしい。なんでも、これが正解というのがなくて苦労をしたようだ。オフィシャルサイトでは、★のオリジナルアルバムしかディスコグラフィされていないようだし、ネットショップのリストを見ると再販バージョンなども重複しており腑分がたいへんなようなだ。また公式・非公式含めたReMixもたくさんでており、したがって、これでも完璧ではないと思うんですが、というエクスキューズつきだ。

僕自身は先述したように、80年代以降、正確には『PLATINUM』以降、聞いていなかったし、80年代のものもLPでしか所有していないので、そういう意味では、ある時期、カシオペアをまったく聞いていなかったことになる。そのためリハビリをかねて、どちらかというと古い曲を中心にいちばんバリエーションが充実していそうな、『20TH ANNIVERSARY BEST』というのをとりあえず借りてみた。もしあいかわらず良ければ、旧版含めて買い集めようと期待をこめて。

【002】『20TH ANNIVERSARY BEST』
■ディスク: 1/1.朝焼け 2.ブラック・ジョーク 3.ダズリング 4.ドミノ・ライン 5.ダウン・アップビート(リミックス・ヴァージョン) 6.アイズ・オブ・マインド(リミックス・ヴァージョン) 7.ファー・アウェイ 8.ギャラクティック・ファンク 9.ジプシー・ウィンド
■ディスク: 2/1.メイク・アップ・シティー 2.マリン・ブルー 3.ミッド・マンハッタン 4.ミッドナイト・ランデブー 5.ミスティ・レディ 6.サンバ・マニア 7.スパン・オブ・ア・ドリーム 8.ステップ・ドーター 9.サニーサイド・フィーリン 10.テイク・ミー 11.ザ・サウンドグラフィー

たとえ生半可なファンであっても知っている曲ばかりだ。結論をいうと、この頃のカシオペアはやはりいい(←ピンク・フロイドのときと同じ言い方になっちまった。音楽を語る語彙が少なすぎるね)。 僕はプレイヤーではないので、テクニカルなこところは「凄い」という以外にいいようないんだけれど、メロディの豊かさとか構成力みたいなものについては、聴くたびに隠し味が発見されるのがよくわかる。とりわけ、じつはファーストアルバムの「ブラック・ジョーク」や「ミッドナイト・ランデブー」があいかわらず味わい深いなのは大いなる発見だ。野呂一生が自己模倣に陥っているということを差っぴいてもあまりある。

『SUPER FLIGHT』に始まり『MAKE UP CITY』をグニャグニャになるまで聴いた中学生の頃の記憶が甦ってきた。目覚ましに、『Mint Jams』(※)をかけてたっけ。そういえば、何回もコンサートにいったなあ、あの頃はサクがまだ元気でワイヤレスのアンプで観客席を一周したりしてたなあ。「ドミノライン」のドミノ倒しのユニゾンとか、まだやってんだろうか。

『20TH ANNIVERSARY BEST』は、20周年といいつつも、おそらくレコード会社のからみなのか80年代の曲ばかりで、その点で、「新しいカシオペアはどうなんだ?」という僕の所期の目的は達成できていない。だけど、少なくとも昔のカシオペアは今でも充分に聴けるということがわかり、少し気分がよくなった。

今週末、ターンテーブルを結線して、昔のLPを聴いてみよう。それと、ライブのベストっていうのも何枚か借りてみよう。ああ、愉しみだ。まあ、壮大なマンネリズムなんだけどね。

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(※)幼い頃は、このノイズのクリアなアルバムの音源がLIVE録音からのもの、ということに感動したものだ。M(ukaiya)I(ssei)N(oro)T(etsuo)-J(inbo)A(kira)M(inoru)S(akurai)ってのは誰でも知ってる薀蓄ですね。


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The Wall/Pink Floyd

2005-06-08 00:21:03 | ◎聴
20代半ばから30代半ばまでの空白の10余年、つまり90年代の空白をうめるべく、しっかりと大量に音楽を聴くことにしました。よくよく考えたら渋谷のQFRONTには夜中の2:00まであいているTUTAYAがあるわけだから、もっと積極的に利用しておけばよかったんだけどね。

