そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月27日(土)

2008年12月28日 | 昔日記
 昨日今日と仕事部屋に籠って論文を書いた。2日で16000字くらいのものを書き上げることができたので、まだまだヤキはまわっていないらしい。2、3箇所、年が明けたらまた国文学研究資料館へ行って確認しなければならないところが出てきた(「無庵」に行けるので、うれし~)。E区分の資料は複写させてもらえないから、行ってメモをとってくるしかないのである。

 3月に出る本に載ることになっている論文の、後始末のようなことがらを調べていたら、新しい事実に気がついたのである。入稿した原稿はもう初校が出て、先週末には出版社に戻してしまった。それからひらめいた事なので、新しい論文を書くしかないが、本の中に収録される一覧表には、新しく気づいた事柄を加えたほうがよいかもしれない。1月7日に行われる編集会議で相談することにして、ともあれ論文化してみたのである。

 関連するテーマであと3~4本は書けそうな具合である。院生の研究指導にかかっていると、なかなか自分の論文が書けない。ここ数年は超スローペースで、ついに枯渇したか、もう研究者は辞めるしかないと情けなく思っていたけれども、じたばたすると光明は見えてくるものだな。

 修士論文を書いた時も、苦し紛れに、提出前年の3月に資料調査に出かけてネタを見つけ、それから先は芋づる式で、10ヵ月足らずで書きあげちゃったもんね。でもまあ、今度の論文もどうでもいいような内容ではあるな。教組のM委員長の経済学だとか、法学部や理工の先生のような、世の中の役に立つようなものでは到底ありませんわ。800年前のささやかな歴史的事実が分かった、というだけの話である。こういうことで飯が食えているとは、この100年に1度というこの金融危機のさ中、まことに申し訳のない次第である。

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