日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

待つと云う事

2009年08月08日 | Weblog
物事には最善の時期と云うものがあるとはよく云われる事ですが、そこまで行くのに、本当にこの経験は必要
だったのか?と思う、苦々しく辛く哀しい事は、やはり意味のある事なのでしょうか。
元々かなり懐疑的な性格なので、本当に物事が上手く回り出すか、よい予兆があってもまだ疑ります。
そう云う素直でない事が、上手く行く事を阻んでいる、結局自分で遅らせていると云う事だとはよく分かっているの
ですが、やはり長年の積重ねと云うのは、ちょっとやそっとじゃ治りません。
特にそれがよい事であればあるほど、疑いは深く裏の裏まで考える……。
周囲の色んな情報を、自分で選んで得ていたのに、それは自分をイラつかせ落込ませ、状況を悪化させるだけの
ものばかりでした。
なぜよくなりたいと願っているのにこうなのか、自問自答の日々でした。
それらが必要な出来事と出会いであったのか、正直私には分かりません。
バネにして立ち上がると云うより、更に深いところへ落ちる事にしかならなかったから。
ですが今回、そう云う根深い考えを手放すチャンスに恵まれたのかもしれないなと思う事がありました。
別にセラピーでもヒーリングでもありません。
ただ、そこへは出かけて行かなくてはなりませんでした。
しかも、今の私にはその出かけると云う1歩が、金銭的にきついと云う状態。
もしわざわざ出かけて行って何の収穫もなく、それどころかまた落込みが激しくなるだけだったら?
そう思って随分と思い悩んでいましたが、意を決して出かけて正解。
ここで溜まっていた毒を出し、真っ当なエネルギーをチャージして、更に絶対無理だと思った事を叶えて戻って来ました。
正確には、叶えつつある、と云った方がまだいい段階ですが。
勝手な推測ですが、自分で動き回る事ばかりがいい事なのか?と、ふと思いました。
今回の事も、出かけて行くと云う行動を起こした結果の事ではありますが、その前に、全てを放棄してしまったと云う
経緯があります。
積極的に動き、情報を得ようとする事で、逆に落込みと罪悪感だけに苛まれる事になり、良かれと思った事とは真逆の
方向へ行ってしまいました。
今迄、この変なプラス思考と云うか、動かなくちゃよくはなれない、変わらない・変われない、みたいな感覚に付きまとわれ、
本来の自分を見失い無理の連続だったように思います。
ですが、とうとうそれに息切れして、待つと云うより全てを放棄した時、向こうから本当に必要なものがやって来た、何だか
そんな気がします。
そこに行くまでは悩みましたが、決断して動いたら、短時間で停滞していた事が、その場所で一気に動き出しました。
勿論、問題はまだまだ山のように山積しています。
でも、以前の絶望的な気持ちは消えてなくなりました。
正しくあの場所へは、リセットの為に導かれたのだと思います。
清浄過ぎる空気が外からも見て取れて、毒まみれの私は、一瞬入る事が躊躇われました。
ですが、そこで毒がほぼ出切って、必要なエネルギーのチャージが出来た。
想像もしていない出会いもありました。
本当にしんどくて、今度こそダメだと思ったけれど、今は何とか頑張れるかも、そんな気持ちになりました。
時間がかかり過ぎ、そう云われそうな気もします。
ですが、もうそんな事はどーでもいい、云いたければ云ってれば?一生、って感じです。
ここまで激変出来た事が未だかつてないので、今度こそかな?そう感じています。
色々なものに、感謝、本当にありがとう。