ただし、なにが書けるか?といえば思い出話くらいしかかけないので、どちらかというと聴いた音楽の記録ということになると思われます。通し番号とか打ってみたりして。

【001】The Wall/Pink Floyd

空白の10年の答えになっていないし、なにをいまさらと思われるかもしれませんが、これは久しぶりに聞くとやっぱりいい。一般的には出来が悪いとかなんとか言われているこのアルバムを好きだというのは少し複雑な感情ではあるれど。じつは、高校生や大学生のときにたまたま入手していた『Dark Side of the Moon』など『The Wall』以前のものはもとより、とりわけ『The Wall』直後の『The final cut』なんかはこれもまた出来が悪いといわれているにもかかわらずカセットテープがのびのびになるほど聴いていたんだけど、『The Wall』については、持ってる友人がいなかったのか、ずっとレンタルが貸し出し中だったかの理由で手元になく、じっくり聴いたことがなかったのです。

空白の10年の間も、ときおり『Another Blick In The Wall (Pt.2)』が頭のなかに囁きかけたり、あまつさえ一日中口ずさんだりすることも確かに何度かあった。でも『The Wall』全体をなんとかしようという具体的な企てにおよぶことはなく、そういった意味ではずっとおこりのような状態が続いていたわけだけれど、このたびすっきり解熱できました。

続編とも残り滓ともいわれている『The final cut』から逆行したこともあり、きわめて敷居低くPink Floydを思い起こすことができ、同時にこのことで自分は絶頂のロジャー・ウォーターズをよかれと思っていることが追認できたわけです。さらに、いわゆるコンセプトアルバムの魅力へのインプリンティングに抗えないこともよくわかりました。最後の曲が最初に戻るなんていうチープな計算にいまでも感動してしまうわけです(もちろんそれだけがコンセプトアルバム要素というわけではないけれど)。styxの『Paradise Theater』やBilly Joelの『The Nylon Curtain』とかね。邦楽でいうなら浜田省吾の『Promised Land』とか。なんとういうかコンセプトの、巧みな一貫性というものにいとも簡単に満点をあげてしまうのです。きわめて大衆的なんですけれどね。

で、よくよく見てみると詞なんかも恰好いい。

つまり
きみは
ショウでも観にいこうと
思ったというわけだ
広大な密室に繰り広げられる混沌の中で
ぬくぬくとしたスリルを味わうためにね
どうしたんだい?
いやにまごついているようじゃないか
きみが期待していたものと
あまりにも違うといういうのかい?
この冷ややかな両眼の裏に
何が隠されているのか知りたいなら
かきむしるようによじ登って
化けの皮をひっぺがせばいいのだ
(「In The Fresh」 訳/山本安見)


訳の改行とかも恰好いいんだけどね。

『The Wall』は発売が1979年で、これにて80年代が幕をあけるわけだけど、じつは始まりと同時に終わり、あとは残滓である『The final cut』が燻っているだけ、というのは、まさに80年代の時代性をあらわしているともいえ、そんなところからもなにかしら興味を持つのかもしれないなあ。ああ、やっぱり思い出話だ。


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棚から牡丹餅。

2005-05-25 00:26:41 | ◎聴
のっぴきならないファミリ・アフェアにより、娘と一緒に大江千里のライブにいくことになった。ぼくも娘も彼のことはよくわかっておらず、このふたりの参入により貴重なチケットが入手できなかった人には申しわけない、って殊勝なことは、当日券も残っていたので、あまり考えず、行った以上は行けなかった人のぶんまで楽しもうと臨んだわけです。

大江千里という人は、不動産評論家のようなことをしていたり、なんかようわからん番組の司会をしたりしているので、ようわからん人になっているけれど、じつは1983年のデビュー以来、山田洋次監督のものを初め数え切れないほどの映画に出演したり、NHKの連ドラは当然のことながら、そのほかのトレンディっぽいドラマで準主役を努めたり、超人気長寿番組「トップランナー」のパーソナリティーをつとめたり、家と不動産についての薀蓄本を書いたり、といった広範囲なマスコミ活動を旺盛にこなしつつ、その合間を縫って引田天功のスーパーイリュージョンの音楽プロデュースをしたり、NHK受信料徴収キャンペーンCM曲つくったり、光ゲンジやドラえもんのために曲をつくったりしていた、ほんとうにようわからん人なのだが、驚いたことに、さらにその合間を縫って、コンスタントに自分のためのアルバムを創作し続けている(どうやらこれが本職らしい)。そして、同時に、ライブツアーも毎年とはいわないまでも確実に遂行しており、よくよく考えてみれば、ものすごいおっさんではある。あいからわず見た目はおっさんではないけれど。近くで見ればおっさんか。

