(竜馬通り)
伏見の薩摩藩邸跡に石碑が建ったという情報を得たので、久し振りに伏見を散策した。昨今の龍馬ブームの影響だろうか。寺田屋などは以前にも増して世俗化して、一介のオジサンには近寄りがたいほどである。「竜馬通り」と名付けられた商店街には、竜馬寿司とかお登勢茶屋など、商魂逞しい便乗商品が並ぶ。
竜馬通り
(伏見薩摩屋敷跡)
薩摩島津伏見屋敷跡
薩摩藩の伏見屋敷跡である。
嘉永六年(1853)九月、輿入れのために江戸に向かう途中の篤姫も数日をこの屋敷で過ごし、ここを拠点に近衛家、東福寺、萬福寺(宇治市)などを訪問した。さらに時代が下って、慶応二年(1866)一月、寺田屋に逗留中の坂本龍馬が幕吏に襲われた。竜馬は辛うじて難を逃れ、薩摩藩の伏見屋敷に匿われた。
伏見の薩摩藩邸跡に石碑が建ったという情報を得たので、久し振りに伏見を散策した。昨今の龍馬ブームの影響だろうか。寺田屋などは以前にも増して世俗化して、一介のオジサンには近寄りがたいほどである。「竜馬通り」と名付けられた商店街には、竜馬寿司とかお登勢茶屋など、商魂逞しい便乗商品が並ぶ。

竜馬通り
(伏見薩摩屋敷跡)

薩摩島津伏見屋敷跡
薩摩藩の伏見屋敷跡である。
嘉永六年(1853)九月、輿入れのために江戸に向かう途中の篤姫も数日をこの屋敷で過ごし、ここを拠点に近衛家、東福寺、萬福寺(宇治市)などを訪問した。さらに時代が下って、慶応二年(1866)一月、寺田屋に逗留中の坂本龍馬が幕吏に襲われた。竜馬は辛うじて難を逃れ、薩摩藩の伏見屋敷に匿われた。