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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

天王洲アイル

2020年09月05日 | 東京都

(シーフォートスクエア)

 

シーフォートスクエア

 

 モノレールの天王洲アイル駅を下車するとシーフォートスクエアと連結している。「シーフォート」を直訳すれば「海の砦」である。かつてこの場所には第四台場があったが、今は跡方もない(品川区東品川2-3)。

 さらに京浜運河をはさんだ対岸には第五台場があったが、こちらも遺構らしきものは見当たらない。

 

シーフォートスクエアより

第五台場方面を臨む

 

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品川 Ⅴ

2020年09月05日 | 東京都

(ザ・プリンスさくらタワー東京宿泊者専用駐車場)

 後藤稲荷神社を探して、グランドプリンスホテル新高輪や品川グースホテルの敷地内を何度か歩き回ったがなかなか見つけることができない。ようやく探し当てたが、場所は品川グースホテルの北側のさくら坂を登っていくと、右手に宿泊者用駐車場があり、その入り口付近である。

 

後藤稲荷神社

 

 江戸時代、薩摩藩下屋敷のあったこの場所は、明治初年後藤象二郎の所有となった。言い伝えによると、お稲荷様の夢のお告げにより、自分を狙った暗殺計画を未然に防ぐことができたため、自邸内に稲荷を祀ったとされる。この場所が後藤象二郎の所有であったことを伝える唯一の遺構である。

 

(高輪の森公園)

 

高輪の森公園

 

 品川グースホテルとグランドプリンスホテル新高輪の間に高輪の森公園と称する公園がある(港区高輪3-13-21)。鬱蒼とした自然林とちょっとした休憩スペースがあるほか、特段変わったところはないが、園内に建てられた説明板によれば「この地は、江戸時代、薩摩藩島津家の下屋敷・抱屋敷でした。明治時代に入ると、政治家後藤象二郎の屋敷となった後、宮家の邸宅として1947年(昭和二十二年)まで使われます。園地は、朝香宮邸の一画に当たるものと推測されます。1933年(昭和八年)、朝香宮が白金台に転居すると、東久邇宮が邸宅として使用しました。」とある。よく見ると、園内には滝や流路など、庭園の遺構が見られる。現在、高輪という土地は高級住宅街というイメージが強いが、一昔前は宮家の邸宅のある超高級住宅街だったのである。

 

(グランドプリンスホテル高輪)

 

旧竹田宮邸洋館

 

 竹田宮家は明治中期に創設された家で、戦後皇籍離脱と同時に邸宅を手放し、この洋館も西武グループの手に渡り、この場所にプリンスホテルが建設された(港区高輪3-13-1)。

 竹田宮家は北白川能久親王の第一王子竹田宮恒久親王が創設し、明治天皇の第六皇女常宮昌子内親王と結婚した。

 

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