このマルチぶりに敬意を表して、「SENRI OE CONCERT TOUR “ゴーストライター ミーツ Senri”」のライブ評にしたいところだが、残念ながらわたしは書けるほど見識と経験がある輩ではない、つまりほざく資格はないので、ライブで拾った牡丹餅について。いや牡丹餅なんて言い方はたいへん失礼だ。

ライブじたいは、ギター、ベース、ドラム、キーボード兼コーラス兼パーカッションの4ピース+大江千里(vo.兼 key.兼 ものすごく長いMC)からなる構成で、新しいアルバムの『ゴーストライター』の曲が、plugedだがunplugedのようにシンプルにプレイされており(定番の盛り上げ曲をのぞく)、ムダに長いMCを除けば、それはそれで予想に反してよい感じではあった。しかし、そのよい感じを二の次にしてしまうようにステージの端できらりと光るものが、ぼくの目と耳を釘付けにしてしまった。

それが牡丹餅、ドラムスのパフォーマンスだ。いや牡丹餅なんて言い方はやっぱ問題だ。聞けばその男の名は坂東慧、弱冠21歳。坂東クンと呼んでもきっと失礼にはあたらないだろうマイルドで物腰柔らかいキャラクターからは想像もできないタイトで強いバチのさばきは、演奏開始早々、素人目にもなんだか凄いと気づかせてしまった。力強いだけでなく、バラードでのブラシの扱いにも情がこもる。それもそのはず、坂東クン、2004年からT-SQUAREの正ドラマーなのだそうだ。それもそのはずだわ。なんで、こんなとこにいるんだあ。

T-SQUAREとえいば去年か一昨年か、カシオペアとの合同ライブを聞いて以来で、そのときは(あいかわらずの神保のドラム以外)とくに感慨もなかったのだが、新加入した彼のことを知った以上は、ちょっと新しいアルバム『PASSION FLOWER』ってのを聴いてみたくなった。と思って、ソニーのサイトで試聴してみたが、聴ける曲を聴いた限りでは、正直よくわかんない。ドラムが前面にでた曲が収録されていることを期待しつつ、そして彼が牡丹餅であることを期待しつつ、まずTUTAYAを巡るか。



ちょっと最近更新が滞っておりますが、けっしてBLOGをやめたわけではないので、エクスキューズを。これまでは忙しくても、なんとか時間を見つけて書けるか、と思っていたんだけど、それは、本質的に忙しくなかったからであって、本質的に忙しくなると書けないということがわかりました。つまり、この1週間は本質的に忙しかったということで、いくつかテーマはあるんだけど、書き始めてみては、そこにまとまった時間がとれるのなら眠るべきということに気づき頓挫しておりました。いまの時季はもう夜中の3時くらいから明るいんだねえ、と感慨深くイラつく日々が続いていたわけです。
たぶん、この本質的な忙しさは今週一杯は続きそうなので、まとまったものは書けないと思います。ときには、こういったスタンスのアナウンスもあげつつ、なんとか時間が与えられることを祈りたいと思います。まあ、こんなエクスキューズなんて、そもそも必要ないのかもしれませんが。


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DEVILS & DUST。

2005-05-11 16:19:15 | ◎聴
BRUCE SPRINGSTEENの『Devils & Dust』発売と浜田省吾のアリーナツアー『ON THE ROAD 2005 MY FIRST LOVE』告知。広告が奇遇にも11日付朝日新聞(東京・朝刊)の社会面記事下で並んでる。よく知らない人がみたら、マッチョなふたりが並んでいると勘違いされそうだなあ。

ブルースの惹句は「名盤『明日なき暴走』(※1)から30年、そして感動の初来日公演から20年目となる2005年。ブルース・スプリングスティーン通算20枚目となるオリジナル・ニューアルバム緊急発売!」。って、ちょっと迫力ありすぎ。これ見て、『DEVILS & DUST』で、初めてとか、久しぶりにブルースを聴いた人は、そのギャップにとまどうんじゃないだろうか。つまり、けっしてマッチョではないということだ。

『DEVILS & DUST』は、事前のアナウンスどおり、静かに囁くアルバムである。そして、その詞をダイレクトに理解できないかぎりは、本質的な良さがわからないものである。もちろん、僕はダイレクトに理解できないので、歌詞カードや翻訳や周辺情報(※)を首っ引きで、各国のチャート初登場1位のイメージを実感しようとしているわけだ。

よって、あまりたいした意見はいえないけれど、全体としては、たとえば『the ghost of tom joad』に比べると、楽曲・楽器のバリエーションが豊かで、かつそれぞれが効果的に使われているため、初聴から、いいアルバムだということが伝わってくる。オルガンやストリングス、リズム楽器のたくみな起用により、歌詞に沿った静かな力強さが如実に伝わるものや、いっぽうで、「wreck on the highway」のようにある種のカタルシスを感じさせる曲が多く収められている。「lift me up」以来のフルファルセットもあったりして、E street bandとのセッション並みに、曲の幅を愉しめる。

とうぜんのことながら、詞も思弁的かつ物語性にあふれていて、ブルースの発想の豊かさと、この世界に臨む抵抗が正しく表現でている。とりわけアルバムタイトル曲でもある「DEVILS & DUST」は、音もさることながら、詞についても『The Rising』の「PARADICE」のような物語と思想(自爆に向かうテロリストの心象)をうまく引き継ぎ、解のない問題に対峙して極限まで想像力を働かせることの大切さを表現した素晴らしいものである。

いずれにしても、ブルースのファンであれば、新聞広告の惹句そのままに心に残るアルバムであり、これを聴きながら、『the ghost of tom joad』、『NEBRASKA』に遡ると、それぞれの音楽としての凄さがよりわかりやすくなる。

      ◆
一方の浜田。テクストのセンスの悪さはあいかわらずぴか一だなあ。「MY FIRST LOVE」って……困っちゃうね。もうちょっと思弁的に、もしくはコンセプチュアルに考えろよ、って感じですか。「愛の世代の前に」とか「Home bound」などの言葉は、時代性はあるとはいえ、まあよく考えられていたのに最近は安直だわ。それともさらにその先をいっているってことですかね。
ツアーまでに新しいアルバムはでるのだろうか。そのアルバムで提示される曲と詞が、これから浜田が、ブルースになれるかどうかの判断基準になりそうだ。まあ、もっとも彼はブルースになる気はないと思うが、ではジャクソン・ブラウンになれるか?ってとこですね。


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(※1)こちらも再発売、紙ジャケ仕様にリンクしています。
(※2)たとえばスターバックスが「Reno」の歌詞がわいせつだということで『DEVILS & DUST』を販売禁止にした、とかですね。確かに「Reno」の詞は日本語に訳すと、ものすごく直接的にわいせつです。She slipped me out of mouth,"You're ready,"she said. She took off her bra and panties, wet her finger,slipped inside her, … でしょ。ただし、この曲ももちろんただエロを表現してるわけではなく、正しく落としている。

【修正】上記で、浜田省吾の「MY FIRST LOVE」について、まったくなにも調べずに、いいかげんなことを書いてしまいましたが、これはなんと、新しいアルバムのタイトルのようです。しかも、ほんとうのところは前に「Rock'n Roll is …」をつけたい気持ちのようです。そのように書いてくれれば赤面しなくてすんだのになあ。ってわけじゃなく、それでも、もうひとひねりほしいのは言うまでもありません。一般的に、浜田は「love balladeの浜田」の側面ももっているわけですが、わたしとしては「R&B」もしくは「マイナーロック」の浜田を支援したいわけで、そうなると、やはり「love」と直截に言わないloveを期待してしまうわけです。少なくとも「It is a rock'n'roll that loved first. 」ぐらいのほうがいいんじゃないか。もしくはジョン・レノンじゃないけど「rock'n'roll」にしちゃうとか。まあいずれにしても、Rock'n Roll宣言はよいことではありますが。7月6日発売。

【さらに追記】「My First Love」(といっても上原多香子のシングルじゃありませんよ)のリスト。ぼくが浜田のテキスト方面のブレインをかってでましよう。いま、日本語の技はもう少し進んでいると思うんだけどなあ。「観覧車’82」とか「翼あるもの」とか「陽の訪れのように」とか「漂泊者(アウトロー)」とか……。けっこう難しいのかなあ。

01.光と影の季節 Flash and Shadow
02.この夜に乾杯! Cheers for Tonight
03.旅立ちの朝 Brand new Morning
04.Thank you
05.デスク越しの恋 Wink
06.誰かどこかで Somewhere not here
07.I am a father
08.花火 Hanabi
09.初恋 My First Love
10.君と歩いた道(album ver.) You are the one
11.ある晴れた夏の日の午後 One Fine Summer Day




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↓予告していた文具第2弾は、
↓次の機会に。